文字(もじ) 英writing, 仏écriture, 独Schrift
『言語学大辞典術語』
文字はまた,単に字ともいう.中国では,六書のいわゆる「象形」や「指事」のような具象的,原初的な文字を文といい,「形声」や「会意」のような文字を字といって区別する場合もある.なお,古くは「書」ともいった.また,中国では,その文字が表語文字であって,原則として1字が1語に対応するため,語のことを字とよぶことが普通であった.近頃では,「詞」という言葉で語を表わすようになっている.中国で「語」というときは,「言語」の意味である.日本では,字はしばしば文字と同義に用いるが,文字全体には「文字」を用い,個々の文字(letter)には「字」を使って区別することがある.この区別は術語として使うときに便利である.そして,この意味での字は集まって1つの文字体系(writing system)をなす.日本のアカサタナやイロハは日本の文字体系の呼び名である.いわゆる「五十音図」は,その体系的表示である.
文字はまた,単に字ともいう.中国では,六書のいわゆる「象形」や「指事」のような具象的,原初的な文字を文といい,「形声」や「会意」のような文字を字といって区別する場合もある.なお,古くは「書」ともいった.また,中国では,その文字が表語文字であって,原則として1字が1語に対応するため,語のことを字とよぶことが普通であった.近頃では,「詞」という言葉で語を表わすようになっている.中国で「語」というときは,「言語」の意味である.日本では,字はしばしば文字と同義に用いるが,文字全体には「文字」を用い,個々の文字(letter)には「字」を使って区別することがある.この区別は術語として使うときに便利である.そして,この意味での字は集まって1つの文字体系(writing system)をなす.日本のアカサタナやイロハは日本の文字体系の呼び名である.いわゆる「五十音図」は,その体系的表示である.
文字は,視覚形象による言語記号である.したがって,文字は,当然,言語学の対象になる.文字を言語学的に考察しようとする場合,まず,文字の言語的機能について考える必要がある.文字には,言語的機能のほかに,装飾的な機能もある.文字は,古代においては,帝王の権力を誇示するために使われた.エジプトのファラオ,アッシリアの大王,そして中国の皇帝は,文字の装飾性を利用して描かれた銘文をもつ巨大な記念碑を建てた.また,文字の美的形態は,文字の芸術,すなわち書道を生み出した.しかし,文字の基本的機能は,やはり言語伝達の機能である.
[音声から文字へ]
悠久の昔に,人類は視覚形象をもって音声の言語をウツス(移→写)ことを思いつき,そこに文字の萌芽が生じた.それは,人類の偉大な発明の一つであった.しかし,それは大きな冒険であった.なぜなら,それは感覚の違いを跳びこえる試みであったからである.すなわち,もっぱら聴覚に訴える音声からなる言語が,聴覚とはまったく性質を異にする視覚に訴える文字によって表わされるようになったのである.聴覚の印象の特徴が,時間的に先後して一次元的に展開するところにあるのに対し,視覚の方は,空間的に三次元的あるいは二次元的に構成される特徴がある.前者は連続して流れていくが,後者は部分に区分されて意識される.このようなはなはだしい相違を乗りこえる言語の文字化は,必然的にいろいろな問題を含んでいる.
悠久の昔に,人類は視覚形象をもって音声の言語をウツス(移→写)ことを思いつき,そこに文字の萌芽が生じた.それは,人類の偉大な発明の一つであった.しかし,それは大きな冒険であった.なぜなら,それは感覚の違いを跳びこえる試みであったからである.すなわち,もっぱら聴覚に訴える音声からなる言語が,聴覚とはまったく性質を異にする視覚に訴える文字によって表わされるようになったのである.聴覚の印象の特徴が,時間的に先後して一次元的に展開するところにあるのに対し,視覚の方は,空間的に三次元的あるいは二次元的に構成される特徴がある.前者は連続して流れていくが,後者は部分に区分されて意識される.このようなはなはだしい相違を乗りこえる言語の文字化は,必然的にいろいろな問題を含んでいる.
[文字の配列]
まず,文字の配列の問題がある.縦書きにしろ,横書きにしろ,あるいはその他の書き方にしろ(たとえば,「ファイストス円盤(Phaistos Disk)」のように円形に字を並べる円環式(Phaistos writing)や,古代ギリシアや古代イタリアに見られ心いる「牛耕式また犂耕式(boustrophedon writing)」のように牛が犂を引いて畑を耕すように左から右,それから右から左へというような書き方),個々の文字は,前後の順序で一次元的に配置される.この配列の仕方は,文字による言語はやはり音声による言語に基づいて作られ,その意味において,文字は二次的な言語であることを示すものである.視覚では,少なくとも二次元的な平面の上で左右に並置させることが可能であるにもかかわらず,文字が一次元的に展開されるのは,聴覚に訴える音声言語の線状性(linearity)を踏襲しているからである.世界のどこにも,文字言語が音声言語よりも先にあったためしはない.文化がある段階に進んだところで,音声言語の上に文字言語が構築されるのである.
まず,文字の配列の問題がある.縦書きにしろ,横書きにしろ,あるいはその他の書き方にしろ(たとえば,「ファイストス円盤(Phaistos Disk)」のように円形に字を並べる円環式(Phaistos writing)や,古代ギリシアや古代イタリアに見られ心いる「牛耕式また犂耕式(boustrophedon writing)」のように牛が犂を引いて畑を耕すように左から右,それから右から左へというような書き方),個々の文字は,前後の順序で一次元的に配置される.この配列の仕方は,文字による言語はやはり音声による言語に基づいて作られ,その意味において,文字は二次的な言語であることを示すものである.視覚では,少なくとも二次元的な平面の上で左右に並置させることが可能であるにもかかわらず,文字が一次元的に展開されるのは,聴覚に訴える音声言語の線状性(linearity)を踏襲しているからである.世界のどこにも,文字言語が音声言語よりも先にあったためしはない.文化がある段階に進んだところで,音声言語の上に文字言語が構築されるのである.
[間接的伝達とその道具]
音声は,瞬間,瞬間に消えていく.その後には,聴覚印象のはかない残像を残すのみである.この音声による言語は,したがって,直接的伝達には向いているものの,後には何も残らないので,同じ場面に参加していない者の間の伝達には適さない.このような間接的伝達に,文字は有効である.それは,文字は,音声のようにたちまちにして雲散霧消するものではないからである.その代わり,文字による伝達には道具が必要である.音声言語の場合は,もって生まれた口をあけたてし,舌を動かすだけで音声が発せられるので,たえず伝達道具を携えている必要はないが,文字言語では必ず何か書く物が要求される.そして,その書く物の材質によって,その寿命に大きな差がでてくるが,しかし,いかに脆い材質の物でも,ある程度の恒久性はある.それが石であるとか,金属であるときは,場合によっては,1千年,2千年といった非常に長い年月にわたって保存されることがある.われわれが,中国やエジプト,あるいはオリエントの古代史を知ることができるのは,そのような堅固な材質の道具の恒久性によるのである.このように,伝達道具の恒久性に基づく文字言語は,距離的にも時間的にも遠隔の人間どうしの間の間接伝達を可能にする.人類が,音声による直接的伝連だけでその社会生活を維持できた間は,文字は生まれなかった.しかし,社会が漸次複雑化してくると,どうしても間接的伝達が必要となってきて,そこで文字が創造された.文字の発明と文明の誕生は,密接な関係をもつといわれるゆえんである.現代の高度の文化水準をもつ社会では,音声による直接的伝達と文字による間接的伝達とを巧みに組み合わせて,複雑な情報世界をつくり上げている.そして,音声と文字はあい補いつつ,それぞれあい異なる社会的機能を果たしているのである.
音声は,瞬間,瞬間に消えていく.その後には,聴覚印象のはかない残像を残すのみである.この音声による言語は,したがって,直接的伝達には向いているものの,後には何も残らないので,同じ場面に参加していない者の間の伝達には適さない.このような間接的伝達に,文字は有効である.それは,文字は,音声のようにたちまちにして雲散霧消するものではないからである.その代わり,文字による伝達には道具が必要である.音声言語の場合は,もって生まれた口をあけたてし,舌を動かすだけで音声が発せられるので,たえず伝達道具を携えている必要はないが,文字言語では必ず何か書く物が要求される.そして,その書く物の材質によって,その寿命に大きな差がでてくるが,しかし,いかに脆い材質の物でも,ある程度の恒久性はある.それが石であるとか,金属であるときは,場合によっては,1千年,2千年といった非常に長い年月にわたって保存されることがある.われわれが,中国やエジプト,あるいはオリエントの古代史を知ることができるのは,そのような堅固な材質の道具の恒久性によるのである.このように,伝達道具の恒久性に基づく文字言語は,距離的にも時間的にも遠隔の人間どうしの間の間接伝達を可能にする.人類が,音声による直接的伝連だけでその社会生活を維持できた間は,文字は生まれなかった.しかし,社会が漸次複雑化してくると,どうしても間接的伝達が必要となってきて,そこで文字が創造された.文字の発明と文明の誕生は,密接な関係をもつといわれるゆえんである.現代の高度の文化水準をもつ社会では,音声による直接的伝達と文字による間接的伝達とを巧みに組み合わせて,複雑な情報世界をつくり上げている.そして,音声と文字はあい補いつつ,それぞれあい異なる社会的機能を果たしているのである.
[表語文字と表音文字]
音声による言語を文字にうつしかえる文字化の過程の中では,しかじかの音声を単に機械的にそれぞれの文字に写すだけではすまされないことが起こる.極端にいえば,ある変質が起こる.というのは,音声言語は線状的に連続して流れるが,文字となる視覚形象は区分をもって非連続的に表象されるという感覚の差異があるからである.そこで,文字化に際しては,音声の連続体をある単位に分割して示す必要が起こってくる.そして,その単位が,個々の文字である.
音声による言語を文字にうつしかえる文字化の過程の中では,しかじかの音声を単に機械的にそれぞれの文字に写すだけではすまされないことが起こる.極端にいえば,ある変質が起こる.というのは,音声言語は線状的に連続して流れるが,文字となる視覚形象は区分をもって非連続的に表象されるという感覚の差異があるからである.そこで,文字化に際しては,音声の連続体をある単位に分割して示す必要が起こってくる.そして,その単位が,個々の文字である.
ある言語の文字化は,その言語を反省することである.その反省の結果,言語はその単位を得る.その単位に相当するものが言語そのものの中に存在すればこそ,単位の抽出が可能なのではあるが,音声の連続体である言語そのものは,常に明確な部分に分けられるとは限らない.ある場合には単位が自明なこともあれば,また,ある場合には単位をどうとるか迷うようなこともある.それはともかく,単位のとり方も,必ずしも一様ではない.すでに,マルティネ(A. Martinet)の指摘しているように,言語は二重分節(double articulation)をするものである.そこで,それを反省して文字化するにも,第一次分節のレベルで単位を設定することもあるし,第二次分節のレベルで単位を設けることもある.前者の結果が表語文字(logogram)であり,後者の結果が表音文字(phonogram)である.そして,表音文字には2種類あって,音節を単位とするものを音節文字(syllabic letters)といい,音素を単位とするものを単音文字,あるいはアルファベット(alphabet)という.日本の仮名は典型的な音節文字である.
このように音声言語を反省・観察して単位を抽出し,それに一定の視覚形象を与えて文字にするわけであるが,その際,文字はもとの音声の姿を忠実に写し出すものではない.というより,忠実に写し出せるものではないのである.音声は,微妙な変化をしつつ連続して展開するものであるから,これをそのまま忠実に文字の上に投影させることは,ほとんど不可能である.いかに精妙にできたアルファベットでも,もとになる音声に比べると,その表音は極めて粗笨なものである.文字が必ずしも精密な表音を必要としないことは,多くの場合,その言語の超分節音素(suprasegmental phoneme)やイントネーション(intonation)を文字に表わさないことによっても知られる.漢字のような文字は,表音性は皆無ではないにしても,極めて効率の悪い表音性しかもっていない.このような事実から,文字の機能は表音にあるのではないことが察せられよう.
[文字の機能・目的――表語]
それならば,文字の本当の機能はどこにあるのであろうか.本来,文字の単位は,言語の第一次分節の単位であった.そのことは,漢字においてもっとも明白にみられる.漢字の一字一字は,原則として,もともと中国語の一語一語を表わすものである.その意味で,漢字は,もっとも完全な表語文字である.したがって,漢字は,第一次分節のレベルにとどまった文字であるといえる.しかし,このような文字は,実用的な伝達記号としては極めて不便である.それは,一つ一つの語がそれぞれ固有の文字をもたなければならないし,そうなると膨大な数の文字を必要とすることになるからである.そこで,すでにかなり古い時代から,エジプトやオリエントでは,既成の表語文字が本来表わした語の意味を捨象して,その音形を表わす表音記号として使うことが始まった.このことは,漢字の場合でも同様で,漢字の伝統的な分類である「六書」の中の仮借がそれである.つまり,当て字である.この文字の表音的方法は,言語の第二次分節のレベルの問題である.この第二次分節のレベルの文字も,漢字や古代オリエントの楔形文字の場合は,表音的には音節が単位であった.ただ,エジプトでは,「エジプトのアルファベット(Egyptian alphabet)」とよばれる単子音文字が,他の種類の子音文字とともに用いられた.もっとも,このアルファベットが,本当に単子音だけを表わしたとはちょっと考えにくいが,現代ではその本当の表音法が分からなくなっていて,あたかも単子音だけを示しているようにみえるのである.おそらく,この「エジプトのアルファベット」が機縁となって,セム人の間で単子音のアルファベットが生まれ,それがフェニキア人を媒介としてギリシアに伝えられ,ここに母音字も作られて,本当のアルファベットが誕生することになった.しかし,エジプトでもオリエントでも,純粋な表音的文字ではなく,より原始的な表語文字を支え,それと混用する文字体系が行なわれた.これを混合文字体系(mixed writing system)という.というよりは, エジプトの「アルファベット」(単子音文字)や二子音文字,三子音文字,あるいは楔形文字の音節文字などの表音的な(意味を捨象した)文字は,もともと原始的な表語文字から仮借によって表音的に用いられたもので,しばしばその元になる表語文字と同時に用いられることがあり,表音的といっても,第一次分節の単位である語の表記を目的とし,その語の音形を示唆するだけのもので,その音形を微に入り細を穿って描写するものではないのである.つまり,あくまで表語(logography)が文字の目的であって,表音(phonography)はその表語の一手段にすぎない.上にも触れたように,厳密にいえば,正確な表音は不可能であるが,文字にあっては,表音はただその表わす語の音形が髣髴できればよいので,精密な表音は不要である.したがって,表音的な文字は言語の第二次分節に関わるにはちがいないが,その第二次分節の表記が目的なのではない.第二次分節の表記には,IPA(国際音声字母)のごとき表音記号か,各国語の音素記号が用いられる.しかし,IPAは文字ではない.
それならば,文字の本当の機能はどこにあるのであろうか.本来,文字の単位は,言語の第一次分節の単位であった.そのことは,漢字においてもっとも明白にみられる.漢字の一字一字は,原則として,もともと中国語の一語一語を表わすものである.その意味で,漢字は,もっとも完全な表語文字である.したがって,漢字は,第一次分節のレベルにとどまった文字であるといえる.しかし,このような文字は,実用的な伝達記号としては極めて不便である.それは,一つ一つの語がそれぞれ固有の文字をもたなければならないし,そうなると膨大な数の文字を必要とすることになるからである.そこで,すでにかなり古い時代から,エジプトやオリエントでは,既成の表語文字が本来表わした語の意味を捨象して,その音形を表わす表音記号として使うことが始まった.このことは,漢字の場合でも同様で,漢字の伝統的な分類である「六書」の中の仮借がそれである.つまり,当て字である.この文字の表音的方法は,言語の第二次分節のレベルの問題である.この第二次分節のレベルの文字も,漢字や古代オリエントの楔形文字の場合は,表音的には音節が単位であった.ただ,エジプトでは,「エジプトのアルファベット(Egyptian alphabet)」とよばれる単子音文字が,他の種類の子音文字とともに用いられた.もっとも,このアルファベットが,本当に単子音だけを表わしたとはちょっと考えにくいが,現代ではその本当の表音法が分からなくなっていて,あたかも単子音だけを示しているようにみえるのである.おそらく,この「エジプトのアルファベット」が機縁となって,セム人の間で単子音のアルファベットが生まれ,それがフェニキア人を媒介としてギリシアに伝えられ,ここに母音字も作られて,本当のアルファベットが誕生することになった.しかし,エジプトでもオリエントでも,純粋な表音的文字ではなく,より原始的な表語文字を支え,それと混用する文字体系が行なわれた.これを混合文字体系(mixed writing system)という.というよりは, エジプトの「アルファベット」(単子音文字)や二子音文字,三子音文字,あるいは楔形文字の音節文字などの表音的な(意味を捨象した)文字は,もともと原始的な表語文字から仮借によって表音的に用いられたもので,しばしばその元になる表語文字と同時に用いられることがあり,表音的といっても,第一次分節の単位である語の表記を目的とし,その語の音形を示唆するだけのもので,その音形を微に入り細を穿って描写するものではないのである.つまり,あくまで表語(logography)が文字の目的であって,表音(phonography)はその表語の一手段にすぎない.上にも触れたように,厳密にいえば,正確な表音は不可能であるが,文字にあっては,表音はただその表わす語の音形が髣髴できればよいので,精密な表音は不要である.したがって,表音的な文字は言語の第二次分節に関わるにはちがいないが,その第二次分節の表記が目的なのではない.第二次分節の表記には,IPA(国際音声字母)のごとき表音記号か,各国語の音素記号が用いられる.しかし,IPAは文字ではない.
古代の表語文字では文字は表語から出発し,表語にとどまった.このことは,しかし,古代の文字だけにいえることではない.すべての文字は,究極の目標は表語にあるといえる.なるほど,エジプト文字の刺激を受けて発生したセム文字の原形は,複雑なエジプト文字体系の中から表語文字的要素をかなぐりすてて,少数の子音文字からなる新しい文字体系=アルファベットを作り出したが,このアルファベットの盛行によっても,文字の表語的機能は根本的には変わっていない.それは,少数の表音文字(letter)の組み合わせ(spelling)で個々の語を表わすことになったからである.いいかえれば,ここでは表音が表語の手段になっているのであって,その表音も上にも述べたように示唆的なものであるにすぎない.
[表語の方法―表意と表音]
さて,文字の根本的機能が表語にあることは上述のとおりであるが,その表語の仕方には表意と表音の2つがある.語は一定の音形をそなえ,一定の意味をもつものであるから,それを表わす文字化の仕方に表意(ideography)と表音があるのは当然である.表意の方は,古代文字の原始的段階でとられた方法で,その文字の表わす語がさす物を,視覚形象(図形)に描くことによってその語を表わした場合にみられる.たとえば,古代エジプトで◎をもって「太陽」を意味する語ͨrͨ を表わしたような場合である.漢字の分類の「六書」でいえば,「象形」がそれに当たる.この象形の方法は,語の意味するものが具象的なときは可能である.それを図形化すればすむからである.しかし,図形化できない意味の語の場合は,この方法はとれない.それでも,数とか場所的な関係などは,これを図形化することが不可能でないこともある.漢字の一・二・三とか,上・下(篆文は,⊥・丅)のような,六書の「指事」による文字がそうである.しかし,このような方法は,常にうまくいくとは限らない.特に,抽象的な観念を示す語の場合は,この図形化の方法は不可能になる.そこで,どの古代文字も,この表意的方法に行き詰まって,表音の道に向かった.その媒介となったのが,いわゆる「仮借」である.それは,既成の表意的表語文字を,その意味を捨象して,その文字が本来表わした語の音形によって,それと同じ,また類似の音形の他の語に借りる方法である.漢字の場合も,同様であった.ただ,漢字の場合は,「形声文字」の原理の発明によって,表音的な文字体系には進まなかった.すなわち,ある語を文字化するのに,まず仮借の原理によってその語の音形と同様の音形を示す既成の文字を借りてきて(これが声符),それにその語の意味の範疇を示す限定符(義符)を加えることによって,その語専用の形声文字を作り上げたのである.この義符の添加は,意味の範疇を示すという意味で,表意的な工夫であるとともに,この添加によって,他の同音または類似の音をもつ語を表わす字との識別が可能になり,その結果,漢字はほとんど完全な表語文字となったのである.エジプトの聖刻文字(hieroglyph)は,漢字のようにはいかなかったが,この文字でも義符は盛んに用いられ,漢字と同様,義符の添加によって表語性を明確にしている.
さて,文字の根本的機能が表語にあることは上述のとおりであるが,その表語の仕方には表意と表音の2つがある.語は一定の音形をそなえ,一定の意味をもつものであるから,それを表わす文字化の仕方に表意(ideography)と表音があるのは当然である.表意の方は,古代文字の原始的段階でとられた方法で,その文字の表わす語がさす物を,視覚形象(図形)に描くことによってその語を表わした場合にみられる.たとえば,古代エジプトで◎をもって「太陽」を意味する語ͨrͨ を表わしたような場合である.漢字の分類の「六書」でいえば,「象形」がそれに当たる.この象形の方法は,語の意味するものが具象的なときは可能である.それを図形化すればすむからである.しかし,図形化できない意味の語の場合は,この方法はとれない.それでも,数とか場所的な関係などは,これを図形化することが不可能でないこともある.漢字の一・二・三とか,上・下(篆文は,⊥・丅)のような,六書の「指事」による文字がそうである.しかし,このような方法は,常にうまくいくとは限らない.特に,抽象的な観念を示す語の場合は,この図形化の方法は不可能になる.そこで,どの古代文字も,この表意的方法に行き詰まって,表音の道に向かった.その媒介となったのが,いわゆる「仮借」である.それは,既成の表意的表語文字を,その意味を捨象して,その文字が本来表わした語の音形によって,それと同じ,また類似の音形の他の語に借りる方法である.漢字の場合も,同様であった.ただ,漢字の場合は,「形声文字」の原理の発明によって,表音的な文字体系には進まなかった.すなわち,ある語を文字化するのに,まず仮借の原理によってその語の音形と同様の音形を示す既成の文字を借りてきて(これが声符),それにその語の意味の範疇を示す限定符(義符)を加えることによって,その語専用の形声文字を作り上げたのである.この義符の添加は,意味の範疇を示すという意味で,表意的な工夫であるとともに,この添加によって,他の同音または類似の音をもつ語を表わす字との識別が可能になり,その結果,漢字はほとんど完全な表語文字となったのである.エジプトの聖刻文字(hieroglyph)は,漢字のようにはいかなかったが,この文字でも義符は盛んに用いられ,漢字と同様,義符の添加によって表語性を明確にしている.
しかし,表意的表語法はどのみち徹底することはできない.というのは,語の意味となる観念は複雑で多岐にわたっているので,これを物のごとくに分解することはできないからである.それよりも,語の音形の分析の方が容易である.そこで,表音的表語法がとられるようになった.表音には,仮名のような音節単位の場合もあれば,アルファベットのような分節音(segment)単位の場合もある.そして,その文字とその文字によって示される言語との間の関係はいろいろである.その文字がその言語に適合(fit)しているものもあれば,その文字があまりその言語にぴったりしないこともある.後者は,特に,外国の文字を借りてその言語を表わす場合によくみられる.一例をあげれば,トルコ共和国がローマ字を採用する以前,アラビア文字でトルコ語を表わした場合などがそうである.
[綴りと発音のずれ]
文字は,音声よりも恒久性がある.文字のこの特性から,文字の表音的表語は,古い時代の表音をそのまま保持することが起こってくる.したがって,ある時期が経って音声の語は変化しても,文字面では昔の音形を伝えることがある.その顕著な例は,英語の綴り(=スペリングspelling)である.たとえば,knight「騎士」は,この綴りができたときは[knixt]のように発音されていたが,音韻の変化によって,今では[nayt]と発音されるようになった.これは綴りの保守性によるものであるが,音韻変化をよそにこの古い綴りを残していることは,文字が表語を目的とし,表音を目指すものでないことを傍証するものである.読みもしないkを残すことによって,たまたま同音語となったnight「夜」との識別を保っている.英字は,アルファベットの一種であるが,一般にアルファベットは,個々の文字ではなく,それがいくつか集まって綴りをなしてはじめて表語の機能を果たすのである.そして,上の例のように,綴りが固定すると,その綴り全体が表語単位となって,その綴りがその語の音形に適合するかどうかを問わなくなる.もっとも,ある時期を隔てて,その音形に適合させるため,綴り字の改正が行なわれることもある.しかし,綴り字の固定は,文字言語の伝承に深く関わりあっているので,容易には行なわれない.また,綴り字に際して,多少人為的な技巧を凝らすこともある.フランス語の現在の綴り字には,その祖先であるラテン語の綴りを不自然にとり入れている点が少なくない.たとえば,動詞の3人称・複数の語尾に,発音されない-ntを書くなどがそれである.ils aiment「彼らは愛する」は,ラテン語のamantを模したものである.この綴り字と実際の発音の乖離は,英語の綴り字にそのはなはだしい例をみるが,アイルランド語やスコットランドのゲール語ではいっそう激しい.
文字は,音声よりも恒久性がある.文字のこの特性から,文字の表音的表語は,古い時代の表音をそのまま保持することが起こってくる.したがって,ある時期が経って音声の語は変化しても,文字面では昔の音形を伝えることがある.その顕著な例は,英語の綴り(=スペリングspelling)である.たとえば,knight「騎士」は,この綴りができたときは[knixt]のように発音されていたが,音韻の変化によって,今では[nayt]と発音されるようになった.これは綴りの保守性によるものであるが,音韻変化をよそにこの古い綴りを残していることは,文字が表語を目的とし,表音を目指すものでないことを傍証するものである.読みもしないkを残すことによって,たまたま同音語となったnight「夜」との識別を保っている.英字は,アルファベットの一種であるが,一般にアルファベットは,個々の文字ではなく,それがいくつか集まって綴りをなしてはじめて表語の機能を果たすのである.そして,上の例のように,綴りが固定すると,その綴り全体が表語単位となって,その綴りがその語の音形に適合するかどうかを問わなくなる.もっとも,ある時期を隔てて,その音形に適合させるため,綴り字の改正が行なわれることもある.しかし,綴り字の固定は,文字言語の伝承に深く関わりあっているので,容易には行なわれない.また,綴り字に際して,多少人為的な技巧を凝らすこともある.フランス語の現在の綴り字には,その祖先であるラテン語の綴りを不自然にとり入れている点が少なくない.たとえば,動詞の3人称・複数の語尾に,発音されない-ntを書くなどがそれである.ils aiment「彼らは愛する」は,ラテン語のamantを模したものである.この綴り字と実際の発音の乖離は,英語の綴り字にそのはなはだしい例をみるが,アイルランド語やスコットランドのゲール語ではいっそう激しい.
[日本語の表語方法]
日本語の文字による表語は複雑である.普通の漢字仮名まじり文では,実質的な意味をもつ部分に漢字を使い,形式的,文法的な要素に仮名を用いることを原則とする.もちろん,例外はいろいろあるが,この原則は,画の多い漢字と画の少ない仮名とのコントラストによって,表語法としてはかなり効果的である.それは,漢字ばかり使う中国の表語で,実辞も虚辞も同じ型の文字を用いているのと比較すればよく分かる.日本語のこの原則は,もともと漢字を主体とし,仮名はそのいわゆる送り仮名として補助的に使ったところから発したものであるが,次第に仮名が昇格して,漢字と同じ資格を得るようになったのである.しかし,今でもなお,送り仮名的表語法は残っている.特に,用言の場合,その語幹に漢字をあて,活用部分に仮名を使うという原則的な方法がそれである.また,たとえば,同じ「明」の字を,明ラカというときはアキと読み,明ルイというときはアカと読むのは,送り仮名によってアキラカなりアカルイの語全体を表わしているのであって,明の字がそれだけでアキあるいはアカという音連続を表音しているのではない.
日本語の文字による表語は複雑である.普通の漢字仮名まじり文では,実質的な意味をもつ部分に漢字を使い,形式的,文法的な要素に仮名を用いることを原則とする.もちろん,例外はいろいろあるが,この原則は,画の多い漢字と画の少ない仮名とのコントラストによって,表語法としてはかなり効果的である.それは,漢字ばかり使う中国の表語で,実辞も虚辞も同じ型の文字を用いているのと比較すればよく分かる.日本語のこの原則は,もともと漢字を主体とし,仮名はそのいわゆる送り仮名として補助的に使ったところから発したものであるが,次第に仮名が昇格して,漢字と同じ資格を得るようになったのである.しかし,今でもなお,送り仮名的表語法は残っている.特に,用言の場合,その語幹に漢字をあて,活用部分に仮名を使うという原則的な方法がそれである.また,たとえば,同じ「明」の字を,明ラカというときはアキと読み,明ルイというときはアカと読むのは,送り仮名によってアキラカなりアカルイの語全体を表わしているのであって,明の字がそれだけでアキあるいはアカという音連続を表音しているのではない.
[表晤とは何か]
さて,以上により,漢字のような表語文字であれ,アルファベットのような表音文字であれ,文字の言語的機能は表語にあることが判明した.そして,その表語の仕方に,表意と表音の二様があることも分かった.ところで,今度は,表語とはどういうことなのかを考えてみる必要がある.ちょっと考えると,言語を成す音声連続は,いわゆる第一次分節によっていくつかの単位に画然と分けられているように思えるが,しかし,実は必ずしもそう簡単に分析できるようにはできていない.言語によって,容易に分解できるものもあれば,どこで切ったらいいか迷うようなものもある.実際の言語の使用者にとっては,その区分はどうでもよいのであって,はっきりと単位を区分する必要が起こるのは,その言語を反省し観察する場合である.言いかえれば,その言語を言語学的に考察するときは,どうしてもその言語に現われる現象を反省し観察しなければならない.そして,その結果を記述しなければならなくなるが,その際に,どうしても文字を用いて記述する必要があり,その時,その観察した音声連続の中に単位を設定することが行なわれる.語という単位が取り出されるのは,実は,その記述の時なのである.もちろん,古く文字を創造した時には,言語学も音声学も,また音韻論もあったわけではない.しかし,文字の創案者は,必ずやその言語を反省し観察したにちがいない.いうまでもなく,その観察は今日の言語学の目からすれば,精確さも厳密さも欠いていたに相違ないが,その言語の音声の観察があったからこそ,その中から単位の語(word)を抽出し,それを文字化することができたのである.そこに,アルファベットの発明者が最初の言語学者であった,といわれる所以がある.そして,文字は言語の語を表わすためのものではあるが,その文字化によって同時に語という単位が設定されるという微妙な関係にあることは注目に値する.
さて,以上により,漢字のような表語文字であれ,アルファベットのような表音文字であれ,文字の言語的機能は表語にあることが判明した.そして,その表語の仕方に,表意と表音の二様があることも分かった.ところで,今度は,表語とはどういうことなのかを考えてみる必要がある.ちょっと考えると,言語を成す音声連続は,いわゆる第一次分節によっていくつかの単位に画然と分けられているように思えるが,しかし,実は必ずしもそう簡単に分析できるようにはできていない.言語によって,容易に分解できるものもあれば,どこで切ったらいいか迷うようなものもある.実際の言語の使用者にとっては,その区分はどうでもよいのであって,はっきりと単位を区分する必要が起こるのは,その言語を反省し観察する場合である.言いかえれば,その言語を言語学的に考察するときは,どうしてもその言語に現われる現象を反省し観察しなければならない.そして,その結果を記述しなければならなくなるが,その際に,どうしても文字を用いて記述する必要があり,その時,その観察した音声連続の中に単位を設定することが行なわれる.語という単位が取り出されるのは,実は,その記述の時なのである.もちろん,古く文字を創造した時には,言語学も音声学も,また音韻論もあったわけではない.しかし,文字の創案者は,必ずやその言語を反省し観察したにちがいない.いうまでもなく,その観察は今日の言語学の目からすれば,精確さも厳密さも欠いていたに相違ないが,その言語の音声の観察があったからこそ,その中から単位の語(word)を抽出し,それを文字化することができたのである.そこに,アルファベットの発明者が最初の言語学者であった,といわれる所以がある.そして,文字は言語の語を表わすためのものではあるが,その文字化によって同時に語という単位が設定されるという微妙な関係にあることは注目に値する.
同様なことが,文字の表音についても言える.特に,アルファベットについて言うと,ギリシア文字以来のアルファベットは,一口で言えば,単音文字である.言いかえれば,1字1音を原則とする文字である.そして,その1音の音は,音声連続の単位の分節音素である.もちろん,音素(phoneme)という術語は,現代の言語学,とりわけ音韻論の立場から考えられたもので,アルファベット文字の創始者には,そんな厳密な考えは思いも及ばなかったであろうが,しかし,アルファベット文字は,ごく大雑把にいって,音素文字である.この文字の創始者たちは,自分たちの言語の音声を観察してその分節音の単位を認め,それに一定の文字を与えた.その過程には,やはり一種の音素分析を行なっていたと考えられる.厳密に言えば,具体的な言語の音声連続の中には,客観的な単位としての音素などは存在しない.音素というものは,その言語の観察者が,その言語を文字化する場合に,必然的に要求される単位の設定に迫られて作り出す,記述のための道具にすぎないのである.そのことは,現代の言語学者についても,昔のアルファベットの創始者についても同じである.
ところで,文字は表語のためのものであるが,その表語は,文を作りあげてある伝達を行なうための手段である. その伝達を果たす言語は,文語 (written language)である.
[文字と文化]
音声による言語も,人類が本来他の目的(呼吸,消化)に用いる器官の活動を巧みに利用して作り出したもので,一種の文化的所産であるが,しかし,人間が社会の中で生い立つうちに身につける,いわば第二の自然である.したがって,人類は,いかなる時も,いかなる所でも,言語をもたないものはいない.これに対して,文字は,音声言語に基づいてあとから作り出されたもので,その使用はまさしく文化的現象である.その発生は,人類が未開の自然的生活から脱け出したところに求められるし,ことにその伝播において,その文化的性質が明白に看取される.
音声による言語も,人類が本来他の目的(呼吸,消化)に用いる器官の活動を巧みに利用して作り出したもので,一種の文化的所産であるが,しかし,人間が社会の中で生い立つうちに身につける,いわば第二の自然である.したがって,人類は,いかなる時も,いかなる所でも,言語をもたないものはいない.これに対して,文字は,音声言語に基づいてあとから作り出されたもので,その使用はまさしく文化的現象である.その発生は,人類が未開の自然的生活から脱け出したところに求められるし,ことにその伝播において,その文化的性質が明白に看取される.
たとえば,中国で発明された漢字は,東アジアの近隣諸国,すなわち日本・朝鮮・越南に伝えられ,それらの国々の正式な文字として採用された.それは単に文字の移入にとどまらず,中国の古い文化が物質的にも精神的にもこれら3国にとり入れられ,今日なおその影響が,内容と程度の差はあるにしても,濃厚に残されている.中国を中心にこれら3国は,中国古文化圏にあったということができる.それは漢字によって象徴されるため,「漢字文化圏」とよばれることがある.現代では,北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)で漢字が排除されて,ハングルを専用し,ヴェトナムではローマ字に切りかえられたが,これは「漢字文化圏」からの離脱と考えることができる.
[文字と宗教]
文字の伝播に関してもっとも注目すべきことは,宗教の伝播に伴う事実である.もっとも著しいのは,イスラム教の発展に伴って起こったアラビア文字の浸透である.民族・言語の相違を乗り越えて,イスラム教とともにアラビア文字は広がっていった.ペルシア(イラン)・トルコ・インド・パキスタン・インドネシア等で,それぞれその言語の特色に応じて多少の変更を加えつつもアラビア系の文字を使っていたし,また現在も使っている.もっとも面白いのはインドおよびパキスタンで,ほとんど同じ言語でありながら,ヒンドゥー教徒の使うヒンディー語ではインド系の文字を使い,イスラム教徒の使うウルドゥー語ではアラビア系の文字を使っていることである.ただし,現在では,トルコ共和国もインドネシア共和国も,またマレーシアもローマ字に切りかえているが,これは近代化の波に応じた文字改革である.
文字の伝播に関してもっとも注目すべきことは,宗教の伝播に伴う事実である.もっとも著しいのは,イスラム教の発展に伴って起こったアラビア文字の浸透である.民族・言語の相違を乗り越えて,イスラム教とともにアラビア文字は広がっていった.ペルシア(イラン)・トルコ・インド・パキスタン・インドネシア等で,それぞれその言語の特色に応じて多少の変更を加えつつもアラビア系の文字を使っていたし,また現在も使っている.もっとも面白いのはインドおよびパキスタンで,ほとんど同じ言語でありながら,ヒンドゥー教徒の使うヒンディー語ではインド系の文字を使い,イスラム教徒の使うウルドゥー語ではアラビア系の文字を使っていることである.ただし,現在では,トルコ共和国もインドネシア共和国も,またマレーシアもローマ字に切りかえているが,これは近代化の波に応じた文字改革である.
ヨーロッパでも,東欧では,同じキリスト教でも,ローマのカトリック教を信じた所ではローマ字を使っているが,ギリシア正教を信奉した所ではギリシア字系の文字(キリール文字)を使っている.ポーランドやチェコ,スロヴァキアでローマ字を使うのは,元来カトリック教が行なわれていた所であるからであり,ブルガリアでキリール文字が使われるのはギリシア正教の強かった国であるからである.また,もとユーゴスラヴィア共和国の公用語の一つセルビア・クロアチア語が,クロアチア共和国ではローマ字を使い,その他の地域ではキリール文字を使っているのは面白い.これは,この言語の分布域がカトリック教圏とギリシア正教圏の境界に当たっているからである.宗教は,文化現象の一つである.そして,文字は,かつての文化圏の指標になっている.