ドッグス選手物語

+ ドッグス
六反田ドーピング発覚。出場停止になってしもうた。
今年は不調や。

+ 犬神太一監督
犬が大好きな監督。
生類あわれみの令(犬限定)だしよった。
そしたらネコ派に殺されてしもた。
今年は愛しすぎに注意や。

ドッグス野手

+ 椎名
椎名はなぁ、平均的な能力のせいで森田や藤代、柳沢etcに憧れられたりすることがようあった。
しかし、椎名は平均的という言葉が嫌いだった。
それは少年時代からで、椎名はその時から平均的な能力を持ってたんや。
少年椎名は上位打線においてもらえてとても喜んどった。
でも椎名はその理由を聞いて愕然とした。
「お前は平均的な能力やしとりあえず何でもできるから1番打者や」といった。
その時からや、平均的がいやになったのは・・。

何か練習してとにかく何かを8にしようとしてトレーニングをした。
しかし、椎名は「7」という壁は越えられんかった。
で、ファンには「今日のブシューンすごかったですね、オール7だからできるんですか??」
って聞かれた。もう椎名はプツンときよった。

椎名は開き直った。もう何が何でもすべてを7にしてやろうと・・。
まずは、捕手守備を鍛えることにした。
もともとセンスはあったため7までは早かった。
で、西尾や来生、古川、佐久なんとかさんetcに追いついた。 
試合のときマスクを脱いだのを見て片倉やなかったから、もうみんなびっくりや。
次は投手トレーニングをした。やっぱりセンスはあったためオール7になりよった。
こっちのほうがもっとびっくりや。内野守っとった思ったら捕手してて次は投手なりおったからな。
ずっと投手のトレーニングをしてきた森川に臼井、田中を能力で抜いた時にはちょっと命を狙われかけたりもした。

でも象の羽田は抜かれんかった。能力に8があったからな・・。
椎名は本気でトレーニングをした。でもやっぱり無理やった。
なんで俺は平均的なんだろうととても悔やんだ。

そこに、隼のムードメーカー柳沢が来て励ましおった。
「椎名さんだけに、とてもおしいな」って・・・。
椎名はもう聞いてなかった・・・。

今年は何か一つを鍛えると吉や。多芸は無芸って言うやろ。

+ 片倉
片倉は球界の誰もが認めるほどのイケメンや。
それで、犬神監督の娘さん、姫子さんの心を奪ってしまったんや。
二人は誰にも内緒で付き合ってたんや。もちろん監督にも内緒や。
でも、姫子さんは絶世の美人やし、片倉もそれに負けない色男や。
それはそれは華やかなカップルやった。
二人でホテルから出てきたところを、鮫の親会社である某○○新聞に撮られてしまったんやな。
これで二人の関係が監督にばれて、片倉は大幅減俸処分となってしもた。(1億5千万→9百万)
今年はスキャンダルに注意や。

+ 片倉ver2
スカウト「あんまパッとしない選手だなー。乙。」
うう。やっぱり俺にプロは無理か。

あっグローブ返さなきゃ。「これどこに返せばいいですか?」
偶然にも片倉が話しかけたのは親会社の社長やったんや
社長「ほうほう。youもプロきちゃいなよ」
片倉「えええ(意味わからん)」

社長「youいいね。もともと内野手だったんだって?ノーノー。ここでは関係ナッシングゥ!外野やってみないかい?」
片倉「え、あ・・・(意味もっとわからん)」

社長「you最高じゃないか!次はキャッチャーもやってみようyo!」
片倉「は・・・い(意味最高にわからん)」

社長「youさぁ、ピッチャーもやらないか?」
片倉「もう捕手でいいです。」
ちなみにこの時片倉は正捕手で日本代表のマスクをかぶっていた。

その後この社長なにやってたかって、三池に手を出したみたいやで。

こちらはある飲み屋さん。
片倉「なあ三池、○○社長ってしってる?」
三池「知ってますよ。私のコーチしてくれました」
片倉「意味わからん言葉で次々コンバートしてくるやつ。俺なんか投手やれって言われちゃったよ」
三池「僕もです。片倉さんでも投手やってないですよね」
片倉「もちろんね。野々垣に止められたんだ。三池、お前は?」
三池「実は投手にさせられちゃって」
片倉「えええ(意味わからん)・・・。ちょっとなげてみてよ」
三池「はい、いいですけど」

ピシャン。

片倉「コントロール悪すぎ!だからやらないほうがよかったのに…」
三池「いいんです。次のシーズンから監督が中継ぎで使うって言ってますし。最近話題じゃないですか、二刀流」
片倉「そういうことじゃないだろ。椎名も言ってたぞ。『多芸は無芸。スタメン落ちも時間の問題』って」
三池「…。」

事実、三池は捕手スタメンを徳重に取られ、中継ぎのほうもコントロールが悪すぎて自滅することが多く、ベンチを温める日が続いてましたとさ。

+ 久我
久我はなぁ、巧打は負けてるけど脚力で勝ってる久野にすごいライバル心をいだいとった。(名前も似てたからよけいな)
それで最初のころは脚力で勝ってるからいいか、と思っとった。
しかしある日のファルコンズ戦、久我は真芯でとらえてセカンド谷野の頭を超えライトにおもいっきり飛ばした。
久野に二塁打を見せたろう、と思って自慢の足で思いっきり走った。
じゃ、久野もその気になっておもいっきり投げよった。
するとすごいスピードで飛んできた球は久我がまだセカンドまで距離があるうちにショート金杉の手に入っていた。

その時から久我は思った。俺も何か鍛えようと・・・
バントヒットは昔から苦手やったし、第一打撃能力は今のままでも十分やったから余計な手を出してスタメンの座から落ちたくなかった。
得意なのは脚力だが、何か微妙で毎日走り込みを続けていてもこれ以上増えなかった。

「そうだ、攻撃面は勝ってるんだから守備を鍛えて追い付けば、俺の勝ちだ!!」
と気づいた。

それから、毎日練習が終わってから遠投練習もやった。(コントロールは若干悪くなったが……)

それでファルコンズ戦。久野を刺そうと狙っていたが久野は足が遅いのをわかっていたので狙ってこなかった。仕方なくターゲットを丸居に変えライトに飛んでくるようひたすら天に祈った。
その祈りが通じたのかライトに真芯で飛んできた。
待ってましたとボールを追いかけ遠投練習の成果を見せるべく思いっきり飛ばした。
す・る・と

いつも通りの球がいつも通り香田のグローブに入ったころにはもう余裕で丸居はセカンドについていた。

久我よ、なんでも叶うと思ったら大間違いだぞ。

と思ったら、後半戦から調子が上がって首位打者とってもうた。

野球ってほんまよくわからんな。

+ イソンビン
実況「1アウト、ランナー1、2塁のチャンスでイソンビンに打順が回ってきました。」
実況「ピッチャー里村、第1球を投げました。」
実況「あーっと、140km/hど真ん中のストレートを併殺打にしてしまいました。」
今年はチャンスを潰してしまう年になりそうや。

ちなみになんJではこのことをこうまくし立てたそうや。

ドッグス打者:イソンビン        シャークス投手:里村
┌─┬─┬─┐
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├─┼─┼─┤
│ │●│ │
├─┼─┼─┤
│ │ │ │
└─┴─┴─┘


球種    球速   コース   結果
●1 ストレート 140km/h 真中中央 ゴロ(二併打)
                        [ 併殺打 併殺 ]

ちなみにイソンビンがスタメン落ちするようになったのもこの頃からやと言われてるんやで。

+ イソンビンver2
イソンビンは日本に来て一年目は大活躍やった。しかしな、二年目は苦手な横変化球ばかり投げられて散々な結果やったんや。
そして二年目の後半戦直前についに4番から落とされたんや。かつての韓国リーグの偉大なスラッガーや。四番から落とされることだけでも屈辱やった。
6番・ファースト・イソンビン それでも貴重な大砲としてスタメンは死守できてたんや。

しかしな、今のドッグス見てわかるやろ?マイケルさんの登場や。
多少ミートはずしても打てる、一発も打てる大当たり外国人。すぐさまスタメンや。
代わりに誰がスタメン落とされるかって、打率が悲惨だったイソンビンしかおらんかった。
その年からはベンチ生活や。確実性が低いから代打ですらめったに出してもらえんかった。
さらに来日からの年俸6億円もあって周囲から「6億円の置物帰れww釜山港に帰れwww」ってボロクソ言われだしたんや。

彼自身もさすがに危機感を覚えてきたんや。そこでコーチに自ら志願して毎日特打ちしたんや。
相変わらず横変化には弱く、練習でもブンブン振り回すだけやったが、当たった時はとんでもない勢いの打球だった。
コーチは「お前は横変化を当てようとばかり考えて、ボール球まで振っとる。横変化の見極めを磨けば無駄な三振は減るはずだ。」って言っとった

そこでキャンプではそこに徹底、
オフには日村、野々垣、堀田と自主トレ
横変化と、ボールの見極めを集中して特訓して、横変化の変化具合の見極めがかなり上達したんや。

そして、春キャンプも終わりオープン戦が始まった。
一試合目、代打で出場や。投手はいきなり横変化得意な里村やった。
里村「なんだ、こいつなら適当に曲げときゃ自動アウトじゃん」ってな、ナメきっとった。
だが鍛えた選球眼と里村の微妙な制球力でフルカウント。
里村が最後にMAXシュート投げてきたんだが、しっかり見て四球や。
チームはそれをきっかけに逆転しおった。

二試合目、七番レフトで出場やった。
投手は湯川や。ここでイソンビンは真横カーブの変化を読みきって芯に当てたんや。
普通なら平凡な外野フライだがまたも持ち前の力でフェンス直撃やった。
三試合目以降も一発はないこそ、普通の打者並みの打率にならんどった。そして数年ぶりに開幕スタメンをゲットしたんや。外野ができたのが幸いやな。


開幕戦、雑賀vs野々垣で投手戦や
三回裏2-1でビハインド、1死一、三塁。
イソンビンが打席や。一打席目はシュートを捉えるも左飛やった。
しかしファンによぎるのはゲッツーや。昨年までが物語るからな。
雑賀は四球ほどカーブで攻めてきたんや。しっかり見極めてカウント2S2B。
五球目は小さい小さいシュートではずすボール球
イソンビンはなんとこれも見切ったんや。フルカウント。


緊張の中最後に雑賀が投げたのは....

タイミング外しも兼ねてMAXの直球やった。


忘れとるかもしれんが、苦手なのは横変化や。直球は打てるんや。
イソンビンの反射神経がしっかり反応したんや。


ブシューン!!!



サヨナラ3ランや。磨いた選球眼と健在の長打10のパワーで彼の復活を開幕で見せつけたんや。

復活の大砲・イソンビンの新たなスタートや





(尚このゲーム、どんだけ扇風機相手でも直球ばっかり投げんほうがええで..)



+ イソンビンver3
イソンビン(李成斌)は韓国時代から練習嫌いやった。
己のセンスを信じ切っていたんや。

実際、韓国時代にはシーズン通算65本の新記録を打ち立てとるし
ダイナマイト球界挑戦一年目に猿にいたころも、当時最盛期やった郷野と最後までホームラン王のデットヒートを繰り広げとったんや。

当然、投手はみんな研究する。
しかしイソンビンは練習せん。

ドッグスに移籍してからは、成績はどんどん下がっていったんや。
更にマイケル・ヘンドリクスにその座を奪われ、もはやベンチ要員やったんや。

それでも彼は豪語していた。

“下には下がおる!”

当然誰のことやったかはわかるわな。




しかし今年・・・・

マクブライトは生まれかわっとった。

パワーはそのままに、しかし目に見えてミートがよくなっとった。

等々力もそうや。


更に・・・・・

スミスは突然いなくなった。
弟とともに帰国したとか、二軍に落ちたとか諸説あるが、もうここにはいない。


パワー馬鹿四人組は自然解散していた。

さぁ大変なのは取り残されたイソンビン。

ネタ選手はもはや彼一人のみとなってしまった。
仲の良かったマックや等々力からも嘲笑われるようになってしまった。


呉下の阿蒙って諺、知っとるか?

今年は、どんなに自信があることでも何が起こるかわからん。
ちょっとくらいは努力した方がええで。

+ イソンビンver4
イソンビンはな少年時代頭角を現して10割バッターやったんや
当然相手は対策するためにイソンビンを敬遠するようになっていたんや
しかもそのチームは弱小 イソンビンなしでは勝てなかったんや

イソンビン「どうしたら勝てるだろう… そうだ! 悪球打ちだ!」

その後からイソンビンの特訓が始まった
林に入り、至る所に竹をつりさげてバットで連続で打つ練習をしたんや

翌日:試合が始まると、当然のように相手はイソンビンを敬遠しようとした

すると!

カキ―ン

見事HRや 相手は恐れた 敬遠しても打ってくる!?
しかし衝撃の事実が… ド真ん中および、ストライクの球が打てなくなったのだ 長打力は8から10に上がったが、前まで8だったヒット能力が0,01までに下がった 
このヒット力はドラ○えもんののび太レベルや それでも悪球を仕留めていったんで、打率は3割で持ちこたえた

その後、韓国リーグを経て、長打力を見込まれてモンキーズに入った モンキーズでは1年目からHR王をとったんや
2年目はトレードでドッグスに行った しかしHR王や 対策されないわけがない 相手が慎重にストライクを投げるようになって、悪球は減った 当然打率、HR数、打点は驚異的に減った
しかもやつれた オフになると毎日酒場に行く日々 そんなイソンビンに、犬神監督はこう言った
監督「お前、打てないことを仕方ないと思っていないか? 打とうとは思わないのか?」

この言葉でイソンビンは目覚めた 毎日毎日ピッチングマシーンで打って打って打ちまくる日々 
其の年の開幕のイソンビンは違った ヒット力が9になっていたのんや なんと、少年時代を超えたんや この年、イソンビンは2度目のHR王を取ったんや
ここで調子に乗ったイソンビンは、翌年に全く練習をせず、ヒット力が3になっていたんや ストレートがかろうじて打てるぐらいや 
この年の成績は… わかるな?

しっかり練習すること、監督の言葉を忘れないことが、今のイソンビンには重要やな

+ イソンビンver5-イソンビン兄貴は人気者
イソンビン「ラーメン食いに行こう」
マイケル、ヘンドリクス「いいっすね」
M、I、H[「てくてく]
子供「イソンビンだーあくしゅーあくしゅー」
学生「イソンビンじゃん」パシャッ
姉ちゃん「抱いて!」

M、H「…」

マイケル「え…なにこれは」
ヘンドリクス「イソンビンの人気を知らんのか」
ヘンドリクス「あいつの人気は凄まじいんやで」

マイケル「(T_T)」
ヘンドリクス「(T_T)」

イソンビン「なにないとるんや…だいじょぶや何もなくことないで」

M、H「(T_T)」

シャークス戦ピッチャー里村

一番打者ヘンドリクス
三球三振

ヘンドリクス「すまんのう、椎名ちゃんならいけるで頑張りや」

2番打者椎名
ホームラン

3番打者久我
ヒット

4番打者有働
ホームラン

マイケル「え…なにこれは」
ヘンドリクス「イソンビンの存在が士気を高めとるのや」
ヘンドリクス「俺らも行くしかないで」

5番打者マイケル
ヒット

6番打者ヘンドリクス
ホームラン

ヘンドリクス「お前何すねとんのや」
マイケル「すねるやろこれわ」

8回裏ドッグス5シャークス0

9回表野々垣炎上ドッグス5シャークス10

マイケル「さすが野々垣さんやで」
ヘンドリクス「さすがやな」
マイケル「次の打者は誰や」
ヘンドリクス「堀田や」

7番打者堀田
アウト

8番打者皆川
ヒット

9番打者来生
アウト

代打池田
ヒット

マイケル「イソンビンか」
ヘンドリクス「無理やな」
監督「どうかな…」
M、H「監督!」
監督「イソンビン兄貴ならやってくれるで」
M、H「…」

イソンビン「うおおおおおぉおおぉぉ!!」

1番打者イソンビン
ホームラン

3点追加

マイケル「ほんまにやりおったで」
ヘンドリクス「さすがやで兄貴」
マイケル「おれらもいくか」

マイケル「うおおおおぉお」
ヘンドリクス「へああああ」

試合終了
ドックス20シャークス10

イソンビン「おつかれさん」
マイケル「おう…」
ヘンドリクス「おつかっした兄貴!」
イソンビン「おうおう」
イソンビン「よかったで!試合」
マイケル「うっうっうっうおおおおおおん」
イソンビン「男がなくなや。しっかりせなあかんで」
イソンビン「よし、今日はチームみんなでラーメンや」

ラーメン屋
堀田「がはははは」
ヘンドリクス「のんでーのんでー」
マイケル「…」


マイケルはヘンドリクスの人気の訳がわかったとさ

+ 有働
有働はドックスの第58代4番や。
堀田が4番のときは堀田さんを追い抜いてやるという思いで一杯やったんや。
そんで4番になってから堀田のとれんかった本塁打王を2回もとったんや。
そしてさらには5年連続20本本塁打を記録しておるんや。
ただ、栄光はそこまでや。
マイケルという助っ人外人が入ってきて5番におろされ、結果が出んようになったんや。
ただ、かろうじて20本本塁打は守っておったんだが、昨年は21本、今年もあと2試合を残してここまで17本やった。
このままではいけないと想った有働は46歳でも今期25本放っている堀田に聞いたんや。
「どうしたら堀田さんみたいに長年活躍できますか?」
そしたら堀田が言うたんや
「あきらめないこと、ただそれだけや。」 

次の試合、有働は3番やった。久我が故障し堀田もスタメン復帰試合やった。
第1打席、空振り三振。第2打席、ショート併殺。第3打席、フォアボール。第4打席、レフトのポールギリギリの2ランホームラン。
チームは試合には圧勝したものの、最終戦は2本うたなあかん状況になった。

有働は思い出したんや。「あきらめないこと、ただそれだけや……」

つぎの試合は土砂降りの雨だったが試合はされることとなった。
有働はコールドになるかもしれんと思った。

1表。第1打席、先制の2ランホームラン。ただしエース深見がつかまり3失点。
4表。第2打席、セカンドゴロ。ここで主審の柿沢さん(元リザーズ)が試合を止めよった。
30分の中断の間、有働はずっとバットを振り続けたんや。
試合はかろうじて再開され、2-3のまま5裏を終えたんや。
6回は2番の片倉からやった。
土砂降りの雨。いつコールドになるかわからない不安。消化試合のけだるさ………いろんなものが有働の頭の中にあった。

片倉はきっちりフォアボールを選んで出塁。
有働は、6回の第3打席に入ったんや。
フルカウントからフルスイングして打った球はレフトスタンドを一跨ぎしておったんや。
20号2ランホームラン。逆転や。

そしてここで柿沢さんがコールドを告げた。

最後まであきらめず頑張ること、そんなことを教わった有働は来年も4番の座をかけて走り続ける。

+ 堀田
堀田はドッグスの第57代4番や。
本塁打王こそ取れへんかったが10年連続20本塁打を記録するなど長年ドッグスを支えてきた。
今は若手が台頭してスタメン出場は減ったが、代打では豪快な打撃を見せ続け、守備練習も怠らない。まさに選手の鏡や
ドッグス一筋21年の男は今期も全力でプレーする。

+ 堀田ver2
堀田敏郎(37)プロ生活21年。
今日ここでプロ生活を終わろうとしている。
堀田はドッグス一筋21年。長年のドッグスの勝利、優勝にかけがえのない存在であった。
ルーキーイヤーは度重なる怪我で出場機会がなかった。一時は育成となっていたが怪我明けの4年目にその才能が開花した。
現在犬の監督の犬神太一が当時37歳だったころ、両足を骨折するという選手生命を断つ原因となった大けがをした。
当時レフトを守っていた犬神は、4年目の堀田の才能を早くも見やぶっていた。
犬神は車椅子でも熱心に堀田に自分の今まで教わったこと、経験などを全て堀田に捧げていた。
そのおかげで堀田はその年にトリプルスリーを達成していた。
犬神はこの年で引退し、コーチとなった。堀田は犬神に感謝していた。
そしてこの日犬神と同じ歳に引退しようと決めていた。
トリプルスリーを達成していた堀田だったが、自打球が顔に当たり陥没骨折で少しの間のシーズンを棒に振る事になってしまっていた。
こうゆう怪我が何たびにも続きついに15年目。堀田は慎重な志に変わっていた。慎重さが試合にも出て復帰試合でボールを後ろに逸らしてしまう。
堀田は勇敢なダイビングキャッチを見せなくなっていた。そして翌年に恩師の犬神氏が監督に就任した。
犬神は堀田を代打として使った。そしてこの年その采配が見事に的中する。堀田は代打で10本塁打を放ち、打率も4割行くかどうかというほどまで打った。
この年から堀田は代打の神様として活躍し、毎年代打で二桁本塁打を達成するような選手になっていった。
そして19年目コーチ兼選手として活躍し、この年のドッグスの優勝に貢献した。犬神は堀田は才能があり、なんでもする事が出来る「若者のように何でも吸収してくれるよ」と発言。
堀田はコーチとして若手の綱島などを育成した。そしてこの成績を見た犬神が堀田をコーチから監督に昇格させるという
引退試合では代打として出場してまさかのサヨナラ満塁本塁打を放った。
インタビューで堀田は「代打で打つ時は監督に毎回打席に立つ前は感謝していました。打てなかったときもあったけど、ファンの気持ちや周りの期待を背負っていた事が、今日で終わってしまうと思ってしまうと、今にでも涙がでてきてしまいそうになります。」
堀田「最後に来年からは監督に就任します!」
とコメントした。
今年は大一番で堀田のような大活躍ができる年になりそうや


+ 皆川
苦労人皆川。高校では、守備力10、10やった。打つほうも、長7ヒ9巧9足9と、8球団全部がドラフト1位指名したんや。そんで、ドックスがとったんや。しかし、カッコつけて、捕手の練習したんやなぁ。それで、六反田のMAX165㌔の速球を、胸で受けてしまったんやな。そんで、成績も下がってしまったんやな。まだ、若いから挽回に期待するで。


+ 皆川ver2
皆川はな、ドッグスに入団してライバルがいたんや。バッティング能力、肩力、内野守備が全く同じだったからや。ただ、ひとつだけ負けていたのは、外野守備や。綱島は、高校のときから天才的な外野の能力を持っておった。それもただのライバルやないんや。
決勝戦 最終回2-1 2アウト 皆川は同点のランナーとして二塁におったんや。皆川は1番で足には自信とプライドがあったんや。
3番が(今の片倉)が右中間を抜ける強烈な打球を放ったんや。皆川は「あのライトは足が速いわけじゃない いける」と思ったんやな。
そしたら、天才センター綱島くんが10の外野守備でフェンスからはねかえるボールを一瞬で捌き、8の強肩を見せつけよったんや。、皆川は予想外の出来事にビックリしてもうたんや。剛速球がキャッチャーのミットにおさまりスライディングした皆川にタッチされたんや。
その日の夜は泣きじゃくったんや。
そのあと、ドラ1でドックスに入団して、社会人から入団した片倉と一緒になれて大喜びしたんや。そしたら綱島が高校の話を切り出してきよって、この時初めてあのセンターは綱島だと知ったんや。でも皆川は気分なんか悪くせず、昔話のように楽しく話してたんや。おかげで綱島とは仲良しになったんや。でもライバルの縁は切れんで。
今年はチームメイトと仲良くするといいことがありそうや。


+ 来生
九回裏二死満塁1-0、一発逆転サヨナラの重要な場面で、貧打で有名な八番捕手来生に打順が回ってきたで。
相手投手はシャークスの大エース南方で、来生を抑えれば完封勝利、そしてシャークスのリーグ優勝が決定や。
しかしベンチ裏では最近上り調子のヘンドリクスがフルスイングでバット振り回しとる。
野良岡コーチは「ここは代打ヘンドリクスで逆転サヨナラ満塁ホームランっしょ、監督?」と言う。
でも犬神監督は、来生の肩を叩いてバッターボックスへと送り出した。
「行ってこい。来生。男見せたれや。」

来生はバッターボックスへと向かった。観客からはヤジが飛ぶ。
「なんで代打出さへんねん。犬神クビじゃ」
「来生なんか三振するに決まってるやろが。この迷采配が犬神クオリティー」

しかし来生には、そんなヤジなど耳には入らへんかった。
バッターボックスに入り、昔のことを思い出しとった。
実は、来生と南方は高校時代のライバルやった。
県大会の決勝で、最終打者来生は南方に三振に打ち取られて甲子園を逃した。
そのときから南方は、来生にとって遠く叶わぬ存在となってしもた。
でも来生は今、10年越しの夢を叶えるために打席に立ってるんや。
これは、男と男との一騎打ちなんや……!

来生はバットを構えながら、南方の目を見た。
南方も、来生の目を見た。
二人はしばらく見つめあった。

南方は振りかぶって、力一杯ど真ん中に剛速球を投げ込んだ。
来生は思い切ってバットを振った。
来生はヒッティング能力だけには自信があり、それが唯一のとりえやった。
来生はボールを真芯でとらえた。

打球はショートヴェラスケスの頭上を越えて左中間のフェンスに当たる。
二塁ランナー佐田がホームイン。ドッグスのサヨナラ勝ちや。
打たれた南方はマウンドから天を見上げて男泣きしとる。
来生は二塁上でガッツポーズ。10年越しの夢を、ついに叶えおった。
そして南方に向かって言った。
「お前の球、めっちゃ速かったで。10年前よりもずっと」

今年は、諦めかけた昔の夢が思いもよらない形で叶いそうや。

+ 佐田
犬佐田が陸上競技に転向してカール・ルイスの9秒58を超えおった。
記録はなんと8秒55。さすが佐田8秒台の化物や。超人や。
と思ったらトカゲ倉科に抜かれおったで。記録は7秒13。もはやスーパーサイヤ人や。瞬間移動しとるわ。
今年はライバル出現の予感がするで。

+ 綱島
守備時にフェンス直撃してボールを捕ったときに大怪我をしおった。
全治は半年、今シーズンは絶望的になっとるわ。
今年は大怪我に注意が必要や。

+ ヘンドリクス
昔はなぁメジャーリーグで年間50本ホームランを打ってて年棒も10億円だったアレックスロドリゲスもビックリの選手だったんや。
それで鳴り物入りでドッグスに入団してイソンビンを遥かに超す打率でファンを魅了したんや。
けど自分が入って来た時まだ若かったマイケルを指導しているうちにいつのまにかマイケルに4番を奪われていたんや。
そんでヘンドリクスはエース深見の代打でしか使われなくなってしまったんや。

けどこのあいだのシャークス戦では1アウト満塁で大魔神南方からサヨナラ逆転ホームランを打ったんやで。しかも南方の渾身の180kmのストレートやったんや。もう南方もヴェラスケスもシャークスのファンもみんなヘンドリクスのことを讃えたんや。ヒーローインタビューでの男泣きではドッグスファンもみんな大泣きやった。

今年は周りの人間のありがたみを知る年になりそうや。

+ 池田
池田は某女優と、ホテルからででくるのを、写真集に、のってしまったんや。それも、5回も。今年は、写真集に、気を付けたまえ。池田

+ 池田 ver2
 池田は大の犬好きで有名や。犬っちゅうのは、もちろん動物の犬であってドッグスのことやないで。
野球よりも犬のことを考える時間のほうが長いとも噂されとるんや。
ドラフト入団するときも、ドッグスに入団できなんだら犬の訓練士になると宣言したほどや。
 池田にとって犬は兄弟みたいなもんやった、物心ついたときから犬がそばにおったんや。
野球をはじめたのもかつての飼い犬がきっかけやった。池田自身、『ハッピー』という名前の犬を飼ってたんや。
 その不幸な生い立ちも、大の犬好きにいたるきっかけやったと言えるかもしれんな。
 というのも、彼は幼い頃に実の姉や両親を無くしとった。
母親は道を渡ろうとしたとき車に撥ねられ即死、父親はなんとガスの中毒死やと。
体の弱かった姉も心臓麻痺で彼が四歳の頃に、両親の後を追うようにして死んだ。
 それから施設に保護され、五歳のころ新しい家族に迎え入れられたんや。
せやけど、この家族っちゅうのがまた人でなし揃いでな、すぐに飽きられて口は聞かんしご飯もろくに食べさせてもらえなんだ。
見かねた近所の人が晩飯に呼ぶ始末や。十歳のころ、いたたまれずとうとうその家も逃げ出したんや。
 気付けば彼は十歳にして放浪の身になっとった。
野良犬に紛れて、コンビニの残りものをあさったりしながら、しぶとく生き延びたんや。
チンピラグループに絡まれたりもしよったが、彼は足が速かった。100メートル10秒台という俊足や。
俊足を飛ばして何度もピンチを切り抜けたらしいで。
 せやけどそれも、流浪の果てに暖かい家庭に迎え入れられられたからの話や。
あのまま地べたを這いずり回るような生活を続けとったら、さすがの彼やったとて助からなんだ。
 とうぜん、今の池田もおらんかったやろう。
 それからの彼は幸せやったそうや。特に当時四歳やった男の子は彼を実の兄弟と思って仲良くしてくれた。
男の子は新しい家族となった彼を尊敬しとった。
「ぼく、いつかこいつよりはやくはしる!ほんで、やきゅうせんしゅになんねん!」
 男の子は目を輝かせて言った。“兄弟”は互いをよきライバルとして成長していったんや。
 その後、彼は二十五歳まで生き、最期は家族が見守る中、眠るようにしてあの世に旅立ったそうや。
 もちろんこれは、池田の愛犬『ハッピー』の一生であって、池田自身の話やない。
 池田少年があの頃見せた目の輝きは、今も変わらんままや。池田の心の中で『ハッピー』はこれからも生き続けるんやろうな。

+ マイケル
攻撃では長打8しかないのにサザーランド並にHRバカスカ打ちまくるのに、
守備じゃファーストフライから三塁の佐々木にタッチアップされて点取られるほどの弱肩や。
今年は守備力を問われる一年になりそうや。

+ マイケル Ver2
マイケルは打撃のパワーはあるのに、なんであんなに肩が弱いのか知っとるか?実はな、マイケルは子供のころのヤケドがもとで、利き手の指が開かんのや。もともとは球を投げるのもうまくて、少年野球でサードやっとったそうや。
ある日家族でキャンプに出た時に、小さかったマイケルは運悪く焚火のそばで転んでしまったんやな。手を火に突っ込んでもて、たいそうひどいヤケドを負ってしまったそうや。
それで利き手が満足に使えなくなって、勉強もしにくくなって成績も伸び悩んだそうや。

でもマイケルは優しい子やった。両親が自分たちを責めて悲しんどるのを見て、自分はこのハンデを乗り越えて何かを成し遂げ、両親を安心させたいと考えたそうや。
成績は伸びんかったから、それまで以上に野球に打ち込むことにした。球はまともに投げられんし、いじめられることもあったそうやけど、バットを握る分には問題なかった。守れない分振って、走った。

それでとうとうプロにまでなったんやけど、やっぱりメジャーの壁は厚かったんやな。代打代走はまだ務まったけど、メジャーでDHに置くほどのパワーはないし、送球がからきしではさすがに厳しい。なにしろゲッツーも取れないからな。
それでマイナー暮らしが続いとったある日、日本球界からの打診があって来日したんや。

マイケルが本領を見せたのはそのあとや。日本では十分すぎるパワーと確実性、走力があるうえに、何より真剣や。日本のファンの心を鷲掴みにしたマイケルは、そのままドッグスの主砲として長く君臨したんや。

今年は真剣さが何より大事やな。

+ 香田
香田はタートルズの育成からここまで這い上がってきた。
プロ入り3年目にして初の支配下登録。相変わらず2軍での生活だったが、あるときファーストのデュランが故障したのをきっかけに一軍昇格。チャンスで併殺打ばかり打っていたデュランにとって代わりそのまま6番ファーストで定着。デュランが復帰後も一塁スタメンは明け渡さなかった。その年の打率は.255でチーム3位。一塁レギュラーはいただいた、と思ったそのとき…
…新堂の弟が兄貴にあこがれて入団。出場機会が激減した香田は、そのとき内野守備力に不安を抱えまくっていたドックスに移籍。そこで彼に与えられた使命はショート。
香田は今まで一度もショートの守備に就いたことはなくもっぱらセカンドやファーストであった。
キャンプから試合前から彼は練習しまくった。
内野守備のセンスはタートルズで鍛えられていたのですぐに華麗な守備を見せるようになった。と、同時に打撃練習にも力を入れた。
いままではお手本となるような打撃をするチームメイトはいなかったが、ここではちがう。
パワーのある有働、堀田。ミート力と確実性を兼ね備えた久我、片倉、椎名、池田。彼らからありとあらゆる情報をかき集めた。
打率は.270程度。タートルズ時代からしてみればかなりの成長である。
生まれて初めての満塁ホームランも打ったし、サヨナラのホームを何度も踏んだ。
常勝軍団ドックスにこれたことを感謝している。

+ 小林
コーチ兼捕手、小林 明浩。
彼は25年プロで頑張ってきた。
だが、20xx年で引退。体力が年が過ぎる度に落ちてきた。
彼の25年間は、決して無駄ではなかった。その25年間をふりかえった。


最初は打てるキャッチャーと期待されエレファンツに2位指名。
ところが蔵野&西尾が入団したため滅多に使われなくなり
トレードでファルコンズに入団。 

時々代打で出場。だがスランプに陥り戦力外通告。
その後、モンキーズに入団。 

まともに監督が起用してくれたためプロ14年目で
国内フリーエージェント権獲得。使用するとドッグスが声を掛けてくれた。
猿の監督にお礼を言うとドッグスの球場に向かっていった。

ドッグスに入った時点で34歳。
捕手コーチが不在でドッグスは困ってた。そのタイミングで小林は入団しおったんや。
そこで捕手コーチに相応しいのが小林となりコーチ兼任選手になった。
入団した年、ドッグスはリーグ優勝、CSも打ち破り
日本シリーズ最終戦の六反田とのバッテリーを組んだ。
みごと3者三振に仕留めおった。
悲願の日本一を達成。
その後チームの来生、片倉ににいろいろ教えてやったりした。でも小林明浩、45歳。
体力の衰えを原因に引退。そして、そのシーズンの最終戦
9回裏3-3で同点、しかも2死満塁。

『9番、ピッチャー、深見恭兵に代わりまして、小林明浩』

一気に球場はどよめいた。
そして、3-2 フルカウント、相手はリザーズの渋谷。

ビシュ    

カキーン!!


そのままスタンドイン、代打サヨナラ満塁弾となった。

そして、ファンも一部泣いていた。

小林「今日は小林明浩の為に来てくれてありがとうございます。
   私は体力の衰えを原因に引退します。25年間、ありがとうございました!!!」

この満塁弾でドッグスはリーグ優勝が決まった。

だが、小林はコーチとしてまだ残るつもり。

今年は奇跡が起こる年になりそうや。

ドッグス投手

+ 比嘉
比嘉は社会人リーグでの活躍が犬神監督の目に留まりドッグスに入団。
開幕一軍で先発ローテ入りしおった。
一年目は10勝3敗防御率2.46で新人王。

弱小チームドッグスに彗星のごとく現れた比嘉。
二年目は開幕試合先発投手を務め若きエースとして君臨。
カーブが良く曲がり直球も最速158kmを記録。

しかしドッグスが優勝争いに絡むようになると
比嘉は次第に攻略されはじめ
チャンスで打たれる場面が続く。

クライマックスシリーズではコントロールの悪さが目立ち
レノン郷野をフォアボールにした後
フォークがゲージ九割でゴンザレスに被弾。

それでも犬神監督は三年目もエースとして比嘉を使い続ける。
ファンからは野々垣を使え深見を使えと怒鳴られる。
比嘉は監督の期待にこたえられず8勝9敗。

なぜか2000万円アップの1億円でファンからは年俸泥棒のあだ名がつけられ
そして今年は四年目。
エースの名を懸けた正念場となりそうや。

+ 比嘉ver2
犬神監督はな、それでも開幕投手を比嘉に任せたんや。

しかし、応えることが出来ず比嘉は4回途中KOや。
比嘉はなベンチに呆然と座り涙したんや。
そこに犬神監督が比嘉に語りかけよった。

「比嘉、エースとはなんや?」

比嘉は分かりません。そう答えたんや。

それから犬神監督は比嘉を敗戦投手として起用。
比嘉はインハイをどんどん攻めるようになってな、結果を残しよった。

最終的には15勝。エースに返り咲きよったんや。
そして、日本シリーズ。先発予定の比嘉に犬神監督は言った。

「比嘉、エースとはなんや?」

比嘉は

「逃げないことです。」
そう答えよった。

今年はその事を忘れないようにしないといけない年になりそうや。

+ 野々垣
野々垣はな、針の穴を通す制球力が最大の持ち味なんや。
しかし、長所は短所でもあるんやな。

ある試合で、『たまたま』失投してしまってな、それが審判の股間に直撃したんや。
審判からは退場処分。野々垣の制球力は絶対だったから悪意があったと判断されたそうや。

なんでも『たまたま』に当たったそうやで。

今年は『たまたま』に注意しないといけない年になりそうや。

+ 深見
深見は右のエースや。左の比嘉と双璧を成す存在や。
しかし・・・

「セットアッパーをやってほしい」
監督からそう言われたんや。

野々垣の先発挑戦の煽りを食らってしまったんや。
最初は納得していなかったが、チームのために承諾したんや。

シーズンが開幕すると野々垣は先発でフル回転。見事に期待に応えた。
一方の深見も、セットアッパーとして抜群の安定感を誇り、大活躍や。
しかも、六反田が不振の際には抑えもやってのけた。

深見にとって今シーズンは転機の年になりそうや。

+ 日村
先発深見、中継ぎ野々垣、抑え六反田で、最終回六反田がバテよった。
やっと使ってもらえると思ったら、比嘉が出よった。
今年は実はもう一人いたってことに注意や。


と思ったら使ってもらえたけど、敬遠要員やった。
それでも、とりあえず喜ばなあかんぞ。

+ 六反田
まだ高校生だった頃な、六反田はファルコンズファンやった。
特にその頃からの不動のエース、雑賀の投球にずっと憧れを感じとった。
雑賀さんみたいなピッチャーになりたい! ゆうてな、他では敵いっこないからひたすらフォークを磨きよったんや。
朝から晩まで壁目掛けてフォークを投げる日々を2年も続けると、
もう誰もチームに六反田の本気のフォークを取れるキャッチャーはおらん事なってしもうた。

そんな六反田がドッグスのスカウトの目に止まったんや。
フォークだけなら日本一や言われてな、ドラフト下位やったが憧れのプロの世界に入れたんや。

プロ入りしてから六反田はパっとせんかった。何よりキャンプ初日で30球肩どころか10球肩なんがバレてしもうての、
いくらフォークが凄くとも、それだけで食ってけるほどプロは甘くなかったんや。
それで六反田は思ったんや。雑賀さんみたいなストレートがあれば抑えでやってけるんやないかと。
毎日毎日、壁に向かって夜中まで投げ込む日々が始まったんや。

プロ入りしてから5年も過ぎた頃、六反田は一軍でも投げさせて貰えるようになっとった。
でも抑えとしての評価はまだグランどころか町田・南よりも低い有様や。
このままじゃアカン、そう思った六反田は、裏ルートから手に入れた怪しいクスリを使いよったんや。

一夜にして上腕二頭筋が二倍くらいになりよった六反田は、ブルペンに入ると目にも止まらん剛速球を投げよった。
ネットまでぶっ飛ばされた小林を見てのう、これならイケる、雑賀さんにも負けないストレートや。
そう自信を付けよった六反田はその年50Sも挙げてセーブ王に輝きよった。10球しか持たん肩でも、三者三振で大抵終わりや。
長年抑え不在やったドッグスの救世主や、そう騒がれて年俸も300%アップしよった。

やけど、悪い事は出来んもんや。翌年のオープン戦、調整がてら投げた試合で、六反田の腕に違和感が走ったんや。
見ればユニフォームが血まみれや。筋肉が耐え切れんで破裂しとった事に気づいたのは病院に行ってからやった。
そのときの六反田は痛みも感じんかったんやな。当然今季絶望と診断された六反田は、
気が抜けてしもうて毎日病院のテレビで笑点だけを楽しみに生きるようになってしもうたんや。

ある日、病室に雑賀はんが訪ねてきよったんや。
憧れの人とのご対面や、六反田は今の自分を恥ずかしく思ったんや。
雑賀がな、ストレートで負けるかもしれん相手に会ったのは初めてや、そう言うとな、
六反田はクスリに頼った自分が情けなくて仕方なくなってきよった。
次に球場で会うときは、自分の力で雑賀さんを抜いて見せます、そう、心に誓いよった。

その日から毎日、腕を包帯で吊りながら川原を走り続ける六反田の姿があった。
いつまでも10球肩じゃアカン、先発として雑賀はんに並ぶような剛速球投手じゃないとアカン、
そう言い聞かせて走りこみを続けたんや。ブルペンに立てないのも、走りこみを続けられたから苦には感じんかったんや。
ドッグスの真のエースが誕生する前夜の話や。

今年は地道な努力が実力に繋がる年になりそうや。

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最終更新:2021年03月14日 11:12
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