イルドルフは地下墓所へと通じる階段を下りる。
光秤石による薄明かりが照らす、細く長い階段は地獄へと繋がる亡者の通路を連想させる。
「‘紋章官’様」
階段の背後から、透明な声が掛けられる。
「・・・‘銀水晶’。随行は無用と言ったはずです」
「御許し下さい。
‘紋章官’様の行動を妨げるような事はいたしません。
・・・私はただ、届けものに参りました」
振り返ったイルドルフの目には、折りたたまれた白装束を差し出す‘銀水晶’の美貌が映る。
美貌に浮かんだ微笑は、聖堂画に描かれた『地獄へ落ちる亡者へ餞別を渡す死者の女王』のようだ。
「‘銀水晶’。この先は・・・」
「分かっています。
最初の約束を違える事はいたしません」
「‘ボケニア陵墓に足を踏み入れたら、僕と異端審問局課長との戦いに手出しはしない’」
「‘外部からの妨害に対しては、我ら逆十字団が命を賭してお守りする’」
値踏みをするように、‘銀水晶’の言葉を確認すると、イルドルフは受け取った白装束を羽織る。
棘蔦を模した意匠の効いた白装束に、イルドルフの胸に刻まれた逆十字が隠される。
「・・・ここを下れば、‘審問の扉’だ。
‘扉’を開ければ、‘彼女’が待っている」
無意識に右手を握りしめるイルドルフに、‘銀水晶’は小さく頷く。
「では、お急ぎ下さい。
先程、‘白銀の翼’が、この墓所に向かう新たな敵意を感知致しました。
ここに集いし‘逆十字団’が、必ず排除いたしますが、お急ぎになるに越したことはありません」
恭しく、‘銀水晶’は頭を下げる。
「・・・後は任せる」
「・・・お気をつけて。‘紋章官’様」
再び階段を下り始めたイルドルフだが、数歩降りたところで、足を止める。
「・・・‘白銀の翼’が感知した気配は、いくつあった?」
「‘四つの猛々しい箒星’、と‘白銀の翼’は申していました」
「そうか。・・・ありがとう」
怪訝に首をかしげる‘銀水晶’を残して、イルドルフは暗闇の底に向かって走り出した。
―‘四つ’、‘四人’か。
走りながらも、イルドルフは‘銀水晶’の言葉を反芻する。
脳裏に浮かぶのは、かつての部下であった顔ぶれだ。
―おそらく、君たちだんだろう。
僕を止める事に、君たちはまだ諦めていないんだろう。
外で待ち受けるのは、‘銀水晶’率いる最強の逆十字団。
‘彼等’では突破できる可能性は極めて低い。
だが、期待している。
‘扉’を開放し、‘彼女’を覚醒させるために、全てを犠牲にする覚悟を決めた自分が、
かつての部下達に止められる事を、心の奥で期待している。
「フフッ」
イルドルフは、声に出して笑った。
ほんの僅かだが、笑ったのは、‘死徒’となって初めての事だった。
暗く、乾いた地下へと続く階段を、イルドルフは走る。
かなり、進んだはずだが、行程としては半分程度。
やがて階段は分岐し、複雑な迷宮の体を様してきた。
イルドルフは分岐した階段を迷うことなく駆け下りる。
二十四年前、‘彼女’を守り、‘彼女’を失ったのもこの場所だった。
‘審問の扉’へと繋がる道は、身体が覚えている。
その時、イルドルフの足が止まった。
刹那の時間を惜しんで、‘審問の扉’へと向っていたが、見えない壁に突き当たったかのように、突如として立ち止まった。
地下迷宮の底に立ち込める巨大な威圧感。
それだけで、足が止まった。
「この感覚・・・」
イルドルフは再び走り出す。
‘審問の扉’まで、あと僅かだ。
近づけば近づくほど、威圧感は増していく。
突如、階段が終わり、空間が開けた。
地下に作られた巨大な空間。
通称、地下墓所。
空間の先には巨大な遺跡が埋没している。
‘黄昏の時代’より更に古い、‘神々の時代’の建造物。
神蹟記録官でさえ、この場所の存在を知る者は、限られた一部であるという。
‘彼女’は、‘箱船’と呼んでいた。
‘箱船’の内側に入るには、露出した船体の側面にある昇降壁‘審問の扉’のみ。
間違いない。
この先に、‘彼女’は眠り続けている。
だが、その扉の前に最大の障害が待ち受けていた。
長身、痩躯の男。
左右に垂らした黒髪。
彫りの深い顔立ちは、半島中央部の出身である事を裏付けている。
腕は胸の中央で組まれている。
だが、その肩口に付属された義手が、淡い光を放っていた。
「イルドルフよ」
外見よりも、若い声。
名を呼ばれた事で、イルドルフは自分が震えていた事に気がついた。
こうして、向かい合っているだけで、恐ろしい。
並みの人間であれば、ここまで恐怖を感じる事はないだろう。
ある意味、イルドルフは自身の戦闘力を行動の拠り所にしている。
運動能力を最大まで生かす、若い肉体。
AF効果を増幅させる、マトレイヤの紋章。
‘銀爪芽’を除去されない限り有効な、超再生
この三つを備えても、なおこの男の前では無力を感じる。
その事、恐怖を感じずにはいられなかった。
「怯えるな、イルドルフ」
男は言った。
「告解の時間は与えよう。
神の御許で、全てを懺悔させよう」
「・・・お断りします」
イルドルフは右手に握る‘光剣’の出力を最大に上昇させる。
長大な刃の出現に、地下墓所が眩い光で照らされる。
「神の御許に行くのは、もう少し先にさせて戴きます。
懺悔はその時にさせてもらいます」
右手の内側が焼け付くように痛む。
二十四年前と同様に、過剰に使用されている‘紋章’に、イルドルフの肉体が悲鳴を上げ始めている。
だが、男はその光を浴びても全く動じない。
「・・・そうか。
だが案じる事はない、イルドルフ。
君の処刑は、この私が行う。
一瞬で君の魂は審問の座へ召されるだろう
この‘義神腕’アダスタがな」
‘義神腕’アダスタ。
‘聖アストラエル’のアダスタ
異能の才を持つ‘聖別者’のみで構成させた異端審問局第一課課長。
第一課の頂点に立つ‘法王庁最強の男’
同時にそれは‘アスガルド最強の男’
「・・・僕は進みます。‘彼女’に会うため、貴方を倒します」
「哀れだな、‘マトレイヤの少年’ともあろう者が、異端に魅入られるとは」
アダスタは、ゆっくりと義手を動かし、構える。
威圧感が極限までに高まる。
「・・・せめて苦しまずに召されるがいい」
「・・・行きます」
イルドルフは、極限まで増幅させた‘光剣’を掲げ、突進した。