局地戦闘機 雷電

登録日:2011/01/25 Tue 23:40:52
更新日:2021/07/19 Mon 10:24:57
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雷電とは、日本海軍が開発した爆撃機迎撃を主任務の一つする海軍初の局地戦闘機で、主に大戦末期の本土防空において活躍した。
細身の多い日本軍機の中ではずんぐりとした姿であり、どちらかというと連合軍機を彷彿とさせる。
連合軍からのコードネームは『Jack』

ちなみに「局地」とは海軍機のうち空母で発着できない陸上運用専用機種を指す。
しかし機体によっては艦載機になれるものも存在し、紫電改がそれに当たる。



◆開発の経緯

1943年に生産が開始され、主に大戦末期の本土防空に活躍した雷電だが、開発自体は1939年から行われていた。
雷電の開発は、海軍が日中戦争時において中国軍爆撃機による損害を受けたことに端を発している。
しかし、当時の日本には小型かつ大出力の発動機がなかったため、なんと一式陸攻など大型機用の発動機「火星」に強化冷却フィンと水メタノール噴射機能を付けて胴体中央部分に搭載した。
プロペラ軸も延長したものが搭載されたが、この延長軸が振動問題を起こす遠因の一つになり、太い胴体直径は、視界確保の障害になってしまう。
これは(当時)最新の航空力学に基づき、前面投影面積を絞った紡錘形の機体のほうが、最高速で有利になると考えられていたからであるが、
頭でっかちな陸軍の二式戦闘機の速度性能を考えると、機体形状に関しては思ったよりも効果は上がらなかった模様である。


◆対B-29に向けて

雷電を紆余曲折あり、様々な問題を抱えたまま、なんとか開発したものの、この頃には、米軍最大の難敵B-29の登場により雷電はより高高度戦闘に主眼をおき改良され排気タービン過給器を導入された。
しかしこの過給器は、対熱金属に問題があり実用レベルまで達しておらず、戦況が戦況だけに見切り発車で二種が搭載されテストされたが結局不採用になり、
後に発動機自体を更に改良し高度及び速力を向上し、従来の20mm機関銃から日本独自開発の30mm機関銃搭載機が開発されたが、結局終戦に間に合わず少数生産に留まった。


◆欠陥について

雷電における欠陥は、発動機とプロペラの延長軸の相関からの振動の問題、胴直径の大きさによる視界確保の問題が挙げられる。
この2つの問題は、前者は当時は原因不明とされ、後者は視界改善のため風防を高くするが、空気抵抗が増すというジレンマを作り出してしまい最後まで解消されなかった。
この欠陥が雷電の運命を大きく変え、約束されていたはずの主力機の座を初飛行が1944年の次世代機『紫電改』に奪われる原因となる。

ただしこれらの問題は、あくまで日本基準であり、終戦後の米軍による性能テストでは特に問題にされず、操縦席の広さからむしろ好評であったとされ、なんと空母での運用も可能であると評価されている。すごいね、米軍。
なお、このテストでは、武装を外し、米軍による整備を受けたためか日本軍のテストよりもはるかに良い結果を出している。(一例として、最大速度は670km/h超)
振動が問題にならなかったのは一説によると滑走路に使用された素材の差が原因ではないかといわれている。米軍によるテスト時にはアスファルトの滑走路で離陸・着陸していたのでそこまで大きくならなかったのでは? との指摘。


◆実戦において

雷電の初陣はスピンガンにおける石油施設の防衛である。
このときのB−24、P−38やP−47を相手に少なくない結果を挙げた。
これは、雷電の配備が遅れた点、雷電がそれまでの日本軍が得手とした格闘戦から不慣れな高速戦が主体となった点、機体設計がやや旧くなっていた点を考慮すれば十分な戦果であった。

本土防空においては、特に小園安名司令の第三〇二航空隊で活躍した。
ただし、これは防空初期の話であり、中期では高高度迎撃機の雷電も、B−29の飛行高度では飛行自体がやっとであった。
主力になったのは、斜銃を現地搭載した「彩雲」「銀河」「彗星」などのより次世代の飛行機群であり、雷電は零戦では到達できない高度での、迎撃の他、これらの随伴機としての役割も兼任した。
もっとも、迎撃能力そのものはこの上なく高かったため、実戦経験の少ない若手が敵側の護衛機を撃墜する事例なども発生している。
そのせいか、B-29の乗員達にとっても雷電は恐怖の代名詞となっていき、最終的には「対大型爆撃機戦では日本軍機最強」と公式で評価された。

日本製でありながらアメリカンな機体造詣と、名前を英訳するとP-47の通称と同名になることから意外なほど海外人気は高く、「日本海軍のベスト・インターセプター」とも評されている。
また、図体の大きさからコックピットも広く、これが米軍側からの高評価に拍車をかけたのは言うまでもない。


◆本来の運用想定

本来は開発が順調に進んでいれば、零戦の陸上機としての後継制空戦闘機と迎撃戦闘機の任を負うはずであった。
実際に1943年には敵に押され始めた零戦の陸上配備機を雷電に置き換える計画が内定しており、一年後には実行寸前にまで進んでいた。

しかし海軍機のテストを担当していた横須賀航空隊が、雷電本格配備と同時に完成した紫電改との比較で、旋回性能面などで『雷電を量産するくらいなら紫電改のほうがいいもーん!』と報告したせいでオジャンに。
迎撃戦闘機としては紫電改より優秀だったために生産は継続され、迎撃戦闘機としての任は解かれなかった。

しかしこの時の決定や実戦部隊のベテランパイロットからの不評、『量産した時には雷電の性能が既に米軍新鋭機に追い越されていたから』などの生産数が絞られてしまい、全部隊には配備されずじまい。
だが三三型は一説によれば紫電改や烈風をも超える性能をマークし、本国(日本)側からも『海軍最強戦闘機』の座を得たという。

海軍のグダグダは異常


黒歴史

本来は、高度向上のため軽量が望ましい雷電は、斜銃考案者であり信奉者である小園司令の命令の下、斜銃を搭載した魔☆改☆造ともいえる改良がなされた。
が、これで撃墜させるにはテクニックがいるため並みの操縦士ではかなり扱いづらく、整備班と操縦士の満場一致で司令に内緒で3日も経たないうちに外されるという珍事が起きており、一種の黒歴史の扱いを受けていた。
なお、小園司令官は以前には零戦にも、この魔改造をおこなっている(無論、大不評)。

ちったあ自重しろよ

ただし、斜銃自体は駄作というわけではない。
それまで役立たずだった夜間戦闘機「月光」等が斜銃によってあまりに大活躍してしまったゆえの行き過ぎらしい。


◆型番

・十四試局地戦闘機[J2M1]

火星エンジンの初期型たる一三型と、三翔プロペラを装備した試作機
風防の形状も生産型とは異なる
増加試作機を含め、総生産数8機

・一一型[J2M2]

最初の生産型で、エンジンを火星二三甲型に変更した事で400馬力程増し、4翔プロペラを搭載した
振動問題の解決に手間取り、J2M2が一一型として制式化されたのは生産縮小決定後の事であった
総生産数125機

・二一型[J2M3]

開発中に断片的に伝わる‘超空の要塞’の情報から、武装を長砲身20mm機銃4門に強化した形式
振動対策で頻繁にプロペラを改修した他、斜銃を無理矢理載せさせられたのはコレである
総生産数128機

・三二型[J2M3](三一型という形式はないそうである)

排気タービン過給器付きの火星に換装した高高度用改良型。

・三三型

排気タービンの不調により搭載を諦めて、エンジンそのものを改良して高高度性能を上げた型。エンジンがパワーアップした影響で速度もアップ。一説によれば烈風や紫電改をも超える最高速度をマークした『最強の雷電』。


◆余談

現存する機体は完全な形で残っているのはフィリピンで鹵獲され、アメリカの博物館に展示されている二一型のみ。
それ以外の型は断片的なパーツも含め現存数が少ない。
設計は零戦の生みの親として有名な堀越二郎が担当したが、一一型以降は烈風の設計のために離れている。
そのため別の技師が担当したことから上記の改良以外にもコクピットの計器盤なども大幅に変更されている。

開運!なんでも鑑定団に一一型の計器盤が出たことがあり、依頼主は60万円で購入し鑑定結果は150万円となった。
これは確認されているものがこの鑑定品1品だけという稀少性、こういった部品コレクターでは生死がかかるパイロット視点で目に入る部品が人気。
また当時の最先端技術を惜しみなくつぎ込まれた、産業文化遺産としても貴重ということも150万円という値がついた理由でもあった。



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最終更新:2021年07月19日 10:24