中日ドラゴンズ

登録日:2011/11/13(日) 13:42:26
更新日:2020/01/25 Sat 11:42:47
所要時間:約 7 分で読めます




中日ドラゴンズとは、愛知県名古屋市に本拠地を置くセントラルリーグ所属のプロ野球チームである。
1軍本拠地はナゴヤドーム、2軍本拠地はナゴヤ球場。

応援歌は「燃えよドラゴンズ」だが、シーズンごとに歌詞が一部固定で少しずつ変わる。
ちなみにこの「燃えよドラゴンズ」、最初は球団公式の応援歌ではなかった事でも有名。
1975年初出で、CBCラジオの生ワイド番組『ばつぐんジョッキー』の企画で作られたものである。
ラジオでデモテープをかけたところ、問い合わせが殺到し、あっという間に球団公式の応援歌を凌ぐ人気を得てしまった。
2002年から、中日の7回裏の攻撃前(ラッキーセブン)に「ナゴヤドーム合唱編」が流されるようになり、今では公式応援歌となっている。

マスコットはシャオロンとパオロン、そしてあのフリーダムすぎるドアラ


▼チームの特徴
多少波はあるが采配とスカウトには定評があり、育成も上手。
たまにディンゴ、セサル、李のような一部のネタ外人を引くこともあるが、他球団からお払い箱になった選手を受け入れ、上手く活躍させていた。

野手陣は荒木、井端らを筆頭に、打線は小粒だが個々の守備能力が高く、守りからリズムを作る。

一方投手陣は他球団に比べて育成や補強に力を入れており、「投手王国」とも呼ばれる。

相手の隙を見逃さない、試合巧者的な面が目立つチームである。
接戦には滅法強い。

しかしかつては狭いナゴヤ球場で、ナゴヤ球場最終年を例にすると山崎・大豊というホームランダービーのツートップに加えこの年3年連続の首位打者を獲得したパウエルなどを主軸に擁した強力打線で相手を打ち負かすチームであり、恐竜打線という異名は当時の名残。
その頃は接戦に弱く、かつて球団に所属していた投手、板東英二も「諦めの良い中日」と当時を回想し皮肉っていたこともある。

2位になった回数が12球団で一番多いため「もう2位はいらない」とファンから言われている。
優勝経験はそれなりにあるが、機会の割りに日本一にはなかなかなれず2回のみ(1954年・2007年、特に2007年は2位からCS突破して日本一ということから、優勝して日本一を達成したのは1954年の1度きり)。

2000年代は総合的な戦力バランスに優れ、セントラルリーグのAクラスの常連となっていた。
だが2010年前後から首脳陣の問題が本格的に報じられるようになり、遅れるような形でチーム成績も低迷。
フロントなどに内紛とも受け取れる状況が散見される中で、Aクラスからも長らく離れている。


▼歴史

  • 発足
1936年に名古屋軍の名称でチームが誕生。
1947年には中部日本ドラゴンズになり、それから7年の間に細かいチーム名変更はあったが「ドラゴンズ」の名は変わらず残っており、
1954年に中日ドラゴンズとなって今に至る。

1950年にセントラルリーグに加盟。
その四年後1954年に初の優勝と日本一に輝く快挙。

50年代は本拠地の球場のハプニングが相次いでいた。
試合中に火災で全焼したり、伊勢湾台風によって球場が水没するなど散々なことになっている。

60年代も奮闘するものの、なかなか読売ジャイアンツを越えられずAクラスではあるが2位や3位と、もどかしい年が続いた。
しかし1974年にV9を阻止して20年ぶりの優勝を果たし(この時に作られたのが燃えよドラゴンズ)、その後1982年にも優勝。星野仙一が監督に就任後は1988年と1999年の2度優勝を果たす。
ただしジョイナス1期から山田久志政権期までは割と好不調の波が激しかったりもして、ジョイナス1期最終年とナゴド初年度は最下位も経験している。。

落合博満が就任して以降は2004〜2011年まで全てAクラス入りを果たす強豪チームとなっている。
しかし、2013年にBクラスになり連続Aクラスは11年で途切れることに。
その後は2018年シーズンまでBクラスが続いている。特に2016年は監督途中解任・最下位でシーズンを終え、早急の戦力強化が望まれている。


▼OB・スタッフなど
  • 与田剛
現監督。
トレードマークは肩幅。
現役時代は当時の日本人投手最速記録の157kmの剛速球を武器に抑えとして活躍。
2018年オフ、森繁の後任として監督として23年ぶりにドラゴンズに復帰した。
侍ジャパンや楽天でのコーチ経験を活かし、低迷に苦しむチームの再建に挑む。

言わずと知れたミスター三冠王、オレ流監督(2004〜2011)→GM兼ガノタ。実績は項目参照。
実績は確かだが、癖が強いせいからか地元でも賛否両論だった。
2014年からはGMの職に就いていたが成績低迷で2016年オフに退任。

  • 高木守道
二代目ミスタードラゴンズ。
現役時代は華麗なバックトスで多くのファンを魅了した。
これまで監督を二度(1992~1995、2012~2013)努めており、一度目の監督時はあの10.8決戦を指揮した。
「普通です」
どうでもいいがこの人のモデル。
二度目の監督時は権藤コーチとの確執もあり、2013年に監督を退任(元々二年間指揮を執ることになっていた)。
退任からしばらくして表舞台に姿を表さなくなりファンから心配されたが、最近になってまた顔を出すようになった。
しかし2020年1月17日に心不全により死去。
亡くなる5日前にはラジオ番組に出演しており何ら変わりない様子だっただけにその突然の死にファンは大きなショックと悲しみに包まれた。

  • 谷繁元信
FBFBBでお馴染み。投手陣を支えるベテラン捕手で、かつてはマシンガン打線時代の横浜に在籍していた。
2014年から選手兼任監督となり、2016年は専任監督として低迷するチームの指揮を執った。
しかし低迷を止められず球団初の4年連続Bクラスが半ば決まりかけた8月上旬に休養が決まった。

  • 森繁和
前監督。名前は「もり しげかず」なのだが森繁と呼ばれることが多数。
落合政権下のヘッドコーチだったインテリヤクザ。外人のスカウトに定評がある。
谷繁政権下でコーチに復帰したのち、代行監督を務めそのまま正式に就任。
しかし2017年、長女が亡くなるという不幸に見舞われてしまった。
2018年限りで契約満了し監督を退任。翌年からはシニアディレクターの役職についていたがその年のオフに退任しドラゴンズから完全に離れる事となった。

  • 宇野勝
ヘディング事件で有名となった名物選手。あの事件により珍プレー好プレー大賞が作られたとか…
バッティングは素晴らしく本塁打王を獲得したこともある。…遊撃手なのにである。
ロッテに移籍するが中日在籍時の本塁打数は歴代一位である。…遊撃手なのにである。
ちなみに上記の事件は有名だが、足の速さを生かした守備範囲の広さ、肩も強く送球面でも劣ってはいない。
信じられないかも知れないが、元々は守備固め要員として目を付けられ、起用された経歴を持っている。
要するに下手ではないのだが一個のミスがデカいってこと。ただ結構トンネルをしでかしてるけどね!
また、長打を放った際、高い走力から前走者を追い越してアウトになるというチョンボをしでかしたことがある。

2002年にノーヒットノーランを達成し、2004年には沢村賞を受賞する等名実ともに日本球界を代表する投手となったが、
メジャー移籍後はドラゴンズ時代からの右肩痛に悩まされる。
また、投手とは思えない打力の持ち主。2008年には開幕戦でホームランも打っている。
2012年にチーム復帰するが成績を残すことが出来ず、
2015年に戦力外通告を受けることになる。独立リーグも含めて野球をやる道を模索していたが、オファーはなくそのまま引退した。

  • 岩瀬仁紀
中日ドラゴンズ不動の守護神。背番号と決め球から、異名は「死神」。
通算1002登板、407セーブは歴代1位。15年連続50試合登板と合わせて3つのアンタッチャブルレコードを持つレジェンド。
キレのある高速スライダーが武器で、クラッシャー星野仙一の時代を生き延びた選手の一人。
2015年度は怪我に苦しみ、1999年以来続いていた1軍での登板が遂に途切れてしまう。
2016年度はインフルエンザに感染し開幕に出遅れるものの、4月9日の巨人戦で1死満塁のピンチで満を持して登板。併殺で抑えてピンチを切り抜け、健在っぷりをアピールした。
2017年はセットアッパーに。これまでとは全く違うスライダーに「モデルチェンジした」とまで言われるように。またセーブも上げて自身の記録を更新した。
2018年も一線級のリリーフとして活躍したが、衰えを理由に現役引退。浅尾の引退試合では「ピッチャー浅尾に代わりまして、岩瀬」を再現してファンを泣かせた。

イケメンセットアッパー。介護士。浅尾きゅん。
華奢な体から投げ出される快速ストレートや落差のあるフォークはかなーりえげつない。
2010年にホールド日本記録を挙げたほか、2011年は79試合に登板して防御率0.41ともはや化け物じみた抜群の安定感を見せてMVPになった。
しかしその後は故障に悩まされ、2018年を限りに引退。翌年からは二軍投手コーチを務める。

  • 荒木雅博
広い守備範囲と俊足がウリで長く一番打者を勤め、2017年には歴代最少本塁打での2000安打を達成。
ファンからは駿馬扱いされている。
かつては井端とともに無敵の二遊間「アライバ」を結成していたがその井端は高橋由伸とお友達に。→2019年、名古屋メディアに帰ってきました。
2018年に引退。翌年からは二軍内野守備走塁コーチを務める。

  • 森野将彦
遅咲きの三塁手。
打撃開花でチームの中軸選手に成長した。内外野の全ポジションを守れる。
全盛期と違反球統一球の導入が重なってしまい、2011年以降の成績は低迷。
結局2017年に引退し、2018年からは二軍打撃コーチに就任するも翌年に退任。
現在は解説者として活動している。

  • 和田一浩
打力も頭も輝く男。
遅咲きの代名詞。2010年には38歳にして3割30本をマークしてMVPを獲得している。
なお、ナゴヤドームで30本塁打を放った日本人は和田の他には福留のみ。どうやら髪を犠牲にしないと達成できないらしい。
西武にいたものの小さい頃からの憧れという理由だけでFAを行使して来た、ある種中日ファンの鑑。
2015年シーズンに2000本安打を達成するが、若返りを目指すチーム状況から構想外を通告され、本人の「中日で終わりたい」という意思もあり現役を引退した。
その後は名古屋でローカルタレント兼解説者として活動している。

  • 小笠原道大
代打の切り札で尾張の侍。2014年度からFAで中日に移籍。
2015年に現役を引退。引退試合は中日、巨人両軍から胴上げをされた。
2016年からは二軍監督として後進の育成に努め2019年オフに退任。
古巣、日本ハムにコーチとして14年ぶりに復帰した。

  • 山本昌広
登録名は山本昌。大ベテラン。球界のシーラカンス。本業はラジコンとクワガタ育成野球は副業、などと言われる事も。
入団当初は恵まれた体格からは想像も出来ないようなガッカリな選手だったがアメリカ留学で覚醒。
数々のタイトルを獲得し、数々の最年長記録も持つ名投手。2006年には41歳にしてノーヒットノーランを達成している。
あまりに衰えが見られない働きぶりのせいか、
立浪が監督、岩瀬が投手コーチとなっているのに「ピッチャー、山本昌に代わりまして…」というコピペネタにまで作られる始末。
2011年シーズンは出番が無かったが…
2012年は開幕から好投を続け4月30日において通算212勝目を挙げ、大投手・杉下茂の持つ最多球団勝利数を更新。
2015年に、若返りを目指すチーム状況を鑑みて引退を決意。32年に及ぶ野球人生の幕を閉じた。
翌年オープン戦で行われたヤクルトとの引退試合では元チームメイトの森岡良介と対戦し、見事三球三振に打ち取り有終の美を飾った。

  • 立浪和義
3代目ミスタードラゴンズ。PL学園ではKKコンビの後輩、宮本慎也、片岡篤史や野村弘樹と同級生にして「素晴らしい先輩」。
通算二塁打数でNPB記録を持ち、日本球界歴代通算安打数十傑に入る一方、ホームランは毎年打っていたとはいえシーズン20本も通算200本も越えず、十傑の中で最少という究極の中距離砲。
現役晩年、レギュラーから外れ代打の切り札になった後も絶大な人気を誇ったが、2009年に惜しまれながら引退。引退の際には「背番号3を永久欠番に!」という署名が行われたりもした(球団のスタンスもあり結局実現せず)。将来の監督候補と目されるも今に至るまで声が掛かっていない。
様々な黒い噂があり(素晴らしい先輩というのも立浪の印象についてPLの後輩に聞いた際の回答がこればかりだったことに由来する「黒い噂」を暗示したネタ)、それが指導者になれない原因と言われるが真相は果たして。

平成の怪物にして元メジャーリーガー。
日本球界に復帰したソフトバンクでは怪我に悩まされ続け、3年で1度しか投げることが出来ずに解雇。
しかし森繁のツテでやってきた中日で復活を果たしカムバック賞を受賞。2019年からは中日でも慣れ親しんだ背番号18を背負う事となり、更なる活躍が期待されたのだが・・・
詳しくは項目参照。

  • 亀澤恭平
荒木の後継になる…といいなあって感じの内野。
元はソフトバンクの育成選手だった。
打撃と盗塁もそこそこ期待できるムードメーカーだったが2019年オフに戦力外通告を受け退団。
その後トライアウトを経て沖縄初のプロ野球チーム、琉球ブルーオーシャンズに選手兼任コーチとして入団。

  • 松井雅人
蔑称通称MM。
谷繁の後継になる予定だった捕手。
守備能力と走力には定評があるが、強肩の評判だった割に盗塁阻止率はそんなでもない。
打撃成績が悲惨なことで知られている。2017年春頃には確変したかと思ったがそんなことはなかったぜ。
と思ったら2018年にプチ覚醒した。が、体力不足が否めず出場数は微減。2019年からは首脳陣の入れ替わりや加藤、石橋と言った若手捕手の台頭により厳しい立場に置かされた所でシーズン途中に松井佑介、スティーブ・モヤと共にトレードでオリックスへ。


▼近年の主な選手

【投手】
19 吉見一起
中日のエース。
2011年度は最優秀防御率を達成。2008年から2012まで5年連続2桁勝利を挙げるが、同シーズン終盤に故障してしまった。
2015年に久々に登板するが、故障が再発し再び抹消される。
その後は2軍で調整していたが、翌2016年に1軍に復帰。宿敵巨人打線を7回無失点に抑え、ファンを大いに狂喜させた。
2018年もローテーションを守り5勝を挙げるが、規定には届かず。目標は「40歳まで現役」。

22 大野雄大
吉見が長期離脱している中、現中日のエース代理として頑張る(頑張れ)左腕。
2013年度に初の二桁勝利に到達。2014年度は2年連続の二桁勝利+貯金を増やすなど着実にエースへの階段を登る。2015年には200イニングを投げ文句ない活躍を見せたが、2016年からはやや低迷していたが2019年にセ・リーグ令和初のノーヒットノーランを達成し最優秀防御率のタイトルを獲得するなど見事復活を果たした。ノーノー達成時のはしゃぎっぷりをあちこちでネタにされたりしたが
他球団ファンからはクールなイメージがついているようだが、その実中日が誇る宴会部長にしてメイドカフェ入店経験もあるニャン。
2015年、19年には侍ジャパンにも選出されている。

16 又吉克樹
芥川賞じゃないほうの又吉。SNSのアイコンは「又吉克樹と書かれたフリップを持った又吉直樹」。入団一年目にして中継ぎのエースとして欠かせない存在になる。
投手の独立出身の出世頭。
サイドスローから来る最速151km/hのストレートとキレのあるスライダーで三振を量産する。
しかし2015年は二年目のジンクスに陥ったのか成績がやや振るわず、度々二軍落ちしていた。
2017年は中継ぎどころか先発にまで回され、おまけに稲葉ジャパンのオーバーエイジ枠で呼ばれるなどやたら忙しかった。あと京田じゃねーよ
SNSで試合後の選手たちの様子を積極的にアップする仕事っぷりからファンからは「又吉広報」の愛称で親しまれている。

24 福谷浩司
渾名は福やん。最速157km/hの直球が魅力のセットアッパー。
慶應義塾大学卒業で、監督に「学者が野球をやっているイメージ」と言わしめた文武両道の秀才。
しかし投球スタイルは速球でグイグイいくタイプなので、恵体豪打をもじり「恵まれた頭脳から嘘みたいな脳筋投球」と言われることも。
2015年はシーズン開始時から絶不調で、無期限の二軍行きを命じられる。
2016年は再び抑えとして復帰し、岩瀬の後継者を目指したものの炎上が続き2軍落ち。抑えも再び田島に戻った。
なんJでは専用の抑えスレ「福谷ラボ」を持つ。(抑えれば実験成功、炎上すれば実験失敗。)

12 田島慎二
2015年後半から上記の福谷に代わって抑えに入った力投派右腕。
福谷同様「タージマハル」と言う抑えスレを持っているが、こちらはやたら壮大なストーリーを背景にスレが進行して行くので
抑えスレの中でも結構な人気を誇る。
なお2016年は田島が8回を投げ、福谷が9回を投げるという方程式が確立されたため
「福谷ラボ」と「タージマハル」のスレが1日に同時に立つのが恒例化していた。
セットアッパーとして31試合連続無失点という記録を打ち立てる程に安定していたこと、相次ぐ福谷ラボの爆発炎上によりAS直前頃から再び抑えに復帰している。
東京ドームが苦手で被サヨナラを何度か許している。

29 山井大介
年に数度の神ピッチ(通称:神井、例として日シリ完全未遂や40代完封勝利)と炎上癖(通称:病)と安定感を持つリリーフという側面を持ち合わせたサングラスやゴーグルが似合うお方。
サングラスで打者にピカッなんてもちろんしてないはず。
田中浩康と間違われたり、幼なじみとの結婚がエロゲーみたいとか言われたり変なネタが豊富。
気付いたら最年長になっていたが、体力が衰えた気配はない。

11 小笠原慎之介
「ウナガッツ」こと2015年夏の甲子園優勝投手。中日にしては久しぶりのメディアで大きく取り上げられる選手。受け継がれる小笠原の系譜。
実力は折り紙つきで、最速151kmの本格派左腕。未来のエースとしての期待がされている。
初登板から好投をするもムエンゴでしばらく勝利が無かったが、9月4日にようやくプロ初白星を手にした。
2017年、2018年と2年連続で100イニングを投げているものの、怪我が多く完走はできず。「小」がつかない方に追い抜かれそうになっている。

33 祖父江大輔
実家のキャラメル推しの中継ぎ。直球とスライダーに定評がある。三等兵。
イケメンだがなぜか顔芸画像が出回っている。最近はダンディな髭を生やしている。
デビューから長らく白星がついていなかったが、2017年に143登板目で初勝利を手にした。

47 笠原祥太郎
新潟の大学初のプロ野球選手。「祥太郎」と書かれることも多いが、正確には示羊。笠原JIS+7B44太郎
18年の後半から台頭して6勝し、侍ジャパンにも選出された。その際中日からは佐藤優と二人が参加したのだが、二人とも人見知りなせいで「笠原と仲良くなりました」(佐藤)。


【野手】
6 平田良介
高校時代は甲子園で1試合3本塁打を放つなど非常に注目された選手。T-岡田共々、浪速の四天王こと2005大阪高卒BIG4の生き残り。
当時の監督いわく「練習じゃ全然打たないのに試合になると一番期待できる」。
中日の主砲としての活躍が期待されていた。また見た目に似合わずやたらと足が速く、非常に堅守でもある。
侍ジャパンに選出されている。プレミア12では大活躍だったがWBCではほとんど出てこなかった。
優秀なはずなんだがどうも怪我しがち。
太りやすいが痩せると意外にイケメンだったりもする。また画伯独特な絵画センスも持つ。
2018年、ついに痩せた。その代わりに田島が太った
すると打率が急上昇し、怪我もせずに終わった。ゴールデングラブ賞も受賞。ホームランは減ったが

63 堂上直倫
「どのうえなおみち」と読む。
打撃はイマイチながら守備は堅実なプレーでとても上手い。
兄の剛裕とともに中日に所属。父親の照もドラゴンズで14年間投手として活躍した。
しかし、兄が中日だけでなく巨人からも戦力外を受けた現在、いくら堅守といえ打撃の強化が急務である。

8 大島洋平
ウグイス嬢「1番 センター 大島」
中日屈指の外野手。広い守備範囲と堅守からゴールデングラブ賞を6度も受賞している。
そして安打製造機と言うべきバットコントロールを誇る。…が年によって波がある。最近は長打に傾倒しつつある。

3 高橋周平
高いバッティングセンスを誇る主砲候補。
当初守備面は荒いと思われていたが、最近ではリーグ屈指の三塁守備を誇る。足が遅いにも関わらず二塁守備も中の上。
2018年に初めて規定打席に到達し、2桁本塁打をマーク。
2019年からは球団史上3年ぶりとなるキャプテンに就任。そろそろ竜の今を担ってほしい。
「竜の未来を~担え~き~みの手で~\シュウヘイ…/(´ω')」

66 ダヤン・ビシエド
ルナの後釜として1億7000万の大型契約で加入した4番打者。元メジャーリーガー。
19歳の時にイカダに乗ってキューバからアメリカへ亡命したという壮絶な経歴を持つ。2017年にはアメリカの市民権獲得に時間がかかってチームへの合流が遅れたなんてことも…
入団当初は森繁の「タイロン・ウッズ越え」発言に「ダメ外人フラグか?」と感じたファンも多かった。
が、阪神との開幕三連戦でいきなり開幕三試合連続HRと言う入団1年目の助っ人外国人では初となる偉業を成し遂げ、ファンの不安を完全に払拭した。
来日3年目となる2018年には打率を前年から1割も上げて首位打者と最多安打の二冠を獲得。ベストナインにも選出された。
また2019年オフには外国人選手としては異例のファンイベントに参加したりした。

4 藤井淳志
スイッチヒッター。豊橋でカープ絶対殺すマン。
俊足強肩で打撃はそんなでもない外野から立浪さんの指導でちょっと覚醒した。
しかし二軍と一軍を往ったり来たりもしてるのでベテランの癖に規定に一回も乗ってない。(惜しい年はある)
嫁がカフェを開いている。

1 京田陽太
打撃より俊足好守なタイプだがドングリーズなショートを差し置いて定着したスーパールーキー。
一年目でレギュラー獲得やらセの新人王やら稲葉ジャパン入りやら暗黒中日の中では目立ってるほう。稲葉には又吉と見間違えられたが。
2018年ドラフトで同じポジションの根尾が加入。背番号も51から1に変更となり、厳しい競争に放り込まれることになる。

55 福田永将
大砲候補という名の二軍の帝王兼アヘアヘ代打マンだったハンカチ世代。
しかしここ数年で完成に近づいてきた感がある。2018年は本塁打こそ減らしたが28歳で初の規定打席に到達している。
元は捕手(高校時代の相棒は涌井)だったが現在はほぼ一三塁。

7 根尾昂
2018年ドラフトで4球団強豪の末に加入したドラフト一位。春夏連覇を達成した甲子園のスーパースターで、ドラゴンズジュニアだった小学生の頃から中スポの恋人。
指名後の中スポは狂ったかのように根尾一面を連発しており、ついにキャンプイン前に30本を達成した。
ファンからの人気が異様に高く、「根尾フィーバー」は松坂が一年かけて増やしたファンクラブ会員数をわずか3ヶ月で超えてしまうほど。
各方面から立浪二世、一年目からの活躍を期待されているが、根尾本人は何度聞かれても「一年目は土台作り」と冷静。
何気に彼女と名前一字違いだが未来視の能力は持っていない。


【捕手】
27 大野奨太
大野雌。2017年オフFAで日ハムからやってきた。
確実性は低いが当たれば飛ぶ。しかししばらく肩ボロで2016~2018にかけて盗塁阻止率が凄いことになっていた。

52 加藤匠馬
2019年、突如として頭角を現したポスト谷繁期待の新星。
チーム屈指の強肩の持ち主で「加藤バズーカ」の異名を持つ。
最終的にチーム捕手最多の92試合に出場したものの、打撃面で課題を残す形になった。
正捕手定着の為にも、大幅な打力向上が望まれる。





追記、修正は「燃えよ!ドラゴンズ」を歌いながらお願いします
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