夜に沈む、閑静な郊外。
 仄かな街灯に照らされる、閑静な道路。
 住宅街の路地は、静まり返っている。
 この都市の騒乱から逃避するように、沈黙を保ち続ける。

 ――そこには、無数の歩兵がいた。
 軍馬から降りた、騎兵の軍勢である。
 まるで円を描くように、“相手”を取り囲んでいる。
 彼らは等しくライフルや拳銃で武装し、いつでも攻撃に出られる体勢を取っている。

 彼らを統べる連隊長が、円の中に佇んでいる。
 傲岸に腕を組み、悠々と敵を見据えていた。


「――――やれやれ。肝を冷やしたぞ」


 カスターの身体の各所には、槍による裂傷が生まれていた。
 自らの強運を以てしても迫り来る無数の刺突を凌ぎ切れず、その身に幾つもの疵を刻んだ。
 それでも、致命傷には至らず。行動に一切の問題は無い。
 少しでも判断を誤れば、無事では済まなかっただろう。
 しかし己を信じて疑わない時のカスターは、誰よりもしぶといのだ。


「……ああ、全くだ。死ぬかと思ったぜ」


 彼の視線の先――エパメイノンダスが、強がるように呟く。
 常勝の将軍は、その場で片膝を付いていた。
 肉体の各所には、幾つもの銃創が刻まれていた。
 荒い呼吸を整えながらも止め処なく血が溢れ、紛れもなく満身創痍だった。
 それでも彼は、気力と意志によって今なお命を繋ぎ止めている。
 その眼差しは、今なおカスターを真っ直ぐに見据えている。

「貴殿が何者かは知らないが……恐らくは高名な将官だろう。
 残念だったな。万全の状態を待ってやるほど、私は慈悲深くないのだ」
「別に……恨みはしねえさ。機を伺い、敵の隙を突く。それが戦ってモンだ」

 見下ろすカスター。
 見上げるエパメイノンダス。
 二人の将軍は視線を交錯させながら、淡々と言葉を交わす。

「潔いな、将軍よ。道理で君のマスター達も健気になる訳だ」
「ああ、そうさ。あんたも見ただろう?誇りを懸けるに値する、勇敢な若人達だ。
 俺は故郷を愛するが……今の時代って奴も、やっぱり捨てたもんじゃねえ」

 エパメイノンダスの側には、二人のマスターが立つ。
 魔力消費による消耗を堪えながら、徒手空拳の構えを取る河二。
 その右手に“黒鍵”を握り、投擲の体勢を取るナシロ。
 両者は身構えたまま、この状況を切り抜ける術を探っている。

 ――その表情は、明らかに焦燥を押し隠していた。敵に弱みを見せぬよう、気丈に佇んでいた。
 余裕は無いのだろう。それでもこの局面を前にしながら、彼らは屈さずに打開策を模索している。

「……同感だな。私も喚ばれた甲斐があるというもの」

 そんな河二達を一瞥して、カスターは言葉を続ける。

「ただ一つだけ、この時代で惜しまれることがある」
「へぇ……そいつは、何だ?」
「私の栄光がすっかり霞んでいる」
「……そうかい。ま、そりゃあ残念だったな……」

 髭を撫でながら、不服な態度でぼやくカスター。
 エパメイノンダスは、苦笑い混じりの反応を返した。

 ――エパメイノンダスは、カスターよりも数段上の指導者である。
 彼は当時最強と謳われたスパルタを優れた戦術で打ち破った将軍である。
 その後も勢力を伸ばし、テーバイを覇権国家にまで押し上げた稀代の軍政家だ。

 対するカスターは、あくまで内戦や民族浄化で指揮を取った一軍人に過ぎない。
 将軍としての肩書きも、戦時下での一時的な昇進によるもの。
 リトルビッグホーンで知られる最期も、彼の無謀な作戦による失態の結果である。

 互いに万全を期して真正面からの駆け引きを行うならば。
 間違いなくエパメイノンダスが優位に立つだろう。

 しかし、今のエパメイノンダスに余力は残されていなかった。
 “幻術のキャスター”と“蝗害のライダー”。災厄と呼ぶべき二つの脅威。
 “通りすがり”の援護によって辛うじて切り抜けたものの、何処で命を散らしても不思議ではない程の死線だった。
 宝具の真名解放へと至り、出し惜しみ無しの全力を振り絞り。
 そして“陰陽のキャスター”のサポートを受けてもなお、紙一重だった激戦。
 肉体と魔力、その双方において多大な消耗を背負うのは必然だった。

 その消耗を癒す暇もなく、“騎兵のライダー”――カスターによる河二達への追撃が始まった。
 代々木公園に引き続き、ベルゼブブの飛行能力によって逃走を図るという目論見は外れた。
 カスターが予想外の飛行手段を獲得したことで、突発的な撤退戦へと縺れ込んだのだ。

 エパメイノンダスは疲弊を押して行動を開始した。
 今までに経験したことがない激戦を経た直後、余力を残した敵の更なる強襲へと対処する。
 可能な限りの時間稼ぎを河二達に任せ、令呪の使用はギリギリまで温存させたが――。
 かつて都市国家に君臨した将軍も、この苦境では余裕を取り零していた。

 手傷により行動が制限される中、少しでも早く現場へと駆けつけること。
 余力のない今の彼には、最早それだけで限界だった。
 その後の対処は、戦場における自らの経験と感覚に頼る他なかった。

 それでもエパメイノンダスは、河二との連携でヘリコプターの撃墜を果たし。
 そして――余力を残したカスターに、遅れを取ることとなった。
 肉体と魔力の多大なる消耗が、土壇場における彼の判断に隙を生んだのだ。

 宝具の“相性”もまた、決着を左右した。
 カスターの第二宝具『朽ちよ、赤き蛮族の大地に(インテンス・ソルジャーブルー)』。
 四方八方より放たれる銃弾は、合衆国民以外のあらゆる敵の防御・耐久系の能力を貫通する。

 エパメイノンダスが宝具で展開した、無数の盾による防御壁。
 カスターの宝具による銃弾の嵐は、その全てを“突破”したのだ。
 殲滅の弾丸は、まるで水面を擦り抜けるように、盾の守りをも無効化。
 飛来する無数の鉛玉は、鉄壁をも越えて“常勝の将軍”を撃ち抜いた。
 エパメイノンダスが生還を果たしたのは、ひとえに“軍略”スキルによって対軍宝具に優位な判定を取れたためである。

 カスターは二流の英霊だ。
 しかしそれは、彼が単なる弱小英霊であることを意味するのではない。
 殲滅宝具による攻撃力――こと殺傷という行為においては、極めて優れた男だ。

「さて、そろそろ本題に入ろうかな」

 そして、カスターがそう告げる。
 軽く咳払いをしてから間もなく。
 その顔に、不敵な笑みを貼り付けた。

「――情報が欲しい!!そう、私は尋問のために君達を追撃したのだ!!
 そして私は今、君達を制圧した!!これより君達には洗いざらい話して貰うとする!!」

 “出来れば少しだけでも話を聞いてほしい”。
 それがマスターからの指示だったが、カスターの行動は淑やかなだけの遂行に留まらない。
 制圧の必要があると判断すれば、迷わず制圧する。
 総取りが行えるならば、迷わず仕掛けに行く。
 そうして彼は、敵の疲弊を容赦なく突いた。

「その為にも――――令呪の使用を求めるッ!!」

 カスターは、己の要求を叩きつける。
 それはあまりにも傲岸で、尊大なる注文だった。

「“私と、そのマスターへの一切の敵対行為を禁ずる”!!ただそれだけ命じれば良い!!」

 大仰な身振り手振りを交えながら、カスターは捲し立てる。
 自らに酔い痴れるような振る舞いを、恥じらいもなく取り続ける。

「それからじっくりと話を聞かせてもらう!!
 始末しても構わないが、君達はこの戦争における“脅威”と敵対する余地がある!!
 よって泳がせておく価値がある!!要求さえ飲めば君達の生存は保障するぞ!!」

 そしてカスターは、最後にエパメイノンダス達を指差した。
 己の目的と要求を満足げに語り、勝ち誇ったような笑みを見せつける。

「……ハッ。随分と、大きく出たな」
「うむ、大きく出るさ!!出られるんだから!!」

 そんな彼に対し、エパメイノンダスは苦笑するように呟く。
 カスターに気圧されぬように、彼もまた不敵な表情を作る。
 それでも頬には、一筋の汗が流れ落ちる。

 エパメイノンダスは、既に理解していた。
 この蒼い騎兵は、今の状況を分かっている。
 だからこそ、こんな要求を吹っかけている。
 “今は強気に出ても何ら問題はない”。
 “寧ろそうするべきだ”、と。

「ああ、そうだ――君達」

 カスターは、自分が優位であることを余りにも自覚していた。
 だからこそ彼は、堂々たる脅迫を行なっている。

「予め言っておくが」

 そう、それ故にカスターは言葉を続ける。
 先ほどまでの芝居がかった言い回しとは、まるで違う。
 ――低く、冷徹に、威圧するように。
 まるで淡々と恫喝するような声色で、カスターは紡ぐ。

「私はまだ宝具を使える」

 彼は、ここで脅しを掛けられることを分かっている。
 彼は、自分がいつでも敵を始末できることを解っている。
 彼は、自分の手札がまだ残っていることを判っている。


「――――選べ。降伏か、死か」


 ジョージ・アームストロング・カスター
 それは西部開拓使の英雄であり、民族虐殺の最前線に立った男である。
 彼は己を英傑と信じている。そして、己が殺戮者であることも理解していた。
 だからこそ――この男は、何の悪びれもせず“悪名”を武器に使う。
 虐殺の使徒としての己自身を、脅迫に用いるのだ。

 エパメイノンダスの傍らで、琴峯ナシロは思考していた。
 窮地に追い込まれた動揺を押し隠しながら、現状を見つめていた。

 ヘリコプターは破壊し、敵の機動力を奪うことは果たした。
 しかし、こちらの主力であるランサーはもはや満身創痍になっている。
 ライダーは未だに余力を残し、宝具を再び使えるだけの余地がある。

 紛れもなく、自分達は追い詰められている。
 魔女の茶会からの離脱は果たしたものの、敵の追撃までは凌ぎ切れず。
 多大な消耗により、後のない状況に立たされている。

 一瞬、胸の内から罪の意識が顔を出す。
 この状況を招いた発端は、自分にあると。
 ナシロの中で、そんな囁きが迫る。
 ――刹那の葛藤を経て、それを振り払った。

 動揺に飲まれぬよう、気丈な態度を努めた。
 後悔をしている場合じゃない。
 責任を感じるのも、償いをするのも、終わってからでいい。
 今はただ、目の前の事態に集中するしかない。

 そうしてナシロは、懐に手を当てていた。
 今は別行動を取る“同盟者”から託されたものに触れていた。

 ――“琴峯には借りができちまったからな”。
 ――“返す機会があったら、それ使って呼べよ”。

 特別製のガンドによる“信号弾”が装填された、赤色のボールペンに偽装した道具。
 それはかつて公安に所属していた雪村鉄志から渡された餞別だった。
 自分だけで解決出来ない状況に陥った時、相応の緊急事態が発生した時。
 これを使えば、一度だけ彼に救援を要請することができる。

 自分と彼との、個人的な協定。
 まだ温存すべきではないかと考えていた。
 しかし――もはや余裕はない。
 今の状況では、敵が余りにも優位に立っている
 何とかして離脱の隙を作り、これを使うべきではないのか。

 それとも、二度目の令呪を使うか。
 アサシンを動かし、何としてでもこの場からの脱出を果たすか。
 先程のような作戦としての勘定ではなく、緊急手段としての使用。
 令呪使用で後が無くなるという意味で、その喪失は大きい。
 だが今は、形振りなど構っていられない。
 最悪、河二に手段を委ねることも視野に入れねばならない。

 どうする。手札を切るか。
 あるいは、何か手立てはあるか。
 ナシロは、焦燥の中で思考する。
 この窮地を脱する手段を、何とかして探り続ける――。

 その矢先だった。
 “それ”が割り込んだことに。
 ナシロは、微かに遅れて気付いた。

 ――ぶぶぶぶぶぶぶ。

 膝をつくエパメイノンダス。
 身構える河二とナシロ。
 焦燥し、疲弊する彼らを庇うように。
 幼く小さな影が、立ちはだかった。

 ――ぶぶぶぶぶぶぶ。

 白い外套を纏い、闇夜のような黒い髪を持つ少女。
 その背中には蠅を思わせる楕円の羽を携える。
 冒涜的な羽音を発しながら、カスターに対峙する。

 ――ぶぶぶぶぶぶぶ。

 アサシンのサーヴァント、ベルゼブブ。
 それは魔王の皮を被る、偽りの英霊。
 その本質を既に見抜かれた、哀れなる少女。

「アサシン……?」

 ナシロは思わず目を丸くして、声を上げた。
 ベルゼブブは、答えを返さない。
 ただ黙って、ナシロ達の前に立ち続ける。
 まるで庇うように、無言でその場に佇んでいた。




 ――“私は、間違ってるのかな”。

 わたしは、ぽんこつの英霊。
 わたしは、ニセモノの悪魔。

 ――“赦せない、と思ったんだ”。

 だから、見せかけだけが取り柄。
 こけおどしばかりで、攻撃さえへたっぴ。
 できるのは飛び回ったり、脅かしたりするくらい。
 ぴーぴー騒ぐことだけはとっても得意。

 ――“私はあの時、この世界の人々のために怒ったんじゃない”。

 ぜんぜん役に立たないし。
 ほんとは怖くってしょうがないくせに。
 強がることだけはいっつもしてる。
 今だって、もう敵から相手にもされていない。

 ――“自分のために、怒ってたんだ”。

 それでもわたしは、悪魔で。魔王で。
 なんだかんだ言って、ナシロさんのサーヴァント。

 ――“それでも”。
 ――“守りたい、って思っちゃうんだよ”。

 だから、まぁ、アレです。
 ナシロさんがずーっと頑張ってて、おセンチになってて。
 うんうん悩んで、それでも頑張り続けてて。
 コージさんとかランサーとかは、そんなナシロさんの力になってて。
 いろいろと、思うところがあったりする。

 ――“そう思うのは、間違ってることなのかな”。

 ナシロさんはある意味、わたしの天敵みたいなもの。
 大悪魔と聖職者。混ざり合わない水と油。
 けちょんけちょんにしたくなる大敵。
 けれども、そんなナシロさんとも一ヶ月の付き合いになっていた。

 ナシロさんが上手くいかないとき。
 なにかを悩んで、もがいてるとき。
 もう、どうしようもなさそうなとき。
 わたしがただの邪魔ものでしかなかったら。
 それはそれで、やっぱり悲しいものがある。
 そんな気持ちが、首をもたげていた。

 ナシロさんは、目に見えない神様に仕えている。
 だから、人のためにがんばっている。
 わたしは、目に見えない魔王さまに仕えている。
 だから、悪魔として振る舞っている。

 たとえヤドリバエでも、ただの寄生虫でも。
 わたしは英霊になって、蠅王の虚像を埋め込まれているから。
 さっきの公園でも、コツ掴んで頑張ることができたんだから。

 それに、さっきからわたしたち。
 すごいカッコよかったですよね。
 ナシロさんと、わたし。
 一緒になって、めっちゃ頑張ってましたよね。
 やれないはず、ないんですよ。

 ねーえ、“おちびちゃん”。
 ちんちくりんでへっぽこな、憎らしいおちびちゃん。
 あなた、新しい神様になりたいんですよね。
 人類を幸福に導くなんて、でっかい夢叶えたいんですよね。

 わたしも、ちょっと踏ん張ってみますよ。
 少しは頼れるところ、見せてあげたいんです。
 だってわたしは、ベルゼブブなんですから。
 おちびちゃんよりもでっかいんですから。




 再び立ちはだかったベルゼブブ。
 ナシロ達を庇う彼女に対し、カスターは嘲るような眼差しを向ける。

「……ほう、まだ挑むかね?」

 カスターは既に、ベルゼブブを虚像の英霊であると見抜いていた。

「そちらの将軍とは違い、所詮君はハッタリの英霊だろう」

 力だけはあるようだが、所詮はまやかしの魔性。
 まともに戦えるだけの経験もセンスも持たない。
 紛れもなく、弱卒の劣等に過ぎない――。
 カスターは最早ベルゼブブを脅威と見なしていなかった。

「勇敢さは認めるが、君では私の相手には――」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶ。

 それでも。
 将軍の傲岸なる姿の前でも。
 羽音は、止まない。

「ベルゼブブ」
「何?」
「私の真名は、ベルゼブブ」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 羽音が、騒がしくなる。
 まるでノイズが割り込むように。
 アサシンの唐突な暴露に、カスターは眉を顰める。

「聖書を読んでいるなら、知っていますよね。
 といっても私は、正確には“悪魔の皮を被った虫螻”でしかない」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 羽音と共に、ベルゼブブは呟く。
 声と不協和音が、淀んで混ざり合う。
 境界を失い、一つに融け合ってゆく。

「蝿の王、糞山の王、魔を統べる者、神を穢す者、以色列の王を呪いし邪神。
 そんなベルゼブブへの恐怖と偏見が蠅と結びついて生み出された、虚構の英霊」

 それが私です、と。
 ベルゼブブは、淡々と言葉を紡ぐ。

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 自らの核心となる情報を、彼女は語り出す。
 ナシロは何も言わず、ただ驚愕と共に彼女を見つめていた。
 それはベルゼブブにとって、己の弱点を曝け出すような行為。
 本来ならば命取りになりかねない、真名と素性の暴露。

 しかし――今は、様子が違っていた。
 次第に蠢く羽音。みるみると煩わしくなる不協和音。
 カスターは思わず、眉間に皺を寄せる。
 何か異様なものを察知しながらも、彼は口を開く。

「君は、何が言いたい?」
「それでも、私は――――」

 一呼吸を置き。
 偽りの蠅王は、告げる。

「“ベルゼブブ”なんです」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 そして。
 にたりと、口元を歪ませた。

「分かりますか。私という英霊が、ここに存在することの意味を」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 笑う。悪魔は、嗤う。
 嘲りを、口元に貼り付ける。

「私はベルゼブブの皮を被った、蠅の化身に過ぎない。
 では――――蝿の王とは、そもそも何なのか」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 まるで呪文のように。
 まるで呪詛のように。
 悪魔は、語り続ける。

「所詮は人々の信仰が作り上げた虚像なのか。
 邪教として排斥された、異邦の偶像なのか。
 それとも正真正銘、おぞましき地獄の大君主なのか」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 胸騒ぎが、カスターの心中を襲う。
 いや、この場にいる誰も彼もが。
 焦燥と動揺の渦中へと立たされている。

「真相は、虚実という静寂の中。
 私にさえも、蠅の王の真相は分からない。
 実在と非実在。その確たるカタチは、不条理という闇に沈んだまま」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 その中心に立つのは。
 たった一匹の、“虚仮威しの英霊”。

「ですけどね」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 最早、呪詛も羽音も。
 全てが混濁してゆく。

「”反英霊”ベルゼブブは、ここにいるんですよ。
 私という依代を伴って、ここに存在している」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 混沌の闇が、この場を覗き込む。
 漆黒の眼が、矮小なる人間達を見下ろす。

「“かの王”を畏れる人々の意思があり。
 私が“かの王”の化身となっている。
 分かりますか?それが信仰の力です」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

「そして、“かの王”の権能がこの手にある。
 ただの蝿を、魔神にすら押し上げてるんです。
 それが単なる“無辜の怪物”なんて言葉で済むと思いますか?」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

「私という英霊こそが、“蠅の王”の実在を証明している」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

「聞かせてください。人間ども」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。


「ただのハッタリだと、本当に思うんですか?」


 ――――ぷつん。
 その場の空気が禍々しく、汚泥のように澱み。
 周囲を取り囲む兵士の陣形が、突如として崩れた。

 ある者は、恐怖で身動きが取れなくなった。
 ある者は、その手の銃を取り零した。
 ある者は、ぷつりとその場で気を失った。
 ある者は、頭を掻き毟りながら暴れ出した。
 ある者は、取り乱して恐慌状態に陥った。
 ある者は、錯乱と共に絶叫した。
 ある者は、がたがたと震えて正気を奪われた。
 ある者は。ある者は。ある者は。
 ある者は。ある者は。ある者は――。

 カスターは思わず双眸を見開く。
 何が起きている。それを理解するまでに数秒。
 先程までとは桁違いの“精神汚染”が発動しているのだ。
 誉れ高き騎兵隊が一斉に総崩れするほどの“恐怖”と“威圧”が、この場に撒き散らされている。

 河二はその口に手を当て、必死に吐き気を抑えていた。
 恐慌を無理矢理に堪える河二を何とか支えつつ、ナシロは呆気に取られてベルゼブブを見つめる。
 エパメイノンダスさえも恐怖に身震いし、必死で歯を食いしばっている。
 阿鼻叫喚じみた状況の中で、主であるナシロだけが平静を保ち続けていた。

 カスターは叫ぼうとした。
 “怯むな、所詮は虚仮威しだ”。
 “この私がついているぞ”。
 いつものように皆を奮い立たせようとした。
 しかし、肝心の声が出てこない。
 上手く身体を動かすことが出来ない。
 そして――――。

(………………何だ、これは?)

 カスターは、気がついた。
 後ずさりをしているのだ。自分が。
 いつの間にか、一歩一歩と、後ろに下がっていた。
 背筋の寒気に引き寄せられるように。
 彼の足は、無意識の内にその場から逃げようとしていた。

(後退だと?私が、恐怖で後ずさり?)

 それを理解した瞬間、彼は愕然とする。

(この私が、怯えている…………?)

 前進こそがモットーの自分が。
 勇気こそが取り柄のカスター将軍が。

(――バカな。そんなバカなことが、あってたまるか……!!)

 どんな敵にも臆さない、星条旗の英傑が!
 勇猛果敢!猪突猛進!厚顔無恥!慇懃無礼の偉大なる米国軍人が!
 インディアンの大軍をも恐れない第7騎兵連隊の隊長が!
 サーベルに手を掛けることすら叶わず、ただ恐怖で身を引いているのだ!
 そんな無様な行動を!あのアサシンは、自分に“やらせた”のだ!

(ふざけるなよ、虫けら風情め……!!)

 それは、プライドを踏み躙られる程の侮辱だった。
 カスターはこの聖杯戦争で初めて、心からの怒りに震えていた。
 勇気ある撤退ではなく、臆病ゆえの後退。
 そんなもの、このカスター将軍が取っていい行動である筈がなかった。

(人の矜持に泥を塗るなど、卑劣にも程があるッ……!!)

 これほどまでの屈辱を感じたことはなかった。
 自らの勇気を涜されたことに、憤りが込み上げた。
 こんな激情を抱いたのは、汚職の証言でグラント大統領と大揉めしたとき以来だった。

 わなわなと手が震える。
 これは恐れなのか、怒りなのか。
 いったい何処から来ているのか。
 最早どっちだって良かった。
 今はただ、この感情の矛先を――。

 ――やがてカスターは、我に返った。
 自分が“取り乱している”ことに気付いたのだ。

 己を戒めるように、カスターは息をつく。
 歯軋りをしながらも、無理やり自分を制していく。
 ここまでの怒りを感じてもなお、身体は緊張と動揺で硬直し続けていた。
 込み上げる憤怒を、荒れ馬を従えるカウボーイのように辛うじて鎮めていく。
 彼は何とか冷静さを取り戻しながら、眼の前の状況について思考する。

 このまま宝具で押し切ることも考えた。
 しかし、しかしだ。本当に大丈夫なのか。
 あのアサシン――ベルゼブブの気配が明らかに変わった。
 単なるハッタリ以上の何かを感じる。

 蠅の王。冒涜の魔王。
 その皮を被る、虚構の英霊。
 それは本当に、ただの虚仮威しなのか。
 カスターは、拭い切れぬ疑念を抱いてしまった。

 本当に攻めるべきなのか。
 寧ろ、退くべきではないのか。
 しかし、何の土産もなしに帰還するのか。
 命拾いを喜んで、手柄もなしに帰るのか。
 どうする、カスター。どうする。

 そして、場は静まり返る。
 膠着状態に陥り、睨み合いへと至る。
 ただ立ち尽くすだけのベルゼブブ。
 次の手を思案するカスター。
 両者の対峙が、暫しの間続いたあと。
 ベルゼブブの前へと出る影が、ひとつ。

「……なあ、ライダーよ」

 スッと右腕を出して、ベルゼブブを制止する。
 それは、満身創痍のエパメイノンダスだった。
 彼は疲弊を押して、蠅王の気迫を何とか耐えながら、カスターと再び向き合う。
 そして制止を経て、ベルゼブブは我に返ったように身を引き――周囲に放たれていた“威圧”が消失する。

 その時、カスターは気付かされる。
 先程までは自身が要求を一方的に突きつけられる状況にあった。
 しかし未知のカードを切ったベルゼブブが盤面をひっくり返し、場は振り出しに戻った。
 将軍のランサーは、その隙をすかさず突いてきたのだ。

「なんでウチのマスター達を追った?」

 そしてエパメイノンダスは、淡々と言葉を続ける。
 カスターらは既に複数の陣営と結託し、あの代々木公園で河二達と一度は対立した。
 そうして撤退へと至った河二達を、余力を残しており機動力に長けたカスターが追撃した。
 逃げた手負いの相手への追い打ち。それだけならまだ分かる。

 その上でカスターは、最終的に“情報提供”を求めた。
 河二達を制圧した後、尋問こそを本題として切り出したのだ。

「敵の追撃を名目にして、マスターを追い掛けたんだろうが……。
 恐らくアンタか、あるいはアンタのマスターにとって、何か計算外の事態が生じている」 

 エパメイノンダスは、そこに違和感を抱いた。
 集団からサーヴァントのみが離れ、誰の監視も届かない形での情報収集を行う。
 それはまるで、カスターか彼のマスターによる独自行動のように見えた。

 同盟全体の意向として考えるには、カスター側の裁量が効きすぎる。
 単騎での追跡となれば、幾らでも同盟相手の目を誤魔化すことが出来るのだから。
 相応の信頼関係があるならまだしも、河二達によれば彼らはあくまで利害を前提にした繋がりに見えたという。
 故にサーヴァント単騎での行動に全幅の信頼を置くとは考えにくい。
 つまり建前の口実を使いつつ、水面下で自分達の思惑を果たそうとしているように取れたのだ。

「例えば、当面の“強豪”と見なしていた主従が予期せぬ形で敗北を喫したか」

 では、何故情報を求めたのか。
 エパメイノンダスは、その理由を推測する。

「例えば、自身の“同盟相手”が想定を遥かに上回る戦力の持ち主だったか」

 先の戦局を踏まえたうえで、答えを導き出す。

「何にせよ、アンタ達は何かしらの要因で前提条件が揺らいだ。
 今のところは現状の同盟関係を維持するが、同時に万が一の選択肢も増やしたい。
 ――大方、そんなトコだろう」

 つまるところ、同盟に何らかの“見切り”を付ける必要が生じた時のための保険を用意したがっている。
 そのために他所の情報や接点を求めて、河二達の追跡を行った――そう推理してみせた。

 エパメイノンダスは、カスターの思惑を看破した。
 ベルゼブブを前にして隙を見せたカスターに対する、間髪入れずの牽制だった。

 ――お前は“誰に”取引を吹っ掛けたのか、理解しているのか。
 ――お前は“誰に”駆け引きを挑んだのか、分かっているのか。

 このテーバイの将軍は、言葉の裏で星条旗の将軍へと突きつけたのだ。


「――――幾つか情報を提供する」


 そして、エパメイノンダスは矢継早に言葉を続ける。

 カスターの表情から、既に笑みは消えていた。
 その情報提供とは、彼がカスターの要求に屈した結果ではない。
 即ち、“この情報で手打ちにしよう”ということだった。

 未知数の“手札”を垣間見せたベルゼブブと対峙するリスクを打ち消し、尚且つカスターにも手土産を渡す。
 その代わり、この場は身を引いて貰う――そういう取引だった。

 カスターはその意図を理解していた。
 それ故に、エパメイノンダスの言葉に耳を傾けた。

 エパメイノンダスが語り出したのは、“前回の聖杯戦争”にまつわる情報。
 赤坂亜切からの情報に基づくこの世界の核心。そして、彼が調査を求めた“前回参加者”に関する知見。

 この聖杯戦争は“二度目の開幕”。一度目の脱落者6名が蘇らされ、再び戦いへと身を投じていること。
 うち3名――蛇杖堂寂句ノクト・サムスタンプ、ホムンクルス36号についての詳細な情報を得ていること。
 そして決裂へと至った赤坂亜切が“葬儀屋”と称される対魔術師専門の暗殺者であり、炎の魔眼使いであること。
 彼が従えるサーヴァントが北欧神話における狩猟の巨神“スカディ”であること。

 ――それらの情報をエパメイノンダスらに齎した雪村鉄志、及びそのサーヴァントの存在は徹底して隠し通した。
 その経緯を塗装し、あくまで自分達が直接得た情報であるように語ってみせた。
 弁舌に長けたエパメイノンダスは、巧みな話術によって決して同盟者の存在を気取らせない。

 そして、もう一つの情報。
 あの“陰陽のキャスター”から得られたこと。
 先程までの話と地続きに語り、あくまで自分達が掴んだ情報として伝える。

「――“オルフィレウス”。この世界の黒幕である“白い少女”が従えるサーヴァントの真名だ」

 その名を聞き、カスターが目を見開く。
 この世界の黒幕。“白い少女”――“眩き極星”。
 彼女が従える英霊の真名という、決定的な情報。

「そもそも奴らは何故、“二度目”を始めたのか。
 戦いそのものを求めたのか。更なる願いを欲したのか。
 あるいは聖杯を利用するほどの“目的”と、それを実行に移せる“仕掛け”を抱えていたのか――」

 核心へと繋がる手がかり――雪村鉄志達との情報共有の中で出た推理をちらつかせて。
 エパメイノンダスは、自らの言葉にカスターの意識を引き込む。

「確かなのは、そのオルフィレウスが少女を“神”へと造り上げたってことだ。
 奴こそが、真に厄介な存在らしい」

 オルフィレウスについて俺が知っている情報はここまでだ、と。
 エパメイノンダスは一区切りをつけた。

 カスターは、何も言わず。
 小さく唸るように、与えられた情報を精査していた。
 聖杯戦争が二度目であることは、既に見通していた。
 されど前回のマスター数名の詳細な情報に加えて、神寂祓葉のサーヴァントについて掴むことが出来たのは僥倖だった。

 恐らく薊美もまた、蝗害の魔女から何かしらの情報を得ることになる。
 そういう点で、前回に纏わる話では幾らか重複する事柄もあるだろうが――少なくとも、それで収穫が失われる訳ではない。
 寧ろ双方からの情報により、この聖杯戦争の核心における確たる裏付けが取れる。
 それだけでも十分な価値があった。

「情報は、“前回”のことだけじゃない」

 そんなカスターの思慮をよそに、エパメイノンダスは更に情報を続ける。

「あのロキとか言うキャスターは、アンタの同盟相手だろ?」

 キャスター、ロキ。天枷仁杜が従えるサーヴァント。
 あの“蝗害”との一騎打ちへと臨んだ反英霊であり、恐らくは“蝗害と渡り合ってみせた存在”。

 カスターは、先の代々木公園での一件を振り返る。
 魔女の反応や様子からして、“蝗害”が想定を超える苦戦をしていたのは明白だった。
 それも、令呪使用や魔力枯渇に至るほどの状況に追い込まれる程に。

 薊美は何故、自身を追撃へと向かわせたのか。
 カスターは当初の状況を改めて俯瞰する。そして、その答えは明白。
 当面の難敵と目していた“蝗害の魔女”が制圧されるという番狂わせが、まさに目の前で起こったからだ。
 それを成し遂げた立役者は――天枷仁杜と、そのキャスターだった。

 率直に言うなれば、あの瞬間。
 彼女達こそが“集団の要”になった。
 そう、なってしまったのだ。

「――奴の宝具は、極めて大規模な“幻術”だ」

 薊美が抱き、そしてカスターもまた汲み取った懸念。
 そこへ先回りするように、エパメイノンダスが言葉を続ける。

「奴は世界そのものを欺き、あらゆる理不尽を意のままに操る。傷や死さえも錯覚させる程の、神話の権能を具現化する」

 ロキ――薊美からの話で、それが北欧神話に名を連ねる存在であることは知っていた。
 恐らくは神格、あるいは悪魔の類いに近い存在であることを、カスターもまた対峙を経て察していた。

「奴の手に掛かれば、〈この世界の神〉すら再現できる」

 故に、相応の力を行使する存在であることも推測していた。
 そして今、その推測への“答え合わせ”が行わることとなった。

「対策は“眼の前の光景を信じないこと”。
 “幻覚をあくまで幻覚として対処すること”。
 あるいは――虚実を突破して、攻撃を叩き込むか」

 ――ま、それでも死ぬかと思ったけどな。
 エパメイノンダスはそう付け加える。
 彼が手傷を負いながらも生き延びている事実が、その対策に一定の説得力があることを裏付けていた。 

「どう使うかは、アンタら次第だ」

 そしてエパメイノンダスは、最後にそう締め括る。
 自らが与えた情報の意味を、お前なら理解できるだろう――そう言わんばかりに、微かな笑みを見せていた。

 カスターは何も言わずに、伝えられた情報を咀嚼し続けている。
 先程までの堂々たる笑みはなく、ただ真顔でその場に佇んでいる。

 率直に言って、カスターは驚嘆していた。
 眼の前の将軍が、令嬢(マスター)の抱いた懸念を的確に突いた上で、決定的な情報を提供してきたからだった。

 即ち、あのキャスターの手の内。
 そして、彼の弱点となり得る情報。

 今はまだ同盟を継続するものの、彼らの存在は紛れもなく将来的な脅威だった。
 “蝗害”にさえ匹敵する戦力を備え、更には同盟の主導権を実質的に掌握している。
 敵は何も、神寂祓葉や前回の亡霊達だけではない。
 あの天枷仁杜とロキのようなイレギュラーも、この舞台には存在するのだ。

 代々木公園へと赴く前に、薊美から聞いていたことがあった。
 彼女は、あの天枷仁杜に“未知”を見出していた。

 薊美曰く――舞台に立ち、星を演じる自分とは違う。
 仁杜には奇妙な魅力があり、生粋の輝きがあり、そして引力を持ち合わせている。
 それはまるで、空想の世界の登場人物のような。
 あの神寂祓葉を思わせる、他人を引き寄せるカリスマ性のような――。

 薊美は天枷仁杜という存在の本質を悟り、あのロキから告げられた言葉と共に揺さぶられていた。
 再認識したロキの脅威を噛み締めた上で、カスターはそのことを振り返る。
 ロキも非凡であるように、天枷仁杜もまた非凡である。
 薊美の観察眼によって、それは裏付けられていた。

 そして、そうした情報と合わせて。
 先に伝えられた“黒幕”に関する情報を振り返る。
 オルフィレウス――それこそが、あの少女のサーヴァントの名。

 神寂祓葉に、きっとさしたる目的はない。
 ただ無垢のままに、純真なる心のままに、この“遊び場”を楽しんでいるだけ。
 カスターの目にはそのように映っていた。
 ならば、“そのサーヴァント”が目指すモノとは?

 何故“オルフィレウス”は祓葉と共に、二度目の聖杯戦争を画策したのか。
 祓葉への忠義や肩入れによって、単に彼女の好奇心に付き合っているだけならばまだ良い。
 ――聖杯を利用するほどの“目的”と、それを実行に移せる“仕掛け”。
 エパメイノンダスが語った言葉が、カスターの脳裏で反響する。

 もしも仮に、“その先”の目論見があるとすれば。
 この戦いが、単なる“神の遊び場”で終わらないとしたら。
 彼らが今なお“最終地点”に到達していないとすれば。
 この聖杯戦争の果てに、彼らの目指すところがあるとすれば。

 神寂祓葉、そして“オルフィレウス”。
 もしも彼らが、まだ“完成”していないとしたら。

 この舞台の黒幕は、更なる“進化”へと向かっていくのではないのか。
 これは完全に仮説でしかないが――虚構の箱庭では留まらぬ程の“権能”が生まれるのではないか。
 それこそまさに、世界を超越する“神”のような。

 そんな思考の最中に。
 ある考察が、脳裏をよぎる。

(この世界の神格が、未完成だとして)

 神寂祓葉。そして、オルフィレウス。
 彼らがまだ、結末へと辿り着いていないのなら。

(あの天枷仁杜のような存在もいるのならば――)

 伊原薊美が神を敵視し、天枷仁杜が異端の器を見せたように。
 この世界に招かれた者達にも、幾ばくかの可能性があるのならば。

(もしやこの戦いは、神を生む過程にあるのか?)

 ”神へと至る資格“――そんなモノが、存在するならば。

 何処か世迷い言のような推察が、浮かび上がり。
 自らが何か、決定的な核心へと踏み込みつつあるような感触を抱き。
 故にカスターは、エパメイノンダスを静かに見据えた。

 追撃の果てに、得られたものはあった。
 それはこの聖杯戦争の終着点へと向かう上での試練であり、あの“太陽”へと挑む上での道標だった。

 今暫くは、雌伏の時を続けねばならない。
 同盟による優位を利用し、迫り来る荒波を乗り越えていくことになるだろう。
 しかしその果てに勝利を掴むためにも、絶えず機を伺い続けなければならない。
 自分達が神へと挑み、この舞台の極点へと辿り着くか否かは、これからの道程に懸かっている。

 カスターはそのことを改めて噛みしめる。
 そして、それを覚悟したが故に。
 彼はエパメイノンダスへと、言葉を手向けた。


「――――礼を言おう」


 ただ一言、そう伝えて。
 ほんの一瞬、蠅の王を忌々しげに流し見て。
 展開していた騎兵隊を、ただの魔力へと戻して霧散させる。
 そうしてカスターは、踵を返した。




 常勝の将軍は、あの死線を乗り越えた。
 少年と少女は、魔女の茶会を切り抜けた。
 そして最後に、もう一つの嵐が迫り。
 彼らは辛うじて、苦難を生き延びた。

 ――――終わった。ようやく、片が付いた。

 この場からカスターが去ったことを悟り。
 エパメイノンダスは、身体中に伸し掛かる疲弊に身を委ねた。
 そのまま彼は、仰向けにどっと倒れ込んだ。
 死線を走り切った英雄は、束の間の休息を求めた。

 霊核の損傷こそ避けられているものの、連戦による手傷も消耗も大きい。
 万全の体勢を整えるまで、暫くの回復が必要になるだろう。

「……ランサー」
「おう、嬢ちゃん。コージ共々、上手くやったようじゃねえか」
「ああ。付き合ってくれた高乃には、本当に感謝してる」

 そんなエパメイノンダスの顔を、少女が覗き込んでいた。
 琴峯ナシロ。この将軍の同盟相手であるマスターだった。
 その傍には、将軍のマスターである高乃河二も佇んでいる。

「――貴方にも、伝えておきたい。ありがとう、ここまで戦い抜いてくれて」
「んだよ……そう畏まるこたねぇさ。
 寧ろ、こうして無事に生き延びたことを喜んでこそだぜ?」

 感謝を伝えながらも、負い目を背負う様子を見せるナシロ。
 自分が巻き込んだことで、彼はここまでの手傷を負うことになった。
 ――常勝無敗の栄光に、泥を塗ってしまったのではないか。
 しかし、そんなナシロを労うように、エパメイノンダスは伝える。

「心配すんなよ。俺もコージも、望んで乗りかかった船って奴さ。
 それに――腹に括ったモンは、折れてないだろ?
 なら、俺達はまだ負けちゃいねえさ」

 疲れ果てた姿で倒れながらも、彼は笑みを絶やさない。
 無事にやり切ったと、満足を抱くように。
 まだ希望は途切れていないと、皆に告げるかのように。

「嬢ちゃん。よく頑張ったな」

 此度の戦いも、決して無駄ではなかったと伝えるように。
 エパメイノンダスは、少女達を労うのだ。

「……本当に感謝する。高乃共々、これからも宜しく頼む」

 そんな彼に対し、ナシロは謝辞を述べつつ。
 そして、深い感謝の念を言葉から滲ませた。
 エパメイノンダスは、少女の礼に颯爽とした笑みで返す。

 それから河二もまた、ナシロと視線を合わせた。
 彼はナシロの眼差しを受けて、何も言わずに静かに頷く。
 少女の意図を汲むように、河二もまた礼と共に応えた。

 魔女の茶会では、自らの信念を揺さぶる言葉を投げかけられた。
 自身が何のために戦い、何に憤っているのか。
 あの一件で、ナシロは改めて省みることとなった。
 葛藤も苦悩も、まだ振り切れてはいないけれど。
 それでも彼女は、前を向くことだけは捨てたくなかった。
 支えてくれる“誰か”が居ることの価値を、ナシロは噛み締めていた。

「アサシンも、お疲れさま」

 そうして、ナシロは視線を動かす。
 アサシン――ベルゼブブもまた、一連の戦いで間違いなく奮戦した。

「ここまでの戦い、本当に頑張ってくれたな。
 お前がいたから窮地も切り抜けられた。
 後で好きなもん、何でも買ってやるよ」

 ナシロは、ベルゼブブに呼びかけながら振り返る。
 魔女の茶会では、作戦を完遂するための立役者を引き受けた。
 騎兵との攻防では、飛行能力を駆使して撤退戦を切り抜いた。
 最後の窮地においても、通用しなかった筈の“不穏の羽音”で危機を打破してみせた。

 いつもは悪態を付いたりする仲であっても、今回ばかりはナシロも心から感謝していた。
 きっと、ベルゼブブも疲れているだろう。
 エパメイノンダスと共に、暫く休息を与えることも考えた。


「――――アサシン?」


 ナシロは、ぽつりと呟く。
 視線の先。ベルゼブブは、忽然と立ち尽くしていた。
 ナシロの様子に気づいて、河二達もベルゼブブを見た。

 蠅王の皮を被る少女は、遠くを見つめていた。
 明後日の方向を、孤独に見上げていた。
 空の彼方。宵闇の果て。暗黒の向こう側。
 まるで深い夜の極点に存在する“何か”を視るように。
 ベルゼブブは静寂の中で佇んでいる。

 先程の情景が、ナシロの脳裏を過ぎる。
 今までに見たことがない程の魔術行使。
 “不穏の羽音”による大規模な精神汚染。
 これまでとは桁違いと言えるまでの威圧感。
 騎兵達は愚か、河二やランサーさえも恐慌を感じた程の気迫。

 あんなベルゼブブは、初めてだった。
 いつものように、“魔王を演じている”だけの姿には見えなかった。
 まるで写身である彼女に、“蝿の王”そのものが憑いていたかのようで――。


「あ……ナシロさん」


 やがて、ベルゼブブが此方を向いた。
 呆けたように、我に返ったように。
 ぱちぱちと瞬きして、ナシロを見つめていた。

 暫く、視線を交錯させた。
 互いをじっと見つめて、何も言葉を交わさなかった。
 何処か不安げな眼差しを向けるナシロに対し、ベルゼブブはただ呆然としたままであり。
 そうして、蝿の王の名を関する少女は――。


「わたし、カッコよかったですか?」


 ただ一言、へにゃりと笑って。
 そんなことを、聞いてきた。

 ナシロは呆気に取られて、ぽかんとして。
 その一言に、安堵と不安を入り混じらせつつ。
 それから、ゆっくりと口を開いた。

「……落ち着いたら、iPhone買おうな」
「――マジですか!?さっすがナシロさん!!約束守ってくれるんですね!!そうこなくっちゃ!!
 あ、旧型の奴はヤですよ!!新機種ですからね!!ぜーったい!!」

 いつもの調子に戻ったベルゼブブ――もといヤドリバエに、苦笑いで応えるナシロ。
 そんな彼女達を見守る河二とエパメイノンダス。

 一先ずの嵐は去った。
 魔女の茶会を越え、騎兵の追撃を越えた。
 これから話すべきことは、幾つも残されている。
 しかし少女達は、今だけでもせめて。
 生き抜いたことへの安堵に浸りたかった。


【世田谷区(渋谷区との境目に近い)/一日目・日没】

【高乃河二】
[状態]:疲労(中)、魔力消費(大)
[令呪]:残り三画
[装備]:『胎息木腕』
[道具]:なし
[所持金]:それなり(故郷からの仕送りという形でそれなりの軍資金がある)
[思考・状況]
基本方針:父の仇を探す。
0:なんとか、切り抜けられた。
1:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
2:琴峯さんは善い人だ。善い報いがあって欲しいと思う。
3:ニシキヘビなる存在に強い関心。もしもそれが、我が父の仇ならば――
[備考]
※ロールとして『山梨からやってきた転校生』を与えられており、少なくとも琴峯ナシロとは同級生のようです。
※雪村鉄志から『赤坂亜切』、『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報と推論を共有されています。
※レミュリンから『イリス』に関する情報を得ました。
※レミュリンと“蛇杖堂絵里”の連絡先を得ました。

【ランサー(エパメイノンダス)】
[状態]:疲労(極大)、全身にダメージや傷、多数の銃創
[装備]:槍と盾
[道具]:革ジャン
[所持金]:なし(彼が好んだピタゴラス教団の教義では財産を私有せず共有する)
[思考・状況]
基本方針:マスターを導く。
0:ハードすぎんだろ、聖杯戦争。
1:よく頑張ったな、みんな。
2:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
3:〈蝗害〉とキャスター(ウートガルザ・ロキ)に最大級の警戒。キャスター(吉備真備)については、今度は直接会ってみたい。
4:琴峯ナシロは中々度胸があって面白い。気に入った。
5:カドモスと会ってみたいなぁ!
[備考]
※カドモスの存在をなんとなく察しているようです。

【琴峯ナシロ】
[状態]:疲労(大)、魔力消費(中)、複数箇所に切り傷、精神的疲労
[令呪]:残り二画
[装備]:『杖』(3本)、『杖(信号弾)』(1本)
[道具]:修道服、ロザリオ
[所持金]:あまり余裕はない
[思考・状況]
基本方針:教会と信者と自分を守る。
0:迷いは晴れない。けれど今は、とにかく前を向く。
1:信者たちを、無辜の民を守る。そのために戦う。
2:楪及び〈蝗害〉に対して、もう一度話をする必要がある。
3:ダヴィドフ神父が危ない。
4:ニシキヘビ……。そんなモノが、本当にいるのか……?
5:アサシン……?
[備考]
※少なくとも高乃河二とは同級生のようです。
※琴峯教会は現在、白鷺教会から派遣されたシスターに代理を任せています。
※雪村鉄志から『赤坂亜切』、『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報と推論を共有されています。
※ナシロの両親は聖堂教会の代行者です。雪村鉄志との会話によってそれを知りました。
※レミュリンから『イリス』に関する情報を得ました。
※レミュリンと“蛇杖堂絵里”の連絡先を得ました。

【アサシン(ベルゼブブ/Tachinidae)】
[状態]:疲労(大)、脇腹に刀傷、各所に弾丸の擦り傷、高揚と気まずさ
[装備]:眷属(一体だけ)
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:聖杯を手に入れ本物の蝿王様になる!
0:つかれた。とっても。
1:ナシロさんが聖杯戦争にちょっと積極的になってくれて割とうれしい。
2:あんなチビっこ神霊には負けませんけど!眷属を手に入れた今の私にとってもはや相手にもなりませんけど!!
3:ウワーッ!!! せっかく作った眷属がほぼ死んだ!!!!!
4:ナシロさん、もっと頼ってくれていいんですよ。
[備考]
※渋谷区の公園に残された飛蝗の死骸にスキル(産卵行動)及び宝具(Lord of the Flies)を行使しました。
 少数ですが眷属を作り出すことに成功しています。 
※代々木公園での戦闘で眷属はほぼ全滅しました。今残っているのは離脱用に残しておいた一体だけです。
※“蠅の王”の力の片鱗を引き出しました。どの程度操れるのか、今後どのような影響を齎すのかは不明です。


【ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター)】
[状態]:疲労(小)、複数の裂傷
[装備]:華美な六連装拳銃、業物のサーベル(トバルカインからもらった。とっても気に入っている)
[道具]:派手なサーベル、ライフル、軍馬(呼べばすぐに来る)
[所持金]:マスターから幾らか貰っている(淑女に金銭面で依存するのは恥ずべきことだが、文化的生活のためには仕方のないことだと開き直っている)
[思考・状況]
基本方針:勝利の栄光を我が手に。
0:さて、帰還だ。
1:神へ挑まねば、我々の道は拓かれない。
2:やはり、“奴ら”も居るなあ。
3:“先住民”か。この国にもいたとはな。
4:やるなあ! 堕落者(ニート)のお嬢さん!!
[備考]
※魔力さえあれば予備の武器や軍馬は呼び出せるようです。
シッティング・ブルの存在を確信しました。

※エパメイノンダスから以下の情報を得ました。
 ①『赤坂亜切』『蛇杖堂寂句』『ホムンクルス36号』『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報。
 ②神寂祓葉のサーヴァントの真名『オルフィレウス』。
 ③キャスター(ウートガルザ・ロキ)の宝具が幻術であること、及びその対処法。
※神寂祓葉、オルフィレウスが聖杯戦争の果てに“何らかの進化/変革”を起こす可能性に思い至りました。
※“この世界の神”が未完成である可能性を推測しました。



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最終更新:2025年02月18日 01:12