2-8 小話「老騎士 対 鏡の剣士」
「すまんな、ニール殿。どうも、貴殿と戦うところまでいけないかもしれん」
「──なに」
闘技士出入り口で戦いを見守る剣士ニールにかけたその言葉は、彼を激しく動揺させた。
「何を言っている、ブルクハルト殿。勝てる。優勢なのは、あなただ」
「そう見えるかい」
後ろで控える隻腕の女闘士がなんともいえない顔をしながら言った。
「あの爺さん、もう限界だよ」
「──なに」
「確かに技の精度はとんでもないよ。恐らくこの闘技場でも何人もいないだろうさ。イヴォルト程度が真似しきれるもんじゃない」
「ならば──」
振り返る剣士に、女闘士は目を合わせずに言った。
「持久力の問題さ。長い戦いは年寄りには無理だ。それだけあの男が粘ったってこと」
「そ──」
それだけのことで。
「これほどの使い手が──まだいたとは」
ブルクハルトは目の前の剣士に語りかけた。
満身創痍、全身を血に染めたその男は、老騎士と同じ構えで、なおも立っていた。
「そりゃあ、どうも。これくらいしか取り得がないもんでね」
血と汗まみれの顔で笑ってみせる。
確かに技の一つ一つでは老騎士の勝ちだ。元聖騎士の腕は伊達ではない。
だが敵のこの戦いにおける創意工夫は、ブルクハルトの経験を僅かだが凌駕していた。
彼は剣を交えるごとに肉体よりも精神が疲労していくのを感じていた。
気がつけば、剣を持つ手が震え始めていた。毎日32の剣術型をそれぞれ一千本こなす彼の腕が、だ。
(──我輩は)
そのとき、イヴォルトが言った。
「なあ、あんた──まだなんか隠してるだろ」
「なに」
「こういう戦いばっかやってるとな、わかるんだよ。
あんた、まだまだなんか持ってる。しかも、それを使わないで勝ったり負けたりしようって気だ」
クォンタルがつぶやく。
「何言ってんだよ、イヴォルト──」
──この男。
ブルクハルトは震えた。
ニール以外の人間ではじめて、“それ”を見抜かれたのだ。
「──舐めんなよ」
イヴォルトが、この仕合ではじめて声を荒げた。
「爺さん。あんた、ここに何しに来てんだ。
ここは殺し合いをするとこなんだ。あらゆる手を尽くしてな」
「あいつ!」
ニールは胸騒ぎを覚えた。
「それ以上、言うな──!」
そのとき、イヴォルト自身は後悔していた──なぜこんなことを叫んでいるのか、と。
だが止まらない。なぜだ。
「元聖騎士だか何だが知らねえが、お高く止まってんじゃねえぞ。こちとら、馬鹿みてえな薄給で互いの体斬った張ったしてんだ!安い体だ、泥にも血にも糞にもまみれようさ!」
老人の顔など見ていない。あの女のことも見ていない。
イヴォルトは今──
自分のために、吼えていた。
「だがな、覚えておけ。
ここで戦ってるこの俺の魂は少しも安売りする気はねえし、ましてや場違いな腕自慢のためだけに紛れ込んだ呆け爺いの剣ごときでは絶対に斬れねえもんなんだ!」
場内が静まり返った。
圧倒された者、しらけた者、同意する者、嘲りの笑みを浮かべる者──
いずれにせよ、“鏡の剣士”がはじめて鏡の向こうから己の意志をあらわしたことに、そこにいた人々は何らかの反応を示さずにはいられなかった。
ニールも、クォンタルも、言葉が思いつかない。
ややあって──
「──相わかった」
ブルクハルトが答えた。
「たしかに、真実である」
「お師匠様──」
観客席で見守る弟子のジャンヌの姿をみとめ、老いたる師は安心させるように頷いて見せた。
そして、
「しかし我輩、貴殿の魂をそこまで見下したつもりはない。もちろん伝わらなんだは我輩の至らぬところであった」
と言った。
一方のイヴォルトは、「ふん──」と答えただけだった。内心では、
(くそっ、柄にも無いことを言っちまった)
と思っていたのだ。
それでも言って楽になった。
「わかりゃ、いいんだ。さっさと出せ」
さっきの激昂が嘘のように、またあのつかみ所のない笑みが戻る。
「うむ」
ブルクハルトは頷いた。そして少し後ろを向き、
「ニール殿」
と言った。
「なんだ」
「すまぬ。貴殿との約束、破らせてもらう」
「勝てるなら、やるといい」
ニールはあきらめていた。
所詮、あの約束はお互いがまだこの世界を知らな過ぎたが為に生まれたものだ。
「勝てるかな」
クォンタルが言った。
彼女はまだイヴォルトの優勢を信じていた。
「たとえ勝てないとしても──」
ニールはクォンタルに答えた。
「聖騎士ブルクハルトに“あれ”を使わせた時点で、“鏡の剣士”は超一流の戦士さ」
「我輩が聖騎士だった頃、つけられた異名が幾つかある」
剣を両手で胸の前にかざしながら、ブルクハルトは目の前の剣士に言った。
「これは、その中でも我が名を最も知らしめたものである」
イヴォルトは構えを真似ない。
替わりに両手をだらりと下げ、まっすぐに敵を見据えていた。
まるで、待っているかのようだった。
「それなら知ってるぜ。“星宮の騎士”ブルクハルトだろ」
「──然り。
そしてこれが、その由来である」
その言葉と同時に、闘技場の空気が変わった。
冷気。
そして張り詰める熱気。
光の粒子が老騎士の剣から立ち上る。
「──出るぞ」
ニールはその圧倒的な闘気に息を呑む。
イヴォルトは涼しい顔をしている。
足が竦みそうになったが、すぐに止んだ。
「ずいぶんと派手じゃねえか、この!」
閉じられていた老騎士の瞳が、それまでと全く異なる輝きと共に開かれていく。
「 開 闢 (かいびゃく)!!!」
轟音。
爆風。
ブルクハルトの剣から全方位に向けて放たれた光が闘技場全体に乱反射する。
「うおっ!!」
「な、なに!?」
まるで世界の終わりが来たかのような、という例えが大げさに聞こえない。
光と闇と風と土ぼこりが空間のあらゆる場所でのたくり、龍のごとく暴れまわる。
「──お」
ジャンヌは爆風の中、身を乗り出してその中心に叫んだ。
「お師匠様ー!」
爆風が晴れていく。
やがて澄んだ風が人々の視界を開いていくと、闘技場の中心に、両手にそれぞれ剣を携え、周囲に十本の浮遊する剣を従えたブルクハルトの姿があった。
「ついに、出たか」
ニールは自分の膝が笑っていることに気付いた。
この圧倒的な存在感は、すでにシルフィードの比ではない。
「あれが──」
「──聖剣“星宮の巡航者(ゾディアック・クルーザー)”」
ブルクハルトが剣の名乗りのを代弁するかのように言った。