赤子の泣きわめく声が、この家に残された最後の抵抗だった。
煙突からかすかに見えていた煙も、やがて消え、そして二度と立ち上らないだろうと思われた。
蹂躙された屋内から、大小二人の男が肩を揺らせながら出て行く。
二人とも膝丈のダブレットにたっぷりすぎる詰め物をした上着を着、毛皮のガウンを羽織っていた。
どれも宝飾品に彩られてはいたが、その量と配置たるや完全に豪奢と悪趣味を履き違えている。
貴族である。
二人は親子で、壮年の髭面の大男が父親、服を除けば若いちんぴら風の小男が息子だった。
大男が口を開いた。
「このあたりはもうダメだな。痩せた女子供と枯れ木枯れ草しかありゃしねえ」
「そうだね親父」
と返したのはもちろん小男である。
「去年の夏頃はかなり羽振りがよかったんだけどなあ」
「絞りすぎたか?」
「あの程度の村、どのみち戦争がくれば一発さ。
俺たちがその前にあれこれもらってやったんだから、やつらにしても運が良かったんだ」
「お前がもらってやったのは金目のもんばかりじゃねえだろ」
「まあね。土臭い生娘のアレをちょいちょいと、ね」
「くくく、若いってのはいいもんだな。
俺にはあんな、痩せ山羊の立ったみたいなのとやる元気はもうねえ」
「心外だぜ親父。俺だって3人目からは飽き飽きしてたんだ。
だけどさ、こいつは施しだよ。下賎の者どもを高貴の血筋と交わらせてやるっていう」
大男は天に向けて豪快に笑い声を上げた。
「我が子ながらよくわかってやがる。お前は貴族の鑑だ」
「…お前たちが貴族の鑑なら、民草が王の地位を与えられても不思議ではないな」
声とともに、男たちの歩く道の先、柊の大木の影から一人の男が現れた。
修道士のような頭巾とケープをつけてはいたが、内側にサーコートが見て取れる。
頭巾を下ろすと、成人の儀を終えたばかりだろうという若い顔が出てきた。
「グロリエ家の子倅か」
貴族の父親のほうが呟けば、それを聞いた息子のほうは侮蔑の眼差しを目の前の男に向ける。
「生きてやがったのか。アンドレール一族の穀潰しが何の用だ?」
「貴族にあらざる残虐と放蕩を続ける者ども、ヴェルシ・ドゥルーズとその息子ユニヴェール。
お前たちを成敗しに来たのさ」
そこまで言って、若い男は言葉を切った。
「ほう」
さっと目配せを交わす二人に動じた様子はまるでなかった。むしろ、喜びの表情すら浮かべていた。
彼らにとってこのような事態は日常茶飯事なのである。
にわかな正義感に駆られた身の程知らずを返り討ちにし、嬲り殺す。
それが、略奪に次ぐ親子の楽しみなのだった。
ユニヴェールと呼ばれた小男が剣を抜いた。
「くひひ、一族を潰した恥知らずがよく言ったもんだ。
この土地にあるものはすべて俺たちの私有物だ。何をしようが文句を言われる筋合いはねえな」
「そういうこった、グロリエの」
ヴェルジと呼ばれた父親も今は得物を握っていた。
どれも、彼の父方の叔父から譲り受けたAFである。
二人が構えると、周囲に黒い突風が舞った。
「だが、ちょうど良かったぜ。
今日はこの“黒陽鶴”を使う機会がまるでなくてなあ…お前を殺って、今日最初の斬り初めだ」
「ユニヴェール。お前はよく出来た息子だが、親を立てるところはまだまだだな。
その分じゃ俺の“ミュカレの階段”の出番がねえじゃねえか」
「なら、せーので行こうじゃないか。これなら恨みっこなしだ」
「けっ、ガキじゃあるめえし」
言う間に、黒陽鶴は黒い光を刀身から照射し、ミュカレの階段は周囲に瘴気を漂わせはじめていた。
「まあまあ。…それじゃ行くぜ?せーの…
……………あれ?」
腕が軽い。剣を持った腕の先が消えていた。真新しいきれいな断面だけが見えている。
ややあって、かつん、どさ、といった何かが落ちる音が何度か耳に入ってきた。
「ひいいっ」
「俺の腕がっ」
そのとき、瘴気の中からやたらと細長い曲刀があらわれた。
共に姿を現したのは、若い男と同じ、頭巾とケープの女だった。
「アンドレールの穀潰し、その2も見参仕りです」
女は、兄に比べてさらに若く、まだ少女に見えた。
「…い、妹かっ」
「ご存知仕りまして感激至極に存じますです、閣下」
適当な敬語を並べると、妹と呼ばれた女は口の端をゆがめてみせた。
青年もこの事態を予想していたのか、表情一つ変えていない。
「てめえら、許さねえ!伯爵に訴えてやるからな!」
ユニヴェールが先のない手首を抑えながら叫んだ。
伯爵とは、ヴェルジの叔父であり、彼らの一族の長でもある老人のことだった。
「その必要はない」青年は拾い上げた黒陽鶴の斑模様の刀身を眺めながら言った。
「この命の発端は伯爵自らによる訴えだ。横暴極まりない甥とその息子に神罰をと」
「叔父貴が俺たちを」
「見捨てたのですよ。ご愁傷様でござりやがれです」
「…神罰だと…まさか、貴様ら、ほ、法王庁の」
「いかにも。我ら神の鎖にのみ縛られし二つ足の猟犬なり」
そして次の瞬間、女の右手から伸びた例の曲刀と、男の左手から伸びたやはり長大な直刀とが、
地面と平行にはさみのように交差し、苦痛と恐れにゆがむ貴族たちの首を綺麗に胴体と切り離していた。
「……」
二人は剣を戻すと、小さく息を吐いた。
「偽りの貴族よ」
「現世の領地はあろうとも」
「楽園の領地は土くれひとつもありはしない」
「それは真に高貴なる者のための地」
「『大貴族(マグナ・ノブリス)』の地」
互いに呟きながら淡々と男たちの首を拾い上げ、麻袋に入れていく。