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第1話 小さな村とショートダガー
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青羽ユウがFrontier of Fortuneを始めようと思ったきっかけは、派手な必殺技でも、綺麗なキャラクターでも、誰かの熱い勧誘でもなかった。
一本の短い動画だった。
タイトルは、
『TRustDiamonD、攻城戦イベント前線記録』
『TRustDiamonD、攻城戦イベント前線記録』
画面の中では、巨大な投石兵器が火を噴き、城壁の上から魔法が雨のように降り注いでいた。先頭に立つプレイヤーたちは、まるで軍隊みたいに整列していて、指示が飛ぶたびに前線が生き物のように動く。
その中心にいたギルド名が、TRustDiamonD。
FoFを遊んでいる人間なら、だいたい知っているらしい。レイド戦や攻城戦の常連で、大人数の戦闘になるとよく名前が出る、いわゆる有名ギルド。
動画のコメント欄もすごかった。
火力がどうとか、ヘイト管理がどうとか、前哨基地の位置取りがどうとか、まるで別の国の軍事会議である。
ユウはそれを見て、思った。
「……これ、俺がやったら三秒で迷子になるな」
でも、同時に思った。
そこまで作り込まれている世界なら、戦うだけじゃなく、歩くだけでも面白いんじゃないか、と。
攻略サイトを眺めていると、TRustDiamonDの他にもいくつかギルド名が出てきた。
団ノ子。
名前は何度か見た。
ただし、ユウの中での印象は「超有名トップギルド」というより、ターブルロンドという交易都市に拠点を持っている、妙にメンバー数と職業の幅が広いギルド、という感じだった。
動画映えする大規模戦闘ならTRustDiamonD。
いろんなことをやっていそうなのが団ノ子。
そのくらいの認識である。
どちらにせよ、今のユウには遠い存在だった。
ターブルロンドがどこにあるのかすら、まだ分からない。
そもそも彼は、まだFoFのログイン画面すら見ていないのだから。
◇
コネクションシートに深く腰を沈めると、現実の部屋の天井に淡い青色の文字が浮かび上がった。
《Frontier of Fortuneを起動します》
《初回ログインを確認》
《感覚同期を開始します》
《キャラクタークリエイトフィールドへ転送します》
《初回ログインを確認》
《感覚同期を開始します》
《キャラクタークリエイトフィールドへ転送します》
視界が、ふっと白くなる。
次の瞬間、ユウは真っ白な空間に立っていた。
床も壁もない。
けれど、足裏には確かに地面の感覚がある。
「おお……」
思わず声が出た。
自分の声なのに、妙にクリアだ。
目の前に、無数の設定項目が開いた。
髪型。
身長。
体格。
利き腕。
歩行癖。
表情補正。
声帯モデル。
姿勢補助。
体感コントロール初期傾向。
戦闘時の恐怖反応補正。
「いや、多くない?」
ユウは一番上から順番に見ていったが、五分もしないうちに脳がしぼんだ。
RPGのロールプレイ部分を大事にしている、という説明は読んでいた。
読んでいたが、まさか「歩き方」まで設定できるとは思わなかった。
「これ、こだわる人はキャラクリだけで一日終わるやつだ」
最終的に、ユウは大きな変更をしなかった。
髪を少しだけ整え、目の色を薄い青にし、体格を現実よりほんの少し軽めにする。
名前は、そのままユウ。
凝った名前をつける勇気は、まだなかった。
そして最後に、クラス選択の画面が表示された。
《初期クラスを選択してください》
【ファイター】
前衛職。自身のヘイトを高め、戦況を安定させる。
前衛職。自身のヘイトを高め、戦況を安定させる。
【シーフ】
遊撃職。物理攻撃で敵のHPを削り、戦況を有利に動かす。
遊撃職。物理攻撃で敵のHPを削り、戦況を有利に動かす。
【クレリック】
援護職。回復や支援で変化する戦況に対応する。
援護職。回復や支援で変化する戦況に対応する。
【レンジャー】
遠距離攻撃職。敵の急所を遠距離から攻撃し、戦闘を有利に進める。
遠距離攻撃職。敵の急所を遠距離から攻撃し、戦闘を有利に進める。
【メイジ】
魔法攻撃職。攻撃魔法による広範囲攻撃を扱う。
魔法攻撃職。攻撃魔法による広範囲攻撃を扱う。
「うわ、ちゃんと悩むやつだ」
ファイターは安定しそう。
シーフはかっこいいけど難しそう。
クレリックは責任が重そう。
メイジはロマンがあるけど、詠唱中に殴られそう。
レンジャーは——遠距離。
「遠くから攻撃できるなら、安全……なのでは?」
ユウはそう思った。
この時点で、すでに少し間違っていた。
だが、初心者とはだいたいそういうものである。
「レンジャーで」
《初期クラス:レンジャーを選択しました》
《クラスは主に習得スキル・成長補正に影響します》
《武器種はクラスに限定されません》
《ただし、能力値・スキル・装備重量により、扱いやすさは変動します》
《クラスは主に習得スキル・成長補正に影響します》
《武器種はクラスに限定されません》
《ただし、能力値・スキル・装備重量により、扱いやすさは変動します》
「……武器は何でも持てるのか」
つまり、レンジャーだから弓しか使えないわけではない。
逆に言えば、弓を持てば簡単に活躍できるわけでもない。
その説明を見て、ユウは少しだけ不安になった。
《Frontier of Fortuneへようこそ》
《あなたは、開拓者です》
《あなたは、開拓者です》
白い空間がほどける。
足元から光が消えた。
◇
「……ねえ」
声が聞こえた。
小さい女の子の声だった。
「ねえ、起きてる?」
ユウは目を開けた。
最初に見えたのは、木の天井だった。
節の浮いた板。
梁に吊るされた薬草の束。
鼻に入ってくる、乾いた木と土の匂い。
次に、覗き込んでいる女の子の顔。
赤茶色の髪をふたつに結んだ、村娘らしい服装の子だった。
「あっ、起きた!」
「……え?」
「おじーちゃーん! 開拓者さん、起きたよー!」
女の子は、ぱたぱたと部屋の外へ走っていった。
ユウはゆっくりと身体を起こそうとした。
しかし、腕に力を入れた瞬間、ぐらりと視界が傾いた。
「うおっ」
《体感コントロールが不安定です》
《急な起き上がり動作により、姿勢が崩れました》
《Tips:ログイン直後はゆっくり動作してください》
《急な起き上がり動作により、姿勢が崩れました》
《Tips:ログイン直後はゆっくり動作してください》
「ログイン直後に起き上がりで負けることある?」
ベッドの横に手をつき、今度は慎重に起き上がる。
木の床がきしんだ。
部屋は狭い。
大きな宿屋でも、豪華な城でもない。
村の家。
いや、たぶん村長の家だ。
すぐに、白いひげをたくわえた老人がやってきた。
「おお、目を覚ましたか。まだ身体がこの地に慣れておらんじゃろう。無理に動くでないぞ」
NPCだ。
たぶん。
だが、声も目線も自然すぎた。
ユウが返事に迷っていると、老人は首を傾げる。
「どうした。言葉を忘れたか?」
「あ、いえ。大丈夫です。ここは……どこですか?」
「ここか? 名もない小さな村じゃ。大きな地図では、ただの初期村としか呼ばれんらしいがの」
「初期村」
急にゲーム用語を混ぜてくる老人。
ユウは笑っていいのか分からなかった。
「あなたは村の外れで倒れておった。鉱石取りから戻った者が見つけてな。開拓者は無茶をしがちじゃが、初日から倒れるとはなかなか豪胆じゃ」
「えっ、俺、もう倒れてた設定なんですか?」
「設定?」
老人が不思議そうに眉を上げる。
やばい。
NPC相手にメタ発言をした。
「あ、いえ、なんでもないです」
「ふむ。頭は打っていないようじゃな」
普通に会話が続いてしまう。
ユウは、ぞくりとした。
次世代のMMORPG。
フルダイブ。
NPCの会話精度が高い、とは聞いていた。
でも、これは「決まった台詞を返している」感じではなかった。
ユウの変な発言に、ちゃんと怪訝そうな顔をしていた。
ここはゲームの中だ。
分かっている。
分かっているのに、目の前の老人をただの案内役として扱うのが、少し難しい。
「外に出てもいいですか?」
「歩けるならな。まずは身体を慣らすがよい。村の広場に、あんたを拾った男がおる。戦い方を教えてくれるじゃろう」
「ありがとうございます」
ユウはベッドから降りた。
一歩。
問題ない。
二歩。
少しふらつく。
三歩目で、視界の端に小さなゲージが表示された。
HP:100 / 100
ST:52 / 52
MP:30 / 30
ST:52 / 52
MP:30 / 30
「ST、低くない?」
数字だけ見ると、なんだか頼りない。
だが、何が高くて何が低いのかも分からない。
ユウは部屋を出た。
◇
村は、拍子抜けするほど小さかった。
木の家が十軒ほど。
小さな井戸。
畑。
柵。
遠くには山脈が見える。
動画で見た城壁も、魔法砲も、巨大なレイドボスもない。
プレイヤーらしき人影も、ちらほらいる程度だった。
広場の中央では、がっしりした体格の男が木人相手に短い剣を振っていた。
横には、さっきの女の子が立っている。
「あ! 開拓者さん来た!」
「おう、にーちゃん。身体は動くか?」
「たぶん、なんとか」
「なら持ってみろ。まずはこいつだ」
男は、木箱から一本の短剣を取り出した。
《ショートダガーを受け取りました》
「あれ、俺レンジャーなんですけど」
「レンジャー?」
男は首をかしげた。
だがすぐに、にかっと笑う。
「遠くから撃つのが得意な開拓者ってことだろ? でも近くに来られたら終わりじゃ話にならん。弓を持つやつほど、腰の刃物は大事にしろ」
「正論すぎる」
ユウはショートダガーを握った。
軽い。
けれど、確かに重みがある。
ゲームの装備アイコンではなく、手の中にある道具としての重みだ。
「まずは構えろ。振り回すな。刃物は腕だけで振ると身体が流れる」
「はい」
ユウは短剣を構えた。
つもりだった。
《姿勢が不安定です》
《右足の接地が浅く、体感値が上昇しています》
《右足の接地が浅く、体感値が上昇しています》
「なんか注意された」
「足だ、足。腰が逃げてる」
男がユウの足元を軽く蹴る。
「この世界の身体はな、思ったより正直だ。無理な動きをすれば転ぶし、勢いを殺せなければ吹っ飛ぶ。力任せに動けるやつは、そういう身体を作ってる」
ユウは足の位置を直した。
もう一度構える。
《姿勢安定》
《ショートダガー:使用可能》
《ショートダガー:使用可能》
「お、いけた」
「じゃあ木人を突け」
「斬るんじゃなくて?」
「短い刃で届かねえ距離を斬ろうとすると、初心者は大体すっ転ぶ」
「なるほど」
ユウは木人に向かって一歩踏み込み、短剣を突き出した。
届かない。
「……」
「間合いだな」
もう半歩。
突く。
今度は当たった。
木人の腹に、こつん、と鈍い音がする。
《Hit》
《Damage:2》
《ショートダガー基礎経験値 +1》
《Damage:2》
《ショートダガー基礎経験値 +1》
「ダメージ2」
「最初はそんなもんだ。次は連続でやってみろ」
「はい!」
ユウは調子に乗った。
一撃。
二撃。
三撃。
四撃目を出そうとした瞬間、腕が重くなった。
《ST消費》
《呼吸が乱れています》
《呼吸が乱れています》
「え、もう?」
さらに踏み込もうとして、足がもつれた。
《体感コントロール値を超過しました》
「うわっ」
ユウは見事に前のめりに転んだ。
地面に手をつく。
痛みはほとんどない。
ただし、かなり恥ずかしい。
横で女の子が真剣な顔で言った。
「開拓者さん、地面好きなの?」
「好きではないかな……」
男は笑っていた。
「初日でそれに気づけるなら上出来だ。STが切れたら走れねえ、避けられねえ、泳げねえ、登れねえ。おまけに無理して動き続けると最大値まで減る。休むことも技術だぞ」
「休むことも技術……」
ユウは地面に座ったまま、STゲージがゆっくり戻っていくのを見た。
動画の中のプレイヤーたちは、ずっと動き続けているように見えた。
でも実際は違う。
動けるように管理しているのだ。
スタミナも、姿勢も、間合いも。
ゲームはボタンを押せば攻撃してくれるものだと思っていた。
FoFは、どうやらその考えを最初の五分で叩き折りにくるタイプらしい。
◇
戦闘訓練は、さらに続いた。
ショートダガーで木人を突く。
横に避ける。
止まる。
呼吸を整える。
また突く。
その繰り返し。
派手さはない。
魔法陣も出ない。
だが、ユウは少しずつ分かってきた。
大きく動けば強いわけではない。
早く動けばいいわけでもない。
自分のステータスで制御できる範囲を知ること。
それが最初の戦闘だった。
《基礎訓練を完了しました》
《レンジャー Lv.1:経験値を獲得》
《短剣基礎 Lv.1 を習得しました》
《回避基礎 Lv.1 を習得しました》
《体感コントロール補助が更新されました》
《レンジャー Lv.1:経験値を獲得》
《短剣基礎 Lv.1 を習得しました》
《回避基礎 Lv.1 を習得しました》
《体感コントロール補助が更新されました》
「レンジャーなのに短剣基礎」
「いいじゃねえか。生き残る技術は多いほどいい」
男は木箱から、今度は小さな弓を取り出した。
「で、本命はこっちだろ」
「おお、弓!」
《小弓を受け取りました》
《矢筒を受け取りました》
《矢筒を受け取りました》
ユウは少しテンションが上がった。
レンジャーっぽい。
やっとそれっぽい。
的に向かって弓を構え、弦を引く。
引く。
引く。
「……硬くない?」
「ちゃんと背中を使え。腕だけで引くな」
「背中ってどうやって使うんですか」
「それを覚えるんだよ」
弦を引くだけでSTが減る。
狙いを定めるだけで腕が震える。
矢を放つと、的のかなり右に外れた。
《Miss》
《照準姿勢が不安定です》
《SKL不足により補正が低下しています》
《照準姿勢が不安定です》
《SKL不足により補正が低下しています》
「スキルだけじゃなくてステータスも足りない!」
「当たり前だろ。弓は簡単そうに見えるだけだ」
安全そうだからレンジャーにした。
ユウは、さっきの自分を少しだけ殴りたくなった。
◇
訓練が終わるころには、ゲーム開始前のわくわくした気持ちは、半分くらい疲労に置き換わっていた。
それでも、不思議と嫌ではなかった。
むしろ面白い。
失敗した理由が、ちゃんと分かる。
STが足りない。
体感が崩れている。
SKLが足りない。
足の置き方が悪い。
ゲームに怒られているというより、世界に教えられている感じがした。
村長の家へ戻ると、入口横に小さな掲示板があった。
《依頼掲示板》
【村外れの鉱石回収】
依頼者:鍛冶見習いロット
内容:鉱石取りの帰路で落とした赤銅鉱の欠片を回収してほしい。
場所:東の小道、柵の外れ付近。
報酬:アーケインエッセンシャル×1 / 30G
推奨:初期クラス Lv.1以上
備考:魔物に注意。
依頼者:鍛冶見習いロット
内容:鉱石取りの帰路で落とした赤銅鉱の欠片を回収してほしい。
場所:東の小道、柵の外れ付近。
報酬:アーケインエッセンシャル×1 / 30G
推奨:初期クラス Lv.1以上
備考:魔物に注意。
「依頼系クエスト……」
ユウは掲示板の前でしばらく悩んだ。
戦闘訓練は終わった。
ログアウトしてもいい。
初日としては十分だ。
しかし、依頼の内容はそこまで難しくなさそうだった。
鉱石を拾うだけ。
しかも場所は村の近く。
戦わなくてもいいかもしれない。
「……ちょっとだけ」
ユウは依頼を受注した。
《依頼系クエスト:村外れの鉱石回収 を受注しました》
村の東へ向かう。
道は細い。
草が足首をくすぐる。
木の柵の向こうには、低い丘と小さな森。
遠くの山脈は白く霞んでいた。
ユウはマップを開いた。
《フロンティア オブ グランド・ゼノン》
《現在地:初期村 東小道》
《周辺情報:一部未記録》
《注意:村外では敵対モンスターと遭遇する可能性があります》
《現在地:初期村 東小道》
《周辺情報:一部未記録》
《注意:村外では敵対モンスターと遭遇する可能性があります》
「一部未記録……」
それだけで、少し胸が鳴った。
攻略情報のある場所でも、すべてが固定ではない。
誰かの行動で、NPCもモンスターも動きが変わる。
そういうゲームだと、事前に読んでいた。
それなら、ただ鉱石を拾うだけでも、何かが変わるのかもしれない。
道端に、赤茶色の石が落ちていた。
《赤銅鉱の欠片》
《クエスト対象》
《重量:小》
《クエスト対象》
《重量:小》
「ひとつ目」
拾う。
バッグに入れる。
わずかに身体が重くなった。
「重量もちゃんとあるんだ」
二つ目はすぐ見つかった。
三つ目は、柵の外れにあった。
木の柵が一部壊れていて、その下に赤銅鉱の欠片が転がっている。
ユウはしゃがんで拾おうとした。
そのとき、草むらが揺れた。
「……ん?」
小さな影が飛び出した。
緑色の体。
額に小さな宝石のようなもの。
ふさふさした尾。
《グリーンカーバンクル》
《小型モンスター》
《小型モンスター》
「かわいい」
言った瞬間、グリーンカーバンクルは低く身を沈めた。
そして、弾丸みたいに飛びかかってきた。
「速っ!」
ユウは横に避けようとした。
訓練通りに。
だが、足場は訓練場の平らな地面ではない。
草がある。
小石がある。
拾った鉱石の重みもある。
身体が少し遅れた。
グリーンカーバンクルの頭突きが、ユウの脇腹に入る。
《被弾》
《Damage:12》
《衝撃値を検出》
《体感判定:失敗》
《Damage:12》
《衝撃値を検出》
《体感判定:失敗》
「うわっ!」
ユウは横に吹っ飛び、尻もちをついた。
視界が揺れる。
HPが88に減っている。
ダメージそのものより、姿勢を崩されたことの方がきつい。
グリーンカーバンクルは、また距離を取る。
もう一度来る気だ。
「待って、かわいい顔して普通に強い!」
ユウは小弓を構えた。
しかし、焦っているせいで弦がうまく引けない。
《照準姿勢が不安定です》
《ST消費増加》
《ST消費増加》
「弓、今じゃない!」
ユウは小弓を下ろし、ショートダガーに持ち替えた。
レンジャーなのに、初戦が短剣。
だが、生き残る技術は多いほどいい。
さっきの言葉を思い出す。
グリーンカーバンクルが再び身を沈めた。
直線に来る。
たぶん。
大きく避けるな。
半歩でいい。
ユウは息を止め、相手が跳ねた瞬間に左へずれた。
風が頬をかすめる。
グリーンカーバンクルが目の前を通り過ぎた。
その横腹へ、ユウは短剣を突き出す。
《Hit》
《Damage:5》
《Damage:5》
「入った!」
だが、倒れない。
グリーンカーバンクルはすぐに振り返った。
今度は距離が近い。
ユウは逃げようとしたが、STが半分を切っていた。
走ればさらに減る。
でも立ち止まれば当たる。
「これ、初心者殺しじゃない?」
小型モンスター。
かわいい。
しかし、初期プレイヤーにとっては立派な脅威だった。
グリーンカーバンクルが鳴いた。
甲高い声。
一瞬、ユウの足がすくむ。
《恐怖蓄積:微小》
《体感コントロール低下:微小》
《体感コントロール低下:微小》
「恐怖まであるの!?」
ユウは慌てて後ろに下がった。
悪手だった。
かかとが壊れた柵の残骸に引っかかる。
また転ぶ。
グリーンカーバンクルが飛ぶ。
「っ!」
ユウは転んだまま、反射的にショートダガーを前に出した。
狙ったわけではない。
ただ、怖くて突き出した。
刃先が、飛び込んできたグリーンカーバンクルの額の宝石をかすめる。
《Critical》
《Damage:18》
《グリーンカーバンクルを討伐しました》
《Damage:18》
《グリーンカーバンクルを討伐しました》
光の粒になって、モンスターが消えた。
草の上に、小さな緑色の欠片が残る。
《カーバンクルの欠片を入手しました》
《レンジャー経験値 +12》
《短剣基礎経験値 +3》
《回避基礎経験値 +2》
《レンジャー経験値 +12》
《短剣基礎経験値 +3》
《回避基礎経験値 +2》
ユウは、しばらく動けなかった。
HPは76。
STはほぼ空。
尻は土まみれ。
初戦の相手は、小型のグリーンカーバンクル。
結果は勝利。
ただし、勝ったというより、転びながら偶然刺さった。
「……勝ちは勝ち、か?」
誰も答えない。
でも、胸の奥が熱かった。
TRustDiamonDの攻城戦とは比べものにならない。
団ノ子のギルドハウスがあるターブルロンドにも、まだ遠い。
レイドでもない。
ボスでもない。
たった一匹の小型モンスター。
それでも、自分で考えて、自分で動いて、ぎりぎり生き残った。
それだけで、FoFという世界が少しだけ自分のものになった気がした。
◇
村へ戻る道は、行きよりもずっと長く感じた。
STの最大値が少し下がっていた。
無理に走ったせいだ。
ユウは途中で何度も立ち止まり、息を整えた。
休む。
これも技術。
村に着くころには、空が夕方の色に変わっていた。
鍛冶見習いのロットに赤銅鉱の欠片を渡すと、彼は驚いた顔をした。
「おお、助かった! これがないと、明日の修理が遅れるところだったんだ」
「修理?」
「東の柵だよ。あそこが壊れたままだと、夜に魔物が入り込むかもしれないからな」
ユウは、さっき転んだ柵を思い出した。
あれは、ただの背景ではなかったらしい。
《依頼系クエスト:村外れの鉱石回収 を達成しました》
《報酬:アーケインエッセンシャル×1》
《報酬:30G》
《村の安全度が微小上昇しました》
《NPC:ロットの作業進行が更新されました》
《報酬:アーケインエッセンシャル×1》
《報酬:30G》
《村の安全度が微小上昇しました》
《NPC:ロットの作業進行が更新されました》
「村の安全度……?」
ユウは表示を見つめた。
クエストを達成した。
報酬をもらった。
それで終わりではない。
村の状態が変わった。
NPCの作業が進んだ。
もしかすると、これを放置していたら、夜に何か起きていたのかもしれない。
FoFは、ただのクエスト消化ゲームではない。
プレイヤーが何かをすれば、世界がほんの少し反応する。
攻略動画で見た大規模戦闘だけが、このゲームのすべてではないのだ。
ユウはアーケインエッセンシャルを手に取った。
小さな瓶。
淡い光。
たったHP10回復するだけの、初歩の回復アイテム。
でも今のユウには、妙に頼もしく見えた。
◇
ログアウト前、ユウは村の外れに立った。
空は暗くなり始めている。
遠くの山脈の向こうに、薄い星が出ていた。
マップを開く。
表示されている範囲は狭い。
初期村。
東小道。
柵の外れ。
その先は、まだほとんど黒い。
画面の端に、遠い都市名が薄く表示されていた。
《交易中央都市ターブルロンド:未到達》
《主要交易街道:未開放》
《主要交易街道:未開放》
ターブルロンド。
TRustDiamonDの本部があり、団ノ子のギルドハウスもあるという巨大な商業都市。
そこに行くには、まだ何段階も必要だろう。
レベルも、装備も、知識も、足りない。
でも、それでいい。
今のユウには、初期村の東小道ですら十分に広い。
「まずは、転ばずに歩くところからだな」
そうつぶやいたとき、端末が小さく震えた。
《条件を満たしました》
《突発系クエスト候補を検出》
《突発系クエスト候補を検出》
【夜の柵を直す者】
発生条件:村外れの鉱石回収達成 / 日没後 / 東の柵未完全修復
内容:夜間、東の柵周辺に小型モンスターの気配があります。
推奨:複数人、または休息後の行動。
発生条件:村外れの鉱石回収達成 / 日没後 / 東の柵未完全修復
内容:夜間、東の柵周辺に小型モンスターの気配があります。
推奨:複数人、または休息後の行動。
「……日没後?」
ユウは村の東を見る。
さっきグリーンカーバンクルと戦った柵のあたり。
薄暗い草むらの向こうで、何かが光った気がした。
推奨、複数人。
または休息後。
今のユウは、HPもSTも万全ではない。
行くべきではない。
絶対に行くべきではない。
彼はログアウトメニューを開いた。
《ログアウトしますか?》
【はい】 / 【いいえ】
【はい】 / 【いいえ】
指が止まる。
今日だけで、起き上がりに失敗した。
短剣で転んだ。
弓を外した。
小型モンスターに吹っ飛ばされた。
でも、クエストをひとつ達成した。
村の安全度が、ほんの少し上がった。
だったら。
「……見るだけ」
ユウは【いいえ】を選んだ。
そして、村の灯りを背に、東の柵へ向かって歩き出す。
これは、まだ誰にも知られていない初心者の一歩。
有名ギルドの記録にも残らない。
攻略動画にもならない。
だけど、FoFという広すぎる世界は、こういう小さな一歩にもちゃんと反応する。
青羽ユウの開拓者としての初日は、まだ終わらなかった。