練馬一家5人殺害事件

登録日:2010/03/28 Sun 00:01:02
更新日:2025/04/05 Sat 23:15:12
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「自分は正常です。一貫して、心境に変化はありません。白井の奴は、骨まで粉々にしてやりたかった。
 妻と子供を殺したのは、かわいそうだったと思います」


「練馬一家5人殺害事件」とは、1983(昭和58)年6月27日に東京都練馬区大泉学園町で起こった事件。

競売物件取引のトラブルから、不動産鑑定士・朝倉幸治郎(48)によって一家5人が殺害された。


【事件概要】

【事件に至る経緯】

1983年2月に朝倉は鑑定士認可後の初仕事として、事件現場になった競売物件を1億数千万円で落札した。
落札資金は自分の資産を担保に入れ、また銀行からの借入金でまかなった。
その為、金利負担が月120万円近くになった。

同年4月に不動産業者に6月30日を引き渡し期限として、当該物件を1億2950万円で転売する。
この時に不動産業者から内金1500万円を受け取る。
期限内に引き渡さなければ、朝倉は内金の倍額の違約金を不動産業者側に支払わなければならない。

さっそく朝倉は、当該物件に住む白井明(45)一家を相手に立ち退き交渉をはじめた。
しかし白井は様々な理由をつけて立ち退きを渋り、さらには立ち退き料3000万円(相場は500万円程度)を要求した。
また白井夫妻は朝倉に対して罵倒したり、誠意のない対応をする。

実は旧地権者は白井の妻の父親で、当該物件は父親の借金返済の為に競売にかけられたのだが、不動産取引に精通する父親は白井に立退料の吊り上げを要請していた。
父親はその金で、新しい事業を起こすつもりだったらしい。

これらの事情から、白井一家は当該物件の占有を続けていたのだった。


焦る朝倉は白井相手に立ち退き要求の裁判を起こすが、白井は「裁判を取り下げれば立ち退く」と言って朝倉に裁判を取り下げさせた。

しかしそれはただの引き伸ばし工作であり、白井一家は裁判取り下げ後も引っ越しせず、逆に朝倉は白井の息のかかったヤクザ(これは心因反応による妄想症状)に脅された為、精神的に追い詰められた朝倉は白井一家の殺害を決意する。

【発生当日】

同年6月27日に朝倉は明渡交渉に行くといって背広姿で家を出た後、自分の妻が出たのと見計らって家に戻って犯行のための道具を揃えていた。
その時の姿はトレーニングウェアにジョギングスーツと動きやすいもので、その後事前に用意していたマンションで荷物の整えてから白井宅へと向かう。

その後、三女が帰ってきたのを見計らい、白井宅に完全に人が集まる前にと行動を開始。立退き交渉と称して訪れる。
殺害に至る前の最後の望みとして今一度催促したが、白井宅の妻は「自分にはわからない」と返答。これを最後通告の無視と見なした朝倉は殺害を開始。

妻(41歳)を玄能の柄が折れるほど念入りに撲殺、逃げる母を追ってきて泣き喚いた次男(1歳)を別の玄能で撲殺、一連の凶行を見て放心状態となった三女(6歳)を絞殺。
三人の遺体を血抜きや解体処理を行っている最中に何も知らない次女(9歳)が帰宅。長女が遠足(林間学校)で帰らないという情報を得てから絞殺。
最後に事情を知らず帰ってきた一家の長・白井明(45歳)を迎え入れ、恨み言を散々吐き散らしてから、明のみぞおちを殴って怯ませてから隠し持っていたマサカリで切りつけて殺害する。
逃げようとした白井の妻の顔は原形をとどめないほどぐちゃぐちゃに潰されていた。

そして朝倉は浴室で用意した骨すき包丁や肉ミンチ器、ノコギリで家族全員の遺体をバラバラに解体した。
バラバラにした遺体は富士山麓に遺棄するつもりだった。
しかし深夜も間近となっていたことから、水音で怪しまれることを危惧して遺体の処理を途中で中断し、朝を待ってから車を運び込んで新たな機材を持ち込み、さらに解体しようとしていた。
だが流石に疲労からか朝になる頃には疲れてしまい、夕方までに少しずつ解体しようと切り替え、休み休み作業を行うこととなった。

翌朝、電話が通じない事を不審に思った白井の義母が近所の人に確認を要請。不在だと怪しまれると思った朝倉はこれに応じ、イチノセを名乗り、「この家の人間は昨日越した」と嘘を付いた。
立ち退きで揉めていたことを知っていた義母は、この報告を聞き「何かあったのでは」と警察に通報。
白井宅に警官が親戚を装って尋ねるが、応答なし。それに気づいた朝倉は裏口から逃亡しようとしたが、それに気づいた警官に先回りされる。
事情を聞くと朝倉がその場で犯行を自供。家の中の惨状が発覚した朝倉は、その場で緊急逮捕された。

朝倉は1985年に東京地裁で死刑判決、1990年の東京高裁で控訴棄却、1996年に最高裁で上告棄却されて死刑が確定。
朝倉は「すっきりした」という一方で「妻や子供を手に掛けたことは気が咎める」と語ったという。
ただし白井妻については後に「自分を馬鹿にした態度が一番気に入らなかった」ともしている。
2001年12月27日に死刑執行された。


【その後】
白井一家のうち、長女(10歳)は林間学校に参加していた為に被害を免れた。事件を受けて途中でバスを降ろされ、「一家は交通事故で死んだ」と伝えられたが、いずれ知られることだとして残忍な犯行だけ伏せて真実を伝えたという。
長女は住職を務める叔父の元に養子として引き取られて、学校も転校した。中学の頃には裁判も傍聴したが、次第に事件のことを忘れるようになっていった。
しかし長女は早く独立したがり、若くして結婚して子供を儲けた。最後の傍聴も本当ならばいく予定だったが、育児で忙しく足を運ぶことはなかった。

事件現場となった白井宅は、事件当時報道カメラが潜入スクープとして入り込んだことがある。
そして実際に遺体を解体した風呂場へとカメラが踏み込んでいる。流石に清掃作業が終了した後だったが、現場は異様な雰囲気に包まれていた.
当時は現場周辺には木が生い茂っていた。(上の報道でも木々が生い茂る私道を進んだ先に邸宅があったことが伺える映像が見受けられる)
事件後は土地を巡って争いが起こり、その後は駐車場となっていた。が、それも現在はなくなり今は再び家が建つようになったという。

現在でこそ事件の真相が明らかになり、ネット等を通じて一般にも知られた事もあり、占有屋の被害者としての目線で犯人側に同情の声も寄せられている。
が、事件発生当時は猟奇殺人と不動産トラブルという点だけがセンセーショナルに報じられ、世間一般のバッシングに晒され、また不動産トラブルという事で不動産関係者の中には、肩身の狭い思いを当時感じた人もいたそうである。
現在の目線でも、子供を複数手にかけたことから、同情的に見ない声も勿論ある。今回の件は子供に罪はないどころか、完全に大人同士のいざこざに巻き込まれただけなのである。
しかも犯行の供述を見るに、母親の殺害を目の当たりにして放心し、そのまま殺害された三女の心境を思えば…。

では白井家に非がないかと言えば、占有屋をやらせた妻の父親の独善的なそれがあるため、白井家に同情しきれないのがこの事件の悲しいところである。


【その他】
  • 白井一家の居座りは違法であり、法的手段で立ち退かせる事は可能であったが、司法で解決するには長期化する事が多かった。
    • それにこういう物件の場合、ベテランの鑑定士ならすぐに手を引くのが一般的であったが、朝倉は鑑定士になって日が浅い為にこんな事件を引き起こしてしまった。
  • 一家には長男がいたが、事件前に先天性の奇病で死亡している。
  • 一家では前日に次女、事件当日は妻の誕生日で、この日も誕生日会が開かれる予定だった。
  • 野沢尚「深紅」、宮部みゆき「理由」、小野不由美「ゴーストハント 悪夢の棲む家」等の小説の題材になっている。


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