「・・・何をやっているの」
‘白銀の翼’は呻いた。
展開した翼から放出された、不可視不可触の‘感覚糸’と‘伝声糸 ’。
それぞれが‘No8’と敵意持つ侵入者が接触したと、伝えてくる。
「姉様の指令は・・・」
ライナス・バルグを殺す事。
位置的には最も近かった‘No8’だが、侵入者と接触し、戦闘状態に入ったようだ。
「使えぬ奴め」
‘白銀の翼’は吐き捨てる。
元々、‘No8’は、‘銀水晶’に対する忠誠は薄い。
思想も理想も理解せず、暴れるだけが取り得の、つまらない男。
それが、‘白銀の翼’の‘No8’に対する感想だ。
「・・・だけど、いいわ」
‘伝声糸’が伝えてきた新たな情報で、微笑を浮かべる。
逆方向に居た死徒が、ライナス・バルグへと向っている。
その速度は、疾風。
「すぐに死ぬ事になるのよ、ライナス・バルグ。
‘彼’があなたの元に着いたなら」
- ◇ - ◇ - ◇ -
走る。
走る。
ライナス・バルグは、暗い墓地をひた走る。
負傷した箇所は、右腕、脇腹、左腿。
ひびが入ったであろう右腕と脇腹は、応急用包帯でキツく縛り上げ、固定。
切り裂かれた左腿は、自分で縫合した。
応急処置はしたものの、走っている間も縫合の隙間から出血は続いている。
当然、痛みはある。
そして、このまま出血が続けば、後一時間と経たない内に身体は動かなくなるだろう。
だが、今は時間が惜しい。
イルドルフとの戦闘で‘光剣’の一撃をくらい、意識を取り戻すまでの時間は、約一時間。
今頃、イルドルフは地下墓所の‘審問の扉’の前に辿り着いているだろう。
‘審問の門’の前には、第一課課長‘義神腕’アダスタが待機している。
戦闘は始まっているだろうか?
ライナスの眼鏡の下の眉根が、僅かに歪む。
・・・間に合うか?
・・・イルドルフが、アダスタに倒される前に、間に合うか?
イルドルフとの戦闘の際、疑問はあった。
イルドルフが所持していたAFは、簡易的な‘剣’型が二本のみ。
異端審問局の課長が名を連ねて守護するこのボケニア陵墓を、本気で突破するつもりなら、
ハリネズミの様にAFで武装して乗り込んでも大げさではない。
‘死徒’となったイルドルフは無尽蔵に‘マトレイヤの紋章’を使用する。
拡散型AFを5つ以上持たれたら、全課長が同時に立ち合っても、苦戦は必死だ。
だが、たかが、剣二本。
AFが揃えられない逆十字団では無かろうに。
ライナスは一つの仮説を導き出す。
-イルドルフは、AFの使用を最低限に抑えたい。
‘審問の扉’を開けた後、眠り続ける‘彼女’を目覚めさせるために。
そのためなら、最低限の装備で、待ち受ける課長達を突破する。
いかにも、イルドルフらしい考えだ。
自己犠牲的で、ひどく感情的。
だが、それを可能にするのがイルドルフだ。
変わらない。
‘死徒’となる前のイルドルフと。
二十五年前の、出会った頃のイルドルフと。
だが、最後に待ち受けるのは、あの‘義神腕’アダスタだ。
イルドルフとは言え、敗北は免れまい。
そこで、ライナスの思考は一瞬停止する。
-イルドルフが、負ける?
直後、停止した思考が急速に動き出す。
導き出されらのは、、‘銀水晶’の思考。
-AFの使用を最低限に抑えたイルドルフが、‘審判の門’の前で倒されたら?
開放された‘マトレイヤの紋章’が、‘審判の門’を作動させたら?
「・・・この状況こそが」
‘銀水晶’の目論見だったのだろう。
イルドルフが勝とうが負けようが、生きようが死のうが、全て‘審判の門’の前で行われれば、どちらでも良い。
過程こそ違っても、導かれる結果は同じだ。
すなわち、『‘終末の聖女’の覚醒』
今の法王庁に‘終末の聖女’は止められない。
‘彼女’が覚醒すれば、アスガルドは崩壊する。
S級AF‘湖畔の英霊’との接続を断ち切り、ライナスは地下墓所へと向っている。
‘マトレイヤの紋章’が開放された際、外部のAFは起爆時における火薬の役割を果たす。
まして、アダスタは最強の‘聖別者’。
存在そのものが、協力なAFだ。
「・・・狙ったのではあろうが、よく出来たシナリオだ」
だが、チャンスはある。
AFを投棄した自分が、イルドルフとの接触すれば、覚醒は止められる。
二十五年前のあの日が、そうであったように。
疾走していたライナス・バルグの足が止まった。
墓石と共に、両足が大地に突き刺さったかのように、動きを止める。
月光の下、男が歩いてくる。
初老。
痩身。
白髪の隙間から覗く、金茶色の眼。
そして右手に携えるのは、男の身の丈を越える三叉槍。
「・・・リガーク・ボメルか」
眼鏡を抑え、眼を据えていたライナスが低く呟いた。
「いかにも」
男は、静かに頷く。
低く、皺枯れた声だが、不思議とよく響く。
「彷徨える逆十字団No3、‘引き裂くもの’リガーク・ボメル。
・・・これだけ言えば、あとは必要あるまい」
リガークは、槍の先端をライナスに向け、構えた。
ライナスも無言で腰に下げた鉄杖を抜く。
-リガーク・ボメル。
-‘引き裂くもの’リガーク・ボメル。
手にするの槍は、‘千年神器(ミレニアム・アーティファクト)’と謳われる‘大海を裂くもの(オーシャン・ディバイダー)’
『自ら使用者を選ぶ』という‘千年神器’は、有史以来、確認されているのは僅かに、二本。
そのうちの一本に選ばれた男、それがリガーク・ボメル。
ライナスは、眼を細める。
‘大河ジューブの流れさえ引き裂いた’とされるオーシャン・ディバイダーは、S級AFを持ってしても、破壊されずに受けきれるかは怪しい。
だが、こうして対峙してみると、リガーク・ボメル自身が超絶的な技量の持ち主という事が理解できる。
事実、構えられただけで、動く隙が皆無となった。
時間が無い。
だが、僅かな隙を見せただけで、三叉の穂先で貫かれる。
微かに芽生え始めた焦りを、ライナスは鉄の理性で押さえ込む。
ライナスは杖を構え、そして眼を閉じた。
「・・・この男?」
リガークは、短く呻いた。
鉄杖を構えたライナスが、完全に隙を消した。
長身であるライナスが、その半分の丈に満たない杖の背後に完全に消滅した、との錯覚すら覚える。
油断といえば、油断だ。
‘鉄翼鷲’ライナス・バルグといえば、リガークが憎悪する法王庁の中でも、異端審問局の急先鋒だ。
数え切れない程の異端者を裁いてきたライナス・バルグを、自らの手で裁く。
その事実がリガークに美酒に似た歓喜の念を灯し、油断に繋がった。
「流石は・・・」
相手は手負いだ。
己が構えるのは‘千年神器’だ。
それでも、眼を閉じ、鉄杖を構え佇むライナス・バルグに打ち込むのは躊躇した。
ライナスの構えそのものが、‘無’だ。
「ライナス・バルグ!」
だからこそ、倒す意味ある。
‘銀水晶’に、この身を差し出した甲斐がある。
不可侵とされて来た領域を蹂躙してこその‘逆十字団’だ。
リガークの両腕に力がこもる。
「‘先じて、不徳を拾うな。遅れて功を見出せ’
俺はあんたにそう教わったぜ」
リガークを初動を成す直前に、野太い声が響いた。
快活にして朗々と響く、男の声だ。
「・・・お前か」
リガークは構えを解き、振り返る。
巨躯の男が、歩いてくる。
身を包む異端審問官制服は、鍛えられた筋肉に押し上げられ、大きくはだけた襟元からは分厚い胸板をのぞかせている。
捲り上げた袖は力強い両腕。
黒革のコートは、大雑把な歩きに対して裾が揺れる事はない。
背中には古びた大剣。
右腕には甲手と一体化した回転装填式砲身。
無精髭の浮いた顔が、リガークと眼が合うと、不敵に笑った。
「・・・見下げ果てた姿だ」
リガークは吐き捨てる。
「貴様程の男が、身も心も法王庁の飼い犬か、ザルメルク・プレバンス?
・・・不肖の部下は、どこまで行っても不肖のままか」
「やれやれだ。あんた程の男が、逆十字団如きで満足かい、リガーク・ボメル。
・・・一つ勘違いしているようだから、教えてやる」
足を止め、肺に空気を吸い込む。
「ザルメルクじゃねえ!
俺は、ザックだ!
異端審問局第八課審問官、ザック・プレバンス!
あんたを倒す男の名だ、覚えておけ!」
三叉槍の先端が、ゆっくりと動く。
ライナスから、ザックへと。
リガークの金茶色の眼が放つ眼光も、ザックへと注がれる。
「ザック・プレバンス」
ライナスが、歩を進める。
「なんだい?」
「任せる」
短いが厳然たるライナスの言葉に、信頼が込められている。
ザックの頬に深い笑みが浮かぶ。
会心の笑みだ。
「当然だ!」
ライナスの歩みが、疾走へと変わる。
真横を駆け抜けるライナスを、リガークは微動だにせず見送る。
「・・・準備が出来たら言ってくれ」
走り去るライナスを見送り、ザックはリガークに語りかける。
「年寄り相手にするからには、先手を譲るぜ」
「・・・不埒な戯言もそこまでだ」
リガークの皺の浮いた頬に、苦味が奔る。
「この‘大海を裂くもの’の一撃、受けられるものなら、受けてみせい!」
短く吐き出した息を残し、リガークの三叉槍がザックに殺到する。
足と背を屈服し、前進を低くして疾走の姿勢となった。
リガーク自身が、槍と一体化し、ザックの眼前に迫る。
「昔、何度も見せてもらったぜ。あんたの技はよ」
ザックの手が、黒革のコートの下に潜る。
「受ける獲物があれば、いくらでも受けてやるよ!」
手にしたのは、古びた長剣。
眼前に迫った槍を、相手の速度をも利用して、抜き撃ちで払い上げる。
槍を握ったリガークはザックの真横を走り抜け、ザックは刀身を横へ引いたまま、そのまま逆方向へ跳ぶ。
「‘大海を裂くもの’がどんなに凄いAFだろうと・・・」
構えた長剣の切っ先を、無造作にリガーク向ける。
「同じ、‘千年神器’同士ならば、受ける事は出来るみたいだぜ。
・・・この‘獄炎を放つもの(インフェルノ・メーカー)ならばな」
活目するリガークを前にして、ザックはニヤリと笑う。
かつて‘聖衣聖騎士エウゼリオ’が使用し、法王庁遺失技術管理室が厳重保管していた聖剣を、
異端審問官に任命されたザックが強引に借りだしてきたものだ。
「俺には千年神器の‘展開’とやらを引き出す力はないが、壊れなければ十分だよな」
ザックは、左手で背中の大剣を抜く。
右手の‘獄炎を放つもの’を‘盾’として使い、攻撃は使い慣れた大剣で行う。
規格外の体格と膂力を持つザックだからこそ許される戦闘スタイルだ。
「・・・策はそれだけか、ザルメルク?」
二刀を構えたザックに対し、リガークは短く問いかける。
「ああ?」
「浅慮も代わらない男だ。
同質の武具を備えただけで、互角を気取るか。
・・・最も重要な見落としを教えてやろう」
先程より更に低く身を屈め、腕を後方へ引く。
穂先が顔の真横まで下がり、リガークの冷たい相貌を写す。
「!?」
リガークが動く。
槍でありながら、下方から突き出される構えに、ザックは僅かながらに間合いへの進入を許す。
眼前に迫る‘大海を別つもの’を‘獄炎を放つもの’で弾く。
だが、遅い。
ザックの肩口を瞬光のような勢いで突き出された槍が抉り、鮮血が飛び散る。
「ぐっ!」
「己の見落としを理解したか?」
再度、槍を構えながらリガークは静かにかつての部下を見つめた」
「・・・決定的な技量の差を理化ししたか、ザルメルク?」