アルバート・プーホールズ

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アルバート・プーホールズ - (2015/08/22 (土) 07:29:27) のソース

&font(#6495ED){登録日}:2010/01/13(水) 13:37:01
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Albert Pujols


アメリカのメジャーリーグ球団ロサンゼルス・エンゼルスに所属する野球選手。
ドミニカ出身の31歳。ポジションは一塁手。右投げ右打ち。背番号5


日本ではプーホールズ、プーホルス、プホルス等の呼ばれ方が一般的だが、アメリカではプーホウルズ(Poo-holes)と発音されている。


[[イチロー]]と同じ2001年にメジャーデビューし、イチローがア・リーグの新人王を獲得したのと同じくナ・リーグの同賞を獲得する。


5年間で3度のMVPを獲得しており、デビュー以来&font(#ff0000){9年連続で3割30本100打点OPS9割5分以上}(打率は内1度を除いて3割2分以上、40本塁打以上が5度、OPS10割以上が7度)をマークし、メジャー史上最強打者との呼び声も高い。
米国でイチローの10年連続200本安打への関心が低いのはこれが原因のひとつ。

現役通算打率でも2位のイチローの3割3分3厘を越え3割3分4厘でメジャー2年目以降トップに君臨し続けており、メジャー1年目以降は70三振すら喫したことはない。
 

また打撃だけでなく、守備でも2006年にゴールドグラブを獲得している。一塁手だとあまり重要視されないが肩が良くリリースが素早い。左右どちら側に動いても足の運びが非常に俊敏でグラブさばきも柔らかい。守備範囲の広さを表すレンジファクターや+/-システムではメジャーの一塁手でトップの数字を残し続けている。
通算でも過去10年間で5000イニング以上守った選手の中でも最高のゾーンレイティング(守備範囲内守備率).895を記録している。
2009年には補殺数のメジャー新記録を樹立した。


さらに打席から一塁への到達平均は4.4秒(右打者の平均は4.3秒)と足がずば抜けて速いわけでないものの、投手の動きを読み、リードをとるのが非常にうまいため走塁・盗塁技術も素晴らしく、2009年は二桁盗塁を記録している。

走塁技術の高さは二塁打の多さにも表れており、2009年はメジャー歴代タイ記録となる3度目の40本塁打・40二塁打を記録した。

選球眼も素晴らしく、9年間で811四球に対し570三振しかしておらず、2年目以降の8年間すべてで四球が三振を上回っている。
 
毎年30本以上のホームランを放ち、2009年度は本塁打王に輝いているが、本人曰く自分は中距離バッターだと認識しているとのこと。


独特なバッティングフォームをしており、打席では大きく足を開いてスタンスを取りつつ若干腰を落とす。
スイングの際はステップやテイクバックを全く取らず、ほとんどストライドを広げない。
これによりボールを見る時間が長くなるので悪球を打つことが殆どなく余裕も生まれ、フォロースルーで卓越した腕の伸びを得るため打球の飛距離が伸び、さらには広角に打ち分けることもできる。
しかしこれは、スイングスピードが並外れて速いからできる技術であり、普通はタイミングを合わせるどころかまともに当てることすら難しい。

チームメイトだった田口壮(オリックス)も、あのバッティングフォームは彼にしか出来ないと発言している。
アメリカのスポーツ紙でもそのスイングは理想の体現と評され、まさに&font(#ff0000){パワーがありすぎるアベレージヒッター。}
 

この様に抜群の打撃力を誇り、打撃三部門の各タイトルをそれぞれ獲得していることから三冠王に一番近い男との異名を持つが、毎年各部門で驚異的な成績を残すライバル(最近だとハンリー・ラミレス、プリンス・フィルダー、ライアン・ハワード等)が出現する為、未だに三冠王には手が届いていない。


・様々な疑惑について
やはりこれだけの成績を収めている事、同じドミニカ国籍の選手にマニー・ラミレスやアレックス・ロドリゲス等、ステロイド使用者が多いことから毎年薬物疑惑が持ち上がる。
しかし今の所リーグの薬物チェックには一度も引っ掛かっておらず、本人もこれで足りないなら毎日でも薬物チェックを受け、もし薬物が検出されたら今まで稼いだ年俸を全額返金する等と発言している。

また31歳の割りにはやけに老けて見える事から年齢詐称疑惑も浮上しているが、裏付けはない。
 


ドミニカで生まれたが後にアメリカに移住し、ミズーリで育った。
市民権は持っていなかったが、2007年の開幕前に取得。取得のための試験は全問正解のパーフェクトでパスしたという。


2000年に結婚したディドラ夫人の連れ子である女の子がダウン症であることから、自身のユニフォームにちなんだ2005年5月5日に「プーホールス・ファミリー基金」というダウン症に関する基金を設立したり、祖国ドミニカで貧困にあえぐ人たちの援助をする等、慈善活動にも非常に熱心である。


そのディドラ夫人との純愛ストーリーはセントルイス界隈では有名で、カンザスシティのサルサクラブで知り合い、彼女を支えるため19歳で結婚してからマイナーでプロ生活をスタートさせた。
しかし最初は週給が126ドルしかなくマカロニ料理ばかり食べていたが、ディドラ夫人はたいへん料理上手だったため飽きることはなかったという。

ディドラ夫人は夫の成功にともないテレビや雑誌に登場する機会が増え、「プーホールス家のキッチン」という料理ビデオまで出した。
 

・2011年12月7日にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムと10年総額約2億5400万ドル、出来高を含めると最大で2億8000万ドルの大型契約で移籍。

ダルビッシュ有との対戦も期待されたが・・・・

&font(#ff0000){以後[[なんJ>なんでも実況J]]スレネタも含みます。}

移籍初年度から大不振で&font(#0000ff){4月は本塁打0}に終わり、早くも終身名誉死刑囚化の声も上がっていた。(※死刑囚とは巨額の大型契約を結んだにも関わらず見合った成績を残せない選手でファンに与えた失望が大きいと終身名誉死刑囚と言われる。)
5月になりようやく本塁打が出たが打率2割を切る大不振で{&font(#0000ff){「もう最強打者じゃなくなった」、本当は35,6歳なのでは?という年齢詐称疑惑や「【悲報】アルバート・プホルス終身名誉死刑囚誕生」など言われ始める。」}
最終的にデビューから12年連続となる30本塁打、2年ぶり11度目の100打点も達成するが本塁打が自己最少、OPSは12年目で初めて.900を切りとても期待された数字とは言えなかった。

迎えた2年目は左足に不安を抱えたまま開幕をから試合に出場し続けるが前年同様に打撃不振に苦しみ、かばっていた怪我が悪化。
7月28日に左足裏筋膜部分断裂で故障者リスト入りし、8月の下旬ににシーズン中の復帰が不可能となり12年続いていた30本塁打も途絶え打率.254 17本塁打 64打点 OPS.767と自己最低の成績に終わる。
なんJでは&font(#0000ff){死刑囚認定}されミゲル・カブレラが三冠王を獲得したこともあり一気にプホルスの株は下がってしまった。

なお、今現在はリハビリも順調で99.9%健康とのことだがはたして来季はどうなることやら・・・・・




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- 三冠王に一番近いと言われながら結局三冠王をミゲルに穫られちゃうという‥  -- 名無しさん  (2013-09-10 00:03:34)
- そもそも最早こいつは長期契約結んで慢心して成績落としてるからもう最強打者じゃねーよ &br()さっさと編集やりなおせ  -- 名無しさん  (2013-09-10 00:53:24)
- ↑何様だよ自分でやれカス  -- 名無しさん  (2013-09-10 21:09:30)
- 下手したら打撃の通算成績の殆どをミゲレラに上回られちゃうんじゃないかって感じになってきたな。打率はもう抜かれた?  -- 名無しさん  (2014-06-12 17:11:24)
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