1-3 小話『花の香り』
例示:
アーキタイプ:暗殺者
卒業試験。
それは『相手を殺し、生き残ること』だった。
闇の中で、相手が気配を殺しているのが分かる。
路上で野垂れ死ぬはずだったガキの頃、ギルドに拾われ、生きる為には覚えなければならなかった。
基本的な武器の扱い、様々な野草、毒草の把握、身分を偽るための一般常識、笑顔の作り方、人体の壊し方・・・
一瞬でも躊躇ったり、遅れれば容赦ない制裁が待っていた。
死にかけたのは五本の指では間に合わないくらいだ。
それでも今まで俺が生きてこられた、いや、死ななかったのは彼女がいたからだろう。
俺と同様に拾われたであろう、少し年上の少女。
ほのかにと漂う花の香。
蜂蜜色の柔らかそうな髪、彼女自身が気にしているという僅かに残るそばかす。
こんな狭くて暗い世界の中でも、彼女の笑顔は自然だった。
いつだったろうか、彼女の笑顔だけが生きる目的になっていたのは。
感情が麻痺したかのように何も感じなくなりそうな時、血を流し死にそうになった時、彼女の笑顔は俺を救ってくれた。
そして俺は、『暗殺者』としての卒業試験を迎えていた。
暗殺者として認められれば、‘ある程度の自由’は認められる。
そしてその‘ある程度の自由が’認められれば、彼女を連れてギルドからも逃げ切る自信があった。
この暗闇の底から這い上がる。
ガキの頃得ることが出来なかった幸せを手に入れる。
普通に生きて、普通に笑って、普通に死ぬ・・・。
だから、人を殺すのはこれで最後だ。
自分にそう言い聞かせる。
右手に握ったナイフの感触を再度確認しながら、相手の技量に舌打ちする。
俺はギルドの訓練生の中でも上位にいた。
決してうぬぼれではない。
自分と相手の力量を正確に把握することは、生き残る為の最低条件だからだ。
だが、その俺と互角かそれ以上に戦える相手とは、予想外だった。
さすがに卒業試験、というわけだ。
高まる意識とは逆に、感情はひどく冷めていた。
今の俺は鋭敏な感覚を有する‘暗殺者’だ。
余計な感情は排除するように訓練されていた。
感覚を研ぎ澄ませ。
ナイフは俺の体の一部だ。
いや、ナイフだけじゃない。
周囲の空気までも俺の体の一部だ。
敵の間合いに入る前に、俺の間合いに入れてやる。
そうすれば、勝つのは俺だ。
卒業する為の、最後の関門、自由を得る為の最初で最後の敵・・・
?
その動きを俺が先に認識出来たのは、運が良かったとしか言いようがない。
通常の確率で言えば、おそらく俺の方が先に見つかっていただろうが、今回は俺の方が早かった。
闇の中を黒い影とナイフの白い刃が滑る。
常人であれば、俺の影すら見ずに首は胴体とお別れしている。
だが相手も、俺と同じ闇の住人。
即座にナイフの軌道を見切る。
見切るだけでなく、避けて、受けて、流して、反撃に転じた。
黒い闇の中、刃の白い軌跡だけが煌めく。
刃と刃が互いに噛み合い、絡み合う。
暗殺者の用いる武器には、往々にして毒が塗られている。
無論、俺のも、そして相手の武器にも。
かすり傷だけであっても、それは命取りになる。
つまり勝負は一撃で決まる。
「しゅっ!」
「っ・・・」
一見しただけでは戦士たちの闘いのように派手ではないが、見る者が見ればそれは派手な闘いだったろう。
互いの技量が均衡し、互いの練られ、卓越した殺しの技術がそこにあった。
力は俺の方が上だが、剣速は相手が上だった。
だが、永劫に続くかと思われた死の剣舞は、呆気なく終わった。
腕が痺れ、速度の鈍った相手の隙を俺が突いた。
驚くくらいにすんなりと、刃は相手の急所を貫いた。
その時、互いの距離が肉薄した。
そして気が付いた。
ほのかに漂う花の香り。
蜂蜜色の柔らかそうな髪、彼女自身が気にしているという僅かに残るそばかす。
ギルドの連中は知っていた。
俺に脱走の意志があったことを。
俺が彼女に好意を持っていることを。
そして恐らく、彼女も同様に思ってくれていたことを。
ゆっくりと、ゆっくりと彼女の体が崩れ落ちる。
それは彼女の体であり、俺の最後の良心。
何も感じなくなった。
自由だとか、生き残る理由だとか。
なぜなら、それらは今失われたのだから。
卒業試験が終わり、俺は暗殺者となった。
偽りの勘定を顔を張り付かせ、心を失った暗殺者に・・・。
どれくらいの時が経っただろうか・・・
「今回の‘的’だ」
詳細な情報の書かれた紙を差し出すギルド幹部の声が、虚に聞こえていた。
もう、花の香りにも、心が疼くことは無い。
・・・俺は暗殺者だ。