外伝:SilentGears After Episode1
渡された木の器が手のひらに生ぬるく感じられる。
中にはどろりとした屑野菜の煮込みが揺れている。
湯気はほとんど見られない。
わずかに肉片が見えるだけよしとする。
「すいません、隊長。もうこんなんしかねえんで」
給仕係の男がすまなそうに言った。
「わかってるって。あんがとよ」
笑ってそう言ってやって、俺はいつもの席へ向かう。
今日最後の飯。
朝飯がなかったから、最初の飯でもある。
最後の戦闘から二日が経ち、空腹はともかく、体のほうはだいぶ癒えてきたように思う。
とはいえ、視界はまだ小刻みに揺れるし、脚もうまく動かない。
つま先が地面から離れてくれないので、ひきずるようにして歩かなければならない。
後ろをついてくる副長のラウルが言った。
『がんばりすぎじゃねえの、兄貴。たまには休んだら』
たぶん心配してくれているのだろうが、こいつが言うとからかっているようにしか聞こえない。
「ああ、そうかもな」
たしかに連戦に次ぐ連戦だった。
相手は帝国の機械化兵を中心にした高速部隊。
疲れを知らず恐れを知らない魔導科学の申し子。
だから俺たちもふだんの行軍の倍の消耗を覚悟し、十分な戦力を確保して臨んだ。
だがそんな覚悟すら無駄といわんばかりに敵の戦力は圧倒的だった。
解放軍本部から借りてきた兵はあっという間に倒れ、残るは古参を中心とした数隊のみとなった。
戦略的に必要な条件を維持している以上、こんな状況でもまだ負け戦とは言わない。
だが現場が限界なのはもう見えていた。
といって──
「やっぱり退くわけにもいかねえ。それはわかってるよな?」
退けば後ろは遮るもののない大平原だ。
広域攻撃を可能にする多様な魔導兵器を有する帝国軍にとって、これほど与しやすい地域はない。
そして解放軍本部からの増援がここに到着するには、あと一週間は待たねばなるまい。
ここは帝国の支配下にある東方地域と解放軍のお膝元の西方地域、その中央に連なるバルク山脈。
そこに穿たれた解放軍の楔、それが俺たちだ。
──と、俺はこの戦いの最中に何度もこの男に言って聞かせている。
こいつは、面倒くさくなると勝ち戦だろうが負け戦だろうが「そろそろ終わりにしよーぜー」と言ってくるような、そういうやつだ。
だが今日の副長は俺の話をうんうん、と聞いていた。
珍しいこともあるもんだ。
『任務のために命を懸けるのは戦士の本懐──ってな』
「やっとわかってきやがったか。長かったなあ」
『最初からわかってるって。俺は戦士とかじゃねえから関係ないってだけさ。あんたもだろ、隊長』
「この野郎。──ま、違いねえや」
二人で笑う。
たしかに、俺たちは戦士って柄じゃない──なんせ拳闘士くずれと盗賊上がりの作った組織だ。
うちで戦士らしい戦士ったら、ギルフォードやアルケイラくらいだ。
帝国式剣術だの、シュタイエル式北派だの、まあご立派な流派を持ってる連中は、やはり戦っている姿もサマになれば、言うこともそれなりによく聞こえる。
それに比べて、俺らときたら──
『なに言ってやがんだ。大陸最強の格闘術を持つ“拳闘将軍”“隻腕の氷狼”クォンタル閣下──だろ?
で、俺がその副官にして第一参謀。“疾風の”ラウル様ってな』
やれやれ。
そのくせ誰も将軍なんて呼んでくれやしない。
新参の第二参謀さえ、
「隊長とお呼びしますよ。どうもそれがここの慣わしのようですので」
ときたもんだ。
お前だってそうだろう。
いつまで経っても「副長、副長」だ。
貫禄もなにもあったもんじゃねえ──
くだらないおしゃべりをしている間に、テーブルの前に着いていた。
席についてみると、スプーンをもらってくるのを忘れたことに気付く。
コンコート・コアにいた時分は銀の細工入りスプーンが最初から目の前にしつらえてあって、そいつで政府のお偉方のお相伴に預かったもんだが、ここじゃてめえの手で粗末な木のスプーンを持ってこないことにはスープ一杯もすすれやしない。
──めんどくせえ。
器ごと飲むか。
と、脇からスプーンが突き出てきた。
「隊長、忘れ物だぜ」
お節介な野郎だ、と俺は思う。
こいつにそこまで気を遣われるとは、いよいよもってやばいのか。
まあ、今はもらっとくか…
「悪いな、副長」
そのとき──ラウルが突然妙なことを言った。
「俺は副長じゃないぜ、隊長」
俺は目を覚ました。──ような気がした。
といって、目を覚ます前と後で何が変わったというわけでもない。
目の前にあるのは煮込みの入った木の器と、木のスプーンと、テーブルと…
顔を上げる。
宿舎の食堂を兼ねた薄汚い広間の一角。
大テーブルには俺のほか数人しか座っていない。
やはり変わらない。
だが変わったのだ。
自分の知覚から急にもやが晴れたような、そんな感覚だ。
スプーンの差し出された方向を見る。
俺より頭一つ背の高い、岩山のような筋肉の男が立っていた。
「よう、グレッグ」
「どうも」
グレッグはなんだか苦虫を噛み潰したような顔をして、俺のほうを見ていた。
左手には俺と同じスープを入れた器が納まっている。
「なんだよ、座るなら座れ」
「へえ」
男はのろのろと椅子に腰掛ける。
背丈はひどく大きいというほどでもないが、腰周りがあるので尻の下の木組みが実に頼りなく見える。
いつもは酒と賭け事が好きな、豪快で陽気な男だ。
線の細い副長とは対照的だが、遊び好きという点で二人はウマがあう。
それが、今日は思いつめた顔をしていた。
無理もない。
昨日の戦いで、グレッグの隊は数人を残して壊滅した。
百人長の中で最も長く隊を維持していただけに、なおのこと心は重いだろう。
俺は手元の器を半分手早くすする。
「今日の飯はアレだな、俺にはちょっとあわねえな」
グレッグは黙ったままだ。
「なんか食欲もねえし…おいグレッグ、お前これ食ってといてくれ」
俺はそう言って、器をグレッグのほうに突き出す。
やつはそれをゆっくりとこっちにつき返してきた。
「ありがてえけど──俺は、いいや」
「かっこつけんなよ、ったく」
再度つき返す。
「おめえは食う義務があんだよ」
生き残るために。
この隊で百人長級はもうこいつと参謀のヴィンセントしかいない。
つまり残った仲間はみんなこいつらの下に入るってことだ。
自分の部隊が無くなってもまだやることはごまんとある。
沈んでいる暇はない。
「だったら──」
グレッグが顔を上げた。何を考えているのかわからん目で、俺を見ている。
「──隊長。あんたがまず生き延びなきゃ。副長のぶんまで」
生意気言いやがる、と言いかけて、俺は止まった。
“副長のぶんまで”
「あっ…」
われ知らず、声が漏れていた。
グレッグが俺の様子を伺うように話しはじめる。
「さっき会議が終わったあたりから俺がいたの、知ってましたかい?」
「──いたのか」
「やっぱりなあ。なにやら俺のことを副長副長言うから、ああこりゃまた夢ン中だな、と思いやしてね」
全身が鉛のように重くなっていく。
疲労とは違う抗いがたい力に、俺は下へ下へと引っ張られていく。
「そうか…。また、か」
以前、「夢遊病だ」と医術をかじったある部下に言われたことがある。
真昼間でも夢を見る病気だが、なんでも妖精がとりついて、内側から心を喰っているのが原因なんだという。
夢は壊れた心から記憶が外に漏れ出てしまうために見えるのだとか、なんとか。
妖精というと1年ほど前まで俺たちにも妖精界から来たユーナって変わり者がいたが、こいつは心を喰うようなやつには見えなかった。
別の種類なんでしょう、とそいつは言ったが、俺は妖精の仕業じゃないと思っている。
しかし、いずれにしても、夢遊病の症状自体は認めざるを得ない。なぜなら、副長──ラウルは、もう死んでいるからだ。
俺は何ともいえない気分になった。
昔の俺なら考えられない。
死んだ仲間の夢を、しかも昼間から見るなんて──
グレッグが声色を柔らかくして言った。
「仕方ありませんや。俺だって信じられねえくらいだ──魔戦将軍も神器も屁ともしねえ“東方の盾”の英雄が、たったこの一年でばたばたと逝っちまった。妖精の嬢ちゃん、副長、ギルフォード…」
挙げられた名前の一つ一つに、一言で表せないさまざまな想いが去来する。
「ギルフォードは…生きてるさ」
「行方不明だってんでしょ。しかし状況が状況だ…」
「あいつは無駄死にするようなタマじゃない。きっと生きてる」
グレッグと同じく百人長の一人で、第二参謀を兼ねていた隊一の切れ者が、一度の戦闘で姿が見えなくなったくらいで死んだとはとても思えない。
それがたとえ魔導兵器の爆撃の下での出来事だったとしてもだ。
どっちにしろ──仲間の死には慣れているはずの俺だ。
これまで何百何千と顔を知った連中が向こうに行くのを見届けてきた。
確かに痛ましいことだ。
悔しいことだ。
哀しいことだ。
だがそのことで涙など流したことはないし、また戦い方が鈍るということもなかった。
死者に対するさまざまな感情は、俺たちにとって、勝利の糧とするために存在するのだ。
──だから。
(ラウルも死んでいない)
後ろを振り返り、さっきまでラウルがいた場所を見つめる。
湿っぽい話になるとさっさといなくなるのも奴の悪い癖だ。
ラウルの部隊はそのとき本隊から離れていた。
戻ってきた遺体は半身黒こげで完全に奴だという確証はなかった。
偽の死体をでっち上げて身をくらまし、完全に隠密部隊として行動を続けていくには、それはきわめて妥当な方法だったろう。
要するにラウルが本当にここにいようがいまいが実は問題ないのだ。
今は“いないことになっている”だけなのだから。
グレッグは単純な男であり、駆け引きや策略には疎いところがある。
なにもそこまで露骨に演技する必要などないのだ。
ラウルは軽いようだが、ちゃんとすることをする奴だ。
さっきの無駄口だって、奴なりのちょっとした息抜きだ。
そのくらいはつきあってやらあ。
それをあからさまに「ラウルはもういない」って力説するのも野暮ってもんだろ。
だが俺の心のうちを知らないグレッグは、相変わらず真剣な顔つきでこう続けた。
「このまんまじゃ隊長、あんた夢の妖精に食い殺されちまう。そんなあんたは見たくねえ」
「俺は──」
ふと、やつの後ろに視線がいった。
俺たちをからかうように、にやにやと笑う副長がその後ろに立っている。
まったくなにやってんだ、副長。
長らく“ES”とだけ呼ばれてきたその反帝国組織は、正しくは“東方の盾”という。
10年前に俺と仲間たちで立ち上げた組織だ。
ESは東方という帝国支配の最も苛烈な地で周囲の反帝国組織とも隔絶されながらも、天の采配か地の恵みか人材に恵まれ、幾多の戦いを乗り越えてきた。
帝国最強の戦士たる“魔戦将軍”の襲撃すら、俺たちをこの世から消し去ることはできなかった。
「東方に解放の盾あり」と言われるようになったのもこの頃だ。
?
やがて俺たちは各地の同志との連携の必要を感じ、解放軍と合流した。
正しくは“スタティオ=ブラム連邦解放軍”といい、当時、西方最大の反帝国組織だった。
連中の親玉は西方諸国の貴族階級で、軍事と政治を一手にこの組織が担っていた。
だが俺たちの仕事は政治じゃない。
だからそっちには触れず、身分は一部隊でいいと申し出た。
遊撃隊みたいなもんだから、やっていることは独立していた頃とそう変わらない。
ただしメンバーは大幅に入れ替わった。
特に実力者のうち、アルケイラとギルフォードは解放軍本部に引き抜かれていった。
俺たちの意向を上に反映させるためと、若いアルケイラには経験を積ませる必要があったから、むしろよしとした。
副長のラウルと、古参のミネルバも声がかかったが、あいつらは頑として動かなかった。
「兄貴、今度は俺を追い出すなんてことはなしにしてくれよ?」
ラウルはそう言うきりで、あとはその話題に触れようともしなかった。
こいつはふだん気障な色男を気取っているくせに、周囲に俺以外誰も居ないときは俺のことを「兄貴、兄貴」と呼んで弟のように懐いてきた。
まだ10代の頃はよかったが、30も近くなるとどうかと思う節がある。
だがやつは気にすることもなく、俺のことをそう呼び続けてきた。
ふだんは「隊長」「副長」で呼び合う。これも長いこと続いてきて、仲間内ではク