B-29

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B-29 - (2022/04/30 (土) 09:46:16) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2014/04/17 (木) 19:25:00
更新日:2023/12/19 Tue 22:04:55
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B-29は、最終鬼畜チート国家アメリカ合衆国が開発・運用した戦略爆撃機であり、当時の日本国民の仇敵。愛称は『スーパーフォートレス』。
直訳すれば「超要塞」だが、しばしば「超空要塞」と意訳される。これは、「フライングフォートレス(空飛ぶ要塞)」の愛称を持つB-17の後継として開発されたため。

おそらくは第二次大戦期最強の爆撃機であると同時に、アメリカでなければ開発すらできなかった機体。


性能諸元

全幅:43.1m
全長:30.2m
全高:8.5m
翼面積:151m²
自重:32.4t
全備重量:62.0 t
最大離陸重量:64.0t
エンジン:ライト R-3350-23 2,200馬力×4基
最大速度:576km/h
巡航速度:350km/h
航続距離:6,600km(爆弾7,250kg搭載時)
実用上昇限度:9,720m
上昇時間:6,100m/38min
最大爆弾搭載量:9t
武装:12.7 mm機銃12門、20mm機関砲1門
乗員:10名


開発経緯

本機の起源となったのは、米陸軍が1934年に発足させた超長距離大型爆撃機開発計画『プロジェクトA』だった。
この計画では長距離渡洋爆撃を想定し、爆装1tで航続距離8,000km以上の爆撃機開発を構想していた。

また、欧州に立ち込めつつある戦雲と中国への大日本帝国進出に不安を抱いていた*1陸軍航空部長のヘンリー・H・アーノルド大将がキルナー准将を委員長とする特別委員会を設立。
陸軍航空隊に求められる中長期的なニーズの研究・勧告を行わせることとした。

そして1939年9月1日。奇しくもドイツ第三帝国によるポーランド電撃侵攻と同日、キルナー委員会は

『陸軍においては今後5年間、戦略爆撃機開発を最優先とすべき』

との勧告を行い、これを受けて1940年1月、航空機メーカー各社*2に対して公式に

最高速度毎時400マイル(644km/h)、往路爆装1tで航続距離5,333マイル(8,582km)

という仕様要求書が送付され、結果的に自社内で大型重爆撃機の研究開発を進めていたボーイングのモデル341が制式採用を勝ち取った。
保険としてコンベア社案のB-32(ドミネーター)も開発に着手されたが、与圧装置の失敗とB-29の成功により少数生産に終わっている。

技術的特徴

ぶっちゃけ空飛ぶ技術博覧会。当時の最新技術をこれでもかとブチ込み、なおかつ破綻させることなく量産仕様に仕立てあげたボーイング社の技術力たるや凄まじいの一言。
なお、量産時に工場は文字通りの修羅場と化した模様。
それでもライン量産しているところがチートのチートたる所以ではあるが

排気タービン付き大出力エンジン

排気タービンというのはつまるところターボチャージャーのことだが、これを用いることで高高度でもエンジンに濃密な圧縮空気を供給できた。
B-29のものには軽量化優先でマグネシウム合金を用いた(理科の時間に燃やして「眩しい!!」ってなったリボンみたいなあれ)ので被弾時にド派手に燃えるわ、強度がやや不足気味で頻繁に交換を強いられるわの欠陥品スレスレのシロモノだったが、

耐久がクリア出来ないならいっそ交換パーツと割り切って消耗品として設計する

というアメリカ以外真似できないキチガイじみた発想の逆転で実用化。その結果がツインターボエンジン4基による高高度飛行能力である。

因みにこのエンジンも戦後の改良によって欠陥も少なくなり、ジェット旅客機登場前夜の時代にはDC-7やロッキード・スーパーコンステレーションといった大型レシプロ旅客機用のエンジンとして大成している。

与圧キャビンの全面採用

高度云千mを悠々飛行しながらも、本機は機内全室を与圧化・空調を完備することで防寒具も酸素マスクも不要という破格のミッション時居住性を獲得している。
ただまぁ、欠点がなかったわけではない。与圧化されているという関係上、一発でも被弾しようものなら即座に機体が大ダメージを受けてしまうためだ(風船に針を刺すような状態)
何せ最高火力が12.7mmの隼に叩き落とされた機体があったほどで、雷電*3に襲いかかられた日にはクルー全員が


と嘆くレベルだったという。防弾性能も悪くはなかったが、与圧キャビンとの噛み合わせは宜しくなかったということだ。
なので戦闘配置になったら与圧を切って耐圧服を着たりしたそうだが、前述のエンジンの可燃特性のせいでやっぱりよく落ちた。

防御火器の遠隔操縦

防弾化された機体内のブースで遠隔操作される機銃ユニットにより、死角なしの全方位迎撃を可能としている。
また、「目標がセンターに来たら発射……」してくれるFCSの搭載により、新兵でも自動見越し射撃が可能というマジキチクラスの迎撃能力を獲得。しかも旋回銃座、どないせえと。
紙装甲と神運動性を併せ持つ帝国軍機にとってはマジ鬼門と化した。

戦歴

対日戦

誰もが知っているはずなので多くは語らないが、ぐう畜オブぐう畜として悪名高いカーチス・ルメイ*4によって運用され、低高度での都市焼夷爆撃で帝国の軍需/民需を(各地に収容されていた捕虜もろとも)問わずズタズタに破壊した。
また原爆2発を広島と長崎にブチ込んだことでも有名。功罪云々について筆者は語るつもりはないが。
ちなみに、広島に原爆を落とした機体の機長は当然のことながら日本では非常に評判が悪く、当人も投下に関しては終生肯定していた一方で後ろめたさも相当感じていたようである。*5

大戦末期の蹂躙プレイということでこっちだけズルして無敵モードと言いたいところだがそんなことはなかった。
低高度飛行時の作戦を強行したせい*6で、意外な脆さが問題になった上で帝国軍機の死を問わぬ一機一殺の覚悟で行われた苛烈な迎撃行動を許したために、714機を大戦中に喪失。
落とされた機体の中には機首をハチの巣にされた物もあったという。
総生産機数3,970機の18%を喪失というと結構な大損害だったりするが、実は航空特攻による喪失は意外と少なかったりする。
結局本機の乗員が帝国軍機の恐怖から開放されるのは、ガソリンの払底でろくに迎撃機を飛ばせなくなるまで待たなければならなかった。
ちなみに日本軍は撃墜したB-29の残骸をリサイクルして鋼材を回収している。

被弾・故障による本機の帰還時喪失の多さから硫黄島攻防戦が行われたが、その理由はここからならP-51の護衛が付けられるからだった。名目上は。
ぶっちゃけニミッツ提督がルメイ嫌いなのはだいたい硫黄島のせい。護衛機&緊急時の滑走路として必須ということで海軍口説いて攻略強行したのに、蓋を開けたら無差別爆撃用だった。
そのために海兵隊は地獄の釜の底に先頭切って吶喊するハメになるわ、無差別爆撃したせいで滑走路の復旧に手間取るわ、キレない方がおかしいし嫌わない理由がない。
そもそもニミッツは「聯合艦隊壊滅した時点でJapanには干上がるしか選択肢ないんだぞ?わざわざ戦略爆撃なんぞせんでも……」と主張していた。
また、軍施設のみを狙っての砲爆撃を(比較的)精密に実行可能な海軍から見れば、無駄に加害範囲の広い戦略爆撃なんぞ無能の象徴に見えていたということもあった。

ちなみに、本機の乗組員には「万一日本国内に着陸しても一般市民は人道的だから抵抗しないように」という指示があったので大人しく投降してきたというが……

お前らどこに爆撃したか忘れてないか?

日本の市民が捕虜を人道的に扱っていたのも軍事施設への精密爆撃をしていた時までの話。
焼夷弾による無差別爆撃を受けた敵国民に理性期待する時点でアホとしか言い様がない訳だが……
なお、案の定リンチの上殺された例が少なくなく*7、その分もまとめて近隣基地の指揮官におっ被せて戦犯扱いした例があった模様。

あと故障してうっかりソ連に不時着した挙句、当たり前のようにパチられた機体が4機ほど存在する。
なお、当然のように隅から隅まで解析された挙句丸パクリな機体が就役した模様。アメリカ側曰く「ボーイングスキー」。
旅客機仕様のTu-70や輸送機仕様のTu-75などの派生型も産み出された。

戦略爆撃理論の正しさを証明するために無理を強いられた本機だったが、無差別的な絨毯爆撃だけではなく効果的な運用も為されている。
飢餓作戦の一環として爆撃と並行して行われた機雷敷設は船舶の外航ばかりか内航すら危ういものにして海運を麻痺寸前まで追い込む事に成功し、
戦争が継続していた場合は鉄道や陸上交通の主要拠点に対する本格的な爆撃を実施し、日本国内の物流機能を完全に破壊する予定だった。
戦略爆撃調査団によれば、ソ連参戦や原爆投下が無かったとしても1945年中の降伏は避けられなかったと結論を出す程の被害を与えていたという。

戦後

朝鮮戦争にも従軍し北朝鮮軍に対し絨毯爆撃を実行。後に金日成自らが語って曰く

「73都市が地図上から消え、平壌には建物2軒が残るのみだった」

と表現する苛烈なものだったが、中国人民義勇軍が投入したジェット戦闘機MiG-15の迎撃で大損害を受け性能の陳腐化が露呈。
被撃墜数は16機と対日戦に比べれば軽いが、37mm機関砲で追い回されて修復不能で破棄した機体が山のように。
危なくてやってられないので昼間爆撃任務から外されることとなった。
まあ夜間任務で地上を火の海にしたのは相変わらずだが

その後はB-52などの登場で第一線を退き、超音速機の実験母機としての運用を最後に1960年に退役した。

1947年にエンジンを信頼性と耐久性の高いワスプ・メイジャーに交換したマイナーチェンジ型のB-50も就役した。
が、こちらは空中給油機や偵察機として大成している。爆撃機としてはやはり陳腐化してたようで、実戦経験0のまま退役した。
更に輸送機型のC-96や旅客機型のボーイング377も派生しており、C-96は大成したもののボーイング377はデカすぎて太平洋・大西洋横断線のような長距離路線ぐらいでしか使えない微妙な旅客機で終わった。
C-96の大型貨物輸送機型のプレグナントグッピーやその発展型で今もNASAの運び屋として飛ぶスーパーグッピーは、彼らの遠い子孫である。

現在、前述のスーパーグッピーを除けば2機が飛行可能な動態保存機として現存する。

創作におけるB-29

だいたいのウォーシミュレーションに登場している。
あとはみんなのトラウマとして国内外を問わず有名な火垂るの墓とか。



追記・修正は竹槍片手にお願いします。

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