「・・・もうすぐよ」
ラニエル・ベルザインは、箱舟の先端へと立っていた。
永久動力機関`銀水晶’を停止させている為、その体は200年以上稼働しているオートマターに過ぎない。
老朽化した全身の義体。
劣化した表皮。
口調は感情は込められず、表情は失われている。
だが、ラニエル・ベルザインは笑っていた。
複雑な表情を動かす動力は休止しているにも関わらず、聖母の慈愛を思わせる微笑みを浮かべ、先端部から箱舟全体を見下ろしている。
「あなたは見ているのかしら、アニエス?」
箱舟、正式名称はアララトの空船(そらぶね)。
法王庁では、墓所の箱舟とも呼ばれている。
聖典に記述がある創世期。
`大洪水’により滅んだ世界から、あらゆる種族・技術・文化を集めてこの地に漂着したとされる、`始まりの舟’。
その材質は、一体成形の合金だが、表面には木目のような模様が浮かび上がっている。
全長150メルテ・全幅80メルテ、全高50メルテ。
確かに並外れた巨大さを誇る建造物ではあるが、「全ての種族・技術・文化を積み込んだ」にしては、小さい。
箱舟の積み荷の殆どは、「設計図」として収納している。
保存が目的であれば、現物は必要としない。
「きっと見ているのでしょう。私の完全な勝利を」
今、箱舟全体は、赤く点滅する巨大な触手に覆われている。
活動停止状態であった地母神フィオーラが、33の聖石を極限まで活性化させた`義神腕’アダスタを吸収する事で、再生機能を復活。
箱舟全体に導管を張り巡らせ、動力源として機能している。
さながら、成虫へと羽化する直前の巨大な繭。
あるいは、茨に覆われた古の聖像。
「この美しさ、私だけのもの」」
箱舟全体を包む赤い点滅を前に、ラニエルはぎこちなく歩く。
実際は劣化した脚部が速やかな歩行を困難にしているだけだが、まるで奉納の踊りを舞っているかのようだ。
かつて、ラニエルはいくつもの`赤い’光景を観てきた。
`黄昏の時代’、王都陥落の大炎上。
`全てを知る者’時代、砦線滅に伴う大虐殺。
その全てが、視界の隅々まで赤く染め上げた。
だが、この瞬間程美しい光景を見たことはない。
ぎこちない足取りでラニエルは、船内へと進入する。
陶酔にも似た感覚が、ラニエルの全身を包んでいる。
遺失技術の固まりでもある箱舟。
法王庁の最高機密であり、伝承、口伝で様々な呼び名をもっているが、いずれも正しくはない。
正しい呼び名を。この舟の真の主を、ラニエルだけが知っている。
箱舟の中心部付近の一室。
部屋の中央には、巨大な半透明の棺桶。
満たされる生命の水。
中では、人影が揺れている。
骨、臓器、血管。
潮が満ちる程の速度で、人体が再生している。
両腕を大きく伸ばしたその姿勢は、十字架に欠けられた聖人を思わせる。
箱舟の中心部付近の一室。
部屋の中央には、巨大な半透明の棺桶。
満たされる生命の水。
中では、人影が揺れている。
骨、臓器、血管。
潮が満ちる程の速度で、人体が再生している。
両腕を大きく伸ばしたその姿勢は、十字架に欠けられた聖人を思わせる。
箱舟の遺失技術の一つ、`トライの棺桶’
効力は、人体の再生。
骨の一片、灰の一摘みさえあれば、「失われた当時の肉体」を、完璧に再生する。
`生命’に関する多くの遺失技術に精通したラニエルでさえ、これ程の超技術は見たことがない。
もはや、`再生’などと生やさしいレベルではない。
これは`死者の復活’だ。
異端に落ちても決してたどり着けない、神の領域。
ただし、`棺桶’の軌道には前提条件がある。
`復活’の対象者が、この箱舟の生まれであること。
箱舟に「設計図」が収納さえていれば、不足した生体情報を復元し、復活が可能となる。
箱舟が、「大洪水」を逃れ、この地に漂着したのは数万年前まで遡る。
純粋な「箱舟人」など存在しない。
するはずがない。
ただ二人を除いて。
そのうちの一人が・・・
時が満ちた。
`棺桶’の扉が内側から開く。
棺桶を満たしていた生命の水が溢れるが、空気に触れると直ぐに気化し、水蒸気となり消えていく。
立ちこめる水蒸気の中、男が足を踏み出した。
年齢は30前後だが、若くも見え、年かさにも見える。
肩まで伸びた黒髪
目鼻立ちのはっきりとした顔立ちだが、中肉中背の体格と相まって、不思議と印象に残らない。。
「ご気分はいかがですか?」
深く平服し、ラニエルは真の主を迎え入れる。
「悪くない」
短い返事の後、即座に訂正。
「いや、最高だ」
穏やかな微笑み。
「ご苦労だったな。我が娘、ラニエル」
全てはこの瞬間の為。
ラニエルの人生と、逆十時団はこの瞬間の為にあった。
「ご帰還をお待ちしておりました。`纖滅軍師’ベルザイン様」
塗れた髪をかき揚げ、ベルザインは鷹揚に頷く。
「信じていた。
ラニエルなら、
箱舟を起動させ、必ず僕の`真の肉体’を目覚めさせてくれると信じていた」
「さあ、行こう。
この舟は、僕の舟であり、君の舟だ。
供に世界を再生しよう。
この世界を、真の姿に戻すんだ」
>新生逆十次団完結編・第2部4章へと続く