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地下尖塔編:前編

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匿名ユーザー

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地下へと続く回廊に、青年はひた走る。
最深部から響いていた戦闘の継続を思わせる微かな残響は、先ほどから聞こえなくなった。
漆黒の回廊に響くのは、己の乾いた足音のみ。
胸の内から溢れる焦りを押しとどめ、青年は走る。

冷たい光沢を放つ黒皮のコート。
幾重にも鎖が巻きつけられた革手袋
額には防風用のゴーグル。
背にした赤錆色の長剣が荒い呼吸とともに揺れている。
そして、胸元には銀色に輝く‘異端審問印(マグノリア)’
どこか少年の面影を残す顔には、焦りの表情が色濃く浮かんでいる。


暗闇の中を駆け抜けながら、青年は思い出す。
異端を決して逃さぬ猛禽の眼を持つ男。
法王庁崩壊後、調停者ベルザインに対抗する最大組織‘北の教会’をまとめ上げた指導者。
戦闘人形‘湖畔の英霊’を従え、上級洗礼者さえも恐れるカリスマ。
決して折れない、鉄の翼を持つ‘鉄翼鷲’と呼ばれたライナス・バルグとの会話を。


『ここまでする必要があるのですか!?』
『この程度の事も出来ぬのか?』
‘北の教会’に合流後、青年は何度もライナス・バルグの指示に、抵抗した。

『‘見なかった事にしろ’と課長はおっしゃりたいのですか?』
『‘見えないものを見ろ’と私は言っている』
調査、防衛、奇襲。
どれだけ倒しても、‘洗礼者’は増え続ける。
‘調停者’ベルザインの‘洗礼’を受ければ、己の願望に、あるいは本質に基づいた能力が開花した洗礼者’となる。
数では勝てない。
単純な陣取りゲームではない。
いかに効率よく、最少手で、ベルザインの元へ、聖都ロンバルディアへ辿り着くか。
そのための最善手をライナスは常に打ち続けた。
それは、青年が洗礼者との戦いの最前線に身を投じる事と同意語であった。


『この作戦では、市民に犠牲がでます!』
『後手に回れば、異端者が逃亡する』
危険を恐れない。
異端審問官になった時から、命を失いかけた事は何度もある。
戦いを背負う覚悟はある。
‘調停者’ベルザインがアスガルド半島にもたらした混沌と混乱を払うには、ライナス・バルグの元で戦い続けるしかない。

『仲間を犠牲するのであれば、僕が行きます』
『お前程度の犠牲で済むなら、とうに実行している』
合理性・効率性を優先するライナスと、目の前の助けを見過ごせない青年は、何度も衝突した。
‘鉄翼鷲’に正面から反論する青年に、‘北の教会’の主要メンバーは緊張し、止めようとしたが‘水と油’は混じりあう事はない。

『僕が戦えるのは、彼らがいるからです。‘信頼’という綱で繋がっているからこそ、僕はどんなに深い穴にでも飛びこめる。彼らに危機が迫れば、僕はその綱を手繰り、彼らの元へ駆けつける。その綱を切るような真似はできません。・・・貴方は彼らはどう思っているのですか!?』
『ただの‘駒’だ。・・・ここにいる全員を含めてだ』
・・・今にして思えば。
ライナスの冷徹な辣腕に、青年を中心に猛烈な反発は何度もあった。
それでも、‘北の教会’は瓦解しなかった。
―‘空中要塞’を撃墜し。
―‘死霊都市の亡霊’を退け。
―‘ニシディア瀑布の大逆流’も‘ヘルデ山脈の断隙’も
突破してこれたのは、ライナス・バルグが‘適材適所’に人材を配置し、適切な指示を与えたからではなかったのか。
人的被害も最低限に抑えられたのではなかったのか。

『貴方の指示には従えません。・・・ですが貴方の信念は尊重します』
『好きにしろ、とは言わん。・・・私が求めるのは‘結果’だ』
・・・今にして思えば。
ライナス・バルグは全て計算の内ではなかったのか?
冷徹な指示に対する、青年の反抗も。
危険な任務の中での、青年の、そして仲間たちの成長も。

『・・・祝勝の夜くらい、休んではどうですか?』
『お前には、私に指示を与える権限はない。
・・・貴様がこの椅子を座る日が来たら、従うとしよう』
・・・今にして思えば。
あの時、‘仲間の命も駒だ’と言った意味は。
‘自分の命も駒だ’と言う意味ではなかったのか?
日に日に衰弱していく、己の体の‘使い場所’を決めていたのではないか
己の生命を燃やす、最後の瞬間を。

「ライナス・バルグ!」
青年は走る。
回廊が地下最下層に近づくほど。
激闘の後が刻まれていく。
トヴェルグ人が削りだした最も堅牢な石材で構築された石壁に、穿たれ、斬られ、砕かれた跡が増えていく。
‘湖畔の英霊’と、‘あの男’との戦闘の生々しい痕跡だ。


「ライナス課長!」
青年は疾る。
生きていて下さい。
この世界がもう一度立ち上がるには、貴方が必要です。
空中要塞の時のように、もう一度言ってください。
『遅いぞ、キールベイン』と。

 

「遅かったね、キールベイン君」
地下最下層に辿り着いたキールベインを迎えたのは、穏やかな笑みを浮かべた男の言葉だった。
長身痩躯に、旧時代の貴族を思わせるゆったりとした長衣。
右手に携えるのは、一冊の紙面が淡く輝く本。

「こちらが突然お邪魔してしまったけど、流石はライナス君。丁寧にお出迎えしてくれたよ。
ライナス君は生真面目だからね。
彼に本気を出させるには、色々と‘枷’を外してあげないとね。昔から、一人で背負いたがるからね、ライナス君は」
旧友を語るような、屈託のない、軽い口調

「だから、僕が連れてきた‘竜人’十三体で、入口を固めさせてもらったんだ。
別に、楽しみを独り占めしたかった訳じゃないよ。
‘足手まとい’がいると、ライナス君も本気を出せないだろうから、‘立ち入り禁止’にしたんだけど・・・」
端正だが、どこか特徴のない顔に浮かんだ笑みが深くなる。

「突破してくる実力があれば、一緒に遊んでもらっても構わないと思っていたんだよ。
・・・そこの彼みたいにね」
灰褐色の瞳が送った視線の先には、大柄な男が倒れていた。
短く刈りそろえられた金色の短髪。
全身を隆々とした筋肉をまとい、その両肩からは四本の腕と猛禽と白狼にた頭部が生えている。
元十二課課長、フランク・ラパード。
初代、十二課課長にして、最初の‘猟犬’。
魔獣の能力をその身に宿し、70年に渡る眠りから覚めた男。
‘猟犬’としての能力だけではなく、‘第一次大聖伐’を筆頭とする激戦をくり抜けた、豊富な戦闘経験に裏打ちされた戦闘のプロフェッショナル。
その実力は、‘湖畔の英霊’に次ぐとも、並ぶとも、凌ぐとも呼ばれた男。
すなわち、『北の教会」の最強戦力。

「がっ、っは!」

そのフランクが、苦悶の表情と共に血塊を、冷たい床へと吐き出す。
四本の内、二本の腕からは、蔦科にもにた奇妙な植物が生え、フランク自身を締め上げている。
残りの二本の腕で必死に抑えている。
留めようとしている腕からも、緑赤色の発芽が始まっていた。

「・・・‘寄生植物ナッツ&リンク’
フランク君も悪くはないけどね、‘環境制御用兵器’とは相性が悪すぎる。
生態系を作りかえる制御機関を相手にすれば、フランク・ラパードとは言え‘この上ない養分’に過ぎない。
・・・それにしても、君が来るとは驚いたよ、キールベイン君。
失礼、決して君を見くびっていた訳ではないけど、完全に予想外だ」
‘これだから、楽しい’とも言いたげな笑みを残すと、最深部に設置された巨大な扉へと向かう。

「生憎、ボクはこの扉の先で用事をすませなきゃならないんだ。・・・その後で、一緒に遊ぼう。せっかく、ボクに会いに来てくれたんだからね」

 


―落ち着け
キールベインは逸る鼓動に言聞かせる
―飲まれては、ダメだ。
こうして対峙しているだけでも、足が竦む。
―やるべき事を思い出せ。

「ああ、そうか。
ライナス君を探しているのかい?
それなら・・・」
振り返った顔には、慈愛にも嘲笑にもとれる笑みが張り付いていた。

ドサッ
キールベインの頭上から、何かが落下する。
それは・・・
左胸を貫かれた・・・
「・・ライナス、課長?」

「ボクは今日は別件できたんだよ。
でも、ライナス君があまりに頑張るからさ。
答えてあげないのも失礼だろ?
・・・このベルザインが、ね」

「嘘ですよね
・・・貴方が、そんな」
呼吸が止まり、その先は声にならなかった。
キールベインの膝が、冷たい石床に崩れ落ちた。
「目を開けて下さい、ライナスさん、ライナス・バルグ!!」
絶叫がむなしく響くが、答えるのはベルザインの浮かべた笑みだけだった。
最後の希望が、消えた。


―◇―◇―◇―
調停者ベルザインの襲撃は
ライナス・バルグ死亡という結果をもたらした。
しかし、この時のキールベインは知らない。
この結果は最悪の結果ではない事を。
真の最悪は、これから訪れるという事を。

後編に続く

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