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小話「パナケアの矢 前編」

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小話「パナケアの矢」

「前に出るだと!? バカヤロウ、的にされてえのか!」
「いいえ、彼女の役割はおそらく僕たちの足止めです。わざと僕らが防御しやすい地形に追い込み、そのまま膠着状態に陥らせる。・・・彼女の目的は『僕たちを倒す』事ではなく『時間をかせぐ』事です。・・・強行突破します」
岩陰から僅かに身を乗り出し、相手の位置確認を終えたキールベインは、呼び止めたザックに向って振り返った。
朝から降り続いている山岳地方特有の豪雨のせいで、濡れた金髪が顔にはりついている。
「合図したら出ます。援護を・・」
「だったら・・・」
そのまま銃を岩陰から飛び出そうとするキールベインの神父服を、ザックの太い腕が押しとどめた。
すでにその両腕を拘束していた‘聖バロスの鎖’は外れている。
「そいつは俺の役目だぜ!」
ザックの巨体が、軽々と岩を飛び越す。
着地と同時に水飛沫が跳ね上げながら、両手用の大剣を片手で軽々と構えた。

「水は地に、地は石に、四界のは至高なる螺旋に基づき理を示せ」
マルガレーテは、まるで楽器を演奏するかのような軽やかな動きで、二連式錬成印を白手袋で覆った細い指先で描く。
駆け出そうとしたザックの動きが止まる。
「チッ!錬金術かよ!」
足首まで漬かったぬかるみが、鋼鉄のような硬度の岩盤に変わっていた。
同時に大剣を構えた腕を、蔓のように背後から延びた泥塊が絡まり、弾力を備えた縄のような質感に変わる。
「ザックさん!」
「罠だ!出てくるんじゃねえ!」
思わず岩陰から飛び出したキールベインに向って、ザックは首だけを動かして叫んだが、僅かに遅かった。
踏み込んだキールベインの足元に円形の錬成印が浮かび上がり、槍のように伸びた尖岩が、キールベインの左脹脛を貫く。
「‘後発式錬成印’・・・。上位錬金術の使い手・・・。」
「その通りよ。・・・あらかじめ、あなた達に動かれてもいい位置に、仕掛けて頂いてあるのよ。他にもまだまだあるから不用意に動かない事をお勧めするわ。先日御世話になったカノンは力押しが主体だったけれど、私は私のやり方で舞台に上がらせてもらうわ。・・・あら、悪さは良くないわよ、異端審問官?」
この場に不釣合いな白いブラウスと黒いタイトスカート姿のマルガレーテは、転倒しながらも銃口を向けたキールベインを咎めた。
再び‘槍’が伸びると、発砲音とともにキールベインの右腕から銃がこぼれた。
降り続く雨に混じり、傷口から流れた赤い血が泥まみれの足元に広がる。
「無駄よ、坊や。切り札である‘封印弾’をカノン相手に使ってしまったのが痛かったわね。頼みの‘飼い犬’も網の中でもがいている。・・・この状況で‘パナケアの矢’の‘千里眼’にかなうと思っているのかしら?」
「ちょっと持て!‘飼い犬’ってのは俺の事か!?」
ザックが両手、両足の自由を奪われたまま叫んだ。
右手に構えた大剣を振り下ろそうとするが、柔軟性を備えた‘泥の蔓’がそれを許さない。

「もうじき上流の水門が決壊する。そうすれば、この岩肌が剥き出しの斜面を、濁流が一気に放流され、麓のラジス村を滞在している騎士団ごと飲み込む。そして私たち‘パナケアの矢’は、水が放出されたヘネイル湖の湖底から‘アスタールの槍’を回収する。・・・全ては‘神父ハーン’の予定とおりよ。実に合理的でしょう?」
貴族の嫡男に語学を教える家庭教師のような上品な笑みを浮かべて、マルガレーテは語り続ける。
「‘悪魔化’したカノンを倒したのは褒めて挙げるけど、その‘運’もここまでのようね。この豪雨で水門の決壊もさらに早まるわ。そして、坊や達では、私は倒せない。・・・解るでしょう?神も、あなた達を見放したのよ。」
うつ伏せに倒れたキールベインは、ゆっくりと手を伸ばし、落とした銃を引き寄せた。
「無様ね。でも結果は変わらないわ。・・・いくら足掻いたところで、神の加護は存在しない。命をかけたところで、誰一人救えない。なぜなら・・・」
降り続ける雨を受け止めるように、マルガレーテはその美貌を暗雲立ち込める空へと向けた。
「‘神’など最初から存在しないのだから・・・」
マルガレーテの上品な笑みの裏側から投げられた嘲笑を、キールベインの瞳が静かに受け止めた。
その瞳が、マルガレーテの脳裏を僅かに刺激する。
「例えあなたの語っている事が真実でも・・・。例え、神の加護が存在しなくても・・・。」
泥にまみれた体で立ち上がりながら、手にした銃の弾層から薬莢を排出すると、予備弾丸を込める。
「それでも僕は前に進む!仲間と共に!」
キールベインが立て続けに放った弾丸は、ザックの両腕を捉えていた‘蔓’を吹き飛ばした。
「誰が仲間だ。俺は‘罪人’で、お前は‘異端審問官’だろうがよ」
苦笑とも吐き捨てともとれる呟きと共に、ザックは大剣を足元の‘鋼の泥濘’に振り下ろした。
「だがよ。クレスリーのおっさんから火酒をもらう約束がまだ果たされていねえ。・・・‘アスタールの槍’とやらはどうでもいいが、麓の村を巻き込むのはいただけねえな。」
ゆっくりと両肩を交互に回しながら、ザックはその巨体をキールベインの隣まで進める。
「動けますか?」
「その傷で何言ってやがる。それは、こっちのセリフだ。・・・今度はこちらの番だぜ、‘錬金術師の姉ちゃんよ!」
勢い良く跳躍するザックを援護するように、キールベインが深手を負った右腕で銃を構え、聖句を紡ぐ
「‘我が敵に、救いのあらん事を’!」

先程から気になっていたものが、記憶の残骸に引っかかった。
―そうか、目の前にいる審問官は、‘アイツ’に似ているんだ。
戦いの中、マルガレーテは十二年前の亡霊の事を思い出していた。

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