INFJは、16タイプの中で最も複雑で神秘的である。
INFJは、情熱的でありながらも冷静であり、空想的でありながらも現実的である。
INFJの意識は、この世界のあらゆる存在を見ては、分析と統合を繰り返す。
INFJの主観的な世界観は成長とともに洗練され、あるがままの宇宙と一致してゆくのである。
INFJは、他者との絆をもとめ、自然と人々との一体感を感じることができる。 相手が一人であれ、大勢であれ、その雰囲気を肌で感じる。その雰囲気を心で感じる。
それゆえに、恐ろしいまでの推理能力や読心術を身につける者も少なくない。 それは、他の人は見逃してしまうような微かなサインから気がつくことである。
気がつかなくて良いことまで気がついて、気が滅入ってしまうこともあるだろう。
それは、あまりにも現実を超越し卓越した直観能力であるために、 それを理解できない大多数の人々からは、極端に敏感で精神的、霊的であると責められることがある。
INFJの認識は、思考-感情、全体-細部の認識においてバランスの取れたものとなり、 そして、一見すると相反する特徴を持ったものの自然なる統合が起こり続けるのである。
それゆえに、不可思議に思われる統一的な意識がひたすらに成長してゆくのである。 それは、この世のものとは思えない、至上の意識とつながっている。
INFJの主観的な世界観は、成長とともに、あるがままの宇宙と一致すると書いたが、 それと同時に、現れるべき世界をも見て取るのである。
INFJは、個性的でありながら普遍的な、深遠なる内なる世界を感性に訴える形で表現する。
自分の思いは、人々の思いと重なるだろう。 その人々は、身近な人から世界中の人々まで、 いやもっと言えば全宇宙の人々の中にもあるものなのかも知れない。
しかし、INFJの多くの人々は、自分が何者なのか未だ気がついていない者が多い。 そして、もったいないことに、その他大勢の人たちと同じように生き、死んでいってしまう。
INFJ 諸君!
数多の人生を繰り返し老成した、選ばれし魂たちよ!!
目を覚ませ!!!
俗世間の卑しい価値観に染まることなく、ひたすらに真実を追求せよ!!!!
自己を表現せよ!!!!!
貴方自身の人生で、内なる理想を表現せよ!!!!!!
そうすることによって、暗い道を照らし人々を導け!!!!!!!
大勢の人々は、本当は何処から来て何処へゆくべきか知らず、 飼い慣らされて安心するか、右も左も分からず右往左往するのみである。 INFJよ、自ら精神の進化を促し、人々を導くのだ。
他のタイプには悪いが、 INFJのバランスの取れた意識とポテンシャルをいくら強調してもしたりないぐらいである。 INFJは、大きな影響力を持ち得る。 それはいかなる手段によってか? 芸術家としてか、作家としてか、カンセラーとしてか、 ソーシャルワーカーとしてか、ジャーナリストとしてか、 俳優としてか、政治家としてか、哲学者としてか、 社会活動家としてか、建築家としてか、科学者としてか。
はたまた、現代に蘇りしシャーマンとしてか !?
選ばれし魂 INFJ と言える理由は多くある。 まず、このように全体的なバランスが取れており、 無意識の働きをある程度意識できる。 人類総体の無意識を覗き込めるチャンスが豊富なのは、 INFJにおいて他にはない。
控えめで謙虚なINFJのことだから、そんなことを言われても、「いえいえ、そんな、めっそうもない、私はただのヘタレですよ。」 と答えるかもしれない。しかし、INFJ諸君!!!!!!!! 自信を持って欲しい。
残念ながら、INFJは極めて少ない。 ゆえに、INFJの心理機能発達に沿った学校教育が用意されることはないのである。 皆さんがご存知のとおり、小学校、中学校での典型的で画一的な教育は、SJ向けなのだ。
さらに、この人間社会には、 良き心根を持つはずのINFJを苦しめる要因が無数に存在するために、 まだ幼く柔肌で敏感なうちに、心ない人々に傷つけられ、 悪質な人間関係に囚われ、悩み迷ってしまうことも少なくない。
他者の無理解、無神経、傲慢さ、野蛮さ、そして狂気などに触れ、 適切なロールモデルを見つけることができないまま、 他者を愛したいという思いは踏みにじられる。 そして、INFJの心は苦しみを感じ、穢れたと思い込み、ついには病んでしまう者もいる。
例えそうでなくても、 人と分かち合いたいはずの思いを分かち合える相手を見つけることができず、 ただ傷つくだけ傷ついた挙句、他者を避け、一人内に閉じこもるようになってしまう。
そうなると、せっかくの第二の心理機能である 外向的感情(Fe) 働きを積極的に活かす機会が失われ、 他者との温かみのあるふれあいや礼儀、社会性を学ぶのではなく、 自分と他者の間にある境界を強く意識するようになってしまうのだ。
外向的感情(Fe) の働きによって、境界を引き、一人になると何が始まるか?
内向的直観(Ni)- 内向的思考(Ti)ループである。
INFJ Ni-Ti Loop
内面においては、冷静で理論的、厳格になる。 温かみのある感情は希薄になり、 幻想的でありながらも矛盾を排し、 意味によってつなぎ合わせようとした世界が広がるのである。
しかし、Ni-Tiループが過度に続くと、 狂気じみたものになり、それゆえにストレスフルなものなる。
INFJは、極めて直観能力が高く、他者のサインを見てその意味するところを汲み取る。 しかし、他人のちょっとしたうわさ話や手がかりとなる行動パターンを見て、 自分が裏で批判されているのではないか、悪巧みをされているのではないかと変に疑ってしまうかもしれない。
一人で考えて、不安や恐怖を増幅させ、実際にその影響をもろに受け、精神的なダメージを被ってしまうことがあるのだ。
「そんなこと、その人に聴いてみれば済むではないか。」と外向タイプは言うかもしれない。 しかし、内向性の強いINFJにとって、それは容易なことではない。 傷つき悩み、 外向的感情(Fe)による表現の機会を失ったINFJにとってはなおさらである。
それでも、一旦うちに引きこもってしまうと、Ni-Tiループによって、 現実と非現実、統合と分析の織り交ざった奇妙な循環が始まる。 そして、それを止めるのはなかなか難しい。 気がつかない内に、迷妄の坂を転げ落ちていってしまう。
このNi-Tiループから抜け出す方法を述べる前に、Ni-Tiループの特徴について話しておこう。
INFJは、外界の情報を外向的感覚(Se)によって取り込む。 すなわち、身体の感覚器官、五感を用いて物事の様子を取り込むのである。 しかし、それは第四の心理機能であるがゆえに、未分化であり、充分に楽しむことができない。 すぐに、第一の心理機能である内向的直観(Ni)に取って代わる。
内向的直観(Ni)は現実を解釈した世界観を提示する。 それは、取り入れた情報を統合した内なる世界観である。 そして、あらゆる事物の結び付きや意味を捉え、一つのシンボルへと結束させる。 そこにあるのは、もはや物質的な世界とは違う、高次の精神的な世界である。
とはいうものの、幼いうちから現実味のあるビジョンがあるわけではない。 若い内は、不完全な認識に基づいて、内面において 非現実で極めて主観的かつ閉鎖的な世界観を作り上げてしまうこともある。
一方、 内向的思考(Ti)は、得られた情報を分類、分析、理論的説明を行おうとする。 また、ちょっとしたニュアンスにこだわり厳密で一貫した理解を求めようとする。 ときに、冷酷で大胆な形で表面的なものを剥ぎとって真実を明らかにしようとするのである。
INFJにとって、 内向的直観(Ni)の働きは、かなりの精神的なエネルギーを消耗する。 そこに加えて、 内向的思考(Ti)という、かなりやっかいな心理機能の働きが入り込むのだから、 Ni-Tiループは、かなり神経をすり減らす。
内向的思考(Ti)の働きによって、 他者への配慮や人間関係の温かなつながりは遠ざかって、 理性的で理屈による理解と問題解決が当面の課題になる。
内向的直観(Ni)によって点と点を結び出来上がった像や心象風景において 欠落した一貫性を 内向的思考(Ti)によって、理性を付与しようとする。 パズルのピースをはめるように順を追って理論的に説明しようとするのである。
しかし、内なるビジョンが非現実的であったとして、 それに気がつかないまま分析と一貫性を求めた推論が始めると、手に追えない代物となる。
極端な例で言うと、例えば、茶碗が何らかの拍子に割れて砕けたとする。
この場合、INFJにとってそれは、何か不吉なことのサインであると思われるのである。 そして、この茶碗の持ち主の現在、未来を心配してしまう。
極端な例で言うと、例えば、神社で賽銭を投げてお祈りをした帰りに、鳥居を出るときに 黒猫が前を横切ったとする。
この場合、INFJにとってそれは、何か不吉なことのサインであると思われるのである。 そして、自分や周囲の人間の行く末に暗い影を投げかけているように感じる。
これらは、極端な例だであるが、挙げようとすればきりがない。
他のタイプから見れば、このようなことはナンセンスだと思うだろう。 しかし、Ni-TiループにはまりこんだINFJが、 外界をよく観察すること無く、充分に情報を捉えようとしないならば、 このような偏執妄想や自分の作り出した奇妙な世界が本物であると確信し、 そこから抜け出せなくなってしまうのである。
そして、その認識が行動の指針に影響するかもしれない。
大抵の場合、現実ではないと気がついているから、なんとかして抜けだそうともがく。 これは、INFJにとって憂鬱なことである。
INFJの内向的思考(Ti)が充分に発達しない内は、 このように、全くナンセンスな前提から推論をはじめたり、推論に飛躍があったりする。 これが、内なる象徴的世界観と相まって、極めて独特の心象風景を生み出すこととなる。
Ni-Tiループが人間関係に利用される場合、人のちょっとした仕草や声のトーンなどから、 深読みし過ぎるほど深読みし、どちらかというと良くない想像が膨らむことがある。
では、神経をすり減らしてしまうNi-Tiループから抜け出すにはどうすれば良いのか、次に考えてみよう。