京急2000形電車

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京急2000形電車」を以下のとおり復元します。
&font(#6495ED){登録日}:2012/01/10 (火) 12:06:47
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京急2000形電車とは、1983年に京浜急行電鉄が導入した電車である。1998年から2000年にかけて2ドア車から3ドア車に改造され、クロスシートからロングシートと、クロスシートの混合に車内も改造された。
京急の保有している車両の中では一番加速性能が悪いが、高速域での加減性能が優れているため、あまり問題にはならない。
また、京浜急行電鉄で初めて客用扉に両開きを採用した車両でもある。

8両編成と4両編成がある。

当形式は、非常に運命を翻弄された電車と言っても言い過ぎではない。

デビューした車両「2011~18」編成は、[[東急車両>総合車両製作所]]と川崎重工の折半編成という、異例な車両であった。以後はそれぞれ単独で製造されている。品川~[[横浜>横浜駅]]間では、当時国鉄の有料特急をぶち抜く光景が幾多にも見られ、[[京浜東北線]]のホームにいる乗客からは、羨望の眼差しを受けていたという逸話まである。そして、京急で初めて自動密着式連結器が取り付けられ、近年に繋がるKQクオリティの礎を築いた。(デビューから15年間は、2000形同士でしか、連結できなかった)

ところが、1998年に後継の2100形電車がデビューした翌年、2ドア車から3ドア車への格下げ改造工事が行われた。自社線内快特が泉岳寺発着に切り替えられてからは、朝夕ラッシュ時以外は8両編成は車庫にいる状況となってしまった。その後はエアポート急行が創設されたため、主に新逗子発着のエアポート急行で活躍している(なお、4両編成は普通電車から増結用として、現在でも重宝されている)。
なお、格下げ改造時に塗装も優等列車用(赤い車体に窓周りが白の塗装)から一般車用(赤い車体に窓下の白い細いライン)に変更されてしまった。名実共に優等列車から格下げされたということか…。

その後、2013年1月に「2000形デビュー30周年」を記念して2011編成がリバイバル塗装ということで登場当時の塗装へ戻されることとなった。
さすがにドア数まで戻すのは無理だったが、記念乗車券も発売されるなど話題になっている。


■エピソード
・初代1000形、700形(当時)、800形を除く各形式と連結させるため、連結器の電気接点を変更させ、他形式への連結を実現させた。

・二代目1000形ステンレス車と当形式との連結は、車齢差四半世紀以上という現代では珍しい連結で、よく「親子ほどの差がある」と話題になるが、安全面では全く問題はない。

・都営浅草線へは乗り入れできないにも係わらず、一度だけ泉岳寺に乗り入れた。当形式は前面に非常口がないため、この際、東京都や国土交通省から厳重注意を食らい、記録も抹消された。ちなみに本家Wikipediaでは触れられていない。

・今上天皇が皇太子時代、横須賀へ視察なされた際、帰りの東京への足に、この形式が使われた。


追記・修正は電気接点を柔軟に変えられる人にお願いします

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- ドレミファインバーター  -- 名無しさん  (2014-02-12 20:04:52)
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