藤川球児

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&font(#6495ED){登録日}:2011/08/13(土) 06:06:55
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#center(){&bold(){&font(i){&color(orange){ストレートを投げて打たれた方が悔いがない。}}}}




*【解説:入団当時~阪神時代】
1998年のドラフト1位で阪神に入団。いわゆる[[松坂世代>松坂大輔]]のひとり。
1980年7月21日生まれ。[[高知県]]高知市出身。

野村監督曰く、
「当時の阪神の状態を考えれば即戦力がほしかったのに、安パイに走った。」(当時一位で上原、二位で岩瀬を取ろうとしていた。)

先発として期待されていたがなかなか芽が出ず、2003年までは二軍暮らしが多かったが、2004年後半にフォーム改造と中継ぎ転向にして1軍で好成績を残す。

05年は中継ぎに専念してブレイクする。
[[ジェフ・ウィリアムス]]、久保田智之と共にJFKを結成し優勝に貢献る。


06年には毎日の様に投げるリリーフピッチャーとしては空前絶後の47回と2/3イニング連続無失点記録を達成。
これは球団記録と同時に現役選手の中で最長記録である。
シーズン後半からは抑えに回り、以後日本を代表する守護神となった。

*【解説:渡米編】
2012年には通算200セーブを達成し、名球会への道も見えるなど絶対的な阪神の守護神として君臨していた藤川。

藤川は海外FA権を行使し、目標であったメジャーへの挑戦を表明する。
その結果、2012年12月2日にシカゴ・カブスと2年総額年俸950万ドル+出来高で契約合意。
米国で現役の最後までプレーすることを宣言しながら、彼はアメリカに旅立っていったのだった……。

しかし、米国での野球人生は藤川最大の受難だった。

開幕戦の9回2死という場面に登板した藤川は、早速メジャー初セーブを記録する。
その後、4月12日の登板では炎上し逆転を許すものの、味方打線の頼もしい援護でメジャー初勝利。
だが、翌日に右腕の違和感を訴え故障者リスト入りするなど、藤川のファンは嫌な予感を抱き始める。

復帰後は、怪我の影響を見せることなく好投を見せていた。
ところが、5月26日には怪我を再発させてしまい降板。ついにはトミー・ジョン手術を受ける事態となってしまう。
翌年も手術の影響で故障者リストに入っている後に、マイナーリーグへと異動になった。
やがて故障者リストから復帰するが、チームに貢献することなくオフにFAとなった。

カブスを離れた藤川はレンジャーズと契約し、かのダルビッシュの同僚となる。

だが、2015年の開幕から故障者リスト入り。
5月には復帰を果たすが移籍後初登板で炎上してしまい、戦力外通告となった。

こうして藤川の米国生活は怪我との戦いで終わったのだった。

*【解説:日本帰国後】
メジャーから帰国した藤川は動向が注目され、古巣・阪神が獲得に動いているという報道が出る。

ところが藤川は、誰もが予想だにしなかった行動に出る。
藤川は阪神のオファーを断り、地元・高知県の四国アイランドリーグplus高知ファイティングドッグスへと入団した。
ただし、プロへと戻らないというつもりはないらしく、オファーがあればNPBに復帰する可能性もあるようだ。

藤川は初登板で危険球退場になったりもしたが、何だかんだで活躍する。
2015年の九月には、今季限りで契約を終了することを表明している。

そしてオフ、古巣・阪神が獲得を発表。2年4億の契約で合意した。
4年ぶりの阪神復帰となる。

阪神移籍後は中継ぎとして活躍したが、2020年に身体が限界を迎えたことで現役引退となった。
通算セーブ数は245(NPB限定では243)と、惜しくも大記録の通算[[250セーブ>250セーブ(プロ野球)]]には届かなかった。

*【プレースタイル】
&font(#ff0000){「火の玉ストレート」}と呼ばれるMax156km/hの直球が持ち味。
全盛期は、来ると解っていてもバットに当てる事すら困難なほどの球威を誇っていた。
巨人戦で阪神が大量リードの場面に、バッター清原との勝負でフルカウントからフォークを投じ、見事三振に仕留める。

しかし、ストレートを待っていた清原は、この場面での変化球が気に入らず阪神バッテリーに「ケツの穴小さいなぁ、ち○こついとんか!!」と罵倒する。
藤川本人はこの発言により自分はもっとストレートを磨かなければいけない、と改めて認識したと語っている

その後再び迎えた巨人戦、今度は僅差でのリードの場面にストレートで清原を打ち取り、「参った、火の玉や」と言わせた。


06年オールスター戦では、前代未聞の全球ストレート宣言を行い、あのアレックス・カブレラに一球も掠らせず、三振に仕留める。
続く小笠原道大にもオールストレート勝負で挑み、三振に仕留めた。

この真っ向勝負にファンは酔いしれ[[ダルビッシュ有]]もオールスター名場面に選んでいる。

第二戦でオリックスに移籍した清原と再び対戦。
ここでも清原を軽く三振で仕留め、「僕が見てきた中で最高のストレート」と言わせた。

通常のストレートとは軌道が違い、浮き上がる様な軌道であるため、明らかに高めのボール球でもバッターは空振りをさせられていた。
近年は年齢と登板過多もたたってか、全盛期ほどの球威は無いが(現在のストレートの最高速度は154km/hほど)、球界最高のストレートを持つピッチャーとして君臨しており、2011年には自己最高の奪三振率を記録した。

球の回転数が多いほどホップする力も大きくなる。
1秒間に松坂の直球は41回転、161kmのクルーンでも43回転であった。
だが藤川はなんと&font(#ff0000){45回転}。この驚異的な数字が火の玉ストレートを生み出している


ただ、甲子園とのマウンドの質の違いのためか、京セラドームを苦手としている。
事実、京セラドームで痛打を浴びることも(他と比べれば)多く当の本人も「京セラは苦手」と公言してしまっている。
2008年のCSも、甲子園が改修工事で使用出来ず京セラドームで試合した結果打たれている

*【藤川球児伝説 〜引導を渡す男〜 】

絶対的な守護神として君臨する藤川であるが、シーズン終盤の本当に大事な試合やチームメイトの引退試合、日本シリーズ出場をかける試合など、ここ大一番になると炎上する癖がある。

・2005年 …日本シリーズでロッテに4失点、阪神に引導を渡す。
・2006年 …甲子園で中日井上に同点ホームランを打たれ中日が優勝、阪神に引導を渡す。
・2007年 …最後の最後で横浜スタジアムにてサヨナラ打を打たれ、阪神に引導を渡す。
・2008年 …CSの1stステージ、三戦目で中日のTウッズに決勝HRを打たれ、阪神に引導を渡す。
・2009年(引導を渡す以前に、采配で自滅を繰り返し阪神は四位に終わる)
・2010年 …1敗もできない状況、しかも矢野の引退試合でまさかの炎上。矢野にも阪神にも引導を渡す。
・更にCSの1stステージ、1敗で迎えた二戦目で巨人ラミレスに逆転タイムリーを打たれ、阪神に引導を渡す。
・2011年 …[[低反発球>統一球(プロ野球)]]の導入の恩恵もあり安定したピッチングを続けていたがやはり夏場以降打ち込まれる場面も目立った。
・優勝&Aクラス入りにもう後が無い状況に巨人戦で藤村にサヨナラ安打を打たれ、阪神に引導を渡す。
・前日に優勝が完全消滅した巨人に道連れと言わんばかりに打たれ阪神も優勝確率がゼロになった。←New!
 
上のように打たれている印象がありがちだが、それは打ち崩される事がほとんど無いため、打たれた時の印象が際立ってしまっているからなのである。
また重要な場面に登板している証でもある。
クローザーになった06年から2011年8月のカープ戦までノックアウトでの降板が無かったのも特筆すべき点である


2011年は打ち崩されて敗れた試合は5本の指で数える位しか無い。
大ピンチを背負うことはあるが、それを切り抜けるからこそ「絶対的な守護神」と呼ばれるのである。
ちなみに、週刊青年誌「ヤングアニマル」にて彼を主人公にした(サクセスストーリー的な)漫画が掲載されたことがある。
作者は、なんと「ナナとカオル」の甘詰留太先生。

プロ野球スピリッツシリーズでは藤川専用特殊能力で「火の玉ボール」という特殊能力があり、取得には最高ランクのストレートの球威(S)が必要

*【JFK】
2005年にジェフ・ウィリアムス、久保田智之と共に結成した日本球史に名を残すリリーフ陣である。
三人が揃って登板した試合の勝率は8割を超えており6回までにリードされてたらその試合はその時点で終了とまでさえ言われていた。

来ると解って居ても打てないストレートを繰り出す藤川、左サイドスローから放たれる曲がりすぎてバットに当たらないスライダーを操るウィリアムスが1つの試合に続いて登板することにより相手チームの監督、選手及びファンはJFKが出てくると/(^o^)\オワタ状態になるほどの鉄壁さを誇っていた。

え?久保田?
クローザーだけどぶっちゃけ安定感に欠けて唯一の弱てry


スポーツジャーナリストの二宮清純は「JFKの誕生は球界の革命である」と述べ、当時楽天の野村克也監督は「阪神のやっていることはある意味、野球の神髄。近代野球の新しいスタイルだね」「野球はいつから6イニング制になったんだ?」とコメントしている。

この造語が大流行りしたのを受けて、勝ちパターン3人の頭文字で命名する%%二番煎じの%%マスコミが増えた。ロッテのYFKなど。
%%評価はともかく%%スコット鉄太朗程度には独自性を出してほしいものである。

*【余談】
彼の覚醒前年にポケットモンスター サイドストーリーに藤川をモデルにしたような話が放送されている。

以下あらすじ
 
エレブーズ(阪神がモデル)の投手、ツヨシはかつてのドラ1で火の球ストレートを武器に抑えを務めていたが、肩を故障して自信を無くし、父親のそだてやを継ぐことを考えていた。
しかしファンのナナコと出会い、炎を吐けず、空を飛べないリザードンを励ましていくなか、ツヨシは自信を取り戻し、再びマウンドに戻るのであった。

ちなみに&font(#ff0000){覚醒前年の04年に放送されている}(大事な事だから二回言いました)
 


追記・修正は、火の玉ストレートで三振の山を築いてからお願いします。

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- メジャーに行ったのはいいけどダメ外人とちょうど逆のパターンになってしまった…  -- 名無しさん  (2014-03-03 04:03:10)
- JFK全盛期は本当に強かった…SHEも安定感あったしな、しかも打線がおかしなことやっとる状態だった  -- 名無しさん  (2014-04-13 09:57:01)
- 実はストレートの回転数だけなら球界のシーラカンスの方が多い。藤川は回転数に加えて回転軸の傾きが小さい。あとリリースポイントが近いとも言われている。  -- 名無しさん  (2014-05-11 17:16:14)
- 来年復帰するみたいだけど高知での振る舞い見ると不安の方が大きいな...松坂の二の舞じゃなきゃいいが  -- 名無しさん  (2015-10-14 17:11:33)
- なんやかんや抑えたり、なんやかんやで燃えたりとなんやかんやで復帰後も活躍中  -- 名無しさん  (2017-05-17 15:10:41)
- 入場曲は大好き  -- 名無しさん  (2017-05-17 18:50:41)
- 野球選手にならなかったらどんな人生を送ったんだろう。  -- 名無しさん  (2019-04-24 11:17:52)
- 今年になって全盛期並に成績よくなっているとか  -- 名無しさん  (2019-10-24 15:08:53)
- 更新したいけど文才が無いから書けねぇ 文豪ニキ来てクレメンス...  -- 名無しさん  (2020-04-07 16:19:40)
- ついに引退か…  -- 名無しさん  (2020-08-31 16:49:59)
- なんとかあと5セーブしてほしいが順位が安定してないからな  -- 名無しさん  (2020-08-31 17:15:30)
- 野球選手になったからいいけどそうじゃなかったら名前で大変な思いしたのでは。名付け親の父と昔と今の関係はどうなってるんだろう。  -- 名無しさん  (2020-08-31 22:44:40)
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