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偉大な預言者

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仏僧、仏教思想家

  • Nagarjuna 龍樹(生没年不詳。150?-250?)
    中観学派の創始者。大乗八宗の祖。「空」の思想を体系化する事によって後の仏教に決定的な影響を与えた。確実に彼の著作とされるものに『中論頌』がある。
    「色即是空、空即是色」『般若心経』
    -Asanga 無著(生没年不詳 310?-390?)
    ガンダーラの仏僧。元は説一切有部(当時における部派仏教の最大勢力)の僧であった弟世親を大乗仏教に導き、共に唯識学派を体系化した。『摂大乗論』等の著作を遺す
    「舌を断ち切っても真の懺悔にはならない。本当にすまないと思うのであれば、大乗を誹謗したその舌で大乗の教えを生命をかけて説いていくべきではないか」
    -Vasubandhu 世親(生没年不詳 4世紀頃の人)
    同じくガンダーラの仏僧。森羅万象は心の働きから生じ、またその心にも実体はないとする唯識思想の大成者である。著作に『倶舎論』『唯識三十頌』『無量寿経優婆提舎願生偈』等。
    「是諸識転変 分別所分別 由此彼皆無 故一切唯識」『唯識三十頌』十七頌
    -Kumarajiva 鳩摩羅什(350-409)
    六朝時代の訳経僧。玄奘と共に二大訳聖とも称される。『摩訶般若波羅蜜経』『大智度論』『中論』等を翻訳し、後の仏教界に計り知れない影響を与えた。
    「我が所伝が無謬ならば焚身ののちに舌焦爛せず」『梁高僧伝』
    -Bodhidharma 達磨(440?-528?)
    印度で生まれ北魏で活躍した僧。壁観、即ち「壁となって観ること」の境地に至り、禅宗を開いたと言われる。言行録として『二入四行論』等が知られる。
    「不立文字 教外別伝 直指人心 見性成仏」『二入四行論』
    -Xuanzang 玄奘三蔵(602-664)
    唐代の訳経僧。禁を破って天竺へ赴き、657部に及ぶ膨大な経典を持ち帰り、以後はその翻訳に生涯を捧げた。彼の足跡は『大唐西域記』に遺されている。
    「実にその地の聖賢が遺法を受け継ぎ、凡人を導き、物を治めるあり方は、ちょうど月が天下を照らすものであり、この意味からこの地を印度というのである」『大唐西域記』
    -Lithai リタイ(1346?-1374?)
    スコータイ朝第六代君主。タイの王として初めて出家し、更に『三界論』を記す事でタイにおける上座部仏教の普及に大きく貢献した。
    「王が自分の感情を抑え、怒りが生じた時にそれを抑える。それは、王がブッダになることを望み、全ての生き物が転生の悩みの海を越えるように導くことを望んでいるからである」 当時の碑文
    -B.R.Ambedkar ビームラーオ・アンベードカル(1891-1956)
    政治家であり、反カースト、不可触民(アンタッチャブル)解放の闘士。憲法にカースト差別禁止を刻み込み、また死の二ヶ月前には支持者五十万人と共に仏教に改宗した。*1
    「神はアンタッチャブルのための仕事を私がやり遂げるまでは、私を容赦しておいてくださるでしょう」
    -Buddhadasa プッタタート(1906-1993)
    タイの仏僧。ブッダダーサとも。在家の生活における修行の実践を説き、また大乗仏教、特に禅の思想を取り込むなど、タイ仏教に飛躍的な革新をもたらした。
    「私はこの身と心をブッダに捧げる ブッダは私の主人で、私はブッダの僕 よって私は名をプッタタートとする」
    計9人
    **キリスト者、キリスト教神学者 [#k0ccdebe]
  • Saint Frumentius 聖フルメンティウス(?-383) ※ 日本語記事無し。代わりにエチオピア正教会の項を記す
    四世紀頃のシリア人と伝わる。ソンガイ王国にキリスト教を伝え、エチオピア正教の創始者となる。後にエチオピア皇帝はソロモンとシバの子孫を名乗ったという。
    「ソロモンもまた、女王が望むものすべてを与えた」列王記上、10章
    -Saint Ioan 聖イオアン(676-749)
    ダマスカスの知事、後に修道士。イコンの擁護、『知恵の泉』を代表作とする著作活動、聖歌の作曲とその様式の確立等の功績で知られる正教会の聖人である。
    「この水を塞(せ)き止めてはなりません。水は流れてやがて金地を覆い、異端の海さえも、いつしか甘みを含むようになるでしょう。渇いた者は好きなだけ飲めるのです。預言者の琴を弾き、ダビィド王の詩を高らかに歌いあげ、主のみ前に新たなる煩歌を捧げる者は、イオアンにほかならないのです」師の夢に現れたとされる聖女マリアの言葉
    -Saint Methodius 聖メトディオス(826-885) ※ 英文記事はメトディオスとキュリロスが一まとめにされている
    元はビザンツ帝国の聖職者であり、後にモラヴィア(現在のチェコ東部とスロバキア)の司教となる。キュリロスと協力し、彼の地に教会スラブ語による聖書と典礼をもたらした。
    「われは一・聖・公・使徒継承の教会を信じ、罪の許しのためなる唯一の洗礼を認め、死者のよみがえりと来世の生命とを待ち望む。アミン」ヤナーチェク『Glagolska mse』、ヴィェルユ
    -Saint Cyril 聖キュリロス(827-869)
    同じくビザンツ帝国の聖職者、修道士。当時文字の無かったスラブ語圏の為にグラゴル文字を考案し、更に聖書と典礼のスラブ語翻訳を進めた。
    「あなたは三つの言語だけを命じ、他の全ての民族の目と耳を封じていることを恥じていない」
    -Francesco d'Assisi 聖フランチェスコ(1181-1226)
    フランシスコ会を創設した修道士。創世記を正典とする人々としては異例なほど自然と一体化した聖人で、小鳥に説教し狼を回心させたとさえ言われている。
    「わたしたちの姉妹、母なる大地によって賛美します」『太陽の歌』
    -Meister Eckhart マイスター・エックハルト(1260-1328)
    ドイツの神学者であり、神秘主義者。自己から離脱し無(=神性)となる事こそが愛さえも凌ぐ徳であると主張し、死後異端とされたにも関わらず多くの人々に影響を与えた。
    「神が「神」である原因は私なのである。もし私が無かったら、神は「神」でなかったであろう」
    -Saint Sergius 聖セルギイ(1321?-1392)
    ロシアの修道士。荒野修道院運動の祖であり、またその精神的支柱としてロシアにおける修道会の発展に大いに貢献した。またタタールを打ち破ったドミトリー・ドンスコイへの祝福でも知られる。
    「聖セルギイは通常の意味での神学者ではなかった。至聖三者の教理について書いたり語ったりしたことは一度もなかった。しかし、彼自身が、神の本性のキリスト教的啓示の本質である自由に於ける神的一致の生きた実例であった」ゼルーノフ『ロシヤ正教会の歴史』
    -Jan Hus ヤン・フス(1369-1415)
    ボヘミア出身の宗教思想家。キリストへの祈りに立ち返り、堕落の極みにあったカトリックの権威を徹底的に批判する事で後のフス派の精神的支柱となるが、コンスタンツ公会議で異端とされ、処刑される。
    「教皇ではなくイエス・キリストこそが至上の審判である」
    -Martin Luther マルティン・ルター(1483-1546)
    神聖ローマ帝国の神学者で、世界史上最初の牧師であり、ルーテル派の創始者。人間は神によってのみ義とされると主張し、宗教改革の原動力となった。聖書や賛美歌をドイツ語に翻訳した功績も大きい。*2
    「聖書に書かれていないことを認めるわけにはいかない。私はここに立っている。それ以上のことはできない。神よ、助けたまえ」ヴォルムス帝国議会に対し
    -Huldrych Zwingli フルドリッヒ・ツヴィングリ(1484-1531)
    スイス最初の宗教改革者。教会だけでなく社会も聖書によって再構成されるべきだと主張し様々な改革を行うが、カトリックとの戦争に斃れる。
    「私の魂をこの世界から奪うのであれば、世界がこれ以上悪くならないように、他の人々の敬虔で明るい生活が汚されることがないようになさってください」『ペストの詩』
    -Jean Calvin ジャン・カルヴァン(1509-1564)
    ジュネーブで活躍した神学者。人間が神に救われるか否かは予め決まっているとする予定説を主張した。富の蓄財を認め近代資本主義への道を開いた事でも知られる。
    「子供は偶然に生まれるものではなく、各人に神がそのよしとされるところに応じて、その分を与えられるのである」
    -las Casas ラス・カサス(1484-1566)
    スペイン生まれの司祭で、メキシコの司教。中南米で暴虐の限りを尽くしたスペインをその終生に至るまで糾弾し続けた「インディオの使徒」である。
    「スペイン人こそ金を崇める偶像崇拝者である」
    -Francisco de Xavier フランシスコ・ザビエル(1506-1552)
    スペイン生まれの司祭。反宗教改革の尖兵としてインド、中国、日本などに派遣され、数え切れないほどの人々にキリスト教を伝えた。なお日本の守護聖人は彼である。
    「私はあなたを国々の光とし、私の救いを地の果てまでもたらす者とする」イザヤ書49章。ザビエル列聖において添えられた聖句
    -Emanuel Swedenborg エマヌエル・スヴェーデンボリ(1688-1772)
    バルト帝国出身の政治家、科学者、神学者。57歳にして突然霊的体験が始まり、以後汎神論的な独特の神学を展開する事になる。恐るべき天才であった事でも知られる。
    「神の本体は愛と英知である」
    -John Wesley ジョン・ウェスレー(1703-1791)
    イギリス国教会の司祭だったが、後にメソジスト派を創始する事になる。万人救済と聖書への回帰を掲げ、いわゆる第一回大覚醒の旗手となった。
    「私はインディアンを回心させるためにアメリカに行ったが、一体だれが、何が、私を回心させてくれるのか!」
    -Saint Seraphim 聖セラフィム(1759-1833)
    ロシアの修道士、聖人。深い森の中に隠遁し著作も遺さなかったのだが、生前からその徳と癒しの奇跡によって多くの参拝者を引きつけた。その際必ず「ハリストス復活!」と声をかけたという。*3
    「信仰生活の本当の目的は聖神の獲得にあります」
    -Soren Kierkegaard セーレン・キェルケゴール(1813-1855)
    デンマークの哲学者。抽象的な概念としての人間ではなく、個人、特に彼自身の絶望に目を向け、そこから哲学と信仰を敷延する事で実存主義の先駆けとなった。著作に『あれか、これか』『死に至る病』等。*4
    「思弁が終わる、まさにそのところで信仰が始まる」『恐怖と戦慄』
    -Charles Spurgeon チャールズ・スポルジョン(1834-1892)
    イギリスのバプテスト派牧師。激しい信仰と卓越した説教術によって万単位の追従者を獲得し、ロンドンに力強いリバイバルをもたらした。「講壇のプリンス」と呼ばれている。
    「世の中の人々がかなづちを持って叩くとき、クリスチャンはその鉄の受け皿にならなければならない」
    -Karl Barth カール・バルト(1886-1968)
    スイスの神学者。人間と神との間にある断絶においてこそ信仰が成立するという弁証法(危機)神学を提唱した。反ナチスの教会である「告白教会」の理論的指導者となった事でも名高い。
    「私たちは皆、あなたの恵みがなければ失われた者であるという点において同じ者として、あなたの御前に立っています」
    -Paul Tillich パウル・ティリッヒ(1886-1965)
    ドイツのプロテスタント神学者。無に抗い自己を肯定する事こそが生きる事であり、信仰であると主張した。著作に『生きる勇気』『キリスト教思想史』等。
    「勇気とは「それにもかかわらず」自己自身を肯定することである」『生きる勇気』
    -Dietrich Bonhoeffer ディートリッヒ・ボンヘッファー(1906-1945)
    ドイツのルター派牧師。世俗化する世界と対決する中でその思想を育んだ。ヒトラー暗殺計画の中心となるが、その結果、1945年4月5日に絞首台の露と消える*5。「解放の神学」の先駆けとも言われる。
    「自由よ、われわれはおまえを、訓練と、行為と、苦難を通して尋ね求めてきた。そして今、死に臨みつつ、おまえを神の顔の中に見いだす」
    -Mother Teresa マザー・テレサ(1910-1997)
    カトリック教会の修道女。宗教の枠を越え、多くの「最も貧しい者」に奉仕した。死後わずか六年という異例の早さで列福された人物でもある。
    「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」
    計22人
    **ムスリム、イスラム教神学者 [#k0ccdebe] 著名な学者の殆どが科学者の枠に回っている。なのでここはちょっと寂しい。

  • Ash'ari アシュアリー(873?-935) (日本語記事無し。代わりに良くまとめられたサイトを紹介)
    イスラム神学者。元はムアタズィラ派であったがこれと決別し、理性によってハディースを擁護する事によってアシュアリー派の開祖となった。
    「諸君、私はここに明言する。私は今まで全くイスラームを信じていなかったのだ。私は、この時、この処で真のイスラームの信仰に入り、後悔の涙とともに、これまで信じて来たムータズィラ派の意見から背き去ろうとするものである」
    -Al-Ghazali アル・ガザーリー(1058-1111)
    イスラム神学者、スーフィー。(当時の)哲学の中には生きた真理が無いと断罪し、東方イスラーム哲学に止めを刺した。スーフィズムを体系化した事でも名高い。
    「徒らに伝統的教えのみに固執して悟性を無視する者は愚人であり、悟性のみに頼ってコーランとスンナを顧みぬ者は迷っている」『宗教諸学の誕生』
    計2人
    **ヒンズー教関係者 [#k0ccdebe]
  • Patanjali パタンジャリ(生没年不詳。BC2C頃?)
    インドの文法学者。近年急激に評価が高まりつつある経典『ヨーガ・スートラ』を著し、ヨーガに哲学的根拠を与えた人物である。
    「ヨーガとは、心の作用を制止することである」『ヨーガ・スートラ』
    -Ramanuja ラーマーヌジャ(1017-1137)
    ヒンズー宗教者。最高神ヴィシュヌに対するバクティ、即ち「神への献身的な信仰と愛」によってのみ人間は救われるという悟りに目覚める。これはヒンズーにおいて非常に革新的であった。
    「ブラマーから草むらにいたるまで、この世界にすむすべての生きものは、カルマによる生と死の奴隷である。それゆえ彼らは、瞑想の対象としてたすけにはならない。彼らはすべて無知であって、変化をこうむるのだから」『シュリ・バーシヤ』
    -Ramananda ラーマーナンダ(1400?-1470?)
    ヒンズー宗教者。主にヴァーラーナーシで活躍した。男女平等を唱え、またバラモンとして史上初めてカーストを否定する等、非常に進歩的な思想を組み上げた事で知られる。
    「私は師のひと目、ひと触れを得ました。師が『ラーマ』と仰せになって私は弟子になり、それで私は『ラーマ』と称えるのです」カビール、師を称えて
    -Kabir カビール(1440-1518)
    ヒンズー宗教者。不可触民を拾い親とし機織工として一生を過ごす傍ら、ヒンズーとイスラムの影響下でカースト、偶像崇拝、聖典等を否定し一神教を唱え、宗教改革を推し進めた。
    「わたしたちの内側には 至高のブラーフマがいる その手の中を 星雲のすべての惑星が 数珠のように通り抜ける そのひと続きの数珠を ひとは輝く目で見つめなければならない」
    -Swami Vivekananda ヴィヴェーカーナンダ(1863-1902)
    ヒンズー宗教者、ヨーガ指導者。ラーマクリシュナの弟子として師の教えを体系化し、これを世界に発信する。更にラーマクリシュナ・ミッションを創始し社会活動も行った。
    「純粋かつ神聖なる唯一無限の存在-我々の思考と優越性を超越している汝に、私は帰依する」
    -Sri Aurobindo オーロビンド・ゴーシュ(1872-1950)
    インド独立運動家、ヨーガ指導者、ヒンズー宗教者、詩人。「スーパー・マインド」と呼ばれる神的な生命への進化と、その生命による地上の進化を唱えた。
    「たとえ、個人が究めても、世界は救えない。高位の光が現れても、低位の器が足りないと、その光が止まることが、許されないからである」
    計6人

その他

  • Akhenaten アクエンアテン(BC1362?-1333?)
    古代エジプトのファラオ。名を改める前はアメンホテプ4世を名乗る。エジプトの信仰を太陽神アテンに対するそれに一本化する為、「アマルナ改革」を行った。ちなみにツタンカーメンは彼の息子に当たる。
    「あなたは私の心の中にいる。あなたの息子であるネフェル・ケペル・ラー=ウア・エン・ラー以外に、あなたを知る別の者はいない」『アテン賛歌』
    -Zhang Daoling 張陵(生没年不明。2世紀前半の人?)
    後漢時代の宗教家。後に道教の二大潮流の一つ「正一教」となる五斗米道を開いた。孫の張魯は五斗米道の指導者として善政を敷き、漢中の一大勢力となる。
    「彼のもとで道術を学ぶ者は五斗の米をお礼に出した。そのために世間では米賊と呼んだ」『魏志』「張魯伝」
    -Plotinus プロティノス(205?-270)
    エジプトに生まれ、ローマで活躍した哲学者、神秘主義者。いわゆるネオプラトニズムの創始者であり、万物は「一者」から流出した理性によって生じると説いた。
    「なぜしかし、私たちはあそこにとどまらないのだろう? なぜなら、私たちが まだすっかり自己を解き放っていないからである。けれどいつか、私たちがすっと 続けて観るようになる時がいたるだろう、肉体によりなんら煩わされることもなく」『エンネアデス』
    -Wang Yangming 王陽明(1472-1529)
    明代の儒学者。左遷による苦境の中で「心即理」「知行合一」等を柱とする陽明学を確立し、儒教を一般大衆へと切り開く道を創った。
    「良知良能は、愚夫愚婦も聖人と同じ」
    -Quanah Parker クアナ・パーカー(1840-1911) ※ 日本語記事は無し。代わりに「インディアン」を記載
    クァハディ・コマンチェ族の酋長。幻覚剤の一種となるペヨーテを用いた儀式を体系化し、ネイティブアメリカン教会の創始者となる。
    「白人は教会に行ってイエスについて語る。インディアンはそのティピーに行ってイエスについて語る」
    -Wovoka ウォヴォカ(1856-1932) ※ 日本語記事は無し。代わりに「インディアン」を記載
    インディアンの呪術医。先住民古来のシャーマニズムとキリスト教、特に千年王国論を融合したゴースト・ダンス運動の指導者。白人には「ジャック・ウィルソン」としても知られている。
    「新しい世界が到来した時に大地が震えたとしても、恐れてはいけない。あなたがたには害がないであろう」
    -Aleister Crowley アレイスター・クロウリー(1875-1947)
    イングランド出身の魔術師、詩人、登山家、神秘主義者、あるいはペテン師。ヨーガや密教に影響を受けつつ近代魔術を構築し、ニューエイジ思想の柱ともなった。*6
    「汝の意志するところを行え。それが法の全てとならん」 『法の書』
    -Jiddu Krishnamurti ジッドゥ・クリシュナムルティ(1895-1986)
    インド出身の宗教家(≠ヒンズー宗教家)。一切の組織、観念、権威を否定した「フリーの宗教家」として活躍し、「あるがままの全体的知覚」を追求せんとした。
    「真理はそこへ至る道のない土地である」
    計8人
    合計47人
    **追加したい方がいればここにどうぞ [#k0ccdebe]
  • Maitreya 弥勒(生没年不詳。3-4C頃)
    インドの仏僧。瑜伽行唯識学派の祖とされ、『瑜伽師地論』『大乗荘厳経論』『中弁分別論』等を著したとされる。後に伝説としての弥勒菩薩と同一視されるに至った。
    「願わくは、これらの人々が無量の光明の阿弥陀仏を見て、無垢の法眼を得て、無上の菩提に達せんことを」『究竟一乗宝性論』
    -Sonam Gyatso スーナム・ギャツォ(1543-1588)
    第三代ダライ・ラマであり、事実上の初代ダライ・ラマ。アルタン・ハンに転輪聖王号を与え、また彼自身は「智慧の海」を意味するダライ・ラマの称号を贈られた。
    「あなたが奪った勝利と富を他者に分け与えなさい。敗北と損失こそを、その身に引き受けるのです」
    -Basileios the Great 大バシレイオス(330?-379)
    カイサリア主教、神学者。三位一体論の体系化、奉神礼の蒐集と整理、修道制の確立等に貢献し、列聖を行う教派の全てにおいて聖人と称えられている。
    「神は人間を孤独な野性的存在として創造したのではなく、穏和な仲間的存在として創造した」
    -Saint Ioannes Chrysostomos 聖金口イオアン(344or349-407)
    コンスタンティノープル総主教。「黄金の口」を意味する「クリュソストモス」と呼ばれる程の説教の名手であり、また聖体礼儀を簡略化し整備した事でも名高い*7
    「心霊の師、いや金口なるイオアン、あなたが堀られる聖教の井戸はあまりに深く私たちの短い知識はその底に達することができません」彼が平明な説教を志すきっかけとなった、ある女性の叫び
    -Nestorius ネストリウス(381?-451?)
    コンスタンティノープル大主教。イエス=キリストの神性と人性を区別し三位一体説に異を唱えるが、異端とされエジプトに逃れる。その後彼の教派は「景教」として遙か中国まで*8布教されるに至った。
    「そこに記されている主の計画を全て鑑みても、聖書が語るキリストの生誕と受苦は神としてのそれではなく、人間としてのそれである。よって聖母も神の母ではなくキリストの母とした方がより正確となる」論敵への手紙において
    -Saint Ivan Rilski 聖イヴァン(876?-946?)
    ブルガリアの修道士。25歳からその死に至るまで山中の修道生活を送り、後にブルガリア正教の総本山となるリラ修道院の精神的支柱となった。
    「悪魔はスズメバチの巣のように私を取り囲み、刺の炎のように消された。主の名に於て、我は彼らに屈しない!」
    -Thomas Becket トマス・ベケット(1118-1170) ※ 日本語記事無し。代わりに「カンタベリー大聖堂」を記載
    カンタベリー大主教。教会の自主性を主張してヘンリー2世と対立し、いざこざの末に暗殺される。その際流れた血が様々な奇跡を起こした事で、カンタベリーは中世における代表的な巡礼地となった。
    「神の家は要塞のように防御されるべきではない。私は、喜んで神の教会のために死に立ち向かうだろう」
    -Gebre Mesqel Lalibela ゲブレ・メスケル・ラリベラ(1172-1212) ※ 日本語記事無し。代わりに「ラリベラの岩窟教会群」を記載
    ザグウェ朝エチオピアの王。代々に渡ってキリスト教を守護してきたザグウェ朝の中でも特に熱心な君主であり、↓の神託を受けて岩窟教会群を建てたとされる。エルサレムへの巡礼も行っている。
    「ロハの町を第二のエルサレムにせよ」
    -William Bradford ウィリアム・ブラッドフォード(1590-1657) ※ 日本語記事無し。代わりに「ピルグリム・ファーザーズ」を記載
    イギリスの聖職者、植民者。当時イギリスで弾圧されていた清教徒であり、信教の自由を求めてアメリカへ植民。ニュー・イングランドの礎を作った。*9
    「神の栄光とキリスト教信仰の振興および国王と国の名誉のために、バージニアの北部に最初の植民地を建設する為に航海を企て、開拓地のより良き秩序と維持、および前述の目的の促進のために、神と互いの者の前において厳粛にかつ互いに契約を交わし、我々みずからを政治的な市民団体に結合することにした」メイフラワー誓約より
    -Martin Luther King,Jr. マーティン・ルーサー・キング・Jr(1929-1968)
    バプテスト派の牧師。公民権運動の指導者として活動し、その平易かつ力強い弁舌と徹底した非暴力主義によって遂には法律における人種差別を撤廃するに至った。
    「私には夢がある。いつの日か、ジョージア州の赤い丘の上で、かつての奴隷の子達と、かつての奴隷の所有者達の子達が、兄弟愛というテーブルで席を共にできることを」
    -Ezekiel エゼキエル(生没年不詳。BC6C頃)
    ユダヤの預言者。捕囚によってバビロニアに移住させられたが、彼の地で預言活動に励み悔い改めを説く事でユダヤ教徒に希望を示した。困難な時代の光となった事から「ユダヤ教の父」と称えられる。
    「主の言葉がケバル川のほとり、カルデヤびとの地でブジの子祭司エゼキエルに臨み、主の手がその所で彼の上にあった」エゼキエル書
    -Judah haNasi イェフーダー・ハン=ナーシー(138-271?)
    ユダヤのラビであり、タンナー(賢者)。それまでのタンナーが積み重ねてきたトーラー、即ち律法への解釈をまとめ、後のユダヤ教徒にとっての聖典となる『ミシュナー』として成文化した。
    「もしあなたがトーラーを多く学んだら、あなたには多くの報酬が与えられるだろう」『ミシュナー』
    -Moshe ben Maimon モーシェ・ベン=マイモーン(1135-1204)
    マイモニデスとも。スペイン生まれのラビ、哲学者、医者*10。カイロにおけるユダヤ教徒の指導者として活躍する傍ら、ユダヤ法を『ミシュネー・トーラー』に統合し、更に『迷える人々の為の導き』でアリストテレスとユダヤ神学の融合を試みた。
    「アリストテレスは月下の世界に関する権威だが、啓示というものは天上の世界に関する権威である」
    -Moses de Leon モーゼス・デ・レオン(1250-1305) ※ 日本語記事無し。代わりに「ゾーハル」を記す
    スペインのラビ、カバリスト。セフィロトの樹やアダム・カドモン、様々な天使等々をまとめた、ユダヤ神秘主義の重要文献である『ゾーハル』の著者、とされる。
    「はじめに王が閃光のランプのごとき天の燦然たる輝きの軌道を定めた」『ゾーハル』
    -Theodor Herzl テーオドール・ヘルツル(1860-1904)
    ハンガリー出身のユダヤ人作家、シオニズム運動家。反ユダヤ運動の嵐吹き荒れる当時の欧州において、『ユダヤ人国家』を著しまた最初のシオニスト会議を主催した「建国の父」である。
    「もしあなたが望むなら、それはお伽噺ではない」『古く新しい国』
    -Xun Zi 荀子(BC313?-218?)
    戦国時代末の儒学者。孟子に反駁して性悪説を唱え、人は礼で律される事によって初めて善に至ると説いた。韓非、李斯、浮丘伯の師であり、後世の法家に与えた影響も大である。
    「人の本性は不定なり。一つの所を渦まく水のごとし」
    -Xu Fu 徐福(生没年不詳。BC3C頃)
    秦代の方士。始皇帝の命を受け、不老不死の薬を見つける為に東方に赴くが、三千人を超える捜索団と共に日本に住み付き二度と帰らなかったという。
    「…始皇帝大いに喜び、良家の男女三千人を使わし、五穀の種と百工をたずさえて渡海させた。徐福は平原と沼のある島にたどり着き、そこにとどまって王となり、帰ってこなかった。人々は嘆き悲しんだ」『淮南衡山列伝』
    -Wang Chongyang 王重陽(1112-1170)
    北宗、金代の道士。全真教の開祖であり、朱子学や禅宗を組み込む事で道教に変革をもたらさんとした。なお不立文字を標榜するなど、禅宗の影響を強く受けている。
    「心はもともと道であり、道がそのまま心であり、心の外に道はなく、道の外に心はないのである」
    -Qiu Chuji 丘長春(1148-1227)
    金、元代の道士。王重陽の高弟「七真人」筆頭と目される人物で、チンギス・ハーンの庇護も受け大いに全真教を広めた。
    「衛生の道あり、されど長生の薬なし」長生の薬はあるのか、というチンギス・ハーンの問いへの返答
    -Zhang Sanfeng 張三豊(1247-?)
    元、明代の道士、仙人。丘長春の教えを受けたとされる人物で、少林寺での修行を元に太極拳を創始し、更には不老長寿の術を編み出した等の伝説が残っている。
    「柔をもって剛を制す」「まず一歩譲って相手を制す」
    -Chen Wangting 陳王廷(1580-1660) ※ 日本語記事は無し。代わりに「陳家太極拳」を記載
    明代末の武将。「二関公」と呼ばれる勇猛な武将だったが明の滅亡によって野に下り、隠遁生活を贈る中で陳式太極拳を編み出したとされる。
    「退屈なときには拳法を創造し…弟子や息子、孫に教える。竜になってもいいし、虎になってもいい」
    -Khokhcuu Teb-Tengri ココチュ・テブ・テングリ(?-1207?) ※ 記事無し*11。代わりに「テングリ」を記載
    モンゴルのシャーマン。テムジンに「チンギス・ハーン」の名を与えた人物である。なお「テングリ」は北方アジア共通の概念で、「天上世界」「運命神」「創造神」である青空であるとの事。
    「神は汝に、世界の帝王になれと命じておられる」
    -Tenoch テノチ(生没年不詳。14C頃) ※ 日本語記事は無し。代わりに「テノチティトラン」を記載
    アステカの指導者にしてシャーマン。伝説によれば1325年にウィツィロポチトリの神託を受け、テスココ湖の傍らにテノチティトランを建設したという。
    「石の上に生え出たサボテンを探せ。その上に一羽の非常に美しい鷲が、翼を広げて朝日を浴びているはずである。 その地こそ汝らの町を建設する場所であると思え。その町は、やがて他のすべての都市に君臨し、世界に冠たる名を得るだろう」ウィツィロポチトリの神託*12
    -Francois Mackandal フランソワ・マッカンダル(?-1758)
    ハイチの反乱指導者、呪術師。黒人奴隷の間で生き残っていたブードゥー教の司祭となり、逃亡奴隷の共同体であるマルーンを組織化。白人に対するテロリズムを展開しハイチ革命の口火を切った。
    「彼は自身が白人のくびきから黒人を解放する為に神から遣わされた存在であると信じており、「黒いメシア」を自称していた」マーク・デイヴィス
    -Hong Xiuquan 洪秀全(1814-1864)
    清代の宗教家、革命家。ヤハウェの子でありキリストの弟であると称し*13、拝上帝会を創始。困窮する民衆に希望を示して太平天国の乱を引き起こした。
    「全世界の人類は、みな私の生むところであり、私の養うところである。彼らは私の食物を食べ、私の衣服を着ているのだが、だれ一人として私を記憶し、尊敬する念を抱いているものはいない。しかしそれよりももっと悪いことに、彼らは私のあたえるものを受けておきながら、それで悪魔を崇拝している。おまえはそうなってはならない」 上帝ヤハウェによって示されたとされる幻視
    -Bobby Henderson ボビー・ヘンダーソン(1980-)
    インテリジェントデザイン説に対抗して創始されたパロディカルト、空飛ぶスパゲッティモンスター教の伝道者。
    「ラーメン」空飛ぶスパゲッティモンスター教の祈りの文句
    -name 名前(生没年)
    寸評。
    「逸話、名言、後世の評価、史書の記述等々」

  • ダン・クエールもある意味預言者ではないかととか思ってしまった --
  • ちょっと待って!預言者と予言者の違いがわからないお馬鹿さんがいるよ! --
  • ユダヤ教関係者が少ないので何人か。
    - ユダヤ教関係の方々を追加。…儒教や道教の項も欲しいんですが、単にあんまり詳しくないので増やせなかったというだけです。代表的な人物が誰なのかもよく分からない有様なので… -- このページの作者
  • 技術者枠で名前の上がったラリベラ追加。ゲームでもお馴染みなエチオピアの都市ラリベラは彼の名を冠した物とか -- このページの作者
  • 道教(老荘思想)なら竹林の七賢あたりかな。 --
  • 儒教で思いつくのはデフォで入っているかわからないけど、孟子・荀子。あと日本人で林羅山。 --
  • 道教?じゃあ太極拳で陳王廷 --
  • 荀子と道教関係者の皆様を追加。ただ、徐福はそのうち日本人とその関係者枠に入れるかもしれません -- このページの作者
  • 弥勒、バシレイウス、金口イオアン、イヴァン、ブラッドフォード、マッカンダル、洪秀全追加。弥勒は伝説に片足を突っ込んでる人が増えてきたので、ブラッドフォードは今回一人テロリストが入ってきたので自重する理由がなくなりました。 -- このページの作者

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注釈

*1 マルクス主義に行く事も考えていたらしい。…ノーコメント

*2 そしてボウリングのルールを作った人でもある

*3 なお、すんごい名前だが歴とした実在の人物である

*4 『死に至る病』は冒頭で多くの読者の心をバキバキにへし折る事でも有名。気になる人は「人間とは精神である」でググってみよう

*5 もしカトリックか正教徒だったら、この死で聖人に叙されていたかもしれない

*6 この人を墓地に捧げて生誕教会とかを建てるのはイヤだって? なぁに、かえって免疫力が付くさ

*7 なお彼の名を冠した聖体礼儀はチャイコフスキー、ラフマニノフ、ストラヴィンスキーといった錚々たる音楽家達によってカヴァーされてもいる

*8 日本にも流れ着いたという説もある

*9 座牛の哲学志向で出てきたら悪いジョークになるが、何、その場合は八つ裂きにして黄金期だ

*10 サラディンの侍医を務める程の腕だったとか

*11 [[ポーランド語の記事>http://pl.wikipedia.org/wiki/K%C3%B6k%C3%B6cz%C3%BC_Teb-Tengri]]は存在する

*12 確かにこの神託は完全に当たった。だが、誰がその町に住んでいるのかは示されていないのが実に皮肉である

*13 なので洗礼は受けられなかった