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1-7 「辺境の工匠」

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7―1 小話「辺境の工匠」

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例示:

アーキタイプ:異端審問官、辺境の戦匠

 
聖都ロンバルディアの下町、職人通りからさらに路地を折れたところに、崩れかけた小屋がある。
 鋳掛屋であることを示す看板が下がっているが、もはや全体に吹いた赤錆に埋もれて、その意匠は判然としない。
 ぎぎぃ。
 きしんだ音を立てて、なかば朽ちたドアが開くと、黴の胞子と埃の混じった空気が漏れてきた。
 その濃厚な臭気に、さしものアルデも眉をひそめて一瞬息をつめる。
 ドアの背後の暗がりから、警戒した目でにらんでいたのは、腰の曲がった老人。
……なんだよじいさん、怖い顔してさ。アタシの顔を忘れるほどボケたわけ?」
……後ろの女は」
 しわがれた、猜疑の念のこもった問いに、アルデは後ろをちらりと振り返る。
 自分のたっぷり五歩は後ろ、袖で鼻を押さえたラーラを見て、
「ああ。この子はアタシの妹分よ。危ないから来るなってのに、心配してどうしても着いて来たがってね」
「は? むしろ心配なのはあなたの脳の具合ですわ、アルデ審問官。昨晩石畳にぶつけた時に、脳でもやられたのでなければいいのですけれど?」
 鼻声のラーラの言葉を聞いて、老人は頭や四肢のあちこちに包帯を巻いたアルデをじろりとにらむ。
……やられたのか」
「脳を!? あ、いや……ええと、ちょっと派手にやらかしちゃってさ。 ……これ」
 アルデが、背に差していた杖をはずし、老人に手渡す。
 法王庁の人間ならあるいは知っているであろう。先端を二つの輪が取り巻くその杖は、アルデの操るアーティファクト、「煉栽棍」であった。
 受け取った老人は、難しい顔をしてそれを見つめていたが、
……見てみよう」
 言って、アーティファクトを手にしたまま奥へ引っ込んでいく。
 あわてて後を追って中に入ろうとするアルデの袖が、後ろから引かれる。
「ちょ、ちょっとアルデさん!」
 切迫したささやき声。
「なんだよラーラ」
「わたくし、ここの中に入るのはちょっと……。カビとかホコリとか弱いんです、わたくし」
「何言ってんだよ。そりゃちょっと薄汚いけどさ。こないだの下水道に比べたら……
「その話はなさらないでください!」
 だんだん声の高くなってきた二人に、建物の奥からしわがれた声がかかる。
「そんなところに突っ立っとらんでさっさと中に入ってくれ。……目立ってかなわん」
 最後の一言はつぶやくように。
 半ばアルデに引きずられるようにして中に入るラーラ。

 
老人は、難しい顔をして、枯れ木のような手で棍をひねり回している。
 アルデは勝手に椅子をひっぱり出して、上に積もった埃を適当に払うと、そこに座る。ラーラにも一つ勧めるが、ラーラは頑なに首を振ると、立ったまま、
……それで、まだ紹介して頂いていないんですけれど、この方はどなたですの? 表の看板では、鍛冶屋さんとのことでしたけれど……?」
 聞かれたアルデはにっと笑い、
「ドヴェルグ人、って言ってわかるか?」
 ラーラはちょっと眉を寄せて考え込んだ後、はっと目を見開いて、
辺境の戦匠ですの!?」
「工匠と呼べ」
 目を上げもせず、不機嫌な声で老人が言う。
「悪いねじいさん。こいつ、礼儀をわきまえなくってさ」
 へらへらと笑いながら言うアルデに、ラーラがくってかかる。
「だ、だって、ドヴェルグ人って、今はほとんど法王庁の工房に連れて行かれて。辺境でも、定住してる方なんてほとんどいないはずではありませんの?」
「そうなんだけどさ。このじいさんみたいなのもいるんだよ」
……ジューゼフと呼べ」
 あいかわらず目も上げずに。
「はいはい、ジューゼフじいさん。……それで、どう?」
……これは、かなり強力なアーティファクトとぶつけたな」
 問いではなく断定。ぼそぼそとした声に、アルデはかすかに悔しげに答える。
「あ、わかる? そうなんだよ、奴ら、腕は悪い癖にいい得物を持っててさ。 アタシ一人なら何とかなるはずだったんだけど、この子が足を引っ張るもんだから、ついかばっちゃってこの有様さ」
「まあ、それはご迷惑をおかけしましたわねアルデ審問官。 でも、わたくしの記憶が正しければ、あの夜、気絶した貴女を施療院に引きずっていった時は、足ではなくて肩をひっぱってさしあげたはずですわ。それはそれは重くて苦労しましたのよ?」
「な、なにをっ
 二人のやりとりを気にせず老人は続ける。
……とはいえ、元々は武器として作られたものだ。普通にぶつけただけなら、それほど大したことはなかったはずなんだがな。 普段からずいぶん無理をさせてきたんだろう。 全体にかなりガタがきとる。 それが祟ったんだな」
 その語気に、咎める気配が感じられる。アルデは気圧されて、
……な、直るよな?」
……もう少し見ないと、何とも言えん」
 言って、老人は、部屋に積まれたがらくたの山から奇妙な道具をいくつも取り出す。もうもうと埃が舞い上がり、ラーラが顔をしかめた。
 取り出した道具の中から、ねじれた双眼鏡のような器具を目に当てると、ドヴェルグの老人は煉栽棍をゆっくりと改め始めた。


……ねえ、アルデ審問官?」
……なんだよ」
「この方がドヴェルグ人の方なのも、アルデさんの普段のアーティファクトの使い方が荒いのを見抜いた眼力が素晴らしいのもわかりましたけれど。 でも、やっぱり素直に神器工廠に持って行って直してもらった方がよろしくありませんこと?」
 へっ、と、アルデは笑う。
「あいつら、一課のイイ子ちゃん連中ならそうするだろうな。 けど、工廠の学者どもに任せたら、一月やそこらは優にかかっちまうよ。 それじゃあ間に合わない、ってことはラーラにもわかってるだろ?」
「ええ。 ……アルデさんが良い子ではないことも、よーく心得ていますわ」
 アルデはふふん、と鼻で笑う。
「それに、工廠に持ち込んで、どうしてこんなに壊れた、なんてうるさく聞かれたら面倒なことになるしな。 ……正直に答えられる状況じゃあないんだし」
「ええ、それもこれも、アルデさんが良い子ではないからですわね。 ……でも、こんなことを言っては失礼ですけれど、どのみちこの工房でアーティファクトを直すのは無理ではありませんこと?」
 ここが工房だとすれば、という言葉をラーラは飲み込んだ。
 法王庁のアーティファクト工廠は、200人を超える学者・技術者を抱える大組織だ。
 実際にアーティファクトの製作・修理を行う工房だけでも、下手な工場など遙かに超える大きさと設備を持っている。
 こんな物置ともごみ溜めともつかぬ場所など、むろん比べものにならない。
 だが、ラーラのそんな疑問に、アルデは余裕の笑みで答えた。
「ラーラ。 工廠の学者連中ってのは、そのほとんどが数学者だ、って知ってた?」
「え、ええ。 十六象限幾何学がどうとか……
「うん。 それは要するに、アタシたちが普段見てるより『もう一つ上』の物の見方なんだってさ」
「はあ」
 今ひとつ飲み込めない顔のラーラに、アルデはやや得意げに続ける。
「たとえばさ、絵とか影みたいな、平たい世界に住んでいる連中がいたとするだろ? その平らな世界に、アタシたちが丸いボールを投げ込んだとすると、連中には、空中に突然点が現れて、大きな円になって、また小さくなって消えていくように見えるよな?」
 ちょっと考えた末にうなずくラーラ。
「でさ。もしも、アタシたちの世界よりさらに『もう一つ上』の連中が、アタシたちの世界に、連中にとっての『箱』を投げ込んだら、アタシたちにはどう見えると思う?」
 しばらく考えた末に、ラーラは首を振った。
「見当も付きませんわね。そもそも、その『箱』がどんなものなのかも」
 アルデはうなずいて、
「アタシにも見当つかない。 ただ、アーティファクトを作るためには、そういうことを正確に把握する必要があるんだってさ。 それがどうなっているのか確かめるために、数学者連中が何週間もかけて数式をいじるわけ。アーティファクト一個作ったり修理したりするたびにさ」
「アルデさんには無理そうですわね」
「ほっとけよ。 ……ところが、このじいさん……ていうか、ドヴェルグ人には、それがちょっと考えただけでわかるらしいんだ」
「どうしてですの?」
……と、そう思うよな。 でも、それが答えられないらしいんだ。 『どうしてお前にはわからないのか?』って聞かれるだけでさ」
 納得いかない表情のラーラに、アルデは続ける。
「小さい子ってさ、自分にとっての右左と、向かい合った相手にとっての右左が逆になることとか、目の前の物を別の方向から見たらどう見えるかとか、わからないだろ? 大人から見れば、『なんでわからないんだろ』って感じだけど」
「ドヴェルグの方からすれば、わたくしたちの頭は幼い子どものようなものだと?」
「そうそう。 そういう『わかる』人にかかれば、修理の手順を考えるのも実際に作業するのも、工廠とは比較にならないくらい早くすむってわけ。
 だから、このじいさんに頼めば、工房で一月とか二月とかかかる仕事でも、一日二日でぱぱっと」
「これは直せんな」
 ぼそりと、だが断定的なつぶやき。
「は?」
「直らない、と言ったんだ」


後編:

老人の言葉にあわてるアルデ。
「い、いや、さすがに一日二日は無理でもさ。三日四日……
「そういう問題じゃあない」
 難しい顔で首を振る老人。
「完全に壊れてしまった、ということですの?」
 心配げに尋ねるラーラ。
「いいや。 作業そのものは半日でできる。 ……だが、式を組むのに必要な材料がない」
 床に視線を落としたまま、老人は続ける。
「炫輝石という……、まあ、宝石だ。そいつがないと、この棍に式を組み込む作業ができんのだ」
「聞いたことがありませんけれど……珍しい物ですのね?」
「ああ。……ほとんどは、氷河の下に埋もれているだろうからな」
「ストックとかないのかよ?」
 尋ねるアルデに老人は物憂げに首を振る。
「あったさ。 ……昔は。だが、工廠のやつらが村にやって来た時、みんな持って行ってしまった」
「くっそ、なんとかならないのか?」
 悔しげに迫るアルデに、ドヴェルグ族の老人は、横に目をそらして、
……ならないことは、ないんだが……
「どこかにあるのか? その、なんとか石」
……ああ。 だが……
「もったぶるなよじいさん!」
 老人はしばしためらったあと、口にした。
「たぶんな、ここ、聖都ロンバルディアのアーティファクト工廠に、今もあるはずだ」
 さ、と、空気が重くなった気がした。
 眉をひそめて、ラーラが言う。
「それは……。ないも同然ですわ。 第一、工廠といったって広いのに」
「工廠の倉庫だ。 工房ほど警備もきつくなかろう。 倉庫のどこにあるかも、ほとんどわかっとる。 中にはいることができれば、なんとかなるはずだ」
 しばらく誰も口を開かなかった。
 沈黙を破ったのは、アルデだった。
……やるしかないな」
 あわてるラーラ。
「ちょ、ちょっと正気ですのアルデ審問官! 工廠に入り込むだけだってただじゃすみませんのよ!? まして、そこから物を盗み出すなんて、審問官位剥奪ですめば良い方
「だけど、他に方法がないんだ。仕方ないさ。 ……作業は半日だろ? 今晩忍び込んだって、一課連中を出し抜くには十分さ。 アタシの煉栽棍が工廠に持ち込まれないのを知れば、奴ら、アタシがベッドで包帯巻かれておねんねしてると思うだろうしな」
 信じられない、という表情のラーラを尻目に、アルデは老人に言う。
……けど、じいさん、なんだかやけに前向きだよな。 普段なら、『武器を直すなんてまっぴらだ』とかなんとか言うくせに。 ……どうしたのさ?」
 老人は、ぎくりとした様子で、ひからびた唇を噛んでいたが、アルデとラーラ二人の視線に耐えかね、しばらくしてようやく口を開いた。
……あそこの工房にな。マルガ、という、女がいるはずだ。 ……そいつを、連れ出して欲しいんだ……
「へえ。 やるねじいさん。誰? 奥さん?」
 ひやかすアルデの腕をぐいと引いて、
「笑ってる場合じゃありませんことよアルデ審問官! 法王庁の聖遺物工廠から物を盗み出すだけだってただごとではありませんのに、ドヴェルグ人技術者を脱走させるなんて言語道断ですわ! 不可能ですわ!」
「ちょ、ちょっと待てよラーラ」
 構わず、肩をつかんでぐいぐいと揺する。
「特別査問委員会ですわ! 火炙りですわ! 罪人ですわ! 氷寒地獄で一生炭坑労働ですわ!」
「いたた、いた、ラーラ、傷が、傷が!」
聖バロスの鎖ですわ! 法王庁第八課にその人ありと言われたわたくしたちが! 笑いものですわ! そんなの耐えられましてアルデさん!?」
「あたたたた……
 興奮するラーラと、包帯のあたりをおさえてうずくまるアルデ。
 二人の騒ぎが目に入らぬげに、老人はぼそぼそと続ける。
「わしの、孫娘だ」
……お孫さん?」
「ああ。 ……まだ、何もわからん子どもだ、連れて行ってもあんたらの役になどたたん、と言ったのに。 ドヴェルグの者だというだけで。 アーティファクトを作らせるための人間として教育するのだと……。 わしは、助けてやれなかった。 ……それどころか、あの子が奴らの手にかみついて。 その隙に、わしは……
 言葉に詰まる老人。
……それで、この街に住んでたのかよ」
……ああ。 いつか、助けることが……それが叶わなくとも、一目会うことが、と……
 沈黙。
 ふと、ため息をつく音。

そして、きっぱりと、
……ジューゼフさん、でしたわね。 わたくしたち、できる限りのことはいたしますわ。 でも、炫輝石と、わたくしたちが脱出することを優先させて頂きます」
 ぎょっとして見つめるアルデを制して、
「ですから、勝手なことを申し上げるようですけれど、わたくしたちの結果がどうあれ、ジューゼフさんには最善を尽くすことを約束して頂きたいのです。 ……もしも、お孫さんをお連れして差し上げられないような時は、ジューゼフさんからのお言伝をいたしますわ。 ……お手紙をお預かりした方がよろしいですわね? それで、よろしいですか? ジューゼフさん?」
 老人は、しばらく黙っていたが、やがてしわだらけの手で目元をぬぐい、震えながらうなずいた。
「ああ。 ああ……。 すまないな、娘さんたち。 ……頼む。 手紙を書こう。 ……それと、炫輝石の絵も見せよう」
 言って、老人はよろよろと立ち上がり、書棚を引っかき回し始めた。

……よかったのか、ラーラ?」
「仕方ありませんわ、アルデ審問官。 確かに、一課の方々の先を行くには、他に方法がありませんもの」
 工廠の塀のそば、植え込みの陰で夜の闇に紛れながら、二人はひそひそと言葉を交わす。
 前方、詰所の灯に照らされて、衛兵があくびをしているのが見える。
 アルデの背には、老ジューゼフが貸してくれた棍型のアーティファクトが負われている。

煉栽棍ほどの力はないが、優秀な武器だという。
……だけど、あんなに嫌がってたのにさ。 ラーラだけどこかで待っていてもよかったんだぜ?」
闇の向こうから、ふふん、と笑う声が聞こえた。
「あら、アルデさんだけで行かせるなんて、『妹分』のわたくしには、心配でできませんことよ?」
「……お前、けっこう根に持つよな」
「記憶力が優れている、とおっしゃってくださいませんこと? ……それに、アルデさんが怪我をして、煉栽棍が壊れたのは、わたくしのせいもありますもの。 お手伝いするのは当然ですわ」
今度はアルデが、くくっ、と笑う。
「あー、あの時は足を引っ張ってくれたんだもんな。 ……それとも肩だったっけ?」
「ええ、次回は耳を引っ張って差し上げますから、それまでに減量なさることをお勧めしますわ」

そろそろ、衛兵が交代する時間のはずである。
「……しかしさ。 ラーラも気づいてたんだろ? じいさんのこと」
「ええ。 ……この封筒も、決して開けるな、と、念を押されましたもの。あの様子、何か、企んでいらっしゃるのですわね」
「なのになんで?」
「お孫さんのことは、嘘とは思えませんでしたわ。……他に、考えていることもおありなのでしょうけれど……」
衛兵の姿が消えた。
次の瞬間、二人の審問官の姿は、その場になかった。

ラーラ・メルデ、アルデ・ステルリア両審問官による聖務「殉教の悪魔」事件が、法王庁第一課の審問官たちとの「不幸な行き違い」を経て、最終的には無事成功を収め、多くの無辜の人々を恐るべき悪疫から救ったことは、詩にも語られ、多くの人の知るところである。
しかしながら、彼ら二人と、同時期に聖都で発生したドヴェルグ人技術者大量脱走事件との間に関連があることを知るものはほとんどいない。

ただ、聖務後に提出された報告書、その余白に書き込まれていた両名の言葉が記録されている。
「爆発するなら先に言えよ、じじい。それと、いくら義理の孫にしたって歳近すぎだろ」
「アルデさんには絶対減量して頂きますわ」

 

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