2-7 小話「白い幽鬼 イサナ」
──闘技場の中心にて
騎士装束の剣闘士が方膝をついたそのさまを、観客たちは不思議な面持ちで眺めていた。
「フェオール伯の四騎士」といえば、第七教区に彼らありと謡われるほどの武人たちである。
その第三位をいただくバン・ルミールが、主君から授かりし火炎剣ボランドヴィークを相手に触れることもかなわず、また自らが古代の遺跡より発見せし無敵の青鎧ファンテーローを己が血で汚し、いまこうして大地に膝をついているのである。
ルミールの瞳に、闘争の炎の陰る様子はない。
だがこの展開を刹那のうちに振り返る限りにおいて、これ以上の勝機を見出すことはもはや困難という判断もまた彼のうちに生まれていた。
見上げる視線の先に立ち尽くす細身の男──。
イサナ・ク=ジョンと紹介されたその剣士は、紫と黒に染め上げた部分鎧をまとい、右手に同様の色あいの刀身をもつ見たこともない長剣をたずさえていた。
虚ろに輝く瞳とやけにこけた頬はまるで幽鬼のようだ。
その繰り出す剣はまるでとらえどころがなく、まるで剣自体がルミールを追っているかのようにすら見えた。
イサナ自身はといえば、それを暴れるがままにさせているかのように、もつれるような足取りでただ迫り時に引くといった体であった。
「これほどの使い手に会ったのは、じつに久しぶりだ」
ルミールは佇む敵に対して言った。
イサナは仕掛ける風はまるでなく、ルミールをやはりぼんやりと見つめ、
「俺もだ。さすがフェオール伯の四騎士」
と返した。
その声はよく通ったが、剣さばき同様、ここではないどこかから出ているような、とらえどころのない色をしていた。
「俺は貴殿に敗れよう」
「まだ決まったわけではないが」
「たしかに我が心は折れず。しかし体はそうはいかん」
ルミールはまだ若干二十歳であった。
しかしその風貌はすでに油の乗った三十路の戦士のそれであった。
その顔で言われると、まるでその肉体には幾多の戦傷が刻まれているかのように思われる。
実際はこの試合に至るまで、彼は他の三騎士を除いては無敗を誇ってきた。
それがこの一試合で、彼にそのように言わしめるほどの傷を負ったのである。
「・・・そうか」
虚ろな戦士の瞳が、少し残念そうなそぶりを見せた。
「アーティファクトでもない只の鋼の剣でよくぞここまで戦った。──いや、それこそが龍の炎で鍛えられたと伝わるボランドヴィークの凄みというものか」
「ということは、貴殿のそれはアーティファクトか」
イサナは無言で頷く。
それまでルミールはさして相手の装備になど興味が無かった。
己が身にまとう武具は単なる武器防具にあらず、この世で最高を自負する主君と我が肉体により所有される最高の武具であるという気概があったからである。
だがここに至って、ルミールは知らねばならないと思った。
自分を打ち倒さんとする、その男とその武具の名を。
「教えてくれないか、その剣の銘を」
応えるように、幽鬼はゆらり、と剣先をルミールへと突き出した。
そのとき──
その刀身から、禍々しいものが湯気のようにたつのを、ルミールは見た。
聞くべきではなかったか。
そんな想いが一瞬脳裏をよぎる。
しかしすべて己が求めたこと、受け止めよ──そう思うと同時に、イサナが口を開いた。
「この剣の名は『エンブロイ・エッジ・アクイ[悪意]』──我が精神の具現にして我が闘争の伴侶」
「──エンブロイ」
それがかつて法王庁が管理していたとされるA級アーティファクトの名称であることを、ルミールはわずかに知っていた。
しかし目の前のそれは、記憶の中にある白色の剣とはまるで異質の、まさに「悪意」を体現するかのような存在感を示していた。
これが、俺の命運を。
「・・・ありがとう。恐ろしい剣だ」
ルミールは立てた方膝に力を込めた。最後の一撃を浴びせんと、炎を模した彫り物をまとう宝剣を持ち上げ──
そしてのど元に熱いものを感じて、そのまま前のめりに崩れ落ちていった。
幽鬼はしばしそれを見下ろした後、勝ち名乗りの場内案内に見向きもくれず、自分の来た通用口へと帰っていった。