知覚能力の向上。
人間の限界を越え、獣の領域を越え、更なる先へ。
たった一つの聖石は、リーベンに超感覚を与えた。
視覚が。
聴覚が。
嗅覚が。
詳細にして、膨大な情報を送る。
常人であれば、多すぎる情報量に脳の処理が追い付かず神経が焼ききれるが、リーベンは与えられる情報に対し冷静かつ瞬時に判断し、行動する事が出来た。
事実、その森に足を踏み入れるのと同時に、見張りを認識した。
見張りは随所でリーベンを監視しており、リーベンが古代樹の元にたどり着く頃には、十三人まで増えていた。
しなる枝の先端に。
そよぐ葉の間に。
遥かな幹の上に。
武装した古代種(エルゥ)の戦士達が目を光らせ、リーベンの一挙一動を監視しているのが分かる。
彼等が最も隠潜を得意とする森において、子どものかくれんぼのように、その潜伏場所が分かる。
僅な呼吸音。
衣擦れ。
汗の匂い。
幹の軋む音。
皮膚が発する熱。
リーベンの超感覚は、その全てを捉え、彼等の状況を把握する事が出来た。
-その程度でいいのか?
「盟約は果たされた」
古代樹の下まで足を進めたリーベンに、頭上より声が響く。
以前であれば、「何処からともなく」としてしか認識出来なかったが、今はその場所がはっきりと分かる。
次期'長老`を担う、エルゥの戦士長ウィートセラが立つ古代樹の場所が分かる。
「古き血は、新たな血により清められた。汝らは盟約に従い、我らの若木に対する償いを、盲目の鷹を刈り取る事で償った。最早、我らと汝らの間に柵はない。再び交わる事は許されない。・・・去れ!」
-その程度でいいのか?
「・・・新たな盟約を結びたい」
「何だと?」
リーベンの返答に、戦士長ウィートセラが僅かに眉を潜めるのが分かった。
「我ら『北の教会』が、最後の聖戦を達成するために、あなた方が所有する'永劫の苗`を借り受けたい」
「正気か!?」
リーベンを囲むように潜伏している戦士達も武器を握り直した。
-その程度でいいのか?
「`魂の苗'が、あなた方にとって神聖で重要である事は重々承知している。・・・故に盟約を締結するに伴い、代償を用意した」
リーベンは淡々と続ける
「何を、どれだけの代償を持って、我らの秘宝にその薄汚い手を伸ばそうというのか!?」
「・・』あなた方全員の生命と引き換えに」
「貴様!、`短命種'風情が!」
古代種語における侮蔑用語を叫ぶと、ウィートセラは専用に削り出された弓をつがえた。
古代種が「北の教会」の古城に現れたのが一年前。
持ち込まれた依頼を解決した後も、交流は続いた。
友情を感じた時期もあった。
肩を並べて戦った時期もあった。
だが、あの赤骸咳事件をきっかけに、両者の交流は断絶した。
リーベンも関係の修復を試みた時期もあった。
しかし、激化し、そして悪化する状況は、リーベンに一つの選択を迫った。
『聖石』の体内による、聖人化を。
「その程度でいいのか?」
ついには、押さえて続けてきた思いが、言葉として口から出た。
ライナス・バルグは死んだ。
だが、ライナス・バルグがリーベンに課した使命はまだ生きている。
「渡してくれ'魂の苗`を。・・・俺はあなた方を殺したくは無い。」
ちょっとだけ続く
― 何をしている、俺は?
間近に迫った刃を、体捌きのみで躱しながら、リーベンは考える。
相手にしているのは、十三人の古代種(エルゥ)の戦士。
怒りに触れた野生の獣のような眼で、特徴的な武具を振りかざし、襲い掛かってくる。
‘森の中でエルゥとの戦いを選択するのは、蝋燭の灯で夜の闇に挑むのに等しい’
リーベンの出身地である半島中央部の山岳地帯に伝わる口伝だ。
その口伝が事実である事を、リーベンは知っている。
無知故に彼らの聖地に足を踏み入れた商隊が。
欲故に彼らに挑んだ傭兵団が。
‘森の裁き’により、無残な屍をさらすのを、狩人時代のリーベンは見てきた。
‐狩人?そう、俺は狩人だ。
法王庁崩壊に伴う秩序の崩壊により、リーベンが静かに暮らす集落にも洗礼者達により襲撃された。
リーベンは故郷を取り戻すために「北の教会」に合流し、異端審問官達と調停者ベルザインを崇める洗礼者達と戦った。
そこに迷いはなかった。
自分と同じく故郷を追われ、自分とは異なり不条理と戦う術を持たない難民の為に弓を弾くのは、リーベンの誇りと一致した。
‐では、俺は今、誰と戦っている?
答えは、古代種。
洗礼者ではない。
略奪者ではない。
奪おうとしているのは、リーベン自身だ。
‐なぜ、俺が奪うのだ?
答えは、必要だから。
‘時間遡航’を失った「北の教会」が、ベルザインを倒すべく新たな切り札を手に入れるために。
‐それでも、なぜ俺が奪うのだ!?
答えは、その為の力があるから。
‘聖石’に適合した唯一の存在だからだ。
『‘断る理由’を探す方が難しい』
‘最初の猟犬’によりもたらされた聖石を手にしたライナス・バルグは、呼び出したリーベンに対して言った。
『この聖石は、お前にのみに適合する。お前が断れば、ただの石ほどの価値しかない。聖石がお前を望んだ。なぜなら・・・』
「やめろ!やめろ!やめろ!」
リーベンは叫ぶ。
古代種の戦士達の流麗な攻撃を、認識するのと同時に、刹那の判断で反撃を開始する。
‘聖石’がもたらした圧倒的な知覚能力は、リーベンに無意識化の反撃を可能にしていた。
一人、また一人と戦士達が倒れる。
なおも攻撃を続ける古代種達にやめろと叫ぶ
無意識に反撃をする自分に対しやめろと叫ぶ。
胸に埋め込まれた聖石を外そうと叩くが、聖石は更に強靭な光を放つ。
ならば。
ザシュッ
「・・・汝は」
戦士長ウィートセラの驚愕の声が間近から聞こえた。
「調停者より故郷を取り戻すまでは、死ぬわけにはいかない。ここであなた方を殲滅する訳にもいかない。・・・だから、これでいい」
自ら両目を潰したリーベンは、血の涙を流しながら穏やかな笑みを浮かべた。
ザシュッ
同様の音がリーベンの聴覚が捉える。
「何を!?」
視覚は失っても、リーベンに残された四感は、何が起きたかを認識できた。
それでも、叫ばずにはいられなかった。
「汝の思いは確かに受け取った。‘魂の苗’は渡せぬが、‘戦士長の両目’であれば代用は果せよう」
リーベンの掌に、ぬめった球体が二つ、握らされる。
「さらばだ、かつての友。二度とは会えぬだろうが、別れの挨拶はしない。よいな?」
戦士長ウィートセラは、リーベンの頬にわずかに触れると、生き残った戦士達をつれ立ち去った。
リーベンは僅かに躊躇ったが、‘彼女’が立ち去った方向に背を向け、歩き出す。
胸の聖石は、失った視力を補うべく、リーベンの四感を更に鋭敏化させている。
まるで更なる戦いに駆り立てるごとく。
それを悲しいとは思わない。
それを誇らしいとは思わない。
強いて言えば、宿命なのだろう。
かつて、ライナス・バルグはリーベンに語った。
『お前が聖石を選ぶのではない。聖石がお前を望んだのだ。なぜならお前の血を聖石が欲している。』
‘鉄翼鷹’の眼光がリーベンを射抜いた。
『‘義神腕’アダスタの血に連なる、お前の血をな