白銀の翼は、下唇を噛む。
自分には自負がある。
‘逆十字団’を組織し、強大な権力の結晶たる法王庁に弓を引く、強く美しい‘銀水晶’。
‘感覚糸’を筆頭とする自分の能力は、‘銀水晶’の右腕に相応しいという自負がある。
更に言うならば、‘銀水晶’の求める情報を提供し、放出可能な自分は、‘銀水晶’の眼であり耳であり、口にもなれる。
事実、重要な作戦では‘銀水晶’により指揮権を任される事もあった。
出自も、素性も関係なく、逆十字団死徒に求められる事は、二つのみ。
『法王庁に恨みをもつ事』
そして、『ただ、強い事』
自分はその逆十字団で、‘銀水晶’に信頼され指揮権を任せられている。
世界から他の如何なる評価も、褒章もいらない。
‘銀水晶’に必要とされている。
その事に勝る充実感は存在しない。
「それなのに・・・」
白銀の翼は呻くように呟く。
‘銀水晶’より賜った命令は、単純極まりないものだ。
『ライナス・バルグを殺せ』
ただ、それだけだ。
‘感覚糸’により、他の死徒に命令は伝えた。
だが、現状ではライナス・バルグは生きている。
イルドルフに重傷を負わせられながらも、地下墓所を目指し移動している。
命令を伝えたはずの死徒達が、命令通りに動いていないからだ。
No8‘百貌の剣奴’は、遭遇した第八課審問官ジャンルイジと接近戦を展開している。
享楽的な戦闘を好む‘百貌の剣奴’だ。
自分が戦いを楽しんでいる間は、命令は後回しにしている可能性がある。
No3‘引き裂く者’は、忠誠心は現死徒の中では極めて高い。
法王庁倒壊に必要であると判断すれば、「百人殺せ」と言われれば、ためらい無く実行する男だ。
銀水晶の命令を無視する事はありえない。
だが、‘引き裂く者’が対峙したのは、ザック・プレバンスだ。
‘引き裂く者’が死徒となる以前、騎士団長であった時代の部下であり、法王庁では罪人の身でありながら、ライナス・バルグにより異端審問官に抜擢された男。
「因縁というものがある」
今回の作戦に参加する際、‘引き裂く者’は語っていた。
‘引き裂く者’が唯一、自らの手で片付けなくてはいけない相手、それがザック・プレバンスなのだろう。
No7‘鋼翼の執行人’。
コイツは駄目だ。
現死徒の中では、‘銀水晶’に次ぐ古参メンバーだが、使えない。
己の欲求と美意識を最優先する気取り屋だ。
今回も「ライナス・バルグ抹殺」の命令を出したのにも関わらず、墓地外部の持ち場から動かなかった。
そして‘白銀の翼’自身、最初から作戦戦力として当てにしていない。
No4‘混濁の魔獣’の実力は認める。
その全身から溢れ出るような憎悪の波動も、本物だろう。
ただし、一人だけ特別扱いを受けている節がある。
今回もただ一人、地下墓所に入る事を許されている。
死徒の中で最後の加入した分際で、特別扱いされているのが気に食わない。
「滑稽な話だわ・・・」
‘感覚糸’により、敵の行動は分かる。
‘伝声糸’により、距離に関係なく指示を送る事ができる。
しかし、肝心の味方が指示通りに動かない。
「つまりは、こういう事ね・・・」
‘白銀の翼’は‘翼’を展開する。
‘感覚糸’を展開し、ライナス・バルグの現位置と移動速度を細くする。
「最初からこうすれば良かった」
‘感覚糸’の放出を終えると、展開した‘翼’を変形させる。
左右に大きく伸びていく、‘翼’。
翼の表面には、びっしりと鋭く尖った羽根が付属している。
「ボク自身が、お前を殺せばよかったんだ!ライナス・バルグ!」
叫ぶと同時に、羽根を上空に向って射出する。
居並ぶ弓兵隊による一斉射撃を思わせる唸りを上げて、百を越える閃光が夜空を切り裂いた。
「射程外からの遠距離攻撃。
半死人の貴様など、簡単に仕留められるんだよ」
‘白銀の翼’に、薄い笑みが広がる。
「幸せね、ライナス・バルグがこの程度で殺せると思っているんだ」
背後から軽薄な声が響く。
近づいてくる足音。
焼け焦げた尼僧服の隙間から覗く、金属部位鎧。
白い肌には、真新しい無数の火傷の痕。
長い髪は額にかかり、さながら戦場から逃げ延びた敗残兵のようだ。
「・・・今更、死に損ないの君が何しにきたんだい?」
「聞きたい?なら、教えてあげる」
煤に塗れたフェルメノの頬に、凶暴な笑みが広がる。
「目障りな異端者を潰しにきてやったんだよ!」
「アハハ!おもしろい冗談だ!やってみなよ、フェルメノ・キルス!」
距離は、十歩と離れていない。
白銀の翼にとっては、あってなきが如きの距離。
パキパキ、と背中の‘翼’が形状変化を遂げる。
この状態で、相手を仕留める、最適の形。
‘連射弓’から‘極節槍’へと。
「一応、聞くけど・・・」
白銀の翼は、愉しそうに足踏みを刻む。
爪先を小さく上下させ、独自のリズムを奏でていく。
「これを見ても、さっきの冗談をもう一度言えるかい?」
左右に幾重にも張り出した‘極節槍’が爪先のリズムと共にざわめく。
フェルメノは小指で耳を穿るジェスチャーを交えてて、返す。
「耳も頭も悪いのか?・・・バカの相手はこれだから嫌なんだ」
「なるほどね。嫌いじゃないよ、強がってるヤツが泣き叫ぶ無様な姿は」
「ハッ!」
笑い声の残響を残し、フェルメノが前方に跳ぶ。
速度は敢えて抑えてある。
歩走法と反射で、敵の虚をつく、フェルメノ独自の接近法。
抜刀。
黒銀色の細剣(レイピア)が、闇夜に鈍い煌めきを放つ。
その直前、左右から展開した‘極節槍’が、連続した突きを放つ。
だが。
「遅いね!」
フェルメノは、地を這う様に上半身を伸べ、槍の下を潜る。
尼僧服の端が槍の穂先を掠め、黒い繊維が散る。
「はい、ここまで」
レイピアの剣先が、白銀の翼の左胸を貫いた。
「ああ、残念だな」
白銀の翼から、嘆息が漏れる。
左胸を貫いたレイピアを、見下ろす。
「知らなかったのかい?」
傷口からは、全く血が出ていない。
「ボクに刃物は効かないって」
フェルメノは、瞬時に理解する。
心臓を切り裂いた感触はない。
もっと堅い、樫の板でも貫いたような感触。
「そうじゃないかとは、思っていたけどねえ」
通常の人間とは異なる、生体構造。
フェルメノは大きく跳躍した。
直後に、フェルメノの居た位置に、槍による刺突が殺到する。
フェルメノは疾走する。
墓地の隙間を縫うように、反撃の姿勢を放棄し、
ただ逃げる為だけに全力をそそぐ。
「どんなに早くても・・・」
囁き声は耳元で響いた。
‘翼’を‘翼’として使用し、フェルメノの背後に迫る。
「‘走って’は、‘飛ぶ’ボクからは、逃げられない」
「結局は、いつも通り」
白銀の翼は、ほくそ笑む。
‘飛ぶ者’と‘這う者’。
勝負事に於いて、最重要となる決定的な差が存在する。
すなわち、速度。
どんなに敏捷性を持っていようが、決定的な速度の差は埋められない。
‘鷹’に勝負を挑む‘兎’の末路など、語るに値しない。
ベートの街で対峙した異端審問官レスター・ハインは、‘網’と‘鞭’で距離を取り、速度の差を軽減した。
同じく異端審問官カナン・ヨハナンは、‘二つの鉄球’を時間差で放ち、速度の差を軽減した。
どちらも有効な手段だった。
白銀の翼自身、勝利が紙一重のものだったと自覚している。
「・・だからこそ」
目の前を全力で疾走する、女。
接近戦を最も得意とする、‘紅蓮腕’。
戦闘に特化され、法王朝の中でも異形の集団とされる十一課を束ねる、十一課課長。
「ボクの相手になる訳ないじゃん」
冷笑と共に、大きく‘翼’を羽ばたかせる。
‘翼’の間に生まれた光球が、走り続けるフェルメノの背中に向って降り注ぐ。
夜の墓地に響く爆炎。
-避せるタイミングではないが、致命傷まではいかない。
肉が焦げ落ちる異臭。
-だが、‘兎’を脅かすには十分な一撃。
「さて、泣き叫ぶ準備はできたかい?」
嘲笑を浴びせた白銀の翼の眼前に、‘炎の矢’が迫った。
熱が夜気を巻き込み、沸騰させる。
炎が眩い光を放ち、猛り狂う。
巨大な‘炎の矢’は、白銀の翼の真横を通過すると、天高く駆け上り爆撒した。
「‘紋章官’が、AFの暴走なんてさせるから・・・」
右腕に装着した手甲がひび割れ、砕け落ちる。
光球を防いだのだろうが、当然全てを防ぎきれた訳ではない。
手甲が剥がれ落ちた後の右腕、右肩が焼け爛れている。
「‘紅刃女王(クイーン・クリムゾン)’も使い潰す事になったじゃない。・・・結構、気に入ってたのに」
頬を煤で染めたフェルメノが、笑みを深める。
「・・・お前」
白銀の翼は理解する。
先程の‘炎の矢’の正体は、フェルメノの細剣型AF‘紅刃女王’。
イルドルフとの戦闘により劣化したAFを投擲し、爆撒させた。
だが、腑に落ちない。
フェルメノと対峙した際、初撃で左胸を貫いたのも、同じ細剣だ。
使い潰すつもりなら、なぜその時に使用しなかった?
そして今の投擲。
恐らく自分を狙っていない。
AFの最後の熱と光は、自分を掠め、夜空の花火となり消えた。
いや、花火というより、むしろ・・・。
「・・・信号弾?
貴様、誰に何の合図を送った!?」
・・・やられた。
フェルメノは逃げていたのではない。
白銀の翼を引き剥がしていたのだ。
どこから?
白銀の翼が構えていた、地下墓地の入り口から。
何のために?
戦闘能力を低下させた‘あの男’を通過させる為に。
‘白銀の翼に有効な武器を持たない’と思わせて。
‘逃げるだけしかできない’と、演じてみせた。
‘信号弾’は、一連の作業が終了した事を知らせる合図だ。
「まあ、いいじゃない。そんな事は」
フェルメノが左手で腰袋をまさぐり、小瓶を取り出す。
「アタシに言わせれば、あなたは向いていないわよ。
‘指揮しながら戦う’なんて、ね」
口で蓋を外し、吐き捨てる。
「状況がどうあれここまで来たら、外敵の‘各個撃破’。それしかないでしょう?」
爛れた右腕と右肩に、瓶に入った液剤を振り掛けると、投げ捨てる。
「周囲の事なんて当人に任せておけばいいのよ。
やる奴はほっといてもやるし、やらない奴は手を貸してもやらない。そんな者でしょ?
それよりも、あなたには集中してもらいたいのよ。
このアタシとの戦いに。
あなたの全てを出して」
「ふふっ」
笑いが、こみ上げてくる。
「ふはははっ!」
白銀の翼は、‘翼’を収納しながら、ゆっくりと地面に降りる。
「キミはそこまでボクに、ご執着なのかい?」
「‘不器用だけど、強引だ’。部下には良く言われるわ
何にしても、愉しい時間をすごしましょう。・・・アレ、名前を聞いていなかったわね」
「やだね。姉様以外には教えないのさ、ボクの名前は」
二人の距離は、徐々に近づく。
互いの放つ圧が絡みつく、限界の均衡。
「ただ、特別に勝ったら教えてあげるよ」
「そう、ならすぐ知ることになるわね」
均衡が崩れ、二つの咆哮が響いた。