10-6 小話「北の穂先族 ベゼル」
「クソ!冗談ではない」
オジム子爵は、手に持った精巧な装飾が施されたグラスを、一気に呷る。
新聖暦57年産のイゴール製年代ワインが、その尖った喉に流し込まれる。
先程から何度となく繰り返された行為だが、それでも第三教区子爵ズボニール・オジムの喉は潤う事はなかった。
「私が、‘駒’を見つけて、あの地下闘技場に参加するのに、どれだけの金を使ったと思っているんだ!」
一気に飲み干したグラスを、漆黒のテービルに叩きつける。
喉は潤うどころか、さらに乾いていた。
第三教区の‘司教区’が近年の人口増加に伴い、大規模な区画整理が行われるという噂は数年前から流れていた。
司教区の領主ともなれば、その領民に対する様々な‘責任’が発生する。
しかし裏返せば、それは‘特権’ともいえる。
司教区貴族への昇進は、ズボミール・オジムの長年に渡る野心の対象であった。
‘特権’があれば、自分の‘商才’を如何なく発揮できると思っていたし、‘趣味’のほうもさらに規模を拡大できるだろう。
その‘特権’獲得のためにズボミールが目をつけたのが、‘地下闘技場’であった。
参加する剣闘士の後見人になることで、毎試合動く莫大な掛金の獲得は、裏工作に大いに役立つし、何より闘技場の‘貴賓席’に足を運ぶ有力な権力者へのパイプを持てると考えたからだ。
そのための準備は入念に行った。
第七教区リッチェル伯の元より、兼ねてから武名を轟かした騎士ゴライアスを招聘した。
‘趣味’の準備のため、時折利用していた港町ゴードンの‘競売’に足を運び、二対のレイピア型アーティファクトも獲得した。
地下闘技場で、ゴライアスは期待通りの働きをした。
ゴライアスが観客が沸くような勝利を得る度に、ズボミールは彼が望むままの褒賞を与えた。
いい食事。
いい酒。
いい女。
維持費は掛かるが、その分の結果は出している。
餌と鎖で繋ぎとめられる優秀な飼い犬のようなものだ。
後見人に支払われる獲得配当が一気に跳ね上がる闘技場の上位陣との対決も、そう遠くないと感じていた。
しかし・・・。
「個人参加の賞金稼ぎ風情に・・・完敗だと・・・。ふざけおって!」
昨夜の出来事を思い出し搾り出すようにうめくと、手元にワインボトルを手繰り寄せ、直接呷る。
口から溢れた紅い筋が、喉もとの皺を伝わり、金縁の刺繍の施された飾襟を濡らした。
相手は隻腕だった。
しかも女だった。
クレッペル公が後見人となっている剣士が、シルフィードと呼ばれるアーティファクトで‘重戦鬼アーディ’に勝利したその次の試合の出来事だった。
上位陣との直接対決どころの話ではない。
とんだ恥さらしだ。
「投資額は金貨で、三万枚以上だ!誰が責任を負うのだ!」
酒に毒された息を荒々しく吐き出すと、手にしたワインボトルが空になっている事に気づき、壁に投げつけた。
「失礼します」
ワインボトルが砕ける音と同時に涼やかな声がした。
その声に僅かに冷静になったズボミールは舌打ちで返事をする。
ドアが開かれ入って来たのは、袖長のブラウスを着た黒髪の女性だった。
「何のようだモニカ!私は開けるなと言ったはずだぞ!」
ズボミールの怒声に、モニカと呼ばれた女性は恭しく頭をさげる。
黒髪が、その白い肌に掛かった。
「申し訳ありません。お客様がお見えです」
「客?そんな話はきいていないぞ!?」
「飛び入りのようです。‘闘技場’参加希望者のようです」
「ふむ?」
モニカとの会話はズボミールを徐々に冷静にさせた。
元々モニカはズボミール自身の‘趣味’のために、闇市の‘競売’で競り落としてきた愛玩用品だ。
ズボミールの‘趣味’を満足させるには表情に乏しく、時折眉根を寄せる程度であったが、没落貴族の娘という売り文句そおり、十分な教養とさらなる知識を吸収する下地があった。
そのため今では裏の仕事を管理させる優秀な「秘書」として重宝している。
「どこにいる?」
「そちらの窓の下で待たせています」
モニカは白い指でテラスが貼り出した窓枠を指差した。
「貴様か。闘技場参加希望者というのは?」
ガウンを羽織り、月光のさす中、テラスより中庭を見おろしたズボミールが発した声には失望が混ざっていた。
「そうだ」
中庭に立つ男は短く答えた。
北部訛りの返答。
紺色に染められた皮鎧を内側から押し上げる分厚い胸板。
毛皮の防寒着がくくりつけられた背負い袋。
そして男の体格に見劣りしない冗談のような大きさを誇る鋼の戦槌。
月光に照らされた男の金髪が微かに揺れた。
男の特徴全てが、男が半島北部出身である事を示していた。
同時にこの巨漢がかなりの腕前であることも理解した。
中規模の自警団でも‘強い’と言われる部類には入るだろう。
天性の体格に鍛えられた筋肉、さらには実戦で得た経験。
だが、そのような人間でさえも、簡単に倒す‘化け物’が集まっているのがあの‘地下闘技場’なのだ。
木偶に用は無い。
「今すぐ金がいる。俺を雇って欲しい。俺は強い」
巨漢はの発したストレートな言葉に、ズボミールは思わず苦笑する。
駆け引きという言葉自体を、知っているかどうかも疑わしい。
「ほう、大した自身だ。それでいくら欲しいんだ」
ズボミールの蔑みの言葉に、男は動じだ様子も無く答えた。
「金貨三枚」
「なんだと?」
「これから俺の腕を見せる。気に入ったら俺を雇ってくれ」
ズボミールは今度は失笑した。
どこの辺境出身かは知らないが、世間知らずにも程がある。
金貨三枚のために、あの地下闘技場に行くというのか。
「今は夜だ。暗くて良く見ることが出来ない。だから私はお前を雇わない。残念だったな。」
失笑を浮かべたまま適当な言葉を並べ、巨漢の提案を却下すると、ズボミールは背を向け室内に向かう。
モニカに命じてさっさと追い返すつもりだった。
「見えないなら、俺がそこへ行く」
男が短く言ったが、もはや相手にしなかった。
時間の無駄だと判断したからだ。
「さあ、見てくれ」
次の瞬間、男の声はズボミールの真後ろから掛けられた。
「な!?」
振り返ると、男は月光を背にテラスの華奢な柵の上に立っていた。
手には、超重量の鋼の戦槌を携えたままだ。
「貴様!?何を、なぜ、どうやって!?」
微かに残っていた酔いが一気に冷める。
「‘雌鹿の足’を使った」
「な、何だそれは!?」
「俺の部族に伝わる、古の体術だ」
「ここは三階だぞ!?」
「問題ない。必要ならもっと高く跳べる」
男は静かにテラスに足を踏み入れた。
月光が、その彫の深い顔立ちに陰影を刻む。
「その体術とやらは、他のことも出来るのか?」
「‘獣の理’は野生の血を模倣する事で得られる。野生の血が出来ることならなんでもできる」
男の話を聞きながら、ズボミールは自分が震えていることに気がついた。
怯えている?
違う。
笑っているのだ。
男の纏っている気配は‘上位陣’の連中と同質のものだと認識したからだ。
この男は‘本物’だ。
あの連中と同類の‘化け物’だ。
「と、闘技場に出る目的は?」
「俺を助けてくれた恩人のためだ。その人のため、どうしても今夜中に金がいる」
「それだけか?」
巨漢は僅かに沈黙する。
「自分の強さが知りたい」
ため息に似た声で、巨漢は口を開いた。
「以前の俺は弱かった。そのために相棒を死なせた。強くなるために旅に出た。闘技場には‘戦士’が集まると聞いた。俺が一族に戻るに値する強さを得たか、確かめたい」
「いいだろう・・・、明日にも手続きを整え、出場させよう。何か必要な武器は、アーティファクトはあるか?」
声が微かに震える。
勝てる。
この男ならば、勝てる。
「必要ない。これが一番手加減できる」
「手加減だと?」
裏返った声を上げ、ズボミールは巨漢が掲げた戦槌を見上げた。
その視線を受け止め巨漢は淡々と答える。
「俺は、‘北の穂先族’のベゼル。素手で戦う時が、一番強い」
巨漢の返答に、堪え切れなくなったズボミールの哄笑が、夜の闇に響き渡った。