中日ドラゴンズ

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&font(#6495ED){登録日}:2011/11/13(日) 13:42:26 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 7 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- 中日ドラゴンズとは、愛知県名古屋市に本拠地を置くセントラルリーグ所属の[[プロ野球]]チームである。 1軍本拠地はナゴヤドーム、2軍本拠地はナゴヤ球場。 応援歌は「燃えよドラゴンズ」だが、シーズンごとに歌詞が一部固定で少しずつ変わる。 ちなみに、この「燃えよドラゴンズ」、最初は球団公式の応援歌ではなかった事でも有名。 1975年初出で、CBCラジオの生ワイド番組『ばつぐんジョッキー』の企画で作られたものである。 ラジオでデモテープをかけたところ、問い合わせが殺到し、あっという間に球団公式の応援歌を凌ぐ人気を得てしまった。 2002年から、中日の7回裏の攻撃前(ラッキーセブン)に「ナゴヤドーム合唱編」が流されるようになり、今では公式応援歌となっている。 マスコットはシャオロンとパオロン、そしてあのフリーダムすぎる[[ドアラ]]。 ▼チームの特徴 采配とスカウトには定評があり、育成も上手。 たまにディンゴ、[[セサル]]、李のような一部のネタ外人を引くこともあるが、他球団からお払い箱になった選手を受け入れ、上手く活躍させる。 野手陣は荒木、井端らを筆頭に、打線は小粒だが個々の守備能力が高く、守りからリズムを作る。 一方投手陣は他球団に比べて育成や補強に力を入れており、「投手王国」とも呼ばれる。 相手の隙を見逃さない、試合巧者的な面が目立つチームである。 接戦には滅法強い。 しかしかつては狭いナゴヤ球場で相手を打ち負かす打撃をウリとしたチームであり、恐竜打線とは当時の名残。 その頃は接戦に弱く、かつて球団に所属していた投手、板東英二も「諦めの良い中日」と当時を回想し皮肉っていたこともある。   2位になった回数が12球団で一番多いため&font(#ff0000){「もう2位はいらない」}とファンから言われている 総合的に見て戦力バランスはよく、セントラルリーグのAクラスの常連となっている。 優勝経験はそれなりにあるが、機会の割りに日本一にはなかなかなれず2回のみ(1954年・2007年) ▼歴史 ・発足 1936年に名古屋軍の名称でチームが誕生。 1947年には中部日本ドラゴンズになり、それから7年の間に細かいチーム名変更はあったが「ドラゴンズ」の名は変わらず残っており、 1954年に中日ドラゴンズとなって今に至る。 1950年にセントラルリーグに加盟。 その四年後1954年に初の優勝と日本一に輝く快挙。 50年代は本拠地の球場のハプニングが相次いでいた。 試合中に火災で全焼したり、伊勢湾台風によって球場が水没するなど散々なことになっている。 60年代も奮闘するものの、なかなか読売ジャイアンツを越えられずAクラスではあるが2位や3位と、もどかしい年が続いた。 落合博満が就任して以降は2004〜2011年まで全てAクラス入りを果たす強豪チームとなっている。 しかし、2013年にBクラスになり連続Aクラスは11年で途切れることに。 2014年度、2015年度もBクラスでシーズンを終え、早急の戦力強化が望まれている。   ▼OB・スタッフなど ・[[落合博満]] 言わずと知れたオレ流監督(〜2011年)兼ガノタ。実績は項目参照。 癖が強いせいからか地元でも賛否両論だった。 現在はGMの職に就いている。 ・高木守道 二代目ミスタードラゴンズ。 これまで監督を二度(1992~1995、2012~2013)努めており、一度目の監督時はあの10.8決戦を指揮した。 「普通です。」 どうでもいいが[[この人>ゴーカイブルー/ジョー・ギブケン]]のモデル。 二度目の監督時は権藤コーチとの確執もあり、2013年に監督を退任(元々二年間指揮を執ることになっていた)。 退任からしばらくして表舞台に姿を表さなくなりファンから心配されたが、最近になってまた顔を出すようになった。 ・谷繁元信 投手陣を支えるベテラン捕手で、かつては横浜に在籍していた。FBFBB 2014年から選手兼任監督となり、2016年は専任監督として低迷するチームの指揮を執った。 しかし低迷を止められず球団初の4年連続Bクラスが半ば決まりかけた8月上旬に休養が決まった。 ・宇野勝 &font(#ff0000){ヘディング事件}で有名となった名物選手。あの事件により珍プレー好プレー大賞が作られたとか… バッティングは素晴らしく本塁打王を獲得したこともある。…遊撃手なのにである。 ロッテに移籍するが中日在籍時の本塁打数は歴代一位である。…遊撃手なのにである。 ちなみに上記の事件は有名だが、足の速さを生かした守備範囲の広さ、肩も強く送球面でも劣ってはいない。 信じられないかも知れないが、元々は守備固め要員として目を付けられ、起用された経歴を持っている。 要するに下手ではないのだが一個のミスがデカいってこと。ただ結構トンネルをしでかしてるけどね! また、長打を放った際、高い走力から前走者を追い越してアウトになるというチョンボをしでかしたことがある。 ・[[川上憲伸]] 2002年にノーヒットノーランを達成し、2004年には沢村賞を受賞する等名実ともに日本球界を代表する投手となったが、 メジャー移籍後はドラゴンズ時代からの右肩痛に悩まされる。 また、投手とは思えない打力の持ち主。 2012年にチーム復帰するが記録を残すことが出来ず、 2015年に戦力外通告を受けることになる。現在は独立リーグも含めて野球をやる道を模索していたが、引退した。 ・和田一浩 打力も頭も輝く男。 西武にいたものの小さい頃からの憧れという理由だけでFAを行使して来た、ある種中日ファンの鑑。 2015年シーズンに2000本安打を達成するが、若返りを目指すチーム状況から来季の契約はないとGMより言われ、 現役引退した。 ・小笠原道大 代打の切り札で尾張の侍。2014年度からFAで中日に移籍。 2015年に現役を引退。引退試合は中日、巨人両軍から胴上げをされた。 現在は中日の二軍監督として後進の育成に励む。 ・山本昌広 登録名は山本昌。大ベテラン。球界のシーラカンス。&font(#ff0000){本業はラジコンとクワガタ育成}、&font(#0000ff){野球は副業}、などと言われる事も。 入団当初は恵まれた体格からは想像も出来ないようなガッカリな選手だったがアメリカ留学で覚醒。 数々のタイトルを獲得し、数々の最年長記録も持つ名投手。2006年にはノーヒットノーランを達成している。 あまりに衰えが見られない働きぶりのせいか、 立浪が監督、岩瀬が投手コーチとなっているのに「ピッチャー、山本昌に代わりまして…」というコピペネタにまでされる始末。 2011年シーズンは出番が無かったが… 2012年は開幕から好投を続け4月30日において通算212勝目を挙げ、大投手・杉下茂の持つ最多球団勝利数を更新。 2015年に、若返りを目指すチーム状況を鑑みて引退を決意。長い野球人生の幕を閉じた。 ヤクルトとの引退試合では元チームメイトの森岡良介と対戦し、見事三球三振に打ち取り有終の美を飾った。 ・立浪和義 3代目ミスタードラゴンズ。PL学園ではKKコンビの後輩、片岡篤史や野村弘樹と同級生にして「素晴らしい先輩」。 日本球界歴代通算安打数十傑に入る一方、ホームランは毎年打っていたとはいえシーズン20本も通算200本も越えず、十傑の中で最少という究極の中距離砲。 現役晩年、レギュラーから外れ代打の切り札になった後も絶大な人気を誇ったが、2009年に惜しまれながら引退。引退の際には「背番号3を永久欠番に!」という署名が行われたりもした(球団のスタンスもあり結局実現せず)。将来の監督候補と目されるも今に至るまで声が掛かっていない。 &font(#0000ff,u){&font(#ffffff){様々な黒い噂があり(素晴らしい先輩というのも立浪の印象についてPLの後輩に聞いた際の回答がこればかりだったことに由来する「黒い噂」を暗示したネタ)、それが指導者になれない原因と言われるが真相は果たして。}} ▼近年の主な選手 ・吉見一起 中日のエース。 2011年度は最優秀防御率を達成。 2015年に久々に登板するが、故障が再発し再び抹消される。 その後は2軍で調整していたが、翌2016年に1軍に復帰。 宿敵巨人打線を7回無失点に抑え、ファンを大いに狂喜させた。 ・岩瀬仁紀 中日ドラゴンズ不動の守護神。 通算セーブ数記録の歴代1位で、尚も記録更新中。 キレのある高速スライダーが武器で、クラッシャー星野仙一の時代を生き延びた選手の一人。 2015年度は怪我に苦しみ、1999年以来続いていた1軍での登板が遂に途切れてしまう。 2016年度はインフルエンザに感染し開幕に出遅れるものの、4月9日の巨人戦で1死満塁のピンチで満を持して登板。併殺で抑えてピンチを切り抜け、健在っぷりをアピールした。 2017年はセットアッパーに。これまでとは全く違うスライダーに「モデルチェンジした」とまで言われるように。また東京ドームでは抑えられない田島の代わりに9回2アウトからマウンドに立って打者1人を抑え、セーブしたりもした。 ・森野将彦 遅咲きの三塁手。 打撃開花でチームの中軸選手に成長した。 最近は年には勝てず、成績は低迷気味。   ・荒木雅博 広い守備範囲と俊足がウリで長く一番打者を勤める。 ファンからは駿馬扱いされている。 ・[[浅尾拓也]] イケメン兼セットアッパー。介護士。 華奢な体から投げ出される快速ストレートや落差のあるフォークはかなーりえげつない。 2011年は&font(#ff0000){79試合に登板して防御率0.41}ともはや化け物じみた抜群の安定感を見せた。 しかし故障に悩まされ、現在は昔ほどの切れ味はない。 ・平田良介 高校時代は甲子園で1試合3本塁打を放つなど非常に注目された選手。 当時の監督いわく「練習じゃ全然打たないのに試合になると一番期待できる」。 中日の主砲としての活躍が期待されている。また見た目以上に足が早く、堅守でもある。 侍ジャパンに選出されている。 ・堂上直倫 打撃はまだ荒いところがあるものの守備は堅実なプレーで確実性がある。 ちなみに兄弟で兄が剛裕、弟が直倫。父親もドラゴンズで14年間投手を勤めた。 兄が戦力外通告を喰らった(後に巨人に移籍)現在、いくら堅守といえ打撃の強化が急務である。 ・大島洋平 センター大島(守備位置的な意味で) 中日屈指の外野手。広い守備範囲と堅守からゴールデングラブも受賞している。 そして安打製造機と言うべきバットコントロールを誇る。…が年によって波がある。 ・高橋周平 期待の大物ルーキー。 高いバッティングセンスを誇る未来の主砲候補。 まだ荒い守備面が課題か。 ・大野雄大 吉見が長期離脱している中、現中日のエース代理として頑張る左腕。 2013年度に自身初の二桁勝利に到達。2014年度は2年連続の二桁勝利+貯金を増やすなど着実にエースへの階段を登る。 他球団ファンからはクールなイメージがついているようだが、その実中日が誇る宴会部長。 侍ジャパンに選出されている。 ・若松駿太 かつての投手王国から一転して投手不足に悩まされる中日ローテに現れた期待の新星。 2015年は開幕ローテ入りは叶わなかったが、一軍昇格後は頭角を現し、10勝4敗防御率2.12でシーズンを終える。 魔球とも言えるチェンジアップを最大の武器とし、相手打者を手玉に取る。 ・又吉克樹 通称ごま油又吉。入団一年目にして中継ぎのエースとして欠かせない存在になる。 サイドスローから来る最速151km/hのストレートとキレのあるスライダーで三振を量産する。 しかし2015年は二年目のジンクスに陥ったのか成績が振るわず、度々二軍落ちしていた。 ・福谷浩司 渾名は福やん。最速157km/hの直球が魅力のセットアッパー。 慶應義塾大学卒業で、監督に「学者が野球をやっているイメージ」と言わしめた文武両道の秀才。 しかし投球スタイルは速球でグイグイいくタイプなので、「恵まれた頭脳から嘘みたいな脳筋投球」と言われることも。 2015年はシーズン開始時から絶不調で、無期限の二軍行きを命じられる。 2016年は再び抑えとして復帰し、岩瀬の後継者を目指したものの炎上が続き2軍落ち。抑えも再び田島に戻った。 なんJでは専用の抑えスレ「福谷ラボ」を持つ。(抑えれば実験成功、炎上すれば実験失敗。) ・田島慎二 2015年後半から上記の福谷に代わって抑えに入った力投派右腕。 福谷同様「タージマハル」と言う抑えスレを持っているが、こちらはやたら壮大なストーリーを背景にスレが進行して行くので 抑えスレの中でも結構な人気を誇る。 なお2016年は田島が8回を投げ、福谷が9回を投げるという方程式が確立されたため 「福谷ラボ」と「タージマハル」のスレが1日に同時に立つのが恒例化している。 セットアッパーとして31試合連続無失点という記録を打ち立てる程に安定していたこと、相次ぐ福谷ラボの爆発炎上によりAS直前頃から再び抑えに復帰している。 ・濱田達郎 未来のエース候補にして、高校BIG3の1人。 2013年はフォーム改善に苦しめられたが、2014年に6安打11奪三振の初完封勝利を挙げる。 怪我によりシーズン終盤は離脱するが、今後が期待される逸材である。 ・山井大介 年に数度の神ピッチ(通称:神井、最たる例がかの日シリ)と炎上癖(通称:病)と、 安定感を持つリリーフという側面を持ち合わせたサングラスが似合うお方。 ・小笠原慎之介 2015年夏の甲子園優勝投手。中日にしては久しぶりのメディアで大きく取り上げられる選手。受け継がれる小笠原の系譜。 実力は折り紙つきで、最速151kmの本格派左腕。未来のエースとしての期待がされている。 好投をするもムエンゴで9月まで勝利が無かったが、9月4日にようやくプロ初白星を手にした。 ・アンダーソン・エルナンデス 陽気なドミニカン。内野手。 外国人らしい強肩から時にファインプレーを連発するが、守備が雑なのでエラーも多いという御方。 打撃面は波が激しく、打つときは神懸っているが打てない時は全く打てない。なんとも評価が難しい選手。 ・ダヤン・ビシエド ルナの後釜として1億7000万で契約した4番候補。元メジャーリーガー。 19歳の時にイカダに乗ってキューバからアメリカへ亡命したという壮絶な経歴を持つ。 入団当初は森繁の「タイロン・ウッズ越え」発言に「[[ダメ外人>ダメ外人(プロ野球)]]フラグか?」と感じたファンも多かった・・・ が、阪神との開幕三連戦でいきなり&bold(){開幕三試合連続HR}と言う入団1年目の助っ人外国人では初となる偉業を成し遂げ、ファンの不安を完全に払拭した。 タイロン・ウッズ以来の本塁打王タイトル獲得を期待されており、今後も目が離せない選手である。 追記、修正をお願いします #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,3) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - 移籍したのはそのままでいいの?? -- 名無しさん (2014-06-14 19:47:58) - シュウヘイ… -- 名無しさん (2015-07-26 20:53:31) - Bクラスの原因は高木守道とファンは言う -- 名無しさん (2015-08-07 18:31:20) - とうとうあの山本昌が引退か -- 名無しさん (2015-09-28 00:30:32) #comment #areaedit(end) }
&font(#6495ED){登録日}:2011/11/13(日) 13:42:26 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 7 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- 中日ドラゴンズとは、愛知県名古屋市に本拠地を置くセントラルリーグ所属の[[プロ野球]]チームである。 1軍本拠地はナゴヤドーム、2軍本拠地はナゴヤ球場。 応援歌は「燃えよドラゴンズ」だが、シーズンごとに歌詞が一部固定で少しずつ変わる。 ちなみに、この「燃えよドラゴンズ」、最初は球団公式の応援歌ではなかった事でも有名。 1975年初出で、CBCラジオの生ワイド番組『ばつぐんジョッキー』の企画で作られたものである。 ラジオでデモテープをかけたところ、問い合わせが殺到し、あっという間に球団公式の応援歌を凌ぐ人気を得てしまった。 2002年から、中日の7回裏の攻撃前(ラッキーセブン)に「ナゴヤドーム合唱編」が流されるようになり、今では公式応援歌となっている。 マスコットはシャオロンとパオロン、そしてあのフリーダムすぎる[[ドアラ]]。 ▼チームの特徴 采配とスカウトには定評があり、育成も上手。 たまにディンゴ、[[セサル]]、李のような一部のネタ外人を引くこともあるが、他球団からお払い箱になった選手を受け入れ、上手く活躍させる。 野手陣は荒木、井端らを筆頭に、打線は小粒だが個々の守備能力が高く、守りからリズムを作る。 一方投手陣は他球団に比べて育成や補強に力を入れており、「投手王国」とも呼ばれる。 相手の隙を見逃さない、試合巧者的な面が目立つチームである。 接戦には滅法強い。 しかしかつては狭いナゴヤ球場で相手を打ち負かす打撃をウリとしたチームであり、恐竜打線とは当時の名残。 その頃は接戦に弱く、かつて球団に所属していた投手、板東英二も「諦めの良い中日」と当時を回想し皮肉っていたこともある。   2位になった回数が12球団で一番多いため&font(#ff0000){「もう2位はいらない」}とファンから言われている 総合的に見て戦力バランスはよく、セントラルリーグのAクラスの常連となっている。 優勝経験はそれなりにあるが、機会の割りに日本一にはなかなかなれず2回のみ(1954年・2007年) ▼歴史 ・発足 1936年に名古屋軍の名称でチームが誕生。 1947年には中部日本ドラゴンズになり、それから7年の間に細かいチーム名変更はあったが「ドラゴンズ」の名は変わらず残っており、 1954年に中日ドラゴンズとなって今に至る。 1950年にセントラルリーグに加盟。 その四年後1954年に初の優勝と日本一に輝く快挙。 50年代は本拠地の球場のハプニングが相次いでいた。 試合中に火災で全焼したり、伊勢湾台風によって球場が水没するなど散々なことになっている。 60年代も奮闘するものの、なかなか読売ジャイアンツを越えられずAクラスではあるが2位や3位と、もどかしい年が続いた。 落合博満が就任して以降は2004〜2011年まで全てAクラス入りを果たす強豪チームとなっている。 しかし、2013年にBクラスになり連続Aクラスは11年で途切れることに。 2014年度、2015年度もBクラスでシーズンを終え、早急の戦力強化が望まれている。   ▼OB・スタッフなど ・[[落合博満]] 言わずと知れたオレ流監督(〜2011年)兼ガノタ。実績は項目参照。 癖が強いせいからか地元でも賛否両論だった。 現在はGMの職に就いている。 ・高木守道 二代目ミスタードラゴンズ。 これまで監督を二度(1992~1995、2012~2013)努めており、一度目の監督時はあの10.8決戦を指揮した。 「普通です。」 どうでもいいが[[この人>ゴーカイブルー/ジョー・ギブケン]]のモデル。 二度目の監督時は権藤コーチとの確執もあり、2013年に監督を退任(元々二年間指揮を執ることになっていた)。 退任からしばらくして表舞台に姿を表さなくなりファンから心配されたが、最近になってまた顔を出すようになった。 ・谷繁元信 投手陣を支えるベテラン捕手で、かつては横浜に在籍していた。FBFBB 2014年から選手兼任監督となり、2016年は専任監督として低迷するチームの指揮を執った。 しかし低迷を止められず球団初の4年連続Bクラスが半ば決まりかけた8月上旬に休養が決まった。 ・宇野勝 &font(#ff0000){ヘディング事件}で有名となった名物選手。あの事件により珍プレー好プレー大賞が作られたとか… バッティングは素晴らしく本塁打王を獲得したこともある。…遊撃手なのにである。 ロッテに移籍するが中日在籍時の本塁打数は歴代一位である。…遊撃手なのにである。 ちなみに上記の事件は有名だが、足の速さを生かした守備範囲の広さ、肩も強く送球面でも劣ってはいない。 信じられないかも知れないが、元々は守備固め要員として目を付けられ、起用された経歴を持っている。 要するに下手ではないのだが一個のミスがデカいってこと。ただ結構トンネルをしでかしてるけどね! また、長打を放った際、高い走力から前走者を追い越してアウトになるというチョンボをしでかしたことがある。 ・[[川上憲伸]] 2002年にノーヒットノーランを達成し、2004年には沢村賞を受賞する等名実ともに日本球界を代表する投手となったが、 メジャー移籍後はドラゴンズ時代からの右肩痛に悩まされる。 また、投手とは思えない打力の持ち主。 2012年にチーム復帰するが記録を残すことが出来ず、 2015年に戦力外通告を受けることになる。現在は独立リーグも含めて野球をやる道を模索していたが、引退した。 ・和田一浩 打力も頭も輝く男。 西武にいたものの小さい頃からの憧れという理由だけでFAを行使して来た、ある種中日ファンの鑑。 2015年シーズンに2000本安打を達成するが、若返りを目指すチーム状況から来季の契約はないとGMより言われ、 現役引退した。 ・小笠原道大 代打の切り札で尾張の侍。2014年度からFAで中日に移籍。 2015年に現役を引退。引退試合は中日、巨人両軍から胴上げをされた。 現在は中日の二軍監督として後進の育成に励む。 ・山本昌広 登録名は山本昌。大ベテラン。球界のシーラカンス。&font(#ff0000){本業はラジコンとクワガタ育成}、&font(#0000ff){野球は副業}、などと言われる事も。 入団当初は恵まれた体格からは想像も出来ないようなガッカリな選手だったがアメリカ留学で覚醒。 数々のタイトルを獲得し、数々の最年長記録も持つ名投手。2006年にはノーヒットノーランを達成している。 あまりに衰えが見られない働きぶりのせいか、 立浪が監督、岩瀬が投手コーチとなっているのに「ピッチャー、山本昌に代わりまして…」というコピペネタにまでされる始末。 2011年シーズンは出番が無かったが… 2012年は開幕から好投を続け4月30日において通算212勝目を挙げ、大投手・杉下茂の持つ最多球団勝利数を更新。 2015年に、若返りを目指すチーム状況を鑑みて引退を決意。長い野球人生の幕を閉じた。 ヤクルトとの引退試合では元チームメイトの森岡良介と対戦し、見事三球三振に打ち取り有終の美を飾った。 ・立浪和義 3代目ミスタードラゴンズ。PL学園ではKKコンビの後輩、片岡篤史や野村弘樹と同級生にして「素晴らしい先輩」。 日本球界歴代通算安打数十傑に入る一方、ホームランは毎年打っていたとはいえシーズン20本も通算200本も越えず、十傑の中で最少という究極の中距離砲。 現役晩年、レギュラーから外れ代打の切り札になった後も絶大な人気を誇ったが、2009年に惜しまれながら引退。引退の際には「背番号3を永久欠番に!」という署名が行われたりもした(球団のスタンスもあり結局実現せず)。将来の監督候補と目されるも今に至るまで声が掛かっていない。 &font(#0000ff,u){&font(#ffffff){様々な黒い噂があり(素晴らしい先輩というのも立浪の印象についてPLの後輩に聞いた際の回答がこればかりだったことに由来する「黒い噂」を暗示したネタ)、それが指導者になれない原因と言われるが真相は果たして。}} ▼近年の主な選手 ・吉見一起 中日のエース。 2011年度は最優秀防御率を達成。 2015年に久々に登板するが、故障が再発し再び抹消される。 その後は2軍で調整していたが、翌2016年に1軍に復帰。 宿敵巨人打線を7回無失点に抑え、ファンを大いに狂喜させた。 ・岩瀬仁紀 中日ドラゴンズ不動の守護神。 通算セーブ数記録の歴代1位で、尚も記録更新中。 キレのある高速スライダーが武器で、クラッシャー星野仙一の時代を生き延びた選手の一人。 2015年度は怪我に苦しみ、1999年以来続いていた1軍での登板が遂に途切れてしまう。 2016年度はインフルエンザに感染し開幕に出遅れるものの、4月9日の巨人戦で1死満塁のピンチで満を持して登板。併殺で抑えてピンチを切り抜け、健在っぷりをアピールした。 2017年はセットアッパーに。これまでとは全く違うスライダーに「モデルチェンジした」とまで言われるように。また東京ドームでは抑えられない田島の代わりに9回2アウトからマウンドに立って打者1人を抑え、セーブしたりもした。 ・森野将彦 遅咲きの三塁手。 打撃開花でチームの中軸選手に成長した。 最近は年には勝てず、成績は低迷気味。   ・荒木雅博 広い守備範囲と俊足がウリで長く一番打者を勤める。 ファンからは駿馬扱いされている。 ・[[浅尾拓也]] イケメン兼セットアッパー。介護士。 華奢な体から投げ出される快速ストレートや落差のあるフォークはかなーりえげつない。 2011年は&font(#ff0000){79試合に登板して防御率0.41}ともはや化け物じみた抜群の安定感を見せた。 しかし故障に悩まされ、現在は昔ほどの切れ味はない。 ・平田良介 高校時代は甲子園で1試合3本塁打を放つなど非常に注目された選手。 当時の監督いわく「練習じゃ全然打たないのに試合になると一番期待できる」。 中日の主砲としての活躍が期待されている。また見た目以上に足が早く、堅守でもある。 侍ジャパンに選出されている。 ・堂上直倫 打撃はまだ荒いところがあるものの守備は堅実なプレーで確実性がある。 ちなみに兄弟で兄が剛裕、弟が直倫。父親もドラゴンズで14年間投手を勤めた。 兄が戦力外通告を喰らった(後に巨人に移籍)現在、いくら堅守といえ打撃の強化が急務である。 ・大島洋平 センター大島(守備位置的な意味で) 中日屈指の外野手。広い守備範囲と堅守からゴールデングラブも受賞している。 そして安打製造機と言うべきバットコントロールを誇る。…が年によって波がある。 ・高橋周平 期待の大物ルーキー。 高いバッティングセンスを誇る未来の主砲候補。 まだ荒い守備面が課題か。 ・大野雄大 吉見が長期離脱している中、現中日のエース代理として頑張る左腕。 2013年度に自身初の二桁勝利に到達。2014年度は2年連続の二桁勝利+貯金を増やすなど着実にエースへの階段を登る。 他球団ファンからはクールなイメージがついているようだが、その実中日が誇る宴会部長。 侍ジャパンに選出されている。 ・若松駿太 かつての投手王国から一転して投手不足に悩まされる中日ローテに現れた期待の新星。 2015年は開幕ローテ入りは叶わなかったが、一軍昇格後は頭角を現し、10勝4敗防御率2.12でシーズンを終える。 魔球とも言えるチェンジアップを最大の武器とし、相手打者を手玉に取る。 ・又吉克樹 通称ごま油又吉。入団一年目にして中継ぎのエースとして欠かせない存在になる。 サイドスローから来る最速151km/hのストレートとキレのあるスライダーで三振を量産する。 しかし2015年は二年目のジンクスに陥ったのか成績が振るわず、度々二軍落ちしていた。 ・福谷浩司 渾名は福やん。最速157km/hの直球が魅力のセットアッパー。 慶應義塾大学卒業で、監督に「学者が野球をやっているイメージ」と言わしめた文武両道の秀才。 しかし投球スタイルは速球でグイグイいくタイプなので、「恵まれた頭脳から嘘みたいな脳筋投球」と言われることも。 2015年はシーズン開始時から絶不調で、無期限の二軍行きを命じられる。 2016年は再び抑えとして復帰し、岩瀬の後継者を目指したものの炎上が続き2軍落ち。抑えも再び田島に戻った。 なんJでは専用の抑えスレ「福谷ラボ」を持つ。(抑えれば実験成功、炎上すれば実験失敗。) ・田島慎二 2015年後半から上記の福谷に代わって抑えに入った力投派右腕。 福谷同様「タージマハル」と言う抑えスレを持っているが、こちらはやたら壮大なストーリーを背景にスレが進行して行くので 抑えスレの中でも結構な人気を誇る。 なお2016年は田島が8回を投げ、福谷が9回を投げるという方程式が確立されたため 「福谷ラボ」と「タージマハル」のスレが1日に同時に立つのが恒例化している。 セットアッパーとして31試合連続無失点という記録を打ち立てる程に安定していたこと、相次ぐ福谷ラボの爆発炎上によりAS直前頃から再び抑えに復帰している。 ・濱田達郎 未来のエース候補にして、高校BIG3の1人。 2013年はフォーム改善に苦しめられたが、2014年に6安打11奪三振の初完封勝利を挙げる。 怪我によりシーズン終盤は離脱するが、今後が期待される逸材である。 ・山井大介 年に数度の神ピッチ(通称:神井、最たる例がかの日シリ)と炎上癖(通称:病)と、 安定感を持つリリーフという側面を持ち合わせたサングラスが似合うお方。 ・小笠原慎之介 2015年夏の甲子園優勝投手。中日にしては久しぶりのメディアで大きく取り上げられる選手。受け継がれる小笠原の系譜。 実力は折り紙つきで、最速151kmの本格派左腕。未来のエースとしての期待がされている。 好投をするもムエンゴで9月まで勝利が無かったが、9月4日にようやくプロ初白星を手にした。 ・アンダーソン・エルナンデス 陽気なドミニカン。内野手。 外国人らしい強肩から時にファインプレーを連発するが、守備が雑なのでエラーも多いという御方。 打撃面は波が激しく、打つときは神懸っているが打てない時は全く打てない。なんとも評価が難しい選手。 ・ダヤン・ビシエド ルナの後釜として1億7000万で契約した4番候補。元メジャーリーガー。 19歳の時にイカダに乗ってキューバからアメリカへ亡命したという壮絶な経歴を持つ。 入団当初は森繁の「タイロン・ウッズ越え」発言に「[[ダメ外人>ダメ外人(プロ野球)]]フラグか?」と感じたファンも多かった・・・ が、阪神との開幕三連戦でいきなり&bold(){開幕三試合連続HR}と言う入団1年目の助っ人外国人では初となる偉業を成し遂げ、ファンの不安を完全に払拭した。 タイロン・ウッズ以来の本塁打王タイトル獲得を期待されており、今後も目が離せない選手である。 追記、修正をお願いします #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,3) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - 移籍したのはそのままでいいの?? -- 名無しさん (2014-06-14 19:47:58) - シュウヘイ… -- 名無しさん (2015-07-26 20:53:31) - Bクラスの原因は高木守道とファンは言う -- 名無しさん (2015-08-07 18:31:20) - とうとうあの山本昌が引退か -- 名無しさん (2015-09-28 00:30:32) - もうそろそろ内容を更新しようぜ…文才のある方頼みます~ -- 名無しさん (2017-08-05 21:49:57) #comment #areaedit(end) }

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