TOP4(テニス)

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TOP4(テニス) - (2020/02/04 (火) 00:21:40) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2012/01/29(日) 01:48:32
更新日:2024/02/10 Sat 16:41:55
所要時間:約 8 分で読めます




TOP4とは、テニスの男子シングルスで歴代でも上位の成績を残しているロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、ノバク・ジョコビッチ、アンディ・マレー の4名のことである。
彼らの戦いは非常にレベルが高く「神々の戦い」「異次元のテニス」と称される。

日本でもBIG4(ビッグ4)、四強、四天王など様々な呼び方があるが、海外ではTOP4という名称がもっとも一般的だと思う。
ではこの4名について紹介。



◇ロジャー・フェデラー/Roger Federer(スイス)
1981年8月8日生まれ。
右打ち/バックハンド片手打ち
男子でも珍しくなった片手バックハンドによる、巧みなラケット使いによる自由自在なストロークとネットプレー、そして球種やコースの読みにくいサーブが特徴。
難しいショットや狭いコースをつくリターンなどハイレベルなプレイを難なくこなすように見えるため、「フェデラーを見ているとテニスが簡単なスポーツに見えてしまう」とすら言われる。

史上最高のテニスプレイヤー。2000~2009年は彼の時代。
4大大会最多優勝記録、世界ランキング1位最長通算在位記録、世界ランキング1位最長連続在位記録、年間最終戦最多優勝記録など数々の記録を持つ。
なんだただの神か。
キャリアの長さと華麗なプレー、そして溢れ出るテニス愛からファンはおじさん、更に略してフェデおじと呼んで親しんでいる。
テニスはやるのはもちろん見るのも大好きで「大会中はいろいろな試合を追いかけるのが大変だよ」というコメントが出てくるほど。
招待された地元のサッカーチームの試合観戦中にスマフォでテニスの試合を見ていたエピソードは一部で有名(ちなみに見ていたの同輩ワウリンカの全仏決勝)。

30代も半ばになった近年はさすがに年齢による衰えが…少しずつ見えてきていますがそれでもまだ強い。
長年に渡って多くの試合をこなしながら故障知らずの選手でもあったのだが、2013年からは背中や腰が時折痛むようになり
2016年は膝に大怪我をしてしまい欠場が増え、ランキングは16位まで落ちることに。
(なおこの膝の怪我、テニス由来の怪我ではなく自宅の風呂掃除中に娘に声をかけられ振り向いた際に痛めたというもの。長年の蓄積疲労のダメージもあるのだろうが。)
しかし2017年の全豪にて決勝まで進み、同じく手首の故障から復活して決勝まで進んだ長年の好敵手ナダルをフルセットの末に制し、35歳で復活優勝。
その後はハードコートの大会にいくつか出た後、芝のウィンブルドンに全力を注ぐため全仏オープンを含めたクレーコートの大会を全て欠場することを表明。
そして迎えたウィンブルドン。他の上位シードが次々と敗れていく波乱のなかでフェデラーは全ての試合をストレートで制し、5年ぶり8度目となる悲願の優勝を達成。
フェデラーが2016年度と2017年度に休養を多く取ったのも、全ては「ウィンブルドンでもう一度優勝したい」という思いからだったのである。
2018年には1位復帰も成し遂げた。
2019年にユニクロと複数年契約を結んでおり、各種イベントのための来日機会も増えている。

ちなみに現在でこそ短髪で温和なイメージのあるフェデラーだが、二十歳そこそこの若い頃は長めの髪と激しい癇癪持ちで知られておりラケットもガンガン壊していた。
若い頃の姿は反省はしているものの、年齢を重ねた今でも試合に熱くなると審判や相手選手に食ってかかったりボールを打ち上げたりして警告*1を受ける姿が見られる。


◇ラファエル・ナダル/Rafael Nadal(スペイン)
1986年6月3日生まれ。
左打ち*2/バックハンド両手打ち
強烈なスピンショットと広いコートカバーリングが特徴。
無尽蔵のスタミナと脅威の身体能力を誇り、長いラリーや試合終盤でも敏捷性は衰えず、相手のウイニングショットすらスーパーショットで返してしまう超人。
4人の中では明確なルーティーンを持ち、水分補給後は毎回ボトルのラベルの向きを整えて決めた場所に置き、コートに入る際にはラインを踏まない、
サーブレシーブの前には毎回服を整えてから左手で鼻→右耳→鼻→左耳と触れていく姿が見られる。
なおプロテニスは各プレー間に使える時間が決められており、「ルーティーンで規定時間を超えてないか」と対戦相手から苦情が来たり審判から時間超過の警告を受けたりする場面が度々あった。
2018年から各種インターバルの残り時間がコートに表示されるようになり、残り時間を見ながらルーティーンに入るナダルの姿が見られる。

上に書いたフェデラーの世界ランキング1位の連続保持記録を止めた人物。
通算対戦成績でもフェデラーに24勝16敗(2019年12月現在)と勝ち越しているただの神その2。
フェデラーの次点や一部で上回るほどの実績を持ち、直接対決でも勝ち越していることからナダルを「史上最強のテニスプレイヤー」と呼ぶ者もいる。
4大大会制覇に加えてオリンピックで金メダルを獲得している数少ないゴールデンスラム達成者の一人。
4大大会を制覇するだけでも相当に困難なものであり達成者は歴代で10人もいないが、ゴールデンスラム達成者はわずかに2人。*3
フェデラーやジョコビッチも4大大会制覇は達成しているが五輪のシングルス金メダルは持っていない*4

特にクレー(土)のコートでは無敵の強さを誇る「クレーコート・キング」。あまりの強さに一部では「土魔神」と呼ばれている。
クレーコートで行われる4大大会の1つ全仏オープンには2005年に初出場しなんとそのまま19歳で初優勝。全仏出場を始めてから優勝を逃したのはわずかに3回(2敗1棄権)のみ。
(なお優勝できなかった残り3大会もナダルは優勝者と直接戦っていない。つまり現在、ナダルに勝って全仏に優勝した人物はいないのである。)
2019年に全仏12勝目を上げ、ついに「男子シングルスでのGS単独大会の優勝回数」の記録を更新した。
かつての全仏オープンは人によって得手不得手があるクレーコートという特性から度々番狂わせが発生したため「全仏には魔物が棲む」と言われていたが、
ナダルの登場以降は「ナダルが不調の年でないと他の人が優勝できない」という別の意味で魔境と化している。誰が言ったか「全仏はナダルの家」*5
無敵の強さを見せたフェデラーやジョコビッチが4大大会制覇に数年を要した+まだ全仏で1勝しかしていないのも、ナダルのいる全仏がなかなか獲れなかったからである。
もちろんクレー以外が弱いという訳では決してなく、それは2019年9月に2005年以来750週で連続ランキングトップ10継続を記録したという偉業からもわかるだろう。

2016年10月には故郷のマヨルカ島に自身のテニスアカデミーを設立。開校式典には長年のライバルであり親友でもあるフェデラーをゲストとして招いた。
この年は2人とも故障を抱えて成績が落ちており、「俺たちもう終わった扱いされてるけどまだまだ頑張ろうな」と式典会場で笑いながら話したという*6が、
翌年にまだまだ頑張るどころか4大大会の優勝を2人で分け合う(しかも互いに得意の芝とクレーは全試合ストレート)ほどの大復活劇を見せるとは誰が想像しただろうか。
ちなみにドラゴンボールの大ファンである。



◇ノバク・ジョコビッチ/Novak Djokovic(セルビア)
1987年5月22日生まれ。
右打ち/バックハンド両手打ち
精密機械に例えられる正確なストロークと股関節の柔軟性からくる守備範囲の広さが特徴。
事前のデータ分析と鋭い推理観察力で相手の打つコースを読んで先回りし、他の追随を許さない変幻自在のチェンジ・オブ・ペースによりゲームの主導権を奪い取る。
4人の中で特に気性が激しく、1位を経験してからも時折試合中にラケットを散々な形に破壊する姿に「王者としてふさわしくない」と批判を受ける場面も。
この気性の激しさと相手の長所を封じ込めてしまうプレースタイルとを合わせて「最凶のテニスプレイヤー」と呼ばれたりする。

10代でツアー優勝、2008年に初の四大大会優勝や年間最終戦優勝を飾り目覚しい成績を挙げる一方、謎の体調不良に悩まされていた。
2010年に体調不良の原因がグルテン不耐性*7と判明してから食事を改善し、成績はさらに飛躍する。
食事を改善して臨んだ2011年には初の世界ランキング1位到達。
4大大会のうち3つで優勝、年間勝敗70勝6敗という凄まじい成績で終えた。(ちなみに6敗のうちの1敗はあの錦織圭)。
その後も好成績を維持し続け、2016年の全仏優勝でついに4大大会制覇を成し遂げた。
年をまたいではいるが2015年のウィンブルドンから続けての4大大会連続優勝でもある。

錦織圭をきっかけにテニスを見始めた人にとっては活躍時期の重なるジョコビッチの印象が強いであろう。
2014年全米の準決勝で錦織が勝利して以降は一度も勝てておらず、通算対戦成績は錦織から見て2勝15敗(2018全米終了時)。
もっとも対戦成績が悲惨なのは錦織に限ったことではなく、TOP4相手ではランキング10位以内経験者でも負け続きや勝ち星0であることは別に珍しいものではない。
中には15戦以上戦って全敗の選手も。
錦織はジョコビッチの強さの特徴について「同じ球が2回続けて返ってこない。毎回違う球種で返ってくる」と語っている。

ちなみに相当にユーモアのある神様で、上の二神や、ポゥ!ことシャラポワ、殺人サーブのロディックなどのハイレベルなモノマネをする。
(実際にプレーするわけではなく、あくまで一発芸だが)
ウィンブルドン優勝時にはコートの芝を食べる。
2014年の全仏では雨のために傘をさしにきたボールボーイをベンチの隣に座らせ、自身のラケットとボーイの傘を交換し相合傘に。
トップ選手のラケットに触れてボールボーイは大喜び。さらにボーイに飲み物を差し出して2人で乾杯する姿を見せ、周囲の観客からは大歓声が起きた。
サッカーチームACミランのファン。

2017年は全豪オープンでまさかの2回戦敗退など成績の低迷が続き、また故障のドクターストップが出て大会出場を急遽取りやめるなど不調のシーズンを送った。
そして肘の故障でウィンブルドンを途中棄権して以降は2017年度の全ての大会を欠場した。
2018年1月にツアー復帰。シーズン序盤は痛みの再発もあって全盛期には程遠い状態だったが、4月のクレーシーズンから往年の強さの片鱗も見せ始めており、
7月のウィンブルドン、9月の全米オープンで立て続けに優勝し完全復活を果たした。
また8月第二週のシンシナティ大会優勝で現役中にマスターズ*8全9大会を制覇する*9キャリア・ゴールデン・マスターズも達成している。



◇アンディ・マレー/Andy Murray(イギリス)
1987年5月15日生まれ。
右打ち/バックハンド両手打ち
コートを縦横無尽に走り回るカウンターパンチャー。ツアー屈指のロブ(山なりの球)の使い手。
抜群の読みと反応により相手のウィナーを封じ、緻密に組み立てられた戦術と素早い攻守の切り替えにより勝利を築く戦術家。
試合中のストレスを独り言の形で発散・整理するのが特徴。

4大大会の優勝回数こそ少ないものの決勝進出は11回に上り*10、生涯獲得賞金ランキングでは上記の3人に次ぐ歴代4位。
またオリンピックの男子シングルスでは史上唯一の2連覇を達成している。

2012年全米にて、ジョコビッチとの4時間54分の激闘を制し悲願の4大大会初優勝。
翌年2013年のウィンブルドンでは、実に77年振りとなる地元優勝を果たした。*11
この頃はまだ「4人にするための人数合わせ」「TOP3とそのおまけ*12」「人間希望の星*13」等、非常に微妙な評価だったが、
2015年頃から人間の殻を破ることに成功。
2016年にはウィンブルドンで二度目の優勝を飾り、リオデジャネイロオリンピックで金メダルを獲得してロンドン五輪に続くオリンピック連覇を達成。
さらに秋のツアーで連勝を重ねて11月6日にはついにジョコビッチを超えてついに世界ランク1位に到達。
本当の意味で神々の仲間入りを果たした。

2017年は昨年の反動か序盤から成績が振るわず、また全仏オープン以降はかつて手術もした古傷の腰や臀部の痛みが再発して思うような成績を残せず
8月14日付けのランキングで1位の座をナダルに明け渡した。
その後は大会エントリーと欠場表明の繰り返しが続き、ランキングは10位代に落ちそのまま2017年度を終了。
2018年度に入っても怪我は治らず全豪オープンも欠場。開催中に手術を決断。
芝シーズンからツアー復帰し、2週連続出場や5セットマッチを控え体の負荷を抑えることを重視した慎重なツアー生活を送った。
欠場によるランキングポイントの失効を取り戻すほどには勝利できず、年始に10位代だったランキングは年末に200位代まで落ちてしまったが、
イギリス国民を始めとするテニスファンは彼の再起を期待している。

だが2019年、全豪オープン開始前の記者会見に悲痛な面持ちで現れたマレーはその場で今季限りの引退を発表した。
股関節の怪我は靴や靴下を履くといった日常生活においても痛みが出るほど深刻な状態であり、12月の時点でテニスを諦める決断をしていたという。
「手を尽くしたがどうにもならない」「最後にウィンブルドンでプレーしたいがそれもできるか分からない」「大手術も検討しているが競技でなく日常生活のためだ」
泣きそうになるあまり会見前に一度席を立って仕切り直し、その上でこれらの内容を俯いたまま呟くように話すマレーの姿に多くのテニスファンが衝撃を受けた。

引退試合になるかもしれない全豪1回戦。立て続けに2セットを落とす絶体絶命の危機から驚異の粘りで2-2まで追い上げるも最後は力尽きたマレーは試合後にコート上でインタビューを受けた。
するとそこで「ここに選手として戻ってくるには大きな手術を受けなければならないが~」と今後について現役続行も含めて再検討中であると発言。*14
悲痛な会見から数日を経て、少しでも前向きな発言が出たことにファンは喜んだ。
1~2週間のうちに決断すると言われ続報が待たれた中、全豪オープンの後しばらくして右側の股関節を人工股関節に置き換える手術を受けたことを報告した。

シングルスへの復帰希望を語っていたマレーだが、人工股関節手術後のスポーツとしてシングルステニスを禁則事項とする*15アメリカの発表もあり、その選択は注目されていた。
リハビリを経て芝シーズンからダブルスツアーへの参加を始める。引退試合に考えていたそウィンブルドンでもダブルスで元気な姿を見せたが、彼はシングルスへの復帰を選択する。
8月のシンシナティ大会でシングルスに復帰。その結果全米ダブルスの出場を取りやめて裏開催の下部大会*16にシングルスで参加。
その後もプロテクトランキング*17や主催者推薦を得てシングルス出場を続け、10月半ばのアントワープ大会で復帰後初のツアー優勝を果たした。
大会のグレードとしては小さいものだが、決勝の相手が実績で度々比較されていたワウリンカ*18であり、トロフィーがテニスのサーブフォームの像なのも何かの縁であろう。

ちなみに重度のゲーム好きで、現在の奥さんと結婚する前に一度破局している。
「自宅でゲーム中にロンドンでのエキシビションマッチに呼ばれて慌てて飛んでいった」なんて話も。

一歳年上の兄ジェイミー マレーもテニス選手でありこちらはダブルスのスペシャリスト。
4大大会の男子ダブルスやミックスダブルスでの優勝実績があり、男子のダブルスランキングで1位にいたこともある実力者。
一部の大会やテニスの国別対抗大会であるデビスカップではジェイミーとアンディの兄弟ダブルスを見せることも。



さて、この4名の凄さは分かってもらえたと思う。では、過去10数年の4大大会優勝者を見てみよう


全豪オープン(1月。ハードコート)
2004 フェデラー
2005 サフィン*19
2006 フェデラー
2007 フェデラー
2008 ジョコビッチ
2009 ナダル
2010 フェデラー
2011 ジョコビッチ
2012 ジョコビッチ
2013 ジョコビッチ
2014 ワウリンカ*20
2015 ジョコビッチ
2016 ジョコビッチ
2017 フェデラー
2018 フェデラー
2019 ジョコビッチ
2020 ジョコビッチ

全仏オープン(5月下旬~6月上旬。クレーコート)
2005 ナダル
2006 ナダル
2007 ナダル
2008 ナダル
2009 フェデラー
2010 ナダル
2011 ナダル
2012 ナダル
2013 ナダル
2014 ナダル
2015 ワウリンカ
2016 ジョコビッチ
2017 ナダル
2018 ナダル
2019 ナダル

ウィンブルドン(6月~7月。コートは芝)
2003 フェデラー
2004 フェデラー
2005 フェデラー
2006 フェデラー
2007 フェデラー
2008 ナダル
2009 フェデラー
2010 ナダル
2011 ジョコビッチ
2012 フェデラー
2013 マレー
2014 ジョコビッチ
2015 ジョコビッチ
2016 マレー
2017 フェデラー
2018 ジョコビッチ
2019 ジョコビッチ

全米オープン(8月下旬~9月上旬。ハードコート)
2004 フェデラー
2005 フェデラー
2006 フェデラー
2007 フェデラー
2008 フェデラー
2009 デルポトロ*21
2010 ナダル
2011 ジョコビッチ
2012 マレー
2013 ナダル
2014 チリッチ*22
2015 ジョコビッチ
2016 ワウリンカ
2017 ナダル
2018 ジョコビッチ
2019 ナダル


以上がTOP4の初優勝から現在までの優勝者一覧である。
お分かり頂けただろうか。ちなみに準優勝やベスト4まで見るとマレーも数多く名前が出る。
これほどまでに、この4名とそれ以外には絶望的な実力差があるのである。

近年、特に2016年以降は加齢による体力的肉体的衰えや若年層の成長により、TOP4が全員そろって活躍する姿を見ることは難しくなった。
特にフェデラーやナダルの2人は2000年代から今に至るまで10年以上も優勝争いを続けており、活躍期間はかなり長い。人気面でも別格。
そして2017年にはTOP4全員が30歳を過ぎ、ジョコビッチとマレーも故障による成績低迷や休養を余儀なくされた。
王者たちの怪我や衰えにより徐々に時代が変わる可能性も見せつつはあるが、テニスのトッププレイヤーにこの4名を挙げて異を唱える者はいないだろう。


余談
男子シングルス4大大会歴代優勝回数ランキング(2019年全米オープン終了時)
1位 ロジャー フェデラー 20回
2位 ラファエル ナダル 19回
3位 ノバク ジョコビッチ 17回
4位 ピート サンプラス 14回(1990年代に活躍したアメリカの選手。全仏のみ最高成績がベスト4止まりとなり4大大会制覇はならず。)

男子シングルス1位在位週数(2020年全豪終了時)
1位 ロジャー フェデラー 310週(1位連続在位237週も歴代トップ)
2位 ピート サンプラス 286週(なお「年間最終ランキング1位の回数」は6回で現在もサンプラスが1位。続いて2019年末時点で7フェデラーナダルジョコビッチが5回で並んでいる。)
3位 ノバク ジョコビッチ 276週+α(現1位)
4位 イワン レンドル 270週(1980年代に活躍したチェコスロバキア→アメリカの選手。マレーのウィンブルドン初優勝時のコーチ。)
5位 ジミー コナーズ 268週(1970年代に活躍したアメリカの選手。39歳で全米ベスト4に進み、44歳まで現役を続けた鉄人。)
6位 ラファエル ナダル 209週
(中略)
14位 アンディ マレー 41週

ちなみに1年間365日÷7≒52.14週である。1ヶ月が4週間と少しと考えればさらにイメージがつかめるかもしれない。


追記、修正お願いします。

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