1-6 小話「二十七年目の祝福」
例示:
アーキタイプ:異端審問官
その日、第五教区の司教座都市ポーンブールの街並みは、漆黒の空から送られた銀色の雪風に覆われていた。
その日、『元』ポーンブール騎士団団長バレン・イェニスは、三十年にわたり使用してきた懐中時計の針が深夜十二時を刻むと同時に、事前に纏めていた荷物を手にとり、騎士団宿舎を後にした。
既に時期団長への引継ぎは終了している。
日付が変わった以上、バレンの肩書きは、十中隊・百二十名を統べる「ポーンブール騎士団長」から、「ポーンブール一等市民」へと変化している。
翌日、若い騎士達が見送りを行ないたいと申し出てくれたが、丁寧に断った。
既に次世代を担う者には、伝える者は伝えたという自負があったし、また彼らから受け取る者は受け取った、という確信があったからだ。
夜中に一人抜け出す、という行為に多少の後ろめたさを感じないわけではないが、若い騎士達には、五十を過ぎた老人一人より、新たな任務に向って欲しかった。
バレンは、白髪頭に舞い落ちた雪を払おうともせず、ポーンブール市街区にある騎士団本部の正門、通称「章凱門」を潜りぬけ、市街区と市外区を結ぶ大通りへその身を運び出した。
大通りの両脇に規則正しく配置された街灯から漏れるガス明かりが、人影の無い深夜の街並みを静かに照らしていた。
「この身に余る時間が過ごせた事を、感謝する」
振り返ったバレンは、雪が積もった門と庁舎を見上げた。
三十年前、この門を始めて潜った時を思い出す。
剣の腕に絶対の自信を持ち、一介の騎士から爵位が与えられるまで成り上がるのを夢見ていた、若く不遜だったあの日も、自分は腰に下げた剣のみを持ち、この門を潜った。
没落貴族、平民と変わらない生活から抜け出したく、名誉よりも富が欲しかった。
それから三十年。
当初の志とは異なるものの、成すべく事は成した満足感はある。
だがその反面、「章凱門」から一歩外に出ると同時に、強烈な寂寥感に襲われた。
見慣れたはずの騎士団庁舎が、ひどく遠くに見えた。
人が、なぜ権力の椅子にしがみつくのかが分る気がした。
欲だけではない。
神の視点以外では、自分がこの世で最も何を成して来たのかが分るのが、「権力」というものかもしれない。
「フム!」
バレンは、白い息を吐き出すと、その考えを振り払う様に力強く足を進めた。
その男は、闇夜の中バレンの前に現れた。。
尊大でいながら、隙の無い立ち方だった。
大通りでは等間隔に立つガス灯が、漆黒の闇の中で雪景色に覆われていく街の中、男が身に纏った黒い神父服を照らしていた。
敵意は無いと分っていながらも、バレンはコートの下で右手を伸ばし、剣柄を抑えた
「約束を果たしに来た、バレン・イェニス」
骨太の体格から骨太の声がした。
威圧感はある、錆を含んだ声だ。
「約束?」
男の声には聞き覚えがあった。
だが、すぐには思い出せない。
神父服の男は、言葉を続けた。
「二十七年前、‘フォンテーヌの乱’終結時の約束だ」
バレンの彫の深い皺が刻まれた顔に、ゆっくりと笑みが広がった。
「あの日、難民を逃がす際に砦に残り‘狂戦士レオナーグ’との決戦に向かったお前に対し、俺はこう約束した。‘もし、お前が無事に騎士団を引退する日がくれば、最高級のワインをおごる’と」
男の一言は、バレンの深い皺の刻まれた顔に、笑みを広げさせた。
「・・・覚えていたとはな。得意の口約束かと思っていたぞ」
「あの時、お前が生きて戻ってくるとは思っていなかったからこその約束だ。血の気の多く、ポーンブール騎士団の問題児であったお前が、まさか騎士団長を勤め上げるようになるとはな。・・・それにしても年をとったな、‘跳馬’バレン」
「それは、御互い様だ、異端審問官ヴォルフラム」
銘柄が刻まれたワインボトルを見せながら歩み寄る古い友の名を、バレンは懐かしげに呼んだ。
「考えてみれば、」
暖炉の照り返しで、顔を赤く染めたヴォルフラムに、バレンは語りかけた。
「お前さんと私がこうしてまともな席で、まともな食事を取りながら、まともな会話を交わすのは、これが始めてかもしれんな。・・・不思議な縁だ。二十七年前の‘フォンテーヌの乱’では、事態収束の二年間に渡り、供に生死を賭した戦いに供に臨んでいたというのにな。これが、神の気まぐれというやつか」
「不思議でもなんでもない」
武骨な手でグラスに注がれたワインを飲み干すと、ヴォルフラムは不機嫌そうに歪めた口を開く。
「当時のお前は俺の事を嫌っていたし、俺もお前の事を嫌っていた。・・・反乱を起したフォンテーヌ伯が、このポーンブール騎士団に籍を置いていた事もあり、当時の騎士団は事件を自分たちの手で収束させようと躍起になっていた。法王庁から派遣され、‘反乱’が異端絡みと判断し、勝手に動き回る俺に対し不快感を持つのは当然だ。・・・神の気まぐれの所為にするのは、過ちだ」
「・・・その口の利き方、本当にお前は変わらんな」
「事実を述べているだけに過ぎん」
手にしたグラスに映った自分の横顔が、柔和な笑みを浮かべているのに気付き、バレンは自分がこの旧友との再会を楽しんでいるのに気付く。
昔話は長くなりそうだ。
「そうか。だが、私は変わったよ。・・・当時の私は、自分がのし上がるために騎士団に籍を置いていただけだった。あの反乱も、自分の力を示す絶好の機会だと思っていた。反乱を制する為に、当時最強を謳われた‘聖マトルス騎士団’は筆頭に、近隣教区から多くの騎士団が派遣されていたからな。・・・武勲を立てて、有力貴族から仕官の声が掛かる。そんな前時代的なことが本当に起ると思っていた」
「気持ちは分る。俺もお前と同じ立場であったら同じ事を考えただろう。・・・近年にはない、大規模な集団戦闘だったからな。・・・だが、フォンテーヌ伯は、‘黄昏の時代’の技術を擁し、狂戦士や‘巨神’を指揮下に置いていた。連合騎士団は、敗北した。」
「敗戦の中、私は三回死にかけ、七回本気で神に祈った。・・・皮肉なものだ。あの敗戦で、それまで‘自分の力を発揮するには、組織の束縛など不要’と考えていたこの私が、整備された組織の必要性を痛感するとは」
「結果、お前は近代騎士団のさきがけとも言えるポーンブール騎士団を再整備した。・・・苦労を背負うのが、好きなやつだ」
「ほう」
バレンはグラスを飲み干すと、バレンは少し意地の悪い言葉を発する。
口の悪い旧友に反撃する絶好の口実を見つけたからだ。
「‘異端審問官’などという職業を、未だに続けているお前には言われたくはない」
その言葉に不機嫌そうに鼻をならすと、ヴォルフラムもグラスを傾け一気に呷った。
思わずバレンは笑う。
それがヴォルフラムが、言い込められた時の癖だったのを思い出したからだ。
?
「少し痩せたか?十二の中隊を抱える騎士団団長ともなれば、激務であろうからな」
「ところが、そうでもない」
軽くなったヴォルフラムのグラスにワインを継ぎ足しながら、バレンは答える。
「まず、朝起きる。ベットから起き上がるまでにその日に行なわなくてはならない仕事を思い出す。髭を剃りながら、その解決方法を頭の中で反芻する。そして、帯剣し騎士団庁舎に入れば、後はそれを実行に移すだけで良い。問題が発生すれば、そのつど対処する。・・・実に充実した時間だったよ」
硬いテーブルの上に置かれたランプの灯が、バレンの顔に刻まれた皺に陰影をつける。
「ところが、明日からはそうもいかん。自分が何をすればいいのかが、まるで分らん。億劫なことにな」
「フンッ」
微笑を浮かべながらも、僅かに影を帯びたバレンの言葉にヴォルフラムは鼻を鳴らした。
「引退が、少しばかり早かった、という訳だ」
「私の後を継ぐ者は、既に控えている。騎士団長の後任も、誰にしようか直前まで決めかねたくらいだ。これでも遅すぎたくらいだよ。それに・・・」
左手で二度、自分の胸を叩いた。
「医者の話では、そろそろ薬で症状を抑えているのは限界らしい」
「・・・いつからだ?」
「半年ほど前から。・・・二十五年前の忘れ物が、今ごろ届けられたという訳だ。神は、勝ち逃げの出来ない世の中を、美味い具合に創ったものだ。私だけ天寿を全うしては‘狂戦士レオナーグ’には、不平等な話だからな」
‘これでいい’とでも言うようなバレンの穏やかな口調に、ヴォルフラムは沈黙を持って答えた。
その手に握られたグラスが、僅かに震えていた。
「なあ、ヴォルフラム。人の生き方は様々だ。いつどのような終り方をするかは神にしか分らん。それが、どのような価値があるのか、もな。・・・‘異端’と戦い続けてきたお前の生き方は、法王庁にとって誇るべきものかもしれないが、この辺りで立ち止まり、忘れ物を捜しに出かけてもいいのでなないのか?」
「何を探しにいけ、と?」
「お前自身の幸福を、だ。・・・最近では、若い異端審問官達の活躍の話も耳にする。‘大聖伐’を知らない世代でも、十分にこの半島の未来を支えていけるはずだ。・・・少なくとも私はそう思うがな」
「残念ながらだ」
軽くなったワインングラスに手を伸ばしながら、ヴォルフラムは答えた。
「お前の後任と違って、俺が面倒をみた弟子どもは、‘黄嘴雛’が揃っていてな。・・・この間もバカ弟子と組んだおかげで、‘聖務’終了後に‘死羽蟻’に囲まれるという轍を踏んだばかりだ。・・・アイツらに任せくらいなら、ラール川を手漕船で渡るほうがまだマシだ」
グラスを呷るといっきにまくし立てる。
顔が赤いのは、酔いの所為だけではないだろう。
「‘黄嘴雛’か。私もよくお前に言われたものだ」
「・・・それにだ」
懐かしげに目を細めるバレンに対し、ヴォルフラムは、視線を降雪が続く窓の外の銀世界へと移した。
「俺には、人並みの幸福を送る事は許されない」
「そのような事、誰が決めた?」
「誰も決めてない。だが、俺がそのような資格を持たざる人間である事を、俺自身がよく分っている・・・俺自身が、許さないのだ」
硬く握った拳に視線を移すと、ヴォルフラムは吐き捨てるように呟いた。
そんな旧友の姿に、バレンは静かに語りかける。
「私はともかく、あの騒乱で‘禁呪’を使用し、神の元へ旅立ったネイハイスは、そうは望んでいないだろう。・・・ネイハイスだけではない。ラーンもリケッツも、だ。生き残った我々には、彼らが残したものを受け継ぐ義務がある。・・・ネイハイスの葬儀の際、彼の妹の前でそう言ったのはお前だぞ、ヴォルフラム」
「・・・確かに言ったな。そんな事も」
僅かに酒気を帯びた息を、溜息と供に吐き出した。
部屋の外の気温は大分下がっているのか、窓にはうっすらと霜が張っていた。
「だからこそ、俺は今歩いている道を変えるつもりは無い。・・・俺には彼らのような生き方は出来ない。彼らの意思を受け継ぐには、ネイハイスのような知識が不可欠だ。ラーンの無私の信仰心、リケッツの探究心もだ。そのいずれも俺は持ち合わせていない」
ヴォルフラムの降り積もる雪のような静かな独白に、バレンは黙って耳を傾ける。
鋼を纏ったかのような精神を持つこの旧友が、こういう口調になるときは必ず本心を言うときだった。
「だが、彼らのような生き方をする人間を助け、育てる事は出来る。ネイハイスやラーン、リケッツの意思は、そいつらがついでくれるだろう。何も出来ない俺自身に代わってな」
「・・・それが、お前が異端審問官を続ける理由か?」
バレンの問いに、ヴォルフラムは沈黙をもって答えた。
テーブルに置かれたランプの油が切れかかっているのか、心なしか先程よりも部屋全体が暗くなっているように感じた。
「自慢話をしてもよいか、ヴォルフラムよ」
突如、思い出したかのように、バレンは口調を変えて口を開く。
「この街も、お主が訪れた二十五年前に比べると随分明るくなったとは思わぬか?」
怪訝そうに眉をひそめるヴォルフラムの返事を待たず、バレンは口を開く。
「あの夜になると闇に飲み込まれそうだったポーンブールにも、十年前にクリューガー光術協会によって、ようやくガス灯がともった。・・・ガス灯を灯すには、ガス管を街に配置しなければならん。街の治安管理能力が低ければ、ガス管は破壊され大惨事を引き起こすため、クリューガー協会が工事を受けん。二十七年前、お前や仲間たちと供に、逃亡したフォンテーヌ伯を追って訪れた第七教区の大都市パーズで‘明るい夜’を体験して以来、このポーンブールにも同様の灯りがともるのは、私の密かな願いだった」
「・・・その話の何処が自慢だ」
「それだけ、この街は安全だという証明だし、騎士団が評価されているという証でもある。騎士団長を務めた私の自慢だ。・・・そして、この話にはまだ続きがあってな」
つまらなそうに鼻をならそうとするヴォルフラムを制し、バレンは語り続ける。
「現在、ポーンブール騎士団は十二部隊で構成されている。そのうちの第三部隊隊長にラムスという男がいる。まだ二十歳そこそこの若手だが、私が引退した後の時期団長候補にも名前が残った逸材だ。まだ時折勇気と無謀を取り違えた行動をするので、さすがに団長叙任はできんかったがな。・・・そのラムスが尊敬する人物は、団長であった私でもなく、‘天宮の騎士ブルクハルト’でもなく、‘異端審問官’ヴォルフラムなんだそうだ」
「何だと?」
椅子に深く腰を掛けていたヴォルフラムの肩が動いた。
「二十五年前、‘フォンテーヌ軍’の進軍上に存在する村から住民を守るため、山越えをさせた時があっただろう。私が、‘狂戦士レオナーグ’と決着を付ける為、砦に残った日の話だ。・・・その際、逃げ遅れた数人の村人を、フォンテーヌ軍から守るために一人で残り、戦ったお前の姿を、よく覚えていた少女がいてな」
バレンは、表情を変えずに話を続ける。
「後日、その少女はお前の事を親しい人間にいつも話していたそうだ。お前がいかに、勇敢であったか。‘人を守る者の背中’がいかに大きかったか。・・・そして、その彼女の子供がラムス、と言うわけだ」
「リケッツも残ると言ったが、俺のアーティファクトの方が、多勢を相手にするのに向いていたから俺が残った。それだけの事だ。・・・それの何処が自慢だ」
先程と同じ言葉を、先程より強い口調でヴォルフラムは口にした。
皺の掘り込まれた頬に微笑を浮かべながら、バレンは続ける。
「言葉にしなければ分らぬか、友よ?」
「・・・つまらぬ」
やや間があった後、ヴォルフラムは大きく鼻を鳴らした。
「もうすぐ夜が明けるか」
既にワインボトルは空になっていた。
バレンは窓から僅かに白み始めた空を見上げて呟いた。
雪は既に止んでいた。
「出かけるのか?」
椅子に掛けていた外套を纏い、旅支度をするヴォルフラムにバレンは語りかけた。
「今回ここに寄ったのもお前との約束以外に、‘個人的要件’があってな。・・・この刻印を持つアーティファクトについて調べている。‘聖務’とは関係ない、ごく‘個人的な事情’でだ」
神父服から取り出した親指ほどの鉄棒には、蜘蛛を模した複雑な紋様が刻まれていた。
「ふうむ」
バレンは僅かに眉に皺を寄せた後、言った。
「ここから東に向った先にリードルという名の村がある。そこに工房を持つラズロウという人物を尋ねてみるがいい。まだ若いが、‘戦匠’としての腕と知識は私が保証する。アーティファクトに造詣が深く、その刻印についても何か知ってかもしれん。・・・若干、性格に問題があるが、私の名をだせば、話ぐらいは聞くはずだ。・・・浮かぬ顔だな?」
「‘性格に問題がある’というのが少々引っかかる」
「なに、‘頑固親父’にはちょうどいい相手だよ」
ヴォルフラムはそれには答えず扉の前に立ったが、ドアノブに手を掛けた後、振り返らずに
「何を笑っている」
「いや、私が明日からやるべき事が見つかったと思ってな」
バレンは答えた。
この頑固者の友には、もうしばらく自分の助けが必要だろう。
隠居の身とは言え、出来る事は少なくないはずだ。
「そいつは良かった。ならば、一人の友人として・・・」
そう言うとヴォルフラムは、ゆっくりと扉を開いた。
隙間から良く積もった雪に反射した、朝の光が入り込む。
「祝福しよう」