前編:
「賭けをしようか、‘No3’」
豪雨の中を疾走する山狼の背に乗りながら、フード姿の男は、並走するもう一人の男に話しかけた。
正面から吹き付けた突風が、男のフードを払い、陶磁のような白い肌と、涼しげな笑みを湛えた瞳を顕にする。
若い男は、雨で濡れた前髪をかき上げながら、更に言葉を続ける。
「私と君と、どちらが早くイルドルフを殺せるか、を」
「くだらん」
答えた‘No3’の言葉は、重く低い錆を含んでいた。
予想していた答えに若い男は唇を薄めて笑った。
「自信がないのか、‘No3’。‘No2’のお気に入りである君が、‘No5’である私に、先を越されると思っているのかね?」
‘No6’の声には明らかな挑発の色が込められていたが、それでも‘No3’は黙々と山狼を走らせる。
「やれやれ、面白みのない男だ」
失笑にも似た呟きが、‘No5’の口から漏れた直後に、その光景は二人の眼前に飛び込んできた。
峠道は弧を描くように、右へと曲がっていた。
ぬかるんだ峠道にはっきりと分かるほどの車輪の痕。
崖壁にぶつかり、横転した馬車。
‘No3’と‘No5’は、失踪する山狼の速度を緩める。
この天候の山道で速度を出しすぎ、馬車が横転した。
眼前に飛び込んだ三つの情報により、瞬間的にそう判断した。
そして、その判断が間違いであることに気づくよりも早く、横転した馬車の後部に備え付けられた貨物庫の扉が跳ね上がった。
「爆射槍だと!?」
‘No5’が、貨物庫の内側に整然と並べられた中距離攻撃用の射撃武器の名を叫ぶと同時に、轟音が響き、二十七本の爆射槍が一斉に射出された。
爆音が豪雨によって打ち消された後には、焼け焦げた二匹の山狼が横たわっていた。
「この程度の玩具で、我ら逆十字の死徒に歯向かうとは、全く持ってこそばゆい」
腕から生やした‘鋼翼’で盾にした山狼を切り裂くと、‘No5人は嘲笑を浮かべる。
「だが、その玩具に‘足’を潰された」
手にした‘槍’で山狼を弾き飛ばすと、後手を踏まされた事に気づいた‘No3’は、苦い息を吐いた。
横転しているのは馬車だけであり、牽引していた二頭の馬はいない。
横転したと見せかけ馬車だけを残し、追跡の対象は現在も逃走を続けているのだろう。
その事を認識するまでの、僅かな間を突かれた。
闇夜。
豪雨。
見通しの悪い山道。
相対的な移動速度の相違。
不規則な条件はいくつもあった。
「だが、これで二度目だ」
先ほどの山頂でも、銀水晶を狙ったイルドルフを仕留める前に、馬車からのイルドルフへの射撃で、間合いを外されている。
そして今回は、間合いを制され、先手となる爆射槍の斉射を浴びた。
二回とも、十分に対処可能な間合いでありながら、心理的な隙を突かれた事により、後手に回された。
今回の爆射槍の正射も、回避不能な山道で行う事で、確実に‘足’を潰すことを前提としていた。
このことにより、‘No3’と‘No5’によるイルドルフの追跡は困難になった。
馬車の背後からゆっくりと姿を現した老人の狙い通りに。
「・・・‘鋼翼の執行人’」
‘槍’にかかる雨を払った‘No3’は、身に纏ったフードを脱ぎ捨てた。
鉄の意志を感じさせる壮年の容貌の額に刻まれた‘逆十字の紋章’が、降り続く雨を弾く。
「俺が行って構わぬか?」
‘No3’の言葉に、‘鋼翼の執行人’は、美貌を歪めて笑う。
「好きにしろ、‘引き裂くもの’。私と君のどちらが出ようと、結果は同じだからな。・・・軽く、お手並み拝見といこう」
「そのつもりだ」
ライフルの銃身に固定されたレイピアを抜く老異端審問官から視線を注いだまま、‘引き裂くもの’は、‘聖コティリシアの槍’を構えた。
錆の浮いていた槍刃に、夜の海面のような青白い光が灯った。
「‘聖コティリシアの槍’か。半年前に何者かに盗み出されたとの報告は聞いていたが、こんな所でお目にかかるとは。・・・機縁というやつかの」
雨の中、皺に埋もれるように目を細めたベルンが、口髭を動かした。
‘引き裂くもの’へ剣先を向けたレイピアを、峠に渦巻く風が取り囲む。
「‘槍’を使う逆十字団死徒がどれ程のものか、このベルン・ハースが見極めてしんぜよう」
不敵に笑うベルンに、青白い閃光が突進した。
後編:
振り続ける雨の中、銀光と青白い閃光が交差した。
斬撃音が二度響き、雨音にかき消される。
「ほうっ」
対峙する老異端審問官の左胸を狙った槍が弾かれると、‘引き裂くもの’は短く息を吐き、再度間合いを取る。
彫りの深い眉根を僅かに歪ませると、手にした槍と、先ほどから半歩移動した位置に立つ老異端審問官を見比べた。
「‘逆月影’を防ぎきるとはな」
‘引き裂くもの’が得意とする突技を、ベルン・ハースと名乗った老異端審問官は、手にしたレイピア一本で捌ききった。
‘逆十字印’の刻み込まれた新たな肉体は、二十代の全盛期の頃さえはるかに凌駕する身体能力を誇る。
スピードに載せた一撃を、ベルンが僅かな工夫で防ぎきった事に対して、僅かながら感嘆の意がこもった。
「・・・異端審問官か」
短く呟くと、先程より拳一つ分重心を下げ、槍を再び構えた。
「初手を交えただけで・・・。」
雨の中、ベルンは静かにレイピアの先を僅かに上げる。
小柄な体には、無駄な力が一切込められていない。
レイピアを『構えている』というよりは、『持っている』と形容出来るほどの自然体だ。
「手の内は、読まれてしもうたかの」
‘引き裂くもの’の低い構えをみて、ベルンは悪戯がばれた子供のように笑った。
「近距離戦闘において、技量は五分とした場合、速度、力という勝敗要素の二点で劣っていても、間合いを制すれば、十分に勝機がある」
「相手の間合いを外せば、殺傷力は激減すからのう。・・・ただ外すだけでなく、自分の攻撃に繋げられるために‘相手の間合いの外側に離脱する’のではなく、‘間合いの内側に入る’というのは、常套手段。しかし、人間離れしたお主の速度は、ワシが前に踏み込んだところで容易に捕えるじゃろう。そこで・・・」
‘引き裂くもの’が語る『先ほどの解答』に、ベルンは補足を加える。
「間合いを‘前後’ではなく、‘上下’に変化させたという訳か」
「ご明察の通りじゃ。お主が速度にのった一撃を繰り出す直前に、左足のみを半歩引き、腰を拳一つ分沈み込ませる。・・・心臓を狙った一撃は肩口に、頭部を狙った一撃は範囲外に外れることになる。後は、己の技量と呼吸で捌くのみじゃ」
「捌くだけでなく、突き返しまで繰り出すとはな。・・・ふてぶてしいまでに駆け引きというものを心得ている年寄りだ」
「ワシの数少ない勝機をあっさりと防いでおいて、何を言っておる。・・・年寄りと思うのであれば、もっと労わんとな」
おどけた様なベルンの言葉を、‘引き裂くもの’はねじ伏せた。
「ふん、残してある手は、これだけではあるまい」
「さあて、それはお主次第じゃな。・・・一般論の話をすれば、『奥の手』は最後にとっておくものじゃがな」
「やってみるがいい、異端審問官」
槍を構えると、‘引き裂くもの’は、踏み込みと同時に呼吸突く間も与えずに、連撃を放つ。
「この攻撃を、お前が凌ぎ切れればな」
高速で繰り出される槍を、銀光を翻しながら捌くベルンに対し、‘引き裂くもの’は静かに宣言した。
「これはこれは・・・」
降りしきる雨の中で、激しくも静かな攻防を展開するベルンと‘引き裂くもの’を悠然と眺めていた‘鋼翼の執行人’は、薄い唇を開いた。
口調こそため息交じりであったが、その冷たい光を湛えた目は、対峙する二人の一挙一動足の全てを追っている。
「健気なものだ」
冷たい呟きは、‘引き裂くもの’に対してのものであった。
‘引き裂くもの’は、‘聖コティリシアの槍’と銀水晶より‘肉の爪芽’が埋め込まれた肉体という二つの強大な力を抱えている。
どちらの力も暴走させまいと、‘引き裂くもの’は、己を律する事で制御しているのだろう。
ベルンとの戦闘を観察する中で、‘鋼翼の執行人’はその事を確信する。
「律することで発揮できる力など、たかが知れている。君に最も必要なものは、『力の解放』である事に気付かぬか、‘引き裂くもの’よ」
最初から加勢するつもりはなかった。
雨足が強まるの闇夜を一度見上げた後、‘鋼翼の執行人’は静観を続けた。
「奥の手があるなら出し惜しみをせず使うことだ、異端審問官」
雨音に混じり連続して響いていた鋭い金属音が途切れると、暗闇の中、二つの影は再び距離をとった。
互角の攻防に見えたが、双方の佇む姿は対照的であった。
「ここまでよく凌いだ、と言っておこう。だが、年老いたその体は、長時間の戦闘に悲鳴をあげている。・・・異端審問官の所有しているアーティファクトは、‘第一種封印弾’装填による特殊攻撃が可能と聞く。装填の時間をくれてやる。死ぬ前にお前の強さを示してみろ」
勝利を確信し、驕ったわけではない。
騎士道精神を懐かしんだわけでもない。
あえて言うならば、興味だ。
一流の駆け引きを見せた老異端審問官が、直接的な戦闘能力をどれ程所有しているのか。
異端審問官と初めて対峙した‘引き裂くもの’の興味は、その一点のみに集中した。
「老人を労わる心構えは、結構な事じゃ。うちの課の若い連中にも、少しは見習わせたいくらいにのう」
一方のベルンは、荒い呼吸と供に、言葉を吐き出す。
「じゃが、一つ訂正をしておこう」
水音を立て、ベルンの右足が前に出た。
全身を駆け巡る疲労に耐えられずによろめいたかのような、弱々しく、自然な一歩だった。
「ワシは、お主が思っているほど、爺さんではない」
はっきりとした言葉が、‘引き裂くもの’に届くと同時に、ベルンの左足が力強く踏み出され、レイピアの刀身が眩い白光を放つ。
「なんだと!?」
「‘封印弾’なら、とっくに装填済じゃよ」
ベルンが手にした‘手瑠式グングニル’は、至近距離から防御姿勢を整えようとする‘引き裂くもの’の胸に向けて射出された。
全ては、ベルンの計画した手順通りの展開だった。
馬車を横転させたかのように倒した時点で、‘封印弾’の装填は完了済みだった。
対峙する相手の攻撃を辛うじて凌いでいるように見せ、相手に自分の優勢を確信させる状況を作る。
回避不能な間合いに入り込んだ際に、`封印弾’を発動させ、‘竜鱗’を貫き‘悪魔’の肉体も破壊する‘手瑠式グングニル’を放つ。
‘死徒’のうち一人を倒せれば、残る一人が自分を倒し、麓へと馬を駆るイルドルフとキスリングに追いついたとしても、二対一の状況ならば、十分に勝機はある。
全ては、ベルンの狙い通りだった。
「おおおおお!」
光輝く‘グングニル’が零距離の間合いに迫ったとき、‘引き裂くもの’は、槍を眼前にかざし咆哮を上げていた。
眼前に迫った‘グングニル’への敵愾心が、‘引き裂くもの’の胸中に溢れていた。
強大な力を前にし、踏み越えることが出来なければ、逆十字を刻み転生した意味を自ら否定する。
対峙した力が強大であるほど、法王庁を叩き潰すのに近づくことになる。
この時を待っていた。
‘グングニル’が‘引き裂くもの’を貫く直前に、‘聖コティリシアの槍’から青白い光の奔流が放出され、周囲が昼間のように照らし出される。
「我と供に力を示せ‘神器(ミレニアム・アーティファクト)’!」
三叉に変化した‘聖コティリシアの槍’の刃が僅かに掠っただけで、‘グングニル’は、氷欠片のように砕け、四散した。
「‘聖コティリシアの槍’を持つ逆十字団死徒、ベルン・ハースが確かに見極めた」
一度言葉を切ると、苦笑いを浮かべ、ベルンは大きく咳き込んだ。
「手瑠式とはいえ‘グングニル’を砕くとはな、反則じゃ」
咳と供に吐き出した血を拭う必要はなかった。
‘グングニル’を砕くと供に‘聖コティリシアの槍’の先端から放たれた閃光は、ベルンの胸に拳大の穴を穿っていた。
ベルン本人が、残された時間を自覚している。
「約束を違える事になるが、年長者が先に逝くのは刻の摂理。・・・許せよ」
仰向けに倒れ、降り続ける雨と供に流血が水溜りに広がる。
体温が急速に低下する中、ベルンは左腕を動かし、四散した‘グングニル’の破片を拾った。
この先も時を刻み続ける連中のために、残せることはある。
手のひらの中で、‘グングニル’の破片を二度、握った。
これで、気付いてもらえるはずだ。
後は・・・。
「生きろよ、イルドルフ・・・」
短く呟くと、ベルンは静かに眼を閉じた。
―新聖暦101年7月1日 異端審問官ベルン・ハース死亡―
「待たせた」
三叉型に展開した‘聖コティリシアの槍’を単槍形態に戻しながら、‘引き裂くもの’は静観の姿勢を貫いた‘鋼翼の執行人’へ振り返った。
「徐々にではあるが、使いこなせてきているようだな」
美貌に含み笑いをのせ、‘鋼翼の執行人’は‘引き裂くもの’を迎えた。
瞬時とは言え、‘引き裂くもの’が見せた暴力性に、‘鋼翼の執行人’は満足していた。
『使いこなせている』と形容したのは、‘聖コティリシアの槍’のことでも‘再生した肉体’のことでもなく、‘引き裂くもの’が内包する暴力性のことを指したつもりだ。
力を律する事にこだわっている様だが、自身の暴力性の解放が、どれ程魅力的であるかに気付いたとき、この男はどうなるのか?
‘鋼翼の執行人’にとって、今日の収穫の一つと言えた。
「追うか?」
‘鋼翼の執行人’の言葉には反応せず、‘引き裂くもの’は闇と雨煙に包まれた峠の麓に視線を送った。
「追うが、追いつく必要はない」
‘鋼翼の執行人’は、再び含み笑いを漏らす。
「あのまま逃走していれば、今頃外延で待機していた‘No7’と接触しているはずだからな」
>シーン5へつづく