内向的感覚と外向的直観は、お互いに支え合って働いています。 両方が共同して働くことで統一的な認識が生じます。
内向的感覚の働きによって、 様々な情報媒体から得られた知識やデータ、 人から聞いたこと、 自分自身の体験などをよく思い出すことができます。 他人の声のトーンや表情、また、グラフ、表、地図の詳細、物の品質、作業の手順などに 関心を持ち、よく覚えることができます。 記憶された細々とした膨大なデータは、 現在経験していることと比較検討されることで、 世界の認識が細やかになり、対処能力が上がってゆきます。
一方、外向的直観の働きによって、個々の事象の裏で働いている力やパターンを認識します。 個々の具体的で詳細な情報は脇に押しやられ、抽象的で全体的なものの見方をします。
ただ単に膨大な記憶を保持しているだけでは、前例のあることには対処できても、 急に前例のない事態に直面したとき、まともに対処することができません。 そんなときは、なんとしても素早く機転の利いた手段を思いつかなければなりません。 外向的直観により、素早く本質を見抜き臨機応変に対応することができます。 パターンを認識し、裏で働いている力を知っているからこそ、新しい状況に対応することができます。
既存の知識を組合せることによって、イノベーションが起こることがあります。 これは、既存の知識を多角的に見つめ、可能性を見出した結果です。 新しい方法を生み出すには、ある程度、知識のプールが必要になります。 内向的感覚によって意識に登ってくる記憶は、外向的直観によって解釈がなされます。 たとえ限定された記憶や知識であっても、背後にある意味を汲み取り、 多角的な視点に立つことで、新しい可能性を見出すことができます。 新しい方法は有効性が認められれば、日常生活において習慣的に利用されるようになります。 習慣化されたことは、詳細に注意しながら間違いのない手順で利用される必要があります。
創造的な仕事には、幅広い知識のプールが必要です。 外向的直観のひらめきは、 その瞬間、目の前で起こっていることが引き金になって起こることがよくありますが、 実は常日頃、色々なことに興味を持って、知識を自分自身の内に蓄え、 記憶のプールをくまなく探索している結果なのです。 そうして、ひょんなことから、全く関係ないと思われていた知識が結びつきます。 記憶偏重の教育は非難の的になることがよくありますが、 幅広い知識を蓄えることの重要性を否定することはできません。 もし、内向的感覚と外向的直観の両方が有効に共同して働くならば、 様々なことに興味を抱いて、多くを記憶することができるとともに、 随時、解釈が行われて、鋭い勘が養われるようになります。