【十一課小話:クェイル・バーネット】
紅茶の香りがする。
よく蒸した、淹れたての紅茶。
自宅の扉を開けたクェイルが、最初に気づいたのは香ばしい香りであり、
すぐに、自宅に侵入者の気配を感じ取った。
が、殺気は感じない。
むしろ、気配を隠そうともせず、素人に近い。
第一教区、聖都ロンバルディアの西カナート通り。
旧市街と新市街の中間地点に位置する白塗りのアパートが、先月引っ越したクェイルの新居だ。
日差しの差し込む明るい通りながらも日中は人通りが少いため、盗賊が侵入したのかもしれないが、平凡な外見のアパートがまさか異端審問官の自宅だとは思いつきもしないだろう。
仮に侵入者と鉢合わせても、今のクェイルの実力なら問題ない。
先日の聖務でも‘氷野の魔獣’と激闘を繰り広げたばかりだ。
場数と経験に基づいた自信がある。
廊下を抜け、台所と一体化した居間を無造作に開ける。
そして、一瞬固まった。
「遅かったじゃない?審議会は四時で閉廷のはずなんだけど、寄り道してきたのかなぁ?」
尼僧服の女性がテーブルに腰をかけ、優雅に淹れたての紅茶を飲んでいる。
軽い口調とからかうような笑みと共に、クェイルを出迎える。
ちなみに紅茶は高級品の一級茶葉であり、先月、自分への引越し祝いにと迷いに迷って買ったものだ。
この家に置いてあるものの中では三番目に値が張る、クェイルの私物だ。
「何の用ですか?・・・フェルメノ課長」
大きく息を吸い、そして吐き出してからクェイルは盗賊より遥かにやっかいな来訪者を迎えた。
氷野の魔獣を相手にしていた方が、まだマシだ。
「また、上着を新調したんですね」
テーブルを挟み座りなおすと、クェイルの目には繊細な刺繍の施された尼僧服が飛び込んだ。
いかにも高級品の香りがする。
「あんたと違って、お金は使わないとね。お金は人から人へ渡って絆を作る。それが正しい使い方よ」
新しく入れた紅茶をかき混ぜながら、フェルメノが得意げに答える。
「俺も、課長が思っている程溜め込んでいる訳じゃないですよ。・・・五年前に、お袋に送金する必要が無くなってからは、特にです」
「あ・・・」
クェイルは異端審問官となり、故郷の町メルカトラを離れてからは、毎月聖職手当ての大部分を一人暮らしの母親に仕送りをしていた。
母親が亡くなってからは、メルカトラの孤児院と老人院に寄進を続けようとしたが、それも‘お母様から頂いた額で十分’と丁寧に断られたと聞く。
「悪かったわ」
フェルメノはテーブルに額がつくほどに頭を下げた。
「無神経なこといった事を、謝罪をします。クェイル・バーネット」
「よして下さい、課長。いいんです。気にしていないですよ。俺が金の使い方をしらないのは、本当の事なんだし」
「・・・謝罪を受け入れてくれたことを感謝するわ」
頭を上げると、屈託のない笑みを浮かべた。
この気持ちのよさが、フェルメノの人柄である事を、クェイルは知っている。
「・・・それよりも、今日の審議会で叱責の矢面に立たされるのを知ってて、俺に代行でいかせましたよね?
アディール課長に真顔で質問されて、冷や汗が出ましたよ。
イルドルフ課長とロイドリッツ課長が代行応答してくれたから助かりましたけど。
・・・謝って下さい」
「あたしは知らないわよ。日が悪かったようね。
・・・明日は良い事あるように、祈ってあげようか?」
フェルメノは平然と答えた。
この厚かましさが、フェルメノの人柄であることを、クェイルは知っている。
「それにしても、あんたがあたしの上着が新調したなんて、よく気づいたわね」
「そうですか?」
「流石、彼女が出来ると朴念仁もマメ男に変わるわぁ」
「ぶっ!」
飲みかけの紅茶が、逆流する。
「なんの話ですか!?」
「知っているわよ、ロマニー地区の花屋の娘でしょ?金髪の童顔で、胸がけっこう大きくて・・・」
「ちょ、っ待ってください!」
「意外な趣味だって、十一課で話題になったわよ。自由恋愛は結構だけど、軽い気持ちで素人の処女と付き合うと後が大変・・・」
「違います、違います、違います。彼女は知り合いです。まったくもって、知り合いです。
・・・お袋の送金が必要なくなってから、ロンバルディア出店希望者の互助会に、出資しているんですよ。
メアリーさん、その金髪の・・ですが、おかげで店が持てたとお礼にきて、それからたまに店に顔を出す程度の知り合いです」
最後の方になり、漸く呂律が回った。
一息にしゃべり、紅茶を飲み、咳き込んだ。
「互助会の出資者、そんなのがあるの?」
「ええ。俺たち異端審問官は、人を裁き、血を流します。
・・・もし、誰かが誰かの笑顔のために一生懸命にやろうとする純粋な人に協力できたら、と思って始めたんです。お金という具体的な手段だで、完全な俺の自己満足ですけど」
「クェイルらしいわ」
甘いとは言わない。
偽善だとは言わない。
それが、クェイルの強さだと、フェルメノは知っている。
暫く沈黙が続いた。
フェルメノが紅茶をかき回す甲高い音が狭いリビングに響く。
「課長」
意を決したクェイルが、沈黙を打ち破る。
その呼びかけには、今までの馴染みの友人に対する親しさはなく、第十一課課長にその部下として問いかける緊張感を孕んだものだ。
「何?」
一方のフェルメノは、相変わらずの自然体だ。
入れなおした紅茶をすすっている。
「ニコル・マルセロの件、考えてくれましたか?」
「ああ、アレね」
フェルメノの顔に笑みが広がる。
その笑みには肉食獣のような凶暴な香りが含まれ、‘紅蓮腕’フェルメノ・キルスとしての表情へと変貌していく。
「そうねぇ」
「前に相談したときは、‘少し考えておく’と応えましたね。あれから三日たった。三日は‘少し’と言えませんか?」
「確かに、そうねえ」
「ニコルは、本人にも気付いていない、俺達とは違った特別な能力がある。戦力としてはまだ未熟だが、うまく育てれば将来的に十一課の中心になる。
もし、ロイドリッツ課長から聞いた‘あの噂’が本当なら、間違いなく必要な存在となる。少なくとも、俺などよりは、何倍もだ」
次第に熱を帯びて語るクェイルに対し、フェルメノは黙って紅茶をかき混ぜている。
「ニコルは、努力家だ。新人ながら、十一課の実践訓練にも根をあげない。新規の知識を得るため、歴史学の勉強もしている。だから・・・」
不意に、クェイルの熱弁は止まった。
紅茶をかき混ぜながら、フェルメノの目がクェイルを捉えている事に気付いたからだ。
獲物の動きを観察する肉食獣の目であり、対峙者の初手を伺う戦士の目だ。
「だから?」
眼光でクェイルを射抜きながらも、口元には笑みを浮かべ、フェルメノは先を促す。
「だから・・・」
以前はこの眼光で射竦められ、何も言えなくなった。
クェイルとフェルメノでは、戦闘能力が違う。
自信も違う。
場数も違う。
だが、自分は、確かに持っている。
フェルメノが、異端審問局十一課課長‘紅蓮腕’が持っていないものを持っている。
「だから俺に命令してくれ!ニコル・マルセロを助けろと!」
「あの子はね・・・」
フェルメノは、笑みを浮かべたまま、息を吐く。
「ドーナッツを焼くのが上手いのよ。美味しいドーナッツを焼ける子は、あたしは好きよ」
息を吐き切った後、フェルメノの笑み一層深まる。
「全てを踏まえた上で言うわ。マルセロの事は諦めている」
「フェルメノ課長!」
「あの子は、一介の異端審問官が足を踏み入れていい領域を逸脱したわ。・・見殺しにするしかないわね」
「・・・俺は自分の身の程を知っている。地方都市の文官上がり、自警団経由の審問官で、戦力は低い。
異端審問官になれた事自体が、奇跡みたいなものだ。自分に出来る事と出来ない事を弁えている。
だからこそ、課長は俺を異端審議会に代理出席させているんだろう?身の程を弁えた俺なら、審議会でもうまく立ちまえる。
審議会に出席させてもらえている身だからこそ、課長の立場は分かる。異端審問局課長に掛けられた、重責は理解できる。
・・・理解した上で、もう一度頼む。俺に命令してくれ。マルセロを助けろと!」
懇願というよりも、恫喝に近い力強さが込められたクェイルの言葉に込めれていた。
竦むことなく、フェルメノの眼光を真っ向から受け止め、抵抗する。
フェルメノが浮かべた笑みが深まる。
自分を恫喝する相手など、ここ暫く居なかった。
久しく忘れていたその感覚が、心地良かった。
「分かったわよ。鉄道騎士団本庁舎であたしの名前を出しなさい。どの車両にも乗れるはずよ。場合によっては、臨時車両を出してくれるかもしれない」
「課長!」
「異端審問局十一課課長フェルメノ・キルスが異端審問官クェイル・バーネットに命じるわ。異端審問官ニコル・マルセロを助けるべく、‘聖稜直轄地’に向かいなさい」
「・・・感謝します」
深く一礼をした後、クェイルは外套を取り、腰に使い込んだ銃型AFを下げると扉へと向かう。
「ただし・・・」
その背中を、氷の冷たさを帯びた声が呼び止める。
「期限は三日。三日以内に事態を収拾できなければ、あなたとニコルに一級禁忌処分を適用します。・・・分かり易く言うと死ぬ事になるわよ?」
「十分だ。・・・ありがとう、‘ミサエラ’」
旧友に向け、穏かな笑みを浮かべると、クェイルは外套を着込みながら、足早に立ち去った。
「‘ミサエラ’か」
残されたフェルメノは、クェイルが残していった名前を復唱する。
「その名前は使ったら聖職手当て全額罰金ってアレほど言ったのに、気付いていないようね」
課長昇任時に封じた、フェルメノの本名だ。
口にすれば、甘酸っぱく懐かしい思い出が広がる。
ある人物が消息を絶つのと、‘ミサエラ・シュトラール’の名は封じた。
全容はクエイルには、伝えていない。
だが、クェイルは状況を察し、洗礼名を名乗る理由は聞いてこない。
彼なりの優しさだ。
「全く・・・」
小さく、呟く。
「悪意の無い間違いが、一番人を傷つけるのよね」
ゆっくりと立ち上がる。
「十一課に暇な連中がいれば、後追いさせるかなぁ」
らしくない、と自分でも思う。
決断した筈なのに、まだ迷っている。
クェイルの甘さと偽善が移ったせいだと、フェルメノは思う事にした。
紅茶を飲み干し、フェルメノも立ち去る。
僅かに残った紅茶は、苦く、優しい味がした。