-夢を見ていた。
出会った頃の、夢。
まだ感情が形になっていなかった頃の夢。
激しく、逆巻く様に生きていた頃の夢。
目が覚めて気づく。
あの頃には、もう戻れない。
深く踏み込んだ一撃だった。
異形と化した右腕から生えた、肉食獣を思わせる鉤爪が、相手の胸元を抉る。
『・・・これで』
いいんだ、と呟こうとしたのかもしれない。
姉の願いでもある‘殺さず’の逃走劇は限界がある。
どこかで、一線を越える必要があった。
それが今日だっただけの話だ。
『・・・これで』
終わった。と呟こうとしたのかもしれない。
今では、どこかで自分達は実験による被害者だ、という意識があった。
だが、手に入れた異形の力は、平凡な暮らしを望むには大きすぎる。
だったら、‘異端者’として裁かれる事で、未練がましい望みを捨てる事ができる。
そうだ。
『私は、・・・オルティア』
喉の奥から搾り出す。
諦めよう。
‘元’に戻ることを。
認めよう。
自分の‘今’の姿を。
『法王庁が追い続ける‘混濁の魔獣’、・・・‘異端者’オルティアだ!』
『遅え!』
アムンゼンの咆哮が、斜塔の石壁を振るわせた。
『・・・こんなものかよ』
血の混じった唾を吐きながら、男は呟く。
鉤爪は胸筋と共に、肋骨をも抉っている。
心臓に届くかという致命傷だ。
『こんなものかよ!‘混濁の魔獣’ってヤツは!』
呟きが咆哮へと変わる。
自らの両腕を拘束する鉄鎖で、オルティアの鉤爪を絡めとると、投げ飛ばす。
技術もタイミングも関係ない。
膂力に任せた、強引極まりない投げだ。
『何が‘混濁の魔獣’だ、笑わせる。
この程度でこのアムンゼン様の相手が務まると思っているのか?』
『・・・虚勢を』
男の強気な姿勢は、虚勢と写る。
普通であれば。
だが無精髭に覆われた口元に浮かんだ笑みは、不思議な説得力があった。
『こいよ、小娘。
お前に本当の‘喧嘩’を教えてやる』
ジャラリ、両腕の鎖が鈍い音を響かせる。
-神聖暦100年。
オルティアとアムンゼン、最初の出会い。
― ◇ ― ◇ ― ◇ ―
「・・・なんだ、起きたのか?」
仮眠用の毛布を除けると、低光量ランプの淡い光がオルティアの頬を照らす。
周囲には地下通路を利用して作られたワイン棚が両壁にそって並んでいる。
仮眠前と変わらない光景だ。
「見張りの交代まではまだ時間があるぞ。
もう少し、寝てろ」
「いや、いい。起きてる」
「・・・まあ、好きにしろ」
アムンゼンは軽く頭を掻くと、ランプの光量を上げた。
「・・・何か」
「あん?」
「何か変わった事はなかった?」
「ねえよ。あえばとっくに起こしている」
「・・・そう」
とりあえず、変な寝言は言っていないようだ。
言ったとしてもアムンゼンには聞かれていない。
「そういえば一つだけあったな、変わった事が」
「・・・え?」
瞬間、鼓動が早くなる。
「ベルン爺が差し入れ持ってきたぜ。ほらよ、お前の分だ」
アムンゼンが背中を向けたまま、藤籠をオルティアに向け放る。
籠に入っていた5,6個の果実が空中に投げ出され、オルティアへと振りかかる。
「・・・有難く頂くわ」
右腕を一閃すると、オルティアは果実を全て受け止める。
「多年苺の実だとよ。・・・‘子供’には丁度いいおやつだな」
茶化す様な笑いが、地下通路に響く。
反論しようとするが、言葉を飲み込むと、アムンゼンの背中を見つめた。
―それが、人に物を渡す時の態度か。
―そもそも‘子供’ではない。
喉元まで出掛かった言葉だ。
キルシェが居れば、姉が居れば、ベルンが居れば、言葉に出せた。
彼らなら、始まった他愛もない口喧嘩を仲裁し、混ぜ返し、場を和ませてくれる。
だが、アムンゼンと二人きりでは止め所が分からない。
言葉に感情が付いていかず、言い過ぎてしまった事もある。
感情が言葉を追い越し、自分でも気づかなかった本心を言いかけた事もある。
要するに、最近は分からなくなっている。
アムンゼンとの距離感が。
‘罪人’アムンゼンの刑期は間もなく終わる。
その事は本人もベルンより知らされている。
刑期終了後の事は、アムンゼンは何も言わない。
―その時が来たら、自分はどうする?
オルティアが‘猟犬’を続けているのは、‘聖アンティヌ祭’での姉・セフィリアに対する借りを返す為だ。
アムンゼンが自由の身になれば、‘猟犬’を続ける理由も無くなる。
セフィリアと共に故郷に帰る?
だが、一年前にセフィリアが聖都に開いた店は、ようやく軌道に乗ってきた。
このまま‘猟犬’を続ける?
アムンゼンに対する借りも無くなるのに?
オルティアは、アムンゼンの背中を見つめ続けるが、鷹揚な背中は何も応えない。
見張りを続けるアムンゼンの壁脇に掛けられた魔素計が、汽笛に似た警戒音を鳴らす。
錬金術、及びAFが使用された際に空気中に放出される‘魔素’を計測する。
「ようやく、仕事か」
アムンゼンは、革鎧の腰帯を引き締めると目を細める。
地下空洞へと繋がる通路の奥からは、奇妙な影が近づいてくる。
矮小な頭部。
極細の手足。
錬金印が刻まれた‘核’を守るため、胸部装甲のみが発達している。
印象としては、‘骸骨戦士’。
上位錬金術により練成される‘錬金像(サーバント)’だ。
「舐められたもんだ」
顎鬚をさすり、アムンゼンは苦笑を浮かべる。
実戦で、あるいは演習で、‘錬金像’とは何度か戦った事はある。
術者の指令を忠実に実行し、感情とは無縁であるため、ある意味‘優秀な戦士’と言える。
反面、融通が利かず、練成には長時間に及ぶ儀式錬金が必要であるため、コストパフォーマンスが悪いと言わざるを得ない。
アムンゼンにとっては、‘今更’な相手だ。
「・・・本部も動くだろうけどよ」
魔素計は、イルドルフが詰める本部の親機へと連動している。
‘異常あり’の状況は、伝わっているだろう。
「暇つぶしに遊んでやるか」
‘錬金像’が走りだした。
蝶番が軋む様な音を関節から鳴らし、アムンゼンへと接近する。
「っ!?」
頭部を狙った回し蹴りを放つより早く、背後からオルティアが飛び出す。
胸部装甲の隙間から突き込んだ貫手が、‘核’を粉砕する。
‘錬金像’が陶器に似た材質となり崩れ落ち、同時に魔素計の警笛も止まった。
「おい、俺の獲物だぞ」
「あらそう。でも、いつも自分で言ってるわよね‘早い者勝ち’って」
憮然とした表情を浮かべるアムンゼンに、オルティアは余裕の笑みを返す。
―これでいい。
戦いの場であれば、距離間は自然体でいられる。
難しく考える必要は無い。
「・・・そういう事なら」
腰帯に吊るした大釘を引き抜く。
木造建築の梁を支える特大サイズだが、アムンゼンの掌にはすっぽりと納まっている。
「ふんっ!」
踏み込んだ前足から腰へ、捻りを加えた腰から背筋へと力を伝え、投擲する。
腕の力は使用しない。
両腕が拘束されているアムンゼン独自の投げ方だ。
残響音を残し放たれた釘は、通路の奥から現れた二体目の‘錬金像’の核を射抜く。
‘錬金像’が崩れ落ちるのと同時に、遅れて反応した魔素計が警笛を鳴らし、すぐに止まる。
「文句ないよな?」
「・・・いいんじゃない」
得意げな表情を浮かべるアムンゼンに、オルティアは苦笑を返す。
「それにしても、二体目とはな。・・・この木偶人形、作るのに時間と根性がいるんだろう?」
「多分、働き者がいるんじゃない。誰かさんと違ってね」
「おま・・・」
アムンゼンが上げた抗議の声は、三度鳴った警笛により中断された。
ゆっくりと、四体の‘錬金像’が近づいてくる。
「・・・」
無言で、オルティアとアムンゼンは同時に動く。
蹴りと鉤爪が、一体づつ粉砕すると同時に、通路の奥から更に四体。
その奥に更に、四体。
「どういうことだ?‘逆十次団’には何人も錬金術師がいるのか?」
「知らないわよ!時間をかけて、‘像’を準備していたかもしれないでしょう!?」
「だったら、最初から魔素計が反応するはずだろう」
言い終わってから二人は気づく。
魔素計の警笛が、鳴っていない。
魔素計を振り返った二人の目に写ったのは、一体の‘像’が魔素計を砕いている姿だった。
「野郎!」
アムンゼンは魔素計を砕いた‘像’に向かおうと振り返るが、直後に上体を逸らす。
‘像’の一体が、胸部装甲の隙間から、細く伸びた槍のような腕を、アムンゼンに突き出していた。
二人とも、錬金術には詳しくない。
だが、既存の錬金術に改良を加えるのは、かなりの実力が必要なのは知っている。
攻撃手段を増やす‘像’には、どれほどの才が必要なのか。
「・・・何よ、これ」
跳躍したオルティアが、天井に鉤爪を引っ掛け、そして理解する。
通路の奥からは、更に‘像’が溢れてくる。
まるで冥府からの死者の行進だ。
「オルティア!」
突如、アムンゼンが吼える。
吼えながら、鎖に絡めとった‘像’を二体まとめて投げ飛ばす。
「ベルン爺を呼んでこい!」
「ここはどうするのよ!‘俺に任せて、お前は行け’なんていうつもりじゃないでしょうね!?」
「足はお前の方が速いだろ!」
アムンゼンの判断は、正しい。
現状は二人にとって、未知の領域だ。
魔素計も破壊され、本部もどこまで状況を掴んでいるか、定かではない。
状況が悪化する前に、判断・指揮の出来る人物に伝令するのが最良の選択だ。
「だったら、私が残っても・・・」
「・・・言ったろう。‘早いもの勝ち’だって」
不敵な笑みを浮かべると、アムンゼンは‘像’の群れの中心地に身を躍らせる。
一瞬の間の後、オルティアは踵を返し、出口に向かって失踪する。
アムンゼンの実力は、理解している。
それでも、アムンゼンに一言掛けたかった。
だが、その言葉はどうしてもオルティアに口からは出てこなかった。