「・・・南墓稜門の警備はどうした、フェルメノ・キルス?」
「暇で仕方ないね。すぐ近くでお祭りがあるのなら、参加したくなるだろ?」
「一級聖務での持ち場放棄は、審議会査問の対象だぞ?」
「ハっ!、こうなる事を分かってて、この石廊階段の最寄に私を配置したのはあんたでしょ、ローフェルマルス?」
ローフェルマルスの失笑を、フェルメノは肉食獣の笑みで返す。
二人の異端審問局課長の会話を、イルドルフは静かに聞いている。
フェルメノ・キルス。
ある意味、イルドルフが最も警戒していたのが、このフェルメノだ。
若干21歳で、異端審問局課長に推挙された異才の持ち主。
奔放、豪胆でありながら、観察眼に富んでいる。
「・・・どうにも、やりづらいな」
八課課長ライナス・バルグ。
三課課長ロイドリッツ・ヴァレンタイン。
十課課長ローフェルマルス。
イルドルフが対峙してきた相手は、いずれも審問官見習いから異端審問官を経て、課長へと昇格している。
個々の能力、使用AFに差はあるものの、その根底にあるのは‘異端審問官’としての戦い方だ。
イルドルフと同質のものであり、互いに手の内を知っている。
だが、‘傭兵上がり’と噂されるフェルメノの戦闘スタイルは、極めて異質だ。
奇抜ともいうべき動きと、驚異的な速度で圧倒する。
外聞を抜きにして、一言で言えば‘苦手な相手’だ。
何より、AFを使用しない状況であれば、フェルメノの戦闘力は異端審問局十三課の中でも一、二を争う。
ライナス、ロイドリッツとの連戦による手持ちAFの消費。
‘因果断絶’による‘切る’行為の抹消。
そして異才の戦闘能力を誇るフェルメノとの対峙。
ローフェルマルスは、イルドルフを確実を仕留めるために、この状況を演出したのだろう。
「・・・大した戦略家だ、‘断絶公’」
イルドルフは、頭髪の半分を白く染め、戦況をフェルメノに委ねたローフェルマルスに視線を送る。
イルドルフの視線を、ローフェルマルスはただ傲然と受け流す。
自信の根拠は、自らの策か。
フェルメノの異才に対する信頼か。
「・・・一つだけ、聞いてもいいかしら」
ゆっくりとフェルメノが歩を進める。
「・・何なりと」
対照的に、イルドルフは僅かに腰を沈め、拳を構える。
その動作を嘲笑うように、無防備に歩を進めながら言った。
「あんた、誰?」
フェルメノにしてみれば。
異端審問官として審問局に所属した際には、イルドルフは既に壮年といえる年齢だった。
十代の姿に変貌を遂げた目の前のイルドルフが結びつかないのも無理はない。
「・・・フェルメノ」
僅かな沈黙を破り、声を掛けたのはローフェルマルスだ。
「武器は使うな。イルドルフが相手だろうと、素手戦闘であれば、お前なら数分以内に片付けられる」
数分というのは、‘因果断絶’の効果時間か。
頭髪の半分を白く染め、長剣AF‘ゲロニカの断頭台’で杖代わりに身体を支えるローフェルマルスが言う。
「・・・そういう事だそうです」
イルドルフはさらに、腰を沈める。
後一歩、フェルメノが前進すれば、無条件で打ち込める間合いを取る。
「イルドルフ?あなたが、イルドルフ司祭?」
イルドルフの間合いの直前で、フェルメノは歩を止める。
無防備な姿勢のまま、拳を構えるイルドルフの前進を舐めるように観察する。
「私の知っているイルドルフ司祭は、もっといい男だったけどな」
呟きながら、さらに一歩。
同時に、イルドルフが跳ぶ。
流麗な軌跡を描いた拳をフェルメノは左に側転して避わす。
いや、避わしたはずだった。
「自分では‘慎み深い’性格だと思っているんだけどね」
イルドルフの拳は、首筋を掠めていた。
掠めただけで避けた襟飾りを毟り取り、僅に血を流す頬を拭いながらフェルメノは笑う。
「部下からは‘節操がない’って言われるわ。・・・大した男でなくても、誘われるとクラっときちゃうのよね。
・・・来なさい!
貴方が何者だろうと、この‘紅蓮腕’フェルメノ・キルスが遊んであげるわ!」
腰に挿した墨銀色の細剣の柄を、白い手が握る。
軽く回転をつけ、冷たい刃を抜き放つ。
空気が、乱れた。
フェルメノの細剣が、腕を軸とした螺旋を描く。
イルドルフの喉元を狙った刺突。
「くっ!」
前屈みの姿勢から上体を後方に反らせ、銀光を回避する。
同時に、跳ね上げた前足が、フェルメノの腹部を打つ。
手ごたえはあった。
尼僧服の下に、部位鎧を着込んでいるようだが、打撃による一撃は十分な衝撃を与えている。
だが、フェルメノの口から漏れたのは、苦痛の呻きではなく、感嘆の声だった。
「へえ。このレベルは、避わせるんだ」
口元に浮かぶのは、余裕の笑み。
「だったら、もう少し早くしてみようか?」
「右!?」
イルドルフは真横に跳ねた。
石畳の上を滑るような動きで、フェルメノとの距離を取ろうと走る。
「甘い!甘い!」
フェルメノが追走する。
走力では、引き剥がせない。
真後に銀光が迫った。
右上からの、斜撃。
再度真横に跳ぶが、今度はかわしきれない。
「!?」
傷は無い。
イルドルフの超再生は発動していないにも関わらず、だ。
フェルメノは、細剣を滑らせ、イルドルフを‘切った’のだ。
「フェルメノ!」
ローフェルマルスの怒気を孕んだ声が飛ぶ。
かつては凶性な異端者達を、時には味方の審問官でさえ震え上がらせた‘断絶公’の一喝だ。
「遊びが過ぎるぞ!」
イルドルフは‘因果断絶’の支配下にあり、‘切る’行為が無効化されている。
イルドルフ自身が‘切る’事も、イルドルフに対して‘切る’事も、結果は断絶される。
「武器は使うな!素手戦闘であればお前が格上だ!
脊髄でも、頚椎でも圧し折れ!
然る後に、イルドルフの体内から‘銀爪芽’を引きずり出せば、‘超再生’も失われる!」
「・・・‘断絶公’も言う通りです。
細剣を使う以上、攻撃パターンは‘切る’か‘突く’の二択。
いかに早くても単純な‘突く’攻撃より、貴方の不規則な格闘術の方が僕は警戒します」
「ご高説ごもっともだけど・・・」
ローフェルマルスの一喝を浴びても、フェルメノは笑みを浮かべたままだ。
「お二人とも、私がまだ本気を出していないことに気づいているのかしら?」
細剣を構え直し、軽く一回転させると、刃が炎に包まれる。
「‘紅刃女王(クイーン・クリムゾン)’
・・・‘刺されて’‘焼かれて’も、超回復っていうのは追いつくかしら?」
フェルメノが、疾走した。
間合いが一瞬で詰まる。
神速で放たれる、刺突の炎刃。
一撃であれば、イルドルフが培った格闘術でもかろうじて捌ける。
だが、呼吸さえ許されない絶え間ない連撃が続く。
肩に、腿に、鮮血が舞い、血と肉が焼かれる異臭が散る。
傷が超速で再生する。
だが、その上から新たな傷が付けられる。
「っ!!」
脇腹を抉られ、焼かれながらも、イルドルフは手刀を繰り出す。
防御が追いつかない以上、攻撃に活路を見出すしかない。
「・・・いいわね、そういうの好きよ」
イルドルフの手刀は、フェルメノの前髪を掠めていた。
あと爪数枚分の踏み込みがあれば、フェルメノの鼻梁は飛ばされていた。
「・・・でも、サヨナラね」
手刀に対するカウンターとして、炎刃がイルドルフの喉元に放たれる。
咄嗟にイルドルフが、右手をかざし喉元を守るが、右手を貫き、炎刃は喉元に突き刺さる。
後一押しすれば、刃は喉を突き破り、頚椎を破壊する。
「・・・」
穿たれ焼かれた喉で、イルドルフが何かを呟いた。
『やっと、捕まえた』
フェルメノには意味が分からない。
「離れろ!フェルメノ!」
代わって、離れて戦況を見守っていたローフェルマルスが叫ぶ。
ローフェルマルスは理解した。
この瞬間を、イルドルフは待っていたのだ。
右手もろとも、フェルメノの‘紅刃女王’で貫かれる瞬間を。
貫かれた右手の‘マトレイヤの紋章’が輝く。
「フェルメノ!」
巨大な火柱が上がり、爆音が夜空を焦がす。
熱風の余波が、ローフェルマルスの頬髯を焼く。
「くっ!」
イルドルフの狙いは、発動中の‘紅刃女王’を‘マトレイヤの紋章’で暴走させる事。
結果、自爆に近い形でフェルメノを爆炎の渦に巻き込んだ。
利用したのは、フェルメノの好戦的な性格と闘争本能。
囮としたのは、己自身。
「・・・イルドルフ」
ローフェルマルスは、‘ゲロニカの断頭台’を構え、走る。
炎の中で、黒い影が揺らめき、しっかりとした足取りで、地下墓所への入り口へと向かっている。
超再生を持つイルドルフは、歩みを止めない。
既に切り札である‘因果断絶’の使用により、身体から精気が失われ、動きは重い。
手足の様に使い慣れた重AF‘ゲロニカの断頭台’ですら、負荷となっている。
本来、‘因果断絶’を使用した時点で、決着はフェルメノに任せていた。
フェルメノが敗れた以上、なおもイルドルフに挑もうという己の行為は策に敗れた者の見苦しい足掻きそのものだ。
だが、誰が止める?
逆十字団死徒‘No1 紋章官’を、誰が止める?
‘鉄翼鷲’ライナス・バルグを。
‘神楽士’ロイドリッツ・ヴァレンタインを。
‘紅蓮腕’フェルメノ・キルスを屠った異端者イルドルフを、このローフェルマルスなくして誰が止める?
「行かせわせぬぞ、イルドルフ!」
咆哮と同時に、跳ぶ!
同時に、‘因果断絶’を解除。
振り上げた‘ゲロニカの断頭台’で、五条の斬撃を叩きつける。
「・・・申し訳ありません」
光剣により、‘ゲロニカの断頭台は受け止められていた。
「僕は、行きます。行かなければならないんです」
光剣が真横に薙ぎ払われる。
ローフェルマルスの手から‘ゲロニカの断頭台’が離れ、石畳に鈍い音と共に落ちる。
同時に、真一文字に切り裂かれたローフェルマルスの胸板から大量の鮮血が飛び散る。
「何がある、イルドルフ?」
自らの血溜りの中に崩れ落ちながら、ローフェルマルスは最後の力を持って、問う。
「そこまでして進む、貴公の道の先には何がある?」
「約束があります。
二十七年前に果たせなかったフィオーラとの約束を、果たしに行きます」
「・・・」
イルドルフの言葉にローフェルマルスは答えなかった。
血溜りに伏したローフェルマルスと、未だ燃え続ける火柱にイルドルフは短く十字を切ると、地下墓所へと続く階段に足を踏み入れた。
― ◇ ― ◇ ― ◇ ― ◇ ―
爆炎が、フェルメノの身体を包む。
‘マトレイヤの紋章’の増幅機能により、B級AF‘紅刃女王’は、その炎熱放出能力を最大開放させられた。
尼僧服が、頭巾が一瞬で焼け焦げる。
フェルメノの身体も、一瞬で燃え尽きるはずだった。
だが、焼け焦げた尼僧服の下からは、無数のパーツに分かれた金属部位鎧が、オルゴールに似た金属音を奏でながら、‘展開’する。
フェルメノの細身の身体を包み込む。。
肩には、羽を模した肩当を
腰には、動きを妨げないように分断された腰吊を。
胸には、十字架が刻まれた胸鎧を。
‘洗礼者の聖衣’
フェルメノの格闘能力と機動性を最大限にまで引き出す軽装鎧型AF。
かつては、‘法王庁の戦乙女アディール・ノウ’が使用し、アディール自身の手によりフェルメノへと引き継がれた。
展開した聖衣は、爆炎の中、フェルメノを保護する力場を発生する。
余熱が肌を焼くが、九割近くが力場により遮断されている。
だが、フェルメノは動かない。
目が痛い。
瞼の裏が熱い。
視界が赤くて、暗い。
胃の底が逆流するような不快感。
遠い昔に経験した不快感。
フェルメノは知らない。
‘マトレイヤの紋章’の力により、自身の‘目’が活性化している事を。
‘母’から譲り渡された‘目’もまた、AFであった事を。
赤く、暗い視界の裏で、断片的な映像が流れる。
白金に似た金髪の三編み。
白銀の重甲冑。
巨大な騎乗槍。
「何を・・・」
あどけなささえ残る幼い顔立ち。
漆黒のドレス。
胸元に輝く赤い宝玉。
「何を見せたいの、母さん?」
砕かれる赤い宝玉。
崩れ落ちる赤い髪の少女。
姿を消す騎乗槍の女。
「・・・まさか」
再生する宝玉。
延焼し、赤く染まる街。
赤い光に照らされる、笑み。
「生きているの?‘アイツ’が生きているの!?」
そこで映像は終わった。
視界が戻り、焼け焦げた墓地に取り残された自分を知る。
どれくらい時間が経ったのか。
イルドルフの姿は既に無く、地下墓地へと続く階段の前ではローフェルマルスが伏している。
「・・・参ったわね」
展開した‘洗礼者の聖衣’は、元の部位鎧に戻っている。
焼け焦げた‘紅刃女王’を拾い上げると、立ち上がる。
やる事が増えた。
フェルメノ自身の手で、決着をつけなければいけない、やる事が。
「分かったわよ、母さん。この場のケリをつけたら、‘アイツ’を必ず探すわ。
・・・そして、今度こそ、殺す!」