石田三成(戦国武将)

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石田三成(戦国武将)」を以下のとおり復元します。
&font(#6495ED){登録日}:2009/10/29(木) 20:25:55
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&font(#6495ED){所要時間}:約 12 分で読めます

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この項目では戦国時代の人物としての石田三成について記述します。
//他メディアでの石田三成について別に項目を立てるか、この項目に記載するかは各人の判断に御任せ致します。

&ruby(いしだ){石田}&ruby(みつなり){三成}(1560~1600)は戦国時代の人物、武将である。


●目次
#contents

*★人物
近江の出身で、長浜時代の[[羽柴秀吉>豊臣秀吉(戦国武将)]]に登用されたと伝わるがいまいちはっきりしていない。
近江出身者の特徴とも言うべき高い実務能力を有し、早い時期から羽柴家の台所を切り盛りしたとされる。

本能寺の変が起こった際には直ちに兵坦を確保、秀吉軍の素早い進軍を助けている。


武将としても優秀だったと思われるが、前線に回される事が少なく、出た時も活躍出来なかった。
特に北条攻めの際は忍城攻略軍の司令官として長大な堤防を築き水攻めを試みたが決壊し失敗。小田原本城が先に陥落する大失態を犯している。
この水攻めは近年では秀吉の指示と言われており、むしろ難色を示していた。指揮官でありながら結局企画担当として扱われる三成の姿が垣間見得る。

官僚の性に加えて彼自身が狷介な性格であったことから、福島正則や加藤清正などの武断派からは嫌われていた。
(加藤清正とは名護屋城建設の際に見事なコンビネーションを見せたという話も残っているのだが、後述の朝鮮出兵の時期に関係が悪化し決別してしまっている)
しかし、その正義感の強さに惹かれ、[[大谷吉継]]や田中吉政らとは交流があった。
また、義を掲げる[[直江兼続>直江兼続(戦国武将)]]とも仲が良かった様子。

後述の逸話にもあるように、真面目すぎたために不器用で配慮に欠ける言動をしてしまうこともあったらしく、
優れた行政能力を持ちながらも、若くして出世したことから嫉妬されやすく更にはそれを解こうとも努力しなかったため、つくづく人望には恵まれなかった。
親友と言っても過言ではないほど親しかった大谷吉継にすら、
「お前には人望がなく禄高も家康に大きく劣るのだから、家康を打倒するなら他の人を上に立てろ」と助言されたほどである。
三成はその助言を受け入れ、関ヶ原の戦いの際には大大名である毛利輝元を総大将に立てている。


*★来歴
**豊臣政権下
五奉行筆頭として、行政執行に当たり、秀吉死後の朝鮮からの日本軍撤退の配備もいち早く行い助けている。
しかし武断派から嫌われるのは変わらない。
というか『こっちは命懸けで必死に戦ってきたのになんだよこれ!あーもー全部石田が悪い!!』なんて言われる始末。

朝鮮出兵の際の三成は奉行人たちを纏めて各武将の働きぶりを秀吉に報告する役だったのだが、
真面目ゆえに不手際や軍紀違反まで事細かに秀吉に伝えたことから武将たちの恨みを買ったようだ。
例えるなら、ちょっぴりワルな学生たちが融通の利かないクラスの風紀委員を「チクリ魔」と毛嫌いするようなものだろう。
尤も嫌われている原因には三成自身の空気の読めない言動もあるが。

**秀吉死後
專横を強める[[徳川家康>徳川家康(戦国武将)]]を厳しく弾劾するが上手くかわされる。
その後、前田利家の死を契機に、逆に武断派七将(加藤清正、福島正則、加藤嘉明、浅野幸長、黒田長政、細川忠興、池田輝政)に命を狙われ、佐竹義宣と徳川家康に守られる。
なお家康が守ったのは、三成が(今ここで自分が死ねば豊臣家の内紛は無くなり家康にとって都合が悪い=自分は家康に殺されない、と見込んで)家康に助けを求めたためだという。

命は助かったが結局、隠居させられてしまう。

**[[関ヶ原の戦い>関ヶ原の戦い(戦国時代)]]
天下取りを始めた家康は、同じ五大老の一人、上杉景勝に謀叛の疑いありという名目で会津上杉討伐を行う。
しかしこれを好機と密謀を巡らせ、1600年、西国大名を束ねて家康討伐に立ち上がる。
西国大名の動員、壮大な布陣、大義名分の確保など僅か数十万(十九万?)の小大名としては見事な準備を整えたが、
家康の入念な工作と大阪城首脳の及び腰により、あと一歩まで追い詰めたが敗戦。
伊吹山山系へ逃亡するも捕縛され、同年、六條河原で処刑された。


*★評価
一般に無能な小心者、豊臣政権を私した奸臣というイメージが近年まで続いていたが、
これは徳川政権の正当化を図る江戸幕府の情報統制による影響を多分に含んでいる点を忘れてはならない。

皮肉にも敵対していた張本人、徳川家康や"水戸黄門"徳川光圀と言った江戸幕府の最高責任者達が、石田を忠臣、名臣と読んでいる。

近年再評価の機運が高く、忠臣・名臣として表現されるようになりつつある。
しかし、融通の利かないマニュアリストなのは事実であり、最前線で戦う武将達との確執が豊臣家滅亡の遠因でもあった。
清廉潔白すぎることではなく、清濁併せ持つ器こそ大事なのかもしれない。


*★逸話

-三杯の茶(三献茶)
一杯目…温くて沢山。まずは喉の渇きを潤す。
二杯目…やや熱くて少なめ。
三杯目…熱くてちょびっと。
この気の効いた三杯の御茶を貰ったのが、秀吉である。
&font(#ffb74c){「はぅ~三成ちゃんお持ち帰りぃ~!」}

-商才
最初の石高は無石。代わりに河原の葦の採取税をとって莫大な利益を出す。

大阪を台風が襲った際、工事(普請)現場の被害が気になり、工事担当者より先に調べ上げて秀吉に報告。
おかげで担当者は秀吉に「うーん、三成の報告の方が分かりやすいかも」と言われてしまい面目丸潰れ。

-無欲な男
自分の禄高4万石の際、筒井家浪人島勝猛を&font(#ff0000){半分の}2万石で勧誘。数々の仕官を断った島もこれには敵わず仕官。
ちなみにこの島という人物、[[関ヶ原>関ヶ原の戦い(戦国時代)]]で東軍兵士にトラウマ(関ヶ原三大トラウマ)を植え付けた島左近その人である。
加増された際、一人にまるまる加増分を与え仕官させる。

秀吉の右腕と言ってもいい地位にいながら秀吉のように豪奢な暮らしはせず、質素に暮らしていた。
さぞかし財を貯め込んでいるだろうと攻め込んだ佐和山城の質素さに兵士一同愕然としたとか。
これに関しては『主君から与えられた物はすぐに使い切るべし。それを貯め込むのは盗人と変わらない』という三成の考え方も関係しているだろう。
ちなみに『貯め込むのは盗人』であり、『使い込んで借金するのは愚人』とも考えていたとか。

-大谷吉継との友情
武将たちによる茶会では、結束を深めるため一杯のお茶を集まった諸侯で回し飲みするのが通例となっていた。
ハンセン病を患っていた大谷吉継は、その病気から自分の後にお茶を飲むことを嫌がられ、肩身の狭い思いをしていた。
そしてとある茶会にて、吉継はお茶を飲んだ際、膿(鼻水という説も)をお茶の中に落としてしまった。
吉継の後に続いた武将はお茶を飲むふりをしてやり過ごしたが、三成は吉継の気持ちを慮ってかぐいっと一口にお茶を飲み干したという。
その三成の態度に感じ入った吉継は彼と友誼を深めていき、強い信頼関係を築いていった。

-超真面目な頑固者
家康が来た時、自分より凄く偉いのに頭巾も取らずガン無視。近くにいた同僚に注意されても、業を煮やした同僚に頭巾を取られて焚き火に放り込まれてもガン無視。
これにはターゲット(家康)も苦笑い。

毛利家から「こんな時季に取れるのは珍しいので献上したい」と果物が送られてきたとき、
「時季外れのものを食べて(秀吉に)何かあったら大変だから受け取れません」と突き返した。
一応「万が一何かあったら毛利家の面子が丸潰れになる(下手すれば責任問題で誰かの首が物理的に飛びかねない)」という理由もあったのだが、
「何も突き返すことないだろ、横柄だ」と大ブーイングを受けることとなった。


-管理職と現場の乖離
朝鮮帰りの加藤清正たちを労おうと「お前らが今度京都にきたら茶会でもしようか」と言ったら、
「7年も命懸けで戦って金も食料も人員もすっからかんの俺たちに茶会出ろとかナメてんのか?」とブチキレられる。
そりゃあ茶会に招かれた側も礼儀的に手ぶらで参加はできない(それなりに費用と人員を割かないと面子が潰れる)のでごもっともな話である。


-関ヶ原から敗走後捕まって大津城で晒されていた時の反応

福島正則…「捕まってやんのバーカ」と罵られて「お前がここにいたかもよ」と憎まれ口。

黒田長政…「勝負は時の運」と羽織りを貰って「有り難う」と御礼を言う。

藤堂高虎…「うちの鉄砲衆にアドバイスを」と求められ、「傭兵に頼りすぎ。組頭を何とかせにゃ」とアドバイス。後にアドバイス通り鉄砲隊を再編成。

[[小早川秀秋]]…見るなり「地獄に落ちろ、クズが!」と激怒。小早川ビビる。


-最後まで諦めない
処刑場に行く途中、「喉が渇いた」と訴え、白湯を求めるも無かったために干し柿を出され、「干し柿は痰の毒。自分は痰持ちだから」と断る。
これから死ぬ人間が健康を気にするのか、と嘲笑した兵士を「志ある者は生きている限り諦めないものだ」とたしなめたという。
また、捕らえられた後に「敗戦の将ならば敗戦の責任をとってすぐに切腹すべきだった。そうすれば縄目に遭うこともなかっただろうに」と言われた時も、
「大望ある者は簡単には諦めないもの。私は再起を図っていただけだ」と言い返したとか。


関ヶ原の戦いの後、捕らえられて引っ立てられた三成に家康は「勝負は時の運。どんな名将とて負ける時は負けるもの。恥に思うことはない」と言うが、
三成は平然としたまま「そんなことはわかっている。私に天が味方しなかっただけだ。早く首を切るがいい」と言い返したという。
この潔い態度に家康は「流石に大将の器がある。命乞いをした他の武将とはわけが違う」と言ったとか。


*★石田三成が登場する作品

**小説
[[司馬遼太郎]]『関ヶ原』
童門冬二『石田三成』

**漫画
[[原哲夫]]『[[SAKON-戦国風雲録-]]』
[[重野なおき]]軍師黒田官兵衛

**ゲーム
戦国無双シリーズ
・幸村、兼次と合わせて義トリオの一人。cv竹本英史
[[戦国BASARAシリーズ]]
・BASARA3より登場。CV[[関智一]]。秀吉を敬愛してやまないヤンデレ
戦国大戦
・初登場はver2。ver3の関ヶ原でついにSRとして排出。ゴリラモデルと計略ムービーが絶妙なダサさで三成らしいと評判。CV[[緑川光]]
信長の野望
・文官型のステータスで義理が高い
太閤立志伝
采配のゆくえ←主人公
・関ヶ原の戦いの時点で二十代、エンディングでは・・・






#center(){&bold(){&font(#ed6d3d){筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり}}}((訳:筑摩江(地名)よ、あの芦の間に灯るかがり火のように、わが命も消えていくのだな…))


追記、修正お願い致します。

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- 最近の意見では真の敵は、細川幽斎+近衛前久「龍山」らしい  -- 松永さん  (2013-04-09 17:02:30)
- 秀頼は、実は三成の子という俗説があるって聞いたことある。  -- 名無しさん  (2013-05-22 17:04:38)
- ↑大野さん説も有るが、何にしても三成さんモテモテやな~  -- 松永さん  (2013-05-22 17:08:54)
- ↑もしこれが真実なら秀吉は種な・・・いや何でもない・・・。  -- 名無しさん  (2013-05-22 22:20:47)
- ↑おねさんの不妊症や愛人に産ました子供が虚弱体質で早死にするの見ると、胤なしに近いのかな~ まあ胤なしというより 子煩悩どころかスパルタで子供て死なせちゃうタイプなのかも 秀吉 &br()そして玉砕した思ったら ちゃっかり生き延びてる石田家の一族  -- 松永さん  (2013-05-22 22:40:03)
- 取り扱った作品の小説に「のぼうの城」は入れられないでしょうか。主人公ではないのですが。  -- 名無し  (2013-05-26 18:50:38)
- 義風堂々 アニメ化したら 是非ともでてほしいキャラの一人  -- 松永さん  (2013-07-04 15:14:16)
- まあ秀頼の実父という俗説は、三成や淀ひいては豊臣家を貶める為に江戸時代で唱えられた説だろう。実際淀の後につく「君」というのは遊女を意味するって聞いた事がある。近年では淀「殿」で聞くけど  -- 名無しさん  (2013-09-26 22:26:06)
- ↑×7 &br()淀が懐妊した時点で三成は朝鮮にいたからその説はありえない。てか、利休事件とか秀次事件とか巷にある「三成の黒幕」みたいな話は実際には三成にアリバイがあったことで否定できるものが大半だったりw  -- 名無しさん  (2013-10-23 16:00:05)
- そもそも石田三成の一族は淀殿の実家である浅井家とは敵対関係だったから、むしろ淀殿一派からはうとまれていたんじゃないの?  -- 名無しさん  (2013-11-24 18:45:31)
- ↑むしろ 不仲説もあった 寧々やその実家のが仲良かったらしいしね  &br() とはいえ茶茶と寧々も 案外親密らしいとこ見るに 対人関係そんなに悪くなさそうな 佐吉  -- 松永さん  (2013-11-24 20:13:46)
- なんやかんやで部下や民衆や親類は最後の最後まで三成を見捨てなかったってとこが同じように「人望がなかった」って言われてる他の歴史人物との大きな違いだと思う。  -- 名無しさん  (2013-11-24 21:22:07)
- ただ良くも悪くもストレートな性格だから敵を作り易かったのは間違いないと思う。リアルでいたら頼もしく思えるのと同時に、(相手を馬鹿にしている訳じゃないだろうが)カチンとくる発言が多そう。  -- 名無しさん  (2013-11-25 00:50:44)
- ↑×5 &br()いい加減利休や秀次排除した黒幕は三成っていうテンプレ論はホント止めて欲しいよね。どっちも三成にはアリバイがあるのに。  -- 名無しさん  (2013-12-27 03:58:13)
- 小早川何したら出会い頭にそんなこと言われるんだよw  -- 名無しさん  (2013-12-27 04:27:09)
- 関ヶ原三大トラウマで検索しても出てこないんだけどもしかして造語?  -- 名無しさん  (2013-12-27 04:38:24)
- そして島津と毛利は教訓とした  -- 名無しさん  (2014-01-07 18:39:53)
- 秀次の元家臣に捕らえられたのは皮肉というか可哀想というか。  -- 名無しさん  (2014-01-09 01:41:33)
- ↑×4見事に裏切っただろ。三成の場合、前線での指揮が少ないのは前線よりも後方で補給物資の差配とか増援の戦力配布とかの戦略面での貢献の方が全体の為に必要だったのもあるかと(武断派は差配出来て合戦(一戦)での戦術レベルの脳筋揃いでそういう戦略的な事には不向きだったみたいだし)  -- 名無しさん  (2014-01-09 02:18:25)
- 家康は三成の忠義には敬意をしているんだよな。だから、三成の娘が津軽藩の正室(のちに側室に格落ちするけど)になっても大目に見てるし、家康もなんだかんで三成に同情はしていたと思う  -- 名無しさん  (2014-02-12 15:44:22)
- 中里介山の「大菩薩峠」では、小栗忠順がこの人になぞられていたな。人物像、財政手腕、  -- 名無しさん  (2014-03-09 15:36:19)
- 治部が戦下手とかはほんと風評被害だよな。 実際賤ヶ岳じゃプロパガンダの七本槍よりか手柄は多いみたいだし。  -- 名無しさん  (2014-04-09 20:08:02)
- 三成は項羽と劉邦の蕭何って感じがするが武断派筆頭の福島とか加藤はそういうところ学んでなかったんやろな。  -- 名無しさん  (2014-08-18 23:30:20)
- 小早川秀秋に味方したら関白を任せるって約束したけど朝廷や毛利宗家や豊臣を馬鹿にしてる気がする。いくら三成が勝利しても朝廷に意見ができるとは思えないし毛利宗家が仮にも分家の小早川が関白になるのを許すわけないし淀がなんと言うか分からないのか  -- 名無しさん  (2014-08-19 13:23:09)
- ↑ゆえに秀頼成人までの繋ぎとしての関白としか約束していない。三成に権限あろうがあるまいが優柔不断な秀秋を味方にしておくには最低限これだけは……と考えたんだろう。無論西軍が勝っても政争の元となったはず。  -- 名無しさん  (2014-08-19 14:01:32)
- 所詮口約束だと思ったから小早川も家康に付いたのかもしれないし。秀次といい秀家といいつくづく周りに振り回される義兄弟だなぁ  -- 名無しさん  (2014-09-18 12:56:55)
- 黒田官兵衛見てて思ったけど、清正とかに嫌われる理由は、たっぷりあったんだな。文治派対武断派、淀派対ねね派。秀吉の悪かった面を全部三成が背負ってる感じ。関ヶ原で豊臣家裏切った清正を裏切りものだとおもってたが、三成を除けば、豊臣家が良くなると考えるのも理解できるようになった。  -- 名無しさん  (2014-10-08 05:47:25)
- 淀君対ねねって構造は否定されているぞ  -- 名無しさん  (2014-10-09 10:38:54)
- ↑2  皮肉にも武断派・文治派どちらも豊臣への忠誠は篤いが………天下統一により統治範囲が拡大→秀吉小飼奉行の権限・威勢拡張→諸大名への火の粉という悪循環。武断派が勢力回復(一部逆恨み)のために猫を(狸)被っていた家康を頼っても不思議はない。  -- 名無しさん  (2014-10-12 20:54:25)
- 軍師官兵衛での田中圭演じる三成の陰湿さったらもうww。果たして親父をあんな目に合わされた桃李長政が敗戦した三成に陣羽織あげるんだろうか  -- 名無しさん  (2014-10-22 22:59:43)
- 性格的に不倫はありえねーだろ。大麻君の方は知らんが。  -- 名無しさん  (2014-10-22 23:24:17)
- 部下からの受けは良かったんだよなー。  -- 名無しさん  (2014-10-24 14:04:49)
- ↑2そもそも秀頼生まれる前後の三成は、朝鮮に行ってるから秀頼の父親になるのは不可能だもんな...大野は知らん  -- 名無しさん  (2014-11-03 13:43:41)
- 大局的・長期的に物事を考えることはできるけど、一個人に対しての配慮とかは苦手(ただし秀吉は除く)なイメージ  -- 名無しさん  (2014-11-19 12:22:41)
- ↑秀吉に関してが三成の立場・状況を鑑みるとかなり問題。秀吉死去後、多くの大名が幼い秀頼に国家運営は不可能であり、家康が多少幅を利かせてでも統治する必要があると認めていた。バランサーである前田利家を失えば合議など成立するはずもないが、長期的視野に長けるはずの三成は秀吉の最期の命令に固執してしまい身を滅ぼす結果に繋がった。  -- 名無しさん  (2014-11-19 13:18:52)
- 正則と清正の身内贔屓(二人とも秀吉の親戚)が三成や豊臣の不幸だったのかも  -- 名無しさん  (2015-02-13 19:29:18)
- 合理的  -- 名無しさん  (2015-05-06 15:07:06)
- 合理的なあたり、信長とも気があうかもな。  -- 名無しさん  (2015-05-06 15:10:43)
- 合わんだろ。前に習え体質の三成は信長の一番嫌いなタイプだろうし  -- 名無しさん  (2015-05-07 20:17:44)
- ↑部下にはそういうタイプがいてほしいと思ってほしいんじゃない?  -- 名無しさん  (2015-10-12 00:36:19)
- ↑間違えた 思ってたんじゃない?  -- 名無しさん  (2015-10-12 00:37:08)
- 石田光成は委員長タイプで加藤清正はガキ大将タイプだから。たぶん性格的に遭わなかったんだろうな  -- 名無しさん  (2015-10-13 04:06:30)
- なんかその場しのぎしかできてない気がする 朝鮮出兵の報告もそうだし関ヶ原起こした時もなんかこの後どうするってビジョンが見えないし   -- 名無しさん  (2015-10-22 00:11:48)
- 本質的には官僚なんだよこの人。組織運営や維持をやるにはすごい重宝する人なんだけど、自分がリーダーで物事を大局的に動かすのは苦手な人。政治家じゃない。  -- 名無しさん  (2015-10-22 00:20:04)
- 最近の研究だと言われてるほど官僚体質でも杓子定規な人でもなかったみたいだがね  -- 名無しさん  (2015-11-08 00:37:40)
- 裏方仕事ばっかさせられてるから官僚イメージ強いけど  -- 名無しさん  (2016-04-06 19:14:34)
- 他の三人に比べ(福島は少しきつかったけど)、小早川への対応がww よほど、あの裏切りに腸煮えくり返ってたんだろうなぁ。  -- 名無しさん  (2016-04-06 19:21:26)
- ↑そりゃそうだろ 自分がこんな目にあってる元凶なんだから  -- 名無しさん  (2016-04-10 11:06:37)
- 最初から正々堂々と戦った好敵手と裏切り者とじゃ扱いが違うのは当然だな  -- 名無しさん  (2016-06-04 16:00:21)
- 一途で真面目すぎる分、空回りしているんだよな。この人は。  -- 名無しさん  (2016-06-10 12:00:48)
- 大河の真田丸では、とてもまっすぐで内心は熱い人という描かれ方。  -- 名無しさん  (2016-08-10 01:09:41)
- 悪い人ではないんだろうけど他人の事情考えずに良かれと思って余計なことする人ってイメージ。つくづく秀吉の後継者ごたごたがなくいい主君に仕えられていれば…  -- 名無しさん  (2016-08-24 13:31:18)
- 管理能力抜群、なにやらせてもこなせる、汚れ仕事も厭わない、絶対裏切らない 部下としては最高すぎる。ただ性格難ありだから同僚や上司にいると大変そう  -- 名無しさん  (2016-08-27 02:04:38)
- 結局こいつの性格が武断文治で豊臣内の軋轢を生んで家康に付け込まれたんだから自業自得の最期ではある  -- 名無しさん  (2016-08-27 04:12:15)
- 吉継も指摘してるけどトップの器ではない、首根っこ押さえて状況を管理してやれる人間が要る、ただし秀吉クラスでないと分は悪いかもだが  -- 名無しさん  (2017-04-29 20:27:01)
- 「先人たちの底力知恵泉」で頭蓋骨が復元されていた。ああいう顔だったのか。そして子孫が生き延びていたとは。  -- 名無しさん  (2017-04-29 20:36:04)
- 一度敵と決めると、とことん敵視してその人を悪人扱いするんだよなあ 秀吉死後わずか十日で遺言やぶって三成主導で浅野を除く五奉行が毛利輝元と徳川対策の密約結んでるし、あまりにも徳川家康を敵視するもんだから前田、大谷からもっと家康を信頼しろ、歩み寄れと注意をされたらしい  -- 名無しさん  (2017-04-29 23:25:43)
- 五奉行筆頭って浅野長政じゃ・・・?  -- 名無しさん  (2017-11-10 19:02:12)
- 最近はツイッターで大河ドラマの実況や感想をつぶやいている模様。  -- 名無しさん  (2018-05-15 15:34:01)
- そろそろ大河ドラマの主役やらないかな  -- 名無しさん  (2018-07-20 23:05:34)
- ↑2 そして、うっかり、『領土は不要』とツイートしてしまい、コーエーの開発から『そしたら、佐和山城も取り上げてOK?』と返され、『いや佐和山城はわしのアイデンティティだから残して』と慌てた模様w  -- 名無しさん  (2018-11-09 10:14:52)
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