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小話「芽生・その後」

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小話「芽生・その後」

いつの間にか、雨が降ってきたようだ。
薄い屋根の戸板を、雨粒が叩く音が、薄暗い部屋に響く。
硬いベッドの感覚と、全身の打撲が放つ激痛と発熱が、エムレの意識に眠る事を許さなかった。
ぼんやりと天井を見ながら、エムレは見舞いと言う名の冷やかしに来たロメロとリーベンの言葉を反芻する。

『あれだけ打撃を浴びながら、一発入れてやっただけでも凄いって。俺なんか一撃でのされちまったんだぜ?』
『あの時、お前はラーガン教官でもあの少女、アルジェに勝てないと分かっていたんだ。だから、自分から泥を被りに行ったんだろう?』
違う。
そういう事ではない。
全身に治療薬を張り付けたエムレに対する、親友達の心遣いは、エムレの心の疼きを癒すまでは到らなかった。
鬱々とした気分から抜け出せないのは、もっと単純な理由だ。

『喧嘩』で負けた。

ただ、それだけの事。
実戦でも、演習でも、エムレはここぞと言う局面の戦闘を、『喧嘩』に置き換え、臨んできた。
一言で言えば、意地の張り合い。
意地を貫き通したものが勝ち。
それが、幼少の頃から育った路地裏のルールだ。
勝てば、何かが掴めた。
千切れたパンの欠片。
枢枚の小銭。
仲間内の生張り。
吹けば飛ぶような、自尊心。

アルジェの目が気に入らなかった。
無表情でありながら、明らかに格下を見る目付きだった。
-何の取り柄もないボンクラが、喧嘩で舐められたら終わり
あの時、そう胸に秘め、実力差がある事は承知でアルジェに向かった。
全身に浴びせられる打撃を堪え、エムレは渾身の拳を少女の顔面に向けて放った。
確かな手応え。
これで、少女が戦意を喪失すれば、エムレの勝ち。
動揺を見せれば、さらに畳み掛け、勝ちを引き寄せる。
だが。
-あの女
エムレの渾身の拳を浴び、鼻血を出しながら、アルジェがその感情に乏しい顔に浮かべた表情は。
-笑っていやがった

雨の音が、一層と激しさをました。
激痛の中、天井から目を背けるように、寝返りをうつ。
-ああ、そう言えば
-『親父』が帰って来なかった日も、こんな雨の日だったよな。

「あの・・あ」
軋んだ音と共に開いた扉から、控えめ少女の声がエムレの背中にかけられた。
黒い尼僧服と医療用のエプロン。
髪止め用の頭巾。
伏せ目がちな瞳には、厚ぼったい眼鏡。
体と髪に染み込んだ薬草の臭い。
初めて見る顔の、薬草師の少女だ。
「・・・薬の時間です」
複数の薬草を煎じ、湯気をたてる器から、苦味のある香りが部屋中に拡がる。
「・・・いらねぇよ」
面倒くさいという思いと、不貞腐れた気持ちから、背中を向けたまま答える。
「ですが、今飲まないと・・・」
「馬鹿につける薬はない、てな」
自虐的に、笑う。
直後に。
「に、逃げるのですか!?」
部屋中に響く声が少女から発せられた。
「な、なんだ?」
エムレは毒気を抜かれたような顔で、痛みを堪えて振り返る
眼鏡の下の白い肌を真っ赤に染めた少女が、検診表を握りしめ必死に叫んでいた。
「裂傷と打撲は多いですが、骨折している箇所はありません。凄い事だと思います。・・・ですが患部の腫れは熱を持って高熱が続けば、体力の低下から複数の病を併発する危険があります!」
気の弱そうな印象は、拭えない。
だが、自分の指命を理解した者だけが持つ、強さを感じる事は出来た。
-まったく、俺って奴は
エムレは枕元に置かれた器を取ると、一息で飲み干す。
草そのものの苦味が、舌から喉、胃へと滑り落ちていく。

「俺は負けてない、今決めた」
器を少女に渡しながら、エムレは包帯の巻かれた胸をはる。
「今はまだ、・・・勝ちの途中だ」
「・・・頑張って、ください」
頭巾の下の顔を真っ赤に染めたまま、少女は慌てて部屋から出ていった。
「礼を言うつもりだったのに、何言っているんだ、俺は」
少女が出ていった扉を見つめ、エムレは呻いた。
今頃になって、薬のエグい苦味が、口内で猛威を振るいだす。
「次あった時は、しっかり伝えないとな」

雨はいつの間にか小降りになり、優しい音を響かせていた。

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