呂蒙

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呂蒙 - (2021/09/11 (土) 08:51:44) のソース

&font(#6495ED){登録日}:2011/09/11(日) 19:34:21
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呂蒙(りょ-もう 生没年178年-220年)とは後漢~三国時代まで活躍した孫呉における武将である。字は子明。

*[経歴]
汝南郡出身で、[[孫策]]配下だったトウ当が義兄だった為にそのまま孫家に仕える。
孫策死亡後は、&s(){なんかいつの間にか死んでた}トウ当の軍勢を引き継いで[[孫権]]に仕える。
その後は数々の戦いに従軍し、武官としての頭角をメキメキと現す。
また、江陵の戦いでは追い込まれた甘寧を救出するために献策したり、
[[周瑜]]に敵退路の破壊を提案したりなど、後の知将としての鱗片も見せている。

ちなみに若い頃は、トウ当配下の官吏から小馬鹿にされたのでブッた斬ったりと、主君一族ばりの[[DQN]]ぶりを見せていた。
 
*[呉下の阿蒙にあらず]
元々猪武者という側面が強く、「&b(){呉下の阿蒙}((「阿」は日本語で言えば子供に呼びかける時の「〜ちゃん」といったニュアンス。つまり「呉の蒙ちゃん」という意味だが、同時に「進歩の無い馬鹿」という罵倒でもある。))」呼ばわりされていた。
[[周瑜]]死後、バリバリの武人だった彼に[[孫権]]から「&b(){オメー訓練ばっかじゃなくてちっとは勉強しろよ、この脳筋}」と提案される。
最初は「&bold(){軍事関係の方が忙しいから無理だっつの}」とか言って断っていたが、渋々ながら蒋欽とともに学問を修練し始めた。
渋々始めたくせに、元々凝り性だったのか猛勉強していき、どんどん知識を吸収して何時の間にか孫呉屈指の知識者となっていた。
孫家参謀である魯粛との対面ではいくつもの難解な質問をあっさり答え、
「&bold(){アレ?コイツ脳筋じゃなくね?}」=「&bold(){呉下の阿蒙にあらず}」と評されている。
更に魯粛に向かって「&bold(){士別れて三日ならば、即ち更に刮目して相待つべし}((「日々鍛錬している者は三日も会わなければ見違えるほど変わっている」という事。転じて、「いつまでも同じ先入観で物事を見ずに常に新しいものとして見よ」という意味。))」と自信満々に言い放っている。
尚、この際に魯粛に対[[関羽]]用の策をいくつも述べて大いに感心させている。
ちなみに魯粛は親劉備派だったのだが、これを無碍にしなかった辺り、[[劉備]]と対立した場合の事を予見していたのかもしれない。魯粛が親劉備派だったのは戦略上、孫呉の戦力の消耗を押さえて劉備と[[曹操]]を争わせるという考えからで、別に劉備に肩入れしていたわけではないのだ。

*[216・7年の濡須口の戦い]
212・3年の濡須口の戦いと215年に張遼がリアル三国無双をやった合肥の戦いは[[こちら>合肥の戦い]]を参照。
216・7年の濡須口の戦いでは曹操自ら軍を率いて進軍。
主だった魏の武将達やチート[[張遼]]も参加しており、一説には赤壁よりも投入戦力が多かったとのこと。
また、山賊を嗾けるなどの絡め手も使っている。
対する孫呉は呂蒙を指揮官に任命。
弩兵一万を配備・活躍させ敵の先鋒部隊を撤退に追い込んでいる。
更に先鋒陣営の再編を許さず、追撃を仕掛けることで打ち破っている。&bold(){蒙ちゃん凄い!}
結果的には流石に国力・兵力ともに魏との差がデカかったからか、
孫権が使者を使って降伏を申し出、曹操もこれを受け入れた事で両軍手を引いている。
また、これにより生じた利害関係は後の「夷陵の戦い」まで続くこととなる。
 
*[荊州攻略]
[[益州侵攻戦]]の通り、約束を反故にしやがった劉備にプッツンした孫権の命により、魯粛とともに荊州に攻め入る。
一度は諸葛兄弟のやり取りとかで鞘に納まったのだが…。

孫権が曹操と「&bold(){揚州北部と徐州をよこせ}」「&bold(){やなこった}」みたいなやり取りしてた頃、
前任の魯粛は荊州に居座ってた[[関羽]]の戦力を当てにしていたのだが、
病死した魯粛の後継者となった蒙ちゃんは「&bold(){髭なんぞいらねー、武力・謀略使って裏切ってやがるし}」と進言している。
蒙ちゃんは関羽と表向きは仲良かったが、まぁ蒙ちゃん元々反劉備派だし。

あと孫権から申し出た、関羽の娘と孫権の子の政略結婚による和睦話を関羽が蜀本国に報告もせずにブッチして孫権の顔に泥塗った。
当然孫呉と蜀の仲は更に険悪化。&s(){オイ関羽}。

関羽が樊城の戦いに掛かりきりになってた頃、同時に呉の領土からも略奪とかアレな行為に走っていた。&s(){オイコラ蜀の軍神。}
あと于禁を投降させたり水攻めとかで調子こいてた。
呂蒙は関羽を刺激せず、「病気で動けない」と仮病で油断させたり、当時無名だった[[陸遜]]を推挙したり、
関羽陣営の人間を周りから降伏させる形で切り崩したりしている。
領内に入る際には商人のコスプレ等をして、関羽に察知されないように進軍して守備部隊を騙し討ちした。
また、占拠した城の城下からの略奪を一切禁じ、それどころか領民への医者・食料・衣類などの手配なども行っていた。
&bold(){蒙ちゃんマジ天使}。
更に同郷の兵士が民家から傘をかっぱらってきたことに「&bold(){同郷の人間といえども法を変えることは出来ない}」と言い、斬首している。
これだけ軍律を徹底させ、領民には兎に角気を使って善政を敷いている。
これによって関羽の統治体制を瓦解させることに成功する。
そして関羽軍は樊城で徐晃軍に敗れた挙句、蒙ちゃんの善政のお陰で兵の士気もガタ落ち。
麦城で孤立無援の篭城もジリ貧だと見極め、なんとか打破しようと画策するが、当然蒙ちゃんは逃さない。
関羽の退路にも念のため布陣しており、関羽は決死の覚悟で中央突破を試みるも流石に無理ゲー。
伝説の武神もあえなく斬首に至ったが、&bold(){捕らえたのは別に呂蒙本人ではない}。
 
*[最期]
かの周瑜や魯粛のように、天は呂蒙にも寿命を与えなかった。
関羽討伐・荊州占領後、間もなくして持病を悪化させ、病に伏せる。
孫権は賞金を掛けてまで呂蒙の治療に専念させており、容態を聞く度一喜一憂してたとの事。
それだけ孫呉において呂蒙の存在は大きかった。
しかし治療の甲斐なく死去。&bold(){享年42歳}という若さだった。
その際、孫権から賜った品は全て返却し、葬儀も質素に行うように遺言を残したとか。

&s(){…まぁ、呂蒙だけじゃなくて、関羽死亡後に三国共にバタバタ人が死んでるけど。}

尚、病床において後継者に陸遜を指名。勇将と評価されていた朱然を後任にしなかったのは「内政関係に弱かったから」だとか。
陸遜の夷陵での大戦火や後の活躍を見る限り、[[諸葛亮]]と違って人物眼にも優れていたと思われる。

三国志の著者・陳寿からは「&bold(){勇敢であるとともに軍略を知る、単に武将であるだけに留まらない人物}」と評されている。
武勇のみにとどまらず、策謀術を身に付ける学習能力の高さや上昇志向・内政能力といい、[[姜維]]とは偉い違いである。
 
*[その他のアモー]
**●三国志演義
&bold(){とにかくディスられっぷりが酷い}。これは本作品が蜀寄りの内容、それも関羽殺しの件もあってのことだが、
この所為で「狡猾」とか「残虐」とか「卑怯」とかそんなイメージが付いて回っている。
実際は蜀と関羽の自業自得なのに。
[[曹操]]・周瑜・魯粛・[[劉禅]]・[[魏延]]等に並ぶ演義の被害者と言える。
その最期は酒の席で関羽の霊に取り付かれて、孫権の胸倉を掴んだ後に「我、関羽なり!!」と叫び、&b(){全身の穴から血を吹いて&color(#F54738){狂死}}。
ホラーである。

**●横山三国志
&bold(){知勇兼備と思えないくらいゴツい}。
意外にもかなり好意的に描かれており、関羽からもその将器を称賛されている。
最期は普通に病死している。
ちなみにテレビアニメ『横山光輝 三国志』には未登場。

**●[[蒼天航路]]
史実にかなり近い設定だが、&b(){三つ以上物事を考えると鼻血を噴出す萌えキャラ}。
呉の要となり魏と戦っていくが、見事にかつての主君・孫策の血吹き芸を引き継いでいる。

**●真・三国無双
1作目から登場し、武器は戟。モブ将と共通モーションが多くいまいち地味だが、攻撃範囲はかなり広く、なかなか攻撃力もある。しかし地味。
演義ベースのゲームではあるが、性格は史実寄り。無精髭の渋いインテリオッサンキャラ。でも美形が多い呉軍ではやっぱり地味かも。
陣太鼓を叩いてくれ!
 
**●一騎当千
CV:[[甲斐田裕子]]
南陽学院((この漫画における呉の立ち位置にあたる。))四天王、&bold(){眼帯をつけたメイド少女}((眼帯なのは三国志の知識が薄かった作者が[[夏侯惇]]と間違えたという説がある。))。典型的な関節技使い。色々設定があるが割愛。あだ名は蒙ちゃん。
主人公の孫策とは悪友、ただし蒙ちゃんの方が学年は1コ上。
登場当初はドSだったが徐々にクールなツンデレに。
得意技は関節技。アニメではその特技で多くのサービスカットを視聴者に与えた。
主人公サイドということもあって出番も多く、読者の人気も高い。

**●恋姫†無双
ツリ目片眼鏡。勉強苦手。袖ち○こ。真・恋姫†無双で初登場。
元々は槍働きの戦士だったが、周瑜と陸遜が揃って孫策に推挙して頭脳役として取り立てられた。
あの周瑜が「あの子はモノになります」と断じるほどに智将としての素質を持つが、本人は自分の頭への自己評価が低く、必死に勉強して睡眠や視力に歪みが出ている頑張りすぎ。
一刀との出会いと交流でようやく肩の力が抜け、文武両道の本領を見せるようになっていく。呉国後半の展開では、否応無しに…

**●白井式三国志
白髪(金髪?)のおっさん。
余りにバカなのを他武将からバカにされ、努力した結果ムキムキになった((そっちの方面で努力してどーする、と突っ込まれている。))。

**●[[BB戦士三国伝]]
CV:[[森田成一]]
「孤高の智将」呂蒙ディジェ。
水軍の荒くれ者だったが、甘寧ケンプファーと共に孫権ガンダムに仕えてからは江東強襲水軍を束ねる智将へと成長していく。
コミックワールド版とアニメ版で扱いが全く異なり、CW版ではキットが甘寧や船とのセットで取説の紙面が大きかったため扱いも大きく、
「かつては荒くれ者だったが敗北と亡き恩師の教えから兵法家を志す」というカッコいいバックストーリーも語られていたのだが、
アニメ版では「呉下の阿蒙」時代しか描かれなかったため、&bold(){脳筋荒くれ者止まり}になってしまった。
ネタ的な意味では&b(){何故か土佐弁に現地出身者((ちなみに関平の中の人にして無双貂蝉の人))の本格的な監修が入っていた}相方の甘寧の方が目立っていたまであるかもしれない。

**●三国志大戦
徐々に強くなったり、呂布並に強くなるけど徐々に弱くなったり、麻痺矢の大号令だったり、弓射程距離強化or防柵復活の軍師だったり。
しかもロケテの時は伏兵と防柵で最初にいる場所がモロバレというネタ武将だった。
リブート後は徐々に強くなるのはそのままに軍師が弓でゴリゴリ削れる大号令を持って来て、麻痺矢の大号令は丁奉に取り上げられた。
他は自軍の強化と敵軍の弱体が一緒にひっついたりなんとか4度使えると大火力の弓が動きながら打てるピーキーな号令とか、ケンカで負けたことがないギャングとか。
とにかく常に癖の強い計略ばかり持たされる。

**●人形劇 三国志
&bold(){呉ファンの[[黒歴史]]}。
&bold(){見せしめに荊州の領民を斬り、投降した関羽を騙し討ちにかけて哄笑しながら斬る}という、史実と真逆の糞ド外道になっている。
その最期も、私欲を優先した行動を取った挙句の自業自得の末路が描かれた((赤兎馬を自分のものにしようとした結果、赤兎馬に道連れにされるがごとく谷底に落下して死亡した。))。
これは勧善懲悪を強調するための大幅な変更点であるが、&bold(){これには多くの呉ファンがキレた。}というか[[銀英伝>銀河英雄伝説]]の作者の田中芳樹もキレた。

**●ヒーロー戦記 プロジェクトオリュンポス
[[モロボシ・ダン]]の台詞内で語られる。
名前は中国語読みでルー・メェン表記。

**●三国志(アニメ映画)
CV:阪脩
1994年の「完結編」に登場((1992年に「第一部」が公開され、1993年に「第二部」が公開されている。))。
しかし&bold(){登場シーンは樊城の戦いでの作戦会議のみ}。しかも&bold(){白髭のご老体}である。ただし性格は知勇兼備そのもの。

**●コーエー三国志
孫権に学問を勧められるイベントが起きたり、後期シナリオで知力政治がぐんぐん伸びてたりする。
勉強イベントは知力が低い時期でないと起きないので、イベ起こすより後期スタートの方が強いが
その時期には寿命が残り少なくなってくるのが困りもの。


追記・修正は「アニヲタ下の阿篭にあらず」といわれるくらい猛勉強してからお願いします。

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- 田中さん それで皆殺し癖が  &br() &br() &br()一騎当千でヒロインに  -- 松永さん  (2013-11-24 16:21:10)
- アーマードコアネクサスに登場したレイブンに「アモー」がいる…  -- 名無しさん  (2014-10-29 14:19:44)
- ロケキチのアモーさんは関係ないだろ!いい加減にしろ!  -- 名無しさん  (2014-11-27 21:24:00)
- この項目では、俺の好きな蜀がめちゃくちゃdisられている。なんかショック  -- 名無しさん  (2015-03-29 23:22:50)
- 本項目は立て主の主観や好みによるひいき表現が目立つため、内容を一部修正しました。  -- 名無しさん  (2015-03-30 01:31:04)
- 指名した後継者は朱然じゃなかった?結局陸遜が継いだので事後的に却下されたみたいだけど  -- 名無しさん  (2015-12-22 09:24:21)
- 三国志艶義では赤壁で曹操(女)を逃がしに来た関羽と一騎打ちをするのがあったな。結果は関羽のナ○に敗れましたけどね。  -- 名無しさん  (2016-04-10 16:53:20)
- 人形劇の呂蒙は本当に酷かった。同盟相手の曹操から(また捕らえて部下にしたいから)殺すなという要求があって孫権からも命令されてて、荊州領民を殺すという脅迫で関羽の投降まで漕ぎ着けたのに、そこから暴走して「捕縛した関羽の目前で領民惨殺」「関羽の部下惨殺」「関羽まで殺す」「命令無視を咎め詰問に来た陸遜に逆ギレ」とムチャクチャやってたからなぁ…  -- 名無しさん  (2016-04-10 17:28:47)
- 実写スリーキングダムはもっと酷いと思う。孫権から関羽を殺せば劉備が攻めて来るからやめろと命令されていたのに、関羽を討ったせいで孫権に酒宴の席で毒殺され、遺体は見せしめに陸遜を脅す材料に使われる始末だった。  -- 名無しさん  (2016-04-22 19:19:07)
- 「破三国志」も悲惨。荊州攻略にしくじったのは不運だけど、途端にヘタレ出して和平の席でも孔明に手玉に取られ、しかも孫権が露骨に不愉快になるまでエラーに気付かず、最後は悶死。  -- 名無しさん  (2016-04-22 21:06:39)
- 一騎当千のアニメ版は原作と違って関羽と戦う機会が多いのだが……一矢報いるだけでも精一杯なほど実力に差がありすぎるんだよな……。  -- 名無しさん  (2016-05-04 10:08:45)
- それにしても、関羽はどうして独断で結婚の話をつぶしたんだ?  -- 名無しさん  (2017-02-23 18:09:16)
- プライドが高かったからかねぇ…?なんにせよ呂蒙もほんと演義被害者よね。この人ほど日本人好みの武将っていないとおもうけどなぁ  -- 名無しさん  (2017-03-04 01:09:12)
- 関羽の留守を守っていた武将たちが呂蒙より上手だったら歴史は変わってたかもしれないが、呂蒙の逸話を読むほど結構な無理ゲーだと分かる。日本人に好まれても不思議でないというのは同感  -- 名無しさん  (2017-04-05 15:56:49)
- ↑9 呂蒙亡きあと朱然は後継として呂蒙の軍を引き継ぎ、江陵の守備についた。いっぽう陸遜は後継として荊州奪還を引き継いだ。ということで両方とも後継として呂蒙から指名されている。  -- 名無しさん  (2017-05-19 00:48:44)
- ↑すごく納得した  -- 名無しさん  (2017-05-21 13:02:10)
- とはいえ長期的に見れば呂蒙はむしろ関羽を支援して関羽に魏を攻めさせるべきだったと思う。ぶっちゃけ孫呉の最大の敵は蜀じゃなく魏だし、結果的に蜀との同盟もこれで完全にご破算になった訳だし。関羽を討った事は長期的に見ればむしろ呉にとってマイナスになったんじゃなかろうか  -- 名無しさん  (2018-11-28 10:24:58)
- これ三国志関係の話題で結構出るけど、国内にいる荊州出身者とかがそこ取り戻せって圧をかけるんだよね。だから係争地になるんだよ  -- 名無しさん  (2018-11-28 11:18:27)
- なんでタグにモロボシ・ダンが……  -- 名無しさん  (2019-03-02 18:56:56)
- ↑2 実際蜀でも火種がくすぶってたしな。でも自力じゃ合肥も抜けねーくせして「荊州ぶんどってオール呉で魏を攻めたら成功する」とか提案するの愚策すぎるだろ。いつまでも抜けないから国内の不満が高まってたのか?  -- 名無しさん  (2019-03-02 19:47:48)
- まあ仮にも同盟国を攻撃するなんて決定総司令官とはいえ家臣が独断で決めれるはずないし。関羽を攻撃したのはあくまでも孫権の命令だろうから  -- 名無しさん  (2019-03-13 02:57:58)
- ぶっちゃけ魏が袁家を倒した時点でもう魏を倒すのは無理ゲーなんで……  -- 名無しさん  (2019-10-06 11:13:02)
- 赤壁勝利直後に荊州を即座に奪い取ってその勢いのまま益州制圧、潼関敗北前の涼州勢力と同盟を結べればワンチャン?ぐらいかな…これも敵の抵抗、領地の防衛、補給etcを考えてない机上の空論だけど  -- 名無しさん  (2019-10-06 11:51:16)
- 演義でのディスられっぷりがよく話題になるけど貶めれば貶めるほど呂蒙に負けた関羽が酷くなるのが理解できない模様。陰謀や暗殺じゃなく普通に戦闘で敗北してるわけだし。  -- 名無しさん  (2019-11-03 10:27:45)
- ↑実力で負けたんじゃなくて武人にあるまじき卑怯な手段を使われて負けただけだから…(震え声)ってことでしょ。 でもワイも呂蒙きらい。三国志ゲーでも呂蒙だけは絶対に使わないし処断しまくる。なんでかはわからん  -- 名無しさん  (2020-01-15 20:16:08)
- そうかい俺は大好きだぜ!ゲームで使うにはちょっと寿命短いけどな!説教されて勉強始めたのがいつ頃なのか伝わってないのがもったいないなーと思う  -- 名無しさん  (2020-04-29 18:57:57)
- 見せた活躍に対する扱いがかわいそうな人よね。もっと長生きしてたら評価も違ってたのかなぁと思ったけど呉だからなぁ。長生きしても酷い死に方してそう  -- 名無しさん  (2020-05-23 22:22:55)
- 一騎当千だとアニメ版では因縁の相手である関羽と戦う機会が多いんだけど…決して呂蒙自体の実力が低いわけじゃないんだが、関羽の方が圧倒的に強過ぎてまともに勝った事がない現状が続いている。  -- 名無しさん  (2021-01-31 20:54:25)
- なんだか呉って若くして病死してる奴が妙に多い印象。南方だから風土病の類が多かったのかね  -- 名無しさん  (2021-03-20 13:00:29)
- あのままだと完全に魏どころか蜀にもやられかねなかったから荊州返還はよくやったよ。魯粛も関羽や劉備を舐めてたふしがある、劉備たちは自分が利用はしてもされるようなタマじゃない寝首なんて簡単にかくってのをわかってなかった。  -- 名無しさん  (2021-09-07 00:37:30)
- 荊州奪還自体はいいけど、その後どうするつもりだったんだろ?  -- 名無し  (2021-09-09 00:27:19)
- プランはあったんだろうがいかんせん死んでしまったからね…まあ残る最重要拠点として今更面白みはないが荊州北部→合肥かな 合肥は取れたら一気に北への攻め込みが優位になるし  -- 名無しさん  (2021-09-09 02:34:36)
- 動きとしてはそうなんだろうけど、それで本気で魏に勝つ気だったんかなあ、って。これ自体は呉を軽んじた関羽の失態だとは思うけど、呉は呉で単独で魏に対抗もできないじゃない。それは蜀も同じだから、俺らは荊州返還のために攻めるし関羽殺すけど、その後はまた同盟しようねとでも言うつもりだったのかなあ?  -- 名無し  (2021-09-09 12:22:45)
- こーして見ると恋姫の呂蒙は扱いがいい方なのね  -- 名無しさん  (2021-09-09 12:44:31)
- ↑2 例え関羽ごと荊州を持っていかれてもそうせざるを得ないし夷陵のような戦いも起おこらないという予測だったし、実際諸葛亮も夷陵の戦いは止めようとしていた。だが劉備の怒りは収まらず結果的に蜀は更に国力を削ぐ結果になったし、後から見れば荊州を獲っても侵攻は全部失敗してるので呂蒙の評価も下がる  -- 名無しさん  (2021-09-09 14:17:27)
- 中華の覇権を握るなら魏に勝つのは必須過程だが究極目標ではない。関羽をそのままにして魏に対抗して仮に魏に勝っても、魏が蜀に変わっただけになったら意味がない。長期的なビジョンとしても、呉蜀同盟の中で呉の側の優位を見せておくという考え方はおかしなものとは言えない。  -- 名無しさん  (2021-09-09 15:04:07)
- 呂蒙自身は荊州を押さえた後、自分が総督を務めて陸遜を補佐におき天下を見据えるつもりだったんだろうか? 流石に荊州奪取直後に病死する未来まで予想してた(命数を読んで自棄になった)とは思えないし……。  -- 名無しさん  (2021-09-10 01:03:26)
- いっそのこと蜀を滅ぼして長江流域を全部支配下に置いて魏に対抗するのはどうだろう?どうせ蜀との同盟はご破算だし。夷陵の戦いで蜀の戦力が払底した直後ならワンチャンいけるのでは?  -- 名無しさん  (2021-09-10 01:20:19)
- それも面白いけど、ただその場合正史どおり三方面があるから一時期でも同盟は組まないとダメだろうね。まああとは正史どおりにいけるんじゃないか。その後滅ぼすのはちょっと難しいかと。結局正史どおりに同盟が続くが呂蒙がいるおかげで呉の攻撃力も増して孔明の北伐がちょっと楽になるかも。  -- 名無しさん  (2021-09-10 01:30:02)
- ↑5そうだね、荊州獲る自体はまあわかるけど、そこまでしたからにはそれなりのそれなりの戦果欲しいけどそれができなかったし、死んだとはいえ主導した呂蒙の評価も下がらざるを得ないってところに帰結するんだろうね。にしてもああなっちゃった以上無駄に呉をせめても蜀にも得は無いんだけど、荊州失った上に関羽まで死んで最悪矛先が呉に向くって考えてなかったのかなあ。もちろん、孔明も止めてたし法正が生きてたら止めた(かなり有能だけど性格が破綻してたらしいから本当に止めたかは怪しいと思ってるけど)らしいけど、事前に首脳同士で話つけてたならまだしもあれで済むと済むと本当に思ってたならリスクマネージメントどうなってんのって思っちゃう。まあこういうのって答え出ないんだけど、色々な意見読んでるのは面白いね。  -- 名無し  (2021-09-10 11:02:52)
- 追記、結果的には魏に最高のアシストパスをしてしまったね。夷陵で潰しあった結果蜀は大敗して、一応同盟は続いたけどうまく連携できずになかった挙句、お家騒動まで起こして。  -- 名無し  (2021-09-10 11:09:36)
- 結果的にアシストしたってのは蜀好きの言い分。呉にしてみればあのまま呉だけジリ貧なのは最大級に一番ダメな立ち位置だったわけ。蜀はどう考えても次は呉を奪うつもりなんだから三国拮抗で成り立つには少しでも自分のところの地位を優位にしておくべきなんだよ。勘違いしてるが魏攻略は国体の維持のその次の目標なんだわ。そして「蜀が持っていれば何かが出来た」というのもたらればでしかない。2方面作戦というのはまさにあの漢中取りでやったわけだが結果は特にそれで効果出してないしな。  -- 名無しさん  (2021-09-10 16:40:27)
- ↑ つってもその呉も荊州取った後何の成果も得られてないからな。蜀は漢中取れてるし、蜀のままならというのは言われて当然でしょ  -- 名無しさん  (2021-09-10 17:36:20)
- ↑2それ書いたの俺なんだけどさ、次の標的が呉なのはその通り。ただ、その結果蜀との同盟どころか潰し合いして特に成果なしってのが事実。魏にも内乱があったし付けいる隙が全くなかったわけじゃないと思うけど、潰しあった結果呉はいうほどの戦果あげれてないからそのたられば言われるのは言われるのは仕方ないんじゃないかな。言われるのは仕方ないんじゃないかな。もうちょいいうと荊州攻めた後のビジョンがどうなってたか疑問視されてもされても仕方ないんじゃない?まあだからこそ、上で指摘されてるように指摘されてるように呂蒙の評価が下がるってところになるんだろうけど。  -- 名無し  (2021-09-10 18:53:26)
- すいません、なんか同じ文が2回表示されて見にくくなってる。  -- 名無し  (2021-09-10 18:54:56)
- 漢中取りで成果なかったのは呉が荊州奪って関羽殺したことも関係してくるから、そういう意味でも魏にアシストしたと思ってしまう。  -- 名無しさん  (2021-09-10 19:00:50)
- 劉備の後始末を押し付けるような形になる最悪なタイミングで死んでしまったのがなあ…  -- 名無しさん  (2021-09-10 20:50:21)
- 漢中取りで成果出なかったその後に死んだわけだが?関羽は。関羽を殺さなければという話は外交舐めてんのかって話につきる。最初は捕縛して終わろうとしてたが逃げ出したんだしここで殺さないならただのアホ。魏と蜀しかこの世に存在しないという思考回路だからアシストなんて言葉が出てくる。蜀がなんで漢中攻めれたかというのも呉の存在が味方して出来たわけだ、それを無視して突き進んだ結果だよ。  -- 名無しさん  (2021-09-10 23:47:42)
- 晩年の孫権を見るとなあ・・・。この人も長生きしなくて良かったのかも知れない。  -- 名無しさん  (2021-09-11 00:33:16)
- ↑2 喧嘩口調になりそうだからもうやめるけど。漢中取りで成果出なかったって、そこ言い出したらそもそも荊州取っても何もできない呉の立場で言えることじゃないよ。  -- 名無し  (2021-09-11 08:51:44)
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