&font(#6495ED){登録日}:2011/11/13(日) 13:42:26 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 7 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- 中日ドラゴンズとは、愛知県名古屋市に本拠地を置くセントラルリーグ所属の[[プロ野球]]チームである。 1軍本拠地はナゴヤドーム、2軍本拠地はナゴヤ球場。 応援歌は「燃えよドラゴンズ」だが、シーズンごとに歌詞が一部固定で少しずつ変わる。 マスコットはシャオロンとパオロン、そしてあのフリーダムすぎる[[ドアラ]]。 ▼チームの特徴 采配とスカウトには定評があり、育成も上手。 たまにディンゴ、[[セサル]]、李のような一部のネタ外人を引くこともあるが、他球団からお払い箱になった選手を受け入れ、上手く活躍させる。 野手陣は荒木、井端らを筆頭に、打線は小粒だが個々の守備能力が高く、守りからリズムを作る。 一方投手陣は他球団に比べて育成や補強に力を入れており、「投手王国」とも呼ばれる。 相手の隙を見逃さない、試合巧者的な面が目立つチームである。 接戦には滅法強い。 しかしかつては狭いナゴヤ球場で相手を打ち負かす打撃をウリとしたチームであり、恐竜打線とは当時の名残。 2位になった回数が12球団で一番多いため&font(#ff0000){「もう2位はいらない」}とファンから言われている 総合的に見て戦力バランスはよく、セントラルリーグのAクラスの常連となっている。 優勝経験はそれなりにあるが、機会の割りに日本一にはなかなかなれず2回のみ(1954年・2007年) ▼歴史 ・発足 1936年に名古屋軍の名称でチームが誕生。 1947年には中部日本ドラゴンズになり、それから7年の間に細かいチーム名変更はあったが「ドラゴンズ」の名は変わらず残っており、 1954年に中日ドラゴンズとなって今に至る。 1950年にセントラルリーグに加盟。 その四年後1954年に初の優勝と日本一に輝く快挙。 50年代は本拠地の球場のハプニングが相次いでいた。 試合中に火災で全焼したり、伊勢湾台風によって球場が水没するなど散々なことになっている。 60年代も奮闘するものの、なかなか読売ジャイアンツを越えられずAクラスではあるが2位や3位と、もどかしい年が続いた。 落合博満が就任して以降は2004〜2011年まで全てAクラス入りを果たす強豪チームとなっている。 しかし、2013年にBクラスになり連続Aクラスは11年で途切れることに。 2014年度もBクラスでシーズンを終え、早急の戦力強化が望まれている。 ▼OB・スタッフなど ・[[落合博満]] 言わずと知れたオレ流監督(〜2011年)兼ガノタ。実績は項目参照。 癖が強いせいからか地元でも賛否両論だった。 現在はGMの職に就いている。 ・高木守道 二代目ミスタードラゴンズ、そして2012年度からの新監督(二期目)。 一期目にはあの10.8決戦時の監督だった。 「普通です。」 どうでもいいが[[この人>ゴーカイブルー/ジョー・ギブケン]]のモデル。 権藤コーチとの確執もあり、2013年に監督を退任(元々二年間指揮を執ることになっていた)。 ・谷繁元信 投手陣を支えるベテラン捕手で、かつては横浜に在籍していた。FBFBB 2014年から選手兼任監督となる。 ・宇野勝 &font(#ff0000){ヘディング事件}で有名となった名物選手。あの事件により珍プレー好プレー大賞が作られたとか… バッティングは素晴らしく本塁打王を獲得したこともある。…遊撃手なのにである。 ロッテに移籍するが中日在籍時の本塁打数は歴代一位である。…遊撃手なのにである。 ちなみに上記の事件は有名だが、足の速さを生かした守備範囲の広さ、肩も強く送球面でも劣ってはいない。 要するに下手ではないのだが一個のミスがデカいってこと。ただ結構トンネルをしでかしてるけどね! また、長打を放った際、高い走力から前走者を追い越してアウトになるというチョンボをしでかしたことがある。 ▼近年の主な選手 ・[[川上憲伸]] 2002年にノーヒットノーランを達成し、2004年には沢村賞を受賞する等名実ともに日本球界を代表する投手となったが、 メジャー移籍後はドラゴンズ時代からの右肩痛に悩まされる。 また、投手とは思えない打力の持ち主。 2012年にチーム復帰。 ・吉見一起 中日のエース。 2011年度は最優秀防御率を達成。 故障により長期離脱中。 ・岩瀬仁紀 中日ドラゴンズ不動の守護神。 通算セーブ数記録の歴代1位で、尚も記録更新中。 キレのある高速スライダーが武器で、クラッシャー星野仙一の時代を生き延びた選手の一人。 ・森野将彦 遅咲きの三塁手。 打撃開花でチームの中軸選手に成長した。 ・荒木雅博 広い守備範囲と俊足がウリで長く一番打者を勤める。 ・和田一浩 打力も頭も輝く男。 小さい頃からの憧れという理由だけでFAを行使して来た、ある種中日ファンの鑑。 NARUTOの敵役に適役 ・[[浅尾拓也]] イケメン兼セットアッパー。介護士。 華奢な体から投げ出される快速ストレートや落差のあるフォークはかなーりえげつない。 2011年は&font(#ff0000){79試合に登板して防御率0.41}ともはや化け物じみた抜群の安定感を見せた。 しかし故障により、長期離脱中である。 ・平田良介 高校時代は甲子園で1試合3本塁打を放つなど非常に注目された選手。当時の監督いわく「練習じゃ全然打たないのに試合になると一番期待できる」。 中日の主砲としての活躍が期待されている。 ・堂上直倫 打撃はまだ荒いところがあるものの守備は堅実なプレーで確実性がある。 ちなみに兄弟で兄が剛裕、弟が直倫。父親もドラゴンズで14年間投手を勤めた。 兄が戦力外通告を喰らった現在、いくら堅守といえ打撃の強化が急務である。 ・大島洋平 センター大島(守備位置的な意味で) 中日屈指の外野手。広い守備範囲と強肩、そして安打製造機と言うべきバットコントロールを誇る。 ・高橋周平 期待の大物ルーキー。 高いバッティングセンスを誇る未来の主砲候補。 まだ荒い守備面が課題か。 ・エクトル・ルナ 現中日の四番に座る助っ人外人。 ブランコほどの長打力はないが、その分驚異的な打率を誇る。 若干スペ体質なのがネック。 ・小笠原道大 代打の切り札で尾張の侍。2014年度からFAで中日に移籍。 ・大野雄大 吉見が長期離脱している中、現中日のエース代理として頑張る左腕。 2013年度に自身初の二桁勝利に到達。2014年度は2年連続の二桁勝利+貯金を増やすなど着実にエースへの階段を登る。 ・又吉克樹 通称ごま油又吉。入団一年目にして中継ぎのエースとして欠かせない存在になる。 サイドスローから来る最速151km/hのストレートとキレのあるスライダーで三振を量産する。 ・福谷浩司 渾名は福やん。最速157km/hの直球が魅力のセットアッパー。 慶應義塾大学卒業で、監督に「学者が野球をやっているイメージ」と言わしめた文武両道の秀才。 しかし投球スタイルは速球でグイグイいくタイプなので、「恵まれた頭脳から嘘みたいな脳筋投球」と言われることも。 ・濱田達郎 未来のエース候補にして、高校BIG3の1人。 2013年はフォーム改善に苦しめられたが、2014年に6安打11奪三振の初完封勝利を挙げる。 怪我によりシーズン終盤は離脱するが、今後が期待される逸材である。 ・山本昌広 登録名は山本昌。大ベテラン。球界のシーラカンス。&font(#ff0000){本業はラジコンとクワガタ育成}、&font(#0000ff){野球は副業}、などと言われる事も。 入団当初は恵まれた体格からは想像も出来ないようなガッカリな選手だったがアメリカ留学で覚醒。 数々のタイトルを獲得し、数々の最年長記録も持つ名投手。2006年にはノーヒットノーランを達成している。 あまりに衰えが見られない働きぶりのせいか、 立浪が監督、岩瀬が投手コーチとなっているのに「ピッチャー、山本昌に代わりまして…」というコピペネタにまでされる始末。 2011年シーズンは出番が無かったが… 2012年は開幕から好投を続け4月30日において通算212勝目を挙げ、大投手・杉下茂の持つ最多球団勝利数を更新。 ・山井大介 年に数度の神ピッチ(通称:神井、最たる例がかの日シリ)と炎上癖(通称:病)と安定感を持つリリーフという側面を持ち合わせたサングラスが似合うお方。 追記、修正をお願いします #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,1) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - 移籍したのはそのままでいいの?? -- 名無しさん (2014-06-14 19:47:58) - シュウヘイ… -- 名無しさん (2015-07-26 20:53:31) #comment #areaedit(end) }