太宰治

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&font(#6495ED){登録日}:2011/06/04(土) 17:23:55
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「このごろ、よく泣く」

太宰治(1909~1948)とは昭和を代表する、無頼派と呼ばれる小説家の一人。
本名、津島修治。青森県出身。東大仏文中退。
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太宰治の名は広く日本人に知られており、彼の代表作のひとつ『[[人間失格]]』は夏目漱石の『こころ』と争うほど売れている。
太宰の作品は文学の中では、文章が簡単かつ分かりやすいテーマなので、よく人に推薦される。
しかし太宰は人を選ぶ作風で知られ、作品を読む者は極端に二分されるとよくいわれる。

・人物
太宰は自分が手掛けた作品の主人公のように、酒や覚醒剤に溺れるダメ人間だったことで有名である。
また自殺が口癖になるほど大好きで、四回の自殺未遂を行い、五回目で念願の(?)来世への旅立ちに成功している。

以下、太宰の自殺遍歴 

1929年 共産主義に影響され、自分の出身階級に悩みカルモチン自殺を図る。

1930年 人妻の田部シメ子と鎌倉にて入水。シメ子のみ死亡。
『道化の華』

1935年 就職に失敗し鎌倉にて首吊り自殺を図る。
『狂言の神』

1937年 内縁の妻小山初代と水上温泉でカルモチン自殺を図る。
『姥捨』

1948年 愛人の山崎富栄と玉川上水にて入水。成功。

クラスでは私ひとり、目立って華美な服装をしていた。いよいよこれは死ぬより他に無いと思った。

生まれた時から、死ぬ事ばかり考えていた。

首をくくらせる気か。そのニヤニヤ笑いは、やめろ! あっちへ行け!

文学のことになると熱く語ったそうである。人生には不マジメだったが、文学にはマジメな人だった。

また太宰は権威やら既成の道徳観やら模範的な家庭像などによく反抗した。
これもまた太宰の特徴である。

例
「子供よりも親が大事」
「家庭の幸福は諸悪の本(もと)」
「義のために遊ぶ」
「志賀直哉は邪道」
「私たちを自殺にみちびくよう」

が、その一方で、神や天皇といった絶対的な権威には素直に敬意を払っていた(本家wikiでは何故かそこが評価点として挙げられている)。

・作風
苦悩、破滅、憧れ、絶望、恥、誇りといった人間性を、ユーモアや自虐で包んだ自伝的小説などで描いている。
また面白さだけを重視した明るい作品も書いている。

・文体
語りや描写が得意であり、最後にきっちりオチをつけるなど意外と構成力もあった。
また読点と自分で作った格言を多様している。「読者よ」と読者に話しかけるような潜在的二人称も特徴である。
比較的純文学の作家としてはライトノベルっぽい文体を持ち、割りと読みやすかったりする。

・評価
太宰の評価はすごく高かったり、すごく低かったりする。
太宰作品に自分を見る人は多い。これは彼の文学が上記の恥や誇りなどの、誰もが抱えているであろう問題を、扱っているからと言われている。

太宰はよく自伝的小説を書いており、その中で自分の苦悩を綴っている。
書かれていることが全て真実ではないと見られているが、自己を凝視し人間存在の根本を表現したと評価されている。
魂の告白とよく言われる。
また反対に「きもちわるい」「太宰を読むような人間になりたくない」「苦悩を売物にするな」などの否定的な意見も多い。


・逸話
東大に入学したが、東大のレベルが高過ぎて付いていけず、サボり続け、結局学費滞納で中退している。

中井英夫「先生はよくもうすぐ死ぬ、と仰いますが、いつ本当に死ぬんですか」
太宰治「人間、そう簡単に死ぬるもんじゃない」
↑太宰が自殺したのは、この発言をした約一ヶ月後。

太宰治「この頃すこしね、他人を書けるようになったんですよ。一生懸命やって書けるようになって、とても嬉しいんですよ」
坂口安吾「それはいいことだね。何か温かくなればいいのですよ」
↑晩年におけるやりとり。

三島由紀夫「僕は太宰さんの文学はきらいなんです」
太宰治「きらいなら来なけりゃいいじゃねえか」
↑ごもっともである。

井伏鱒二に師事したが、遺書に「井伏さんは悪人です」と書き遺す。
↑何があった。

[[芥川龍之介]]に憧れていた。
芥川賞受賞を望み、選考委員の川端康成や佐藤春夫に手紙を書いて嘆願。受賞を逃すと喧嘩を売った。
芥川の息子の比呂志が訪ねてきた際には温かくもてなした。

井伏鱒二と約三ヶ月間、山梨県の富士河口湖にある天下茶屋に滞在していた
『富岳百景』
太宰の滞在中、店主が太宰に「これはほうとうです」と山梨の郷土料理であるほうとうを出したところ、太宰は「ほうとう?それは僕の事を言っているのか(=放蕩息子だ、と馬鹿にしているのか)」と怒り出したという。

この天下茶屋は今も残っており、まさしくこのほうとう鍋を食べることが出来る。
また、御坂峠本店の二階は太宰治記念館となっている。ファンの方は一度訪れてみてはいかがだろうか。


・主な作品
『晩年』
『富嶽百景』
『女生徒』
『駆込み訴え』
『[[走れメロス]]』
『津軽』
『お伽草子』
『ヴィヨンの妻』
『斜陽』
『[[人間失格]]』


・余談
[[久米田康治]]の漫画『[[さよなら絶望先生]]』のモチーフになっている。
「普通に言われていることですよね」
「[[フツーっていうなー!>日塔奈美]]」

太宰は『斜陽』がヒットするまで売れない作家だった。ちなみに流行作家になって数年後に……。
次女の津島佑子、嫡外子の太田治子も作家。
佑子は作品が様々な言語に訳され、父と違って国際的に評価が高く、既に文学史に載っている。だが少女時代、母が太宰の自殺のショックで「文学嫌い」になっていたため本を読むのも苦労したらしい。
治子は主に母の太田静子(『斜陽』の人)の思い出を描いた作品で知られる。
また彼の兄は青森県知事・国会議員を務めた名士であった。その影響からか長女の夫は自民党に入り厚生大臣になるくらいの政治家になり、現在では孫がその地盤を引き継ぎ議員になっている。

著作権は切れているため、現在は作品が無償で開放され青空文庫で読める。


誰も内容を追記してくれなかった。間違いを修正してくれなかった。いよいよこれは死ぬより他に無いと思った。










#center(){
死のうと思っていた。

今年の正月、よそから着物一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色の細かい縞目が織り込まれていた。

これは夏に着る着物であろう。
夏まで生きていようと思った。
}

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}
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#openclose(show=▷ コメント欄){
#areaedit()
- 彼が嫌いな人ほど、尾崎 豊も嫌いだとか。  -- 名無しさん  (2014-12-03 23:58:17)
- 辛辣な言葉の中に太宰への愛があふれてる良項目だな  -- 名無しさん  (2014-12-05 15:43:10)
#comment
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}

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