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小話「ネトフェレウス奇譚」

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匿名ユーザー

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小話「ネトフィリス奇談」 

戦場に行かれた経験はおありですか? 
・・・ははっ、失礼。 
貴方様のような若さでは、そもそも‘戦争’と呼べるような騒乱は経験されていませんな。 
では、日常の中で、「死ね」とか「殺してやる」と言われた経験は? 
・・・無い。それは少々不都合がありますな。 
では、誰かに侮辱された際に、「死ね」とか「殺してやる」とか思った経験は? 
・・・ある。大いに結構でございます。 
不自然な事ではありません。 
まことに人間らしい感情です。 
まあ、実際はですね。 
日常の中では「死ね」とか「殺してやる」とかをいくら抱いた所で、所詮一時的な感情な訳ですよ。 
実際に相手を殺す人間はほとんどいません。 
よしんば殺したとしても、まあ発作的と言いましょうか、衝動的と言いましょうか、大抵の人間は後で後悔したり、罪の意識に悩まされたりする訳ですな。 

ところがです。 
戦場では何の恨みもない相手が、「殺す」という明確にして強固な意思の元襲ってくるのです。 
高貴なる騎士様の事は存じませぬが、八割を占める徴兵された歩兵にすればたまったものではありません。 
何しろ歩兵の大部分は、僅かな訓練期間で長槍と剣の使い方を教わっただけの農民なのですから。 
相手を怒らせた訳でもない。 
蔑んだ訳でもない。 
殺される理由は何もない。 
それでも戦場では関係ない。 
敵さんも「自分が生き残る」事が最優先事項ですからな。 
他人の、ましてや敵兵の命など知ったことではないのです。 
もちろん、こちらも生き残るためには相手を叩き殺す。 
平等と言えば、これほど平等な場所はございませんな。


ある学者先生によればですね。 
戦場から戻った人間の99%は、なんらかの後遺症に悩まされるそうです。 
悪夢。 
不眠。 
酒量の増加。 
粗暴な行動。 
虚言・妄言。 
自信の喪失。 
自殺癖。 
後遺症は様々ですが、理由は簡単です。 
戦場に晒された事で、精神が壊れてしまうのですな。 
・・・残りの1%はなぜ壊れないのか? 
ハハッ、当然の疑問ですな。 
こちらも理由は簡単です。 
戦場に出る前から、精神が壊れているからですよ。 
端的にいいますと、人を殺す事を何とも思っていない人間です。 
「殺してやる」と思ったら、本当に実行できる人間。 
こういう‘壊れている’人材は、戦場では貴重です。 
何しろ優秀な戦士になりますからな。 
一方、‘壊れている’人間にとっても戦場は貴重です。 
殺せば殺すほど、報奨金は溜まり、勲章は増え、運がよければ爵位まで与えられる。 
ですが、こういった人間は戦場から外れれば、社会のクズです。 
戦時中の略奪行為や陵辱行為を元同僚から密告されて財産没収の上処刑されたり、 
放っておいても、酒・賭博・娼館で報奨金を使いきり、体を壊してしんでいったりします。 
惨めなものです。 
例えるなら、彼らは蝉ですな。 
蝉は夏にしか生きられない。 
戦場という夏を知ってしまった蝉は、地中から抜け出し蛹から成虫へと脱皮した。 
しかし、成虫となってしまった以上、日常という冬が訪れたら死ぬしかないのです。


 

・・・ああ、またあの夢だ。 
‘灰色の夢’だ。 
うろたえるな。 
何度も見ている夢じゃないか。 
三年前の腐った記憶が見せる黴のような夢だ。 
落ち着け。 
たかが夢なのだから、起きてしまえばいい。 
そうさ、たかが夢だ。 
起きてしまえば、ただの滓だ。 
だが、無駄だと分かっている。 
無駄だと知っている。 
この夢は、あの場所に行き着くまで、目覚めることを許してくれない。 


舞台は平原にして戦場。 
焼けた大地。 
焼けた死体。 
砕けた岩。 
砕けた死体。 
そして生き延びた傭兵達。 
三十数人の生存兵の一人が、俺だった。 
若造の身で、一端の口を叩き、鎖帷子と銃剣で一人前の傭兵気取り。 
戦の終わりと同時に、腰袋から安煙草を取り出し、煙を揺らす。 
親子ほど年の離れた傭兵から、自分の生存を確認する儀式だと教わり、律儀に実行しているのだ。 
そう、戦は終わったはずだった。 
俺たち傭兵隊が対峙していた、‘竜’が倒れた時に。 

体長は灰色熊の7~8倍。 
機敏性は雪狼を上回り、竜爪の一振りで重装歩兵の隊列を、盾ごと鉄屑に変える。 
全身は特殊鍛鉄‘竜鱗’で覆われ、通常の刀剣・銃弾で傷つける事は不可能。 
それが、俺たちが相手にしていた‘竜’だった。 
現代では製造法が失われた‘黄昏の時代’の超兵器。 
法王庁に牙を向けうる‘異端’。 
たかが、傭兵隊風情に勝ち目は無かった。 
だが、俺たちは戦った。 
前列が殴殺されれば、誰かが飛び込み槍襖を再構成する。 
後列が‘竜炎’で焼け死ねば、誰かが下がり銃列を組みなおす。 
全滅を意識しながらも、どこかに転がっている勝利の機会の為に戦い続ける。 
それが、戦争の犬と呼ばれる俺たちの、傭兵の唯一の正義だ。 
少なくても、当時の俺は本気でそう信じていた。 
そう誇っていた。 
・・・恥ずかしい話だ。


いつの間にか、そいつは立っていた。 
俺の夢では、いつも虚空から現れ、‘竜’の前に対峙している。 
多分、三年前の俺が、その男がいつ現れたか認識出来なかったから、こういう登場の仕方をするのだろう。 
黒い服。 
赤く光る棒。 
首から提げた銀の聖印。 
・・・異端審問官だ。 

異端審問官が、跳ぶ。 
‘竜’が吼える。 
俺の記憶は更に曖昧になる。 
気がつくと、最強である‘竜’が倒れていた。 
・・・ここまででいい。 
覚めろよ。 
夢なんだから、覚めろ。 
この先は見たくない。 
だが、いつもの通り‘灰色の夢’は続く。


それは、非現実的な光景だった。 
俺たち76人からなる傭兵隊を蹂躙していた‘竜’を、たった一人の人間が圧倒する。 
炎を掻い潜り、 
爪撃をかわし、 
巨体の懐に滑り込む。 
手にした赤棒を竜鱗の隙間に捻じ込み、梃子を効かせて弾き飛ばす。 
子牛の頭ほどある竜鱗が弾け飛び、後方で阿呆のように佇んでいた俺たちの目の前に落ちた。 
鱗の内側には、人工筋肉と黒い潤滑油がこびり付いている。 
異端審問官は、身をよじる‘竜’を相手に巧みに間合いを詰め、立て続けに鱗をめくり続けた。 
‘竜’の下腹の鱗を抉ると、今度は人工筋肉を抉り出す。 
まるで‘竜’の解体だ。 
轟音と共に暴れる‘竜’から噴出す潤滑油が、異端審問官の全身を染める。 
だが、異端審問官は意に介さない。 
やがて、俺は気づいた。 
異端審問官が歌っている事に。 
「・・・御心の、・・・主は籾を撒き、・・・永久(とこしえ)帰らん・・・」 
子供の頃、教会通いをした経験がある人間なら誰もが知っている賛美歌だ。 
『望人(もろびと)来(こ)ぞりて』 
荒れた地に信仰が宿る喜びを歌った賛美歌だ。 
異端審問官は歌い、そして哂(わら)いながら、解体を続けていた。 

俺は喉の奥からこみ上げてくる感覚に耐えながら、その非現実的な光景を見つめていた。 
そこそこの戦場での経験があり、ヤバイ人間を見てきたが、目の前の異端審問官は異常だった。 
度し難い狂気を感じる。 
あるいは、これが真の信仰というやつなのか。 
銃剣の引き金に伸びようとする指を、俺は必死に押さえる。 
この空間からすぐさま離脱したい。 
共有する時間を破壊したい。 
傭兵とは最も無縁のはずの恐怖が、俺の全身を覆っていた。 

指を抑えていたのは、恐怖から来る自制心だ。 
あの、異端審問官に敵意を見せれば、確実に殺される。 
隣に立つ同僚も全身を震わせていた。 
大きすぎる恐怖心は、やがて大きな恐慌となった。 

-ガチャリ。 

誰かが撃鉄を起こす音が、やけに大きく響いた。 

「やめろ!」 

俺は叫んだが、直後に銃声が哂い続ける異端審問官に向け、放たれた。


銃声が響いた直後、俺達は誰一人動くことが出来なかった。 
唄いながら‘解体’を続ける異端審問官が、自身に放たれた鉛玉を‘竜’から引き摺り出したあるもので受けたからだ。 
―人間の体。 

‘竜’が‘竜騎士’と呼ばれる搭乗者によって稼動する、とは知識としては聞いた事はあった。 
頑健強固な‘竜’の装甲の内側で、‘竜珠’と意識を同調させ‘竜’を駆る戦場の切り札、すなわち最強の騎士。 
だが、この時俺が初めて見た‘竜騎士’は、そんな華麗な武勇譚とは程遠く、母体から引き摺り出された胎児のように、外界を恐れ震えている少年だった。 
異端審問官は、その細腕にどれ程の力があるのか、弱弱しい抵抗を続ける‘竜騎士’の少年の頭部を掴み、眼前にかざす。 
傭兵の一人が恐怖に耐えかねて撃った弾丸が少年の体を貫くと、大きく体を震わせそして動かなくなった。 

「望人(もろびと)来ぞりて、今こそ讃えん!」 
異端審問官は満面の笑みで賛美歌の最終節を歌い終えた。 

美醜を超越したその光景に、俺達を結んでいた忍耐は崩壊した。 
次々に銃剣の撃鉄を起し、構える。 

「やめろ!やめるんだ!」 
必死に俺は叫ぶが、それを合図に次々と銃声が響く。


傭兵達が構えた銃口から放たれた弾丸は、異端審問官唯一人に向かう。 
異端審問官は、痙攣を繰り返す‘竜騎士’体を盾にする。 
飛び散った肉片と血煙が黒衣を濡らしたが、本人は気にした様子はない。 
直後に第二射。 
今度は、盾として用を足さなくなった竜騎士を投げ捨てると、右手に握った赤い棒を旋回させる。 
不規則に放たれた弾丸の洗礼を、やはり不規則な棒撃で容易く叩き落とす。 
・・・改めて言うが、化け物だ。 
とんでもない化け物だ。 
相変わらず、何か賛美歌を口ずさんでいるようだが、今度は俺の知らない歌だった。 
やがて銃撃の雨も小休止となう。 
傭兵達が銃弾を撃ちつくし、慌てて再装填を試みている事に気づくと、異端審問官はその白顔を歪めた。 
何が気に入らなかったのか、失望と怒りを顕にする。 
俺の背筋が凍り、内臓が締め付けられる。 
危険だ。 
全身の全てが危険だと喚いていた。


そこから先はただ、ただ地獄だった。 
異端審問官により、俺たち傭兵部隊は壊滅した。 
‘竜’に追い詰められていた俺達、その‘竜’を解体した異端審問官。 
戦力比はどれほどかは、子供でも分かる。 
戦闘にもならない、一方的な虐殺だった。 
唯一つ分かった事がある。 
異端審問官が手にしていた赤い棒は、熱せられた鉄棒だった。 
祝福武器(アーティファクト)と呼ばれる遺失技術の産物らしく、異端審問官の意思により放熱量を自在に調整され、哀れな犠牲者を叩き、突き、そして焼いた。 
俺が知っているのはそこまでだ。 

運良く、俺は生き延びた。 
倒れた仲間の下敷きとなり、頭部を地面に強打した事で意識を失い、それが逆に俺の命を救った。 
俺を上で死んでいる傭兵は、事ある毎にイカサマ博打で俺から報奨金を巻き上げ、ただ酒を飲み、俺をひよっこ呼ばわりしていたが、最後の最後で俺を助けてくれた。 
それが、偶然か、任意かは分からない。 
死に顔から推測しようにも、そいつの頭部は焼き切られていた。 
・・・だから足でまといなんだよ、ひよっこが。 
いつもの悪態が聞こえた気がする。 
寡黙な戦旗長も、‘雷鳴’と呼ばれた団長も、既に死体となっている。 
畜生、畜生、畜生。 

動悸が激しくなる。 
脂汗が止まらない。 
‘灰色の夢’の結末はいつも同じだ。 
『幸運にも唯一人生き延びた』事に対する罪悪感。 
失ってから気づいた傭兵団への『仲間意識』。 
無性にやりきれなくなって、俺の意識は遠のく。

 

他人からは「几帳面」と言われる事がある。0 
もっと悪い言い方だと「気が小さい」「煩わしいヤツ」「タマ縮み野郎」。 
俺のタマが縮んでいるとか小さいだとかは別にして、周囲からどう言われようが『こだわり』を持つことは大切だ。俺はそう思っている。 
銃と機転を売りにする便利屋という職業を三年に渡り続けるにつれ、その思いは更に強くなった。 

傭兵時代は実力以上に必要なものは『運』だと思っていたが、少しの『こだわり』があれば、『運』の不足を補える。 
具体的な話をしよう。 
俺が仕事の前のこだわりは、三つある。 
短時間の睡眠。 
少しの食事。 
そして、道具の手入れ。 
三十分単位の睡眠により、緊張感を解し、現場で柔軟な対応をする。 
胃に負担を掛けない程度の食事で、長時間の労働に備える。 
そして、商売道具でもあり命を預ける相棒でもある銃と五本のナイフと、予備弾丸の手入れ確認。 
さらに細かい話をするならば、仕事の際のシャツは長袖に袖口にボタンが付いているもの、ブーツの靴穴は一番上の穴を2本目の靴紐で縛ると決めている。 
予備弾丸とナイフを袖口の裏地とブーツの内側に隠すと、取り出しを行う際に、袖口のボタンと一番上の靴穴が僅かに影響する。 
その僅かな差で命を長らえた経験が三度、ある。 
『こだわり』は、自分に責任を理解させるための記号であり、もっと気取った言い方をすれば、自分の仕事に意味をもたせる美学だ。


とカッコつけてみてが、今の俺の現状はどうにも締まらないものだった。 
間借りしている倉庫の門部屋で仮眠をとれば、例の『灰色の夢』に邪魔をされ、銃の手入れをしながら食べている乾燥チーズは味が濃く、食べ続けるならば胃もたれを覚悟しなければならない。 
挙句、右ブーツの靴紐が切れており、出発までの三十分で代用品を探さなければならない。 
間抜けな話だが、三つの『こだわり』が全てつまずいている。 
何とも俺らしい話だ。 

元々、今回の仕事を請けた時点でこだわりは捨てていた。 
俺が三年間住み着いている地方都市ベルウィードは、第九教区の中心的な商業都市であったが、中心的産業を担っていた紡績会社が相次いで倒産し大工場を閉鎖、街には失業者が溢れている。 
今まで利権をむさぼっていたベルウィード官僚に対する報復とばかりに中央からの再生支援も無く、失業者は職探しから犯罪行為へと手を染め、それを束ねる非合法組織も介入し、街の治安は悪化の一途を辿っている。 
ここまではいい。 
そういった組織間の縄張りの話し合いに立ち会ったり、組織のルールを逸脱した人間を探し出したりするのが、便利屋である俺の仕事も主なないようだ。 
治安悪化大いに結構、飯の種が増える。 
ここで仕事を請ける際のこだわりは一つ。 
この話を通した結果、誰が得をするのか。 
それだけだ。年々複雑になる組織間の縄張り争いにおいて、これさえ見誤らなければ、組織に使い捨てられずに自分の立ち位置を築き、話の落とし所の設定も可能だ。 
ところが、今回の仕事はそれが見えていない。


俺は仕事を依頼してきた密売ギルド幹部との会話を反芻する。 
仕事内容は人探し。 
ここ3日以内にベルウィードに入ってきた女で、年齢は20代半ば、薄い茶髪で高度な接近戦スキルを持っている。 
『俺に頼むより、あんたの部下達を使ったほうが、速いし安上がりだぜ?』 
『もう使った。見つけはしたが、五人が叩きのめされ使い物にならない。俺の部下共には手に余る。あんたの手を借りたい』 
『はは、気の強い女は嫌いじゃないぜ。で、その女を捜す理由は?新しい愛人か?それとも隠し子か?』 
俺の軽口には反応せず、その幹部は真顔で答えた。 
『その女は、ネトフィリスの秘薬の製造方法を知っている』 
『・・・』 
俺は口を噤んだ。 
ネトフィリスの秘薬。 
黄昏の時代の王族達が使っていたと言われる幻の薬。 
不老不死の霊薬だとか、あらゆる病を癒す万能薬(エリクサー)とも言われているが、実在しないからこそ出た噂なのだろう。 
存在しない風呂敷はいくらでも広げられる。 
今時転職したての詐欺師が年寄り貴族に持ちかける話でも、ネトフィリスの秘薬なんて話は出てこない。 
『そんな顔するな。知りたければもう少し詳しい話を聞かせてやる。・・・ただし、その時は仕事を請けると返事したと判断させてもらう』 
『折角もらった話だ。仕事は請けるよ。・・・詳しい話は気が向いた時にでも聞かせてもらうさ』 
その後、報酬と期日の話をして分かれた。 
正直、気に入らない話であったが、たまには背後関係など関係なく、言われた事をただ実行する仕事を請けてもいいと判断したからだ。 
この先、この街の組織が成長を続ければ、そういう判断をしなければならない時が出てくる。 
今回はその予行練習だ。 
『こだわり』は美学、ただし美学では飯は食えない。


と言う訳で、出だしから美学の‘び’の字もあったものではない。 
睡眠につまづき、食事に失敗し、靴紐が切れていたところで、気にしても仕方がない。 
俺はそう納得させると、手入れの終わった銃をホルスターに収め上着を羽織り、テーブルの上の食べ残しの乾燥チーズを紙袋に放りこむ。 
そして、立ち上がると一度背伸びをし、半開きになっていたドアに近づいた。 
「ほらよ」 
ドアから突き出された紙袋に、覗いていた子供が驚き、俺を見上げる。 
歳の頃は十代前半、薄汚れた服と煤けた顔をしているが、黄色いリボンで肩まで伸びた髪を束ねているところを見ると、女の子なのだろう。 
紡績会社の倒産による工場の閉鎖以来、ベルウィードにはこの手の少年少女が大量に溢れている。 
地方から働きに出て、親元に帰る術もなく、あるいは帰っても厄介者扱いされる、行き場のない連中だ。 
先のない路上生活は、純朴な少年達を徒党を組むギャング予備軍に転向させる。 
そして大きな犯罪組織の末端に編入されるのだ。 
目の前のガキが、そういった‘プロ’の構成員であり、俺を見張る命令を受けている可能性も、ない訳ではなかった。 
だから早めに追い払う。「 
食べ残しで悪いが、ウチにはこんなものしかないからな。もっといいもんを恵んで欲しければ中央区、寝床が欲しければ倉庫街にでもいくんだな」 
驚いた表情のまま固まっているガキに俺は無理やり紙袋を手渡す。 
これで帰れば‘素人’の子供、戻ってくれば‘プロ’の子供だ。 
「言っておくが、二度目はないからな」 
そういい残すと俺は扉を閉じる。 
素人ならば、二度目はエセ慈善はない。 
プロならば、二度目は容赦しない。 

懐中時計を確認すると、仕事の時間が迫っている。 
壁から掛けたコートを羽織け、扉を開けた俺の視界の端に鮮やかな黄色いリボンが飛び込んできた。 
四つ折に畳んで、扉の前においてあるリボンを前にして俺は苦笑を浮かべる。 
「礼のつもりかよ」 
無視して通りすぎようとしたが、ふと思いつき足を止めた。 
リボンを細く捻ると、右ブーツの靴穴に通し、縛る。違和感はない。 
最後の最後で、締まらない『こだわり』に歯止めが掛かったようだ。 
俺は黄色い靴紐に満足すると、足早に仕事に向かった。

 

ベルウィードの夜は明るい。 
街の主要通りには、紡績会社が好景気であった頃、10年単位で契約したクリューガー光術協会製のガス灯が設置しており、青白い光が夜の闇を払っている。 
紡績会社が相次いで倒産し、治安と景気が悪化の一途を辿るベルウィードに契約に基づきガスを供給し続ける光術協会の勤勉さには頭が下がるが、ガス灯の清掃までは委託されていないらしく、煤で汚れたガス灯は数年前より弱い光を放っていた。 
闇は払うが、決して信頼の置けない明るさ。 
その女に出会ったのは、そんなガス灯が照らすベルウィード北区凱旋通りだった。 

後ろ姿であったが、一目で捜索を依頼された女だと分かった。 
幹部から聞いた特徴と一致する。 
―年齢は20代半ば、薄い茶髪で高度な接近戦技術を持ち、組織の下っ端五人を既に再起不能に追い込んでいる。 
決して小さくはない旅袋を背負いながらも歩く姿は、体幹のブレが全くなく、見とれる程綺麗な姿勢を保っている。 
つまりは完璧な重心移動、間合いを詰めるのが得意である事を示している。 
加えて足早にして女にしてはやや大股な歩行は、直情的な性格をうかがい知ることが出来る。 
野暮ったい厚手の麻ズボンと、肩当の入った皮製のジャケットを着ているが、その後姿は二重の意味で俺を楽しませるのに十分だった。 
これで正面からも楽しめれば文句はない。 
と、思っていたら女が振り向いた。 

「一つ、言っておく」 
やや高い、だが決して耳障りではないよく響く声だ。 
「私から何かを聞きだそうとするのは時間の無駄、どこかへ連れて行こうというのは時間と労力の無駄だ。この街に着てから付回されるのはこれで三度目だから、先に警告しておく」 
振り向いた女は思っていたより、平凡な顔だった。 
『キツめの美人』を想像していた俺はやや拍子が抜ける。 
凡庸とまでは言わないが、『器量良し』の範囲に入る顔立ち。 
だが、強い意志を込めた視線がまっすぐに俺を射抜いていた。


「偉そうに、警告だと?まあいい、特別に聞いてやるよ」 
鼻に抜けるような呼吸と共に、相手を小馬鹿にした声を出す。 
女の苛立ちは強い口調と視線から十分に伝わって来た。 
何に苛立っているのかは現時点では不明だが、平常心を最初から乱しているようでは、付け入る隙はいくらでもある。 
戦力差を埋めるには十分な程に。 
 
「この街に入ってから付回されるのは三度目だ。今、引き返せば怪我はしない。これ以上付回すなら骨の一本は覚悟してもらう」 
女の言葉に耳を傾けながらも、俺は胸ポケットから煙草を取り出し、加える。 
「ついでに、雇い主と仲間にも伝えなさい。これ以上、私に関わると怪我人だけではすまない、と」 
女の口調が強まる。 
苛立ちを募らせているのだろう。 
いい傾向だ。 
こうして、正面から対峙していると更に実感できるが、この女は強い。 
俺から、相手の間合いに入り込む隙が見当たらない。 
女は相当感情を高ぶらせているにも関わらずだ。 
この女は強い。 
おそらく、俺よりも。 
とは言え、この女を依頼主の前に引っ張っていくのが俺の仕事だ。 
出来ません、では話にならない。 
そのためには更に感情を高ぶらせ、俺のペースに引き込まなければならない。 
相手は直情の人間だ。 
今の‘警告’も、本来痛めつけてからしたほうが、よっぽど効果が望める。 
つまりは、余裕を持っている。 
‘格下’相手に実力行使にでるのも大人げないと思っている。 
ならば、挑発の方向性も決まっている。 

「あんたの話はつまらないな」 
煙草をくわえながら俺は半歩後退し、右手をマッチを取り出すかのようにさりげなくジャケットのポケットに入れた。 
「場末の商売女の枕語りのほうが、よっぽど面白いぜ」


女の動きは早かった。 
俺の一言を合図に無言で動き出し、一瞬で俺に肉薄する。 
便利屋稼業の三年間、さらには傭兵時代も含めて、ここまで早く動く相手は数える程しかいなかった。 
相手が実力行使に出る事も前提にした挑発だったが、相手の動きは俺の予想を更に超えた速さだった。 
さらに驚く事は、女は背負い袋を捨てていない。 
荷物を持ったまま、この速度を出している。 

「ざけんな!」 
ジャケットから拳銃を握った右手を取り出すと、牽制のため二発打ち、後退する。 
接近されては勝ち目はない。 
裏を返せば、距離を保ったまま、地の利を制すれば勝ち目はある。 
路地裏に一歩踏み込めば、ガス灯の明かりは届かない。 
さらに路地を進めば、道幅は大幅に狭まり、足元には廃材やゴミが散乱している。 
後退する俺を追いかけてくれば、必然的に俺の射線上に身を晒すことになる。


だが。 
拳銃から放たれた銃弾を、女は避ける。 
薄い茶髪の脇を鉛弾が掠め、避けながらも前傾姿勢を取り、跳んだ。 
「ちっ!」 
後退した距離を一瞬にして詰められた。 
歩数にして五歩。 
さらに後退するか、接近戦に切り替えるか、判断を迫られる。 
「クソがっ!」 
俺は後者を選択した。 
後退するには、リスクが大きい。 
一方、女は跳躍後の着地の姿勢から、バランスを戻しきれていない。 
体勢を整える間の一瞬に、俺は賭けることにした。 
自分から二歩前進し、拳銃を捨てると、袖口に仕込んだナイフを握る。 

「・・・消極策ね」 
女は俺のナイフを鼻先でかわすと、呟いた。 
畜生。 
その通りだ。 
俺なりの絶妙の一穿で切りつけたはずのナイフが避けられ、俺は自分のミスを自覚する。 
無理してでも距離をとるべきだった。 
接近戦では差がありすぎる。 
「警告はしたわよね?」 
やけに余裕のある女の声が耳元に迫った。 
その声からは、先ほどまでの苛立ちは感じられない。 
信じられないことだが、戦うことで冷静になってやがる。 
「骨の一本は覚悟してもらうわ」 
「やるかよ!」 
眼前に迫った女に、左袖から抜いたナイフを下段から振るう。 
死角からの奇襲、のはずだった。 
ナイフはむなしく空を切った。 
懐に入りかけていた女は、寸前で地に伏せ両手を軸に体を回転させていた。 
女の踵が、俺の踝を打つ。 
両足を刈り取られる形で俺の体が浮遊感に包まれる。 
やばい。 
全身の毛穴が開くのと同時に、女の掌が俺の顔面を掴む。 
そのまま加速をつけられ、路上に叩きつけられた。 
半身を捻ることで、辛うじて受身を取る事で後頭部からの落下は避けられた。 
代わりに背中を強打し、呼吸が止まる。 
背中からの痺れが全身の動きを麻痺させる。 
何が骨の一本だ。 
下手すりゃ今のは即死だぜ。


「・・・まだ続ける?」 
うるせえ。 
女が俺の足元に近づき、見下ろす。 
だが、そこには俺の手から離れたナイフが転がっている。 
「・・・せっ!」 
続けるぜ、と言ったつもりだが声にならなかった。 
代わりに体は動いてくれた。 
鉤状になった俺のブーツの先端が、ナイフの柄を絡みとり、女の左胸に向かって蹴り上げられる。 
上出来だ。 
「がっ!!」 
と思った瞬間、女の右足が俺の腹に叩きこまれた。 
今度こそ、呼吸が止まり、意識が暗転する。 
気を失う瞬間、俺のナイフが掠った女の上着から、銀の聖印が毀れるのを認識することが出来た。 
・・・なるほど、道理で。 
強い訳だ。 

銀の聖印は‘異端審問印’ 
つまり、この女は・・・。 

『異端審問官』


目が覚めると、恐ろしく汚いベットの上だった。 
首が動くことを確認するついでに、室内を見回すと汚れた壁と崩れかけた天井、俺の部屋でもここに比べればまだきれいと呼べそうだ。 
上体を起こす。 
腹と右肩から背中にかけて痛みが走る。 
が、動けないほどではない。 
痛みの種類が鈍く響くことから判断すると、骨に異常はなく打撲からくるものか。 

「気がついたようね」 
俺の聞きたくなかった声がした。 
とっさに銃を抜こうとして、上着を脱がされていた事に気づく。 
さらにはシャツのボタンもはずされ、腹と右肩に薬草香の染み込んだタオルが当てられていた。 
銃は、ご丁寧に6本のナイフと共に枕元に並べられている。 
ブーツも脱がされ、ベットの下に置かれていた。 
「・・・そう身構えないで欲しいわ。あなたに危害を加えるつもりはありません」 
女が、部屋の奥の椅子から立ち上がり、近づいてきた。 
「まずは謝罪させてください。あなたを敵だと思い込んでいたので、手荒な手段にでてしまいました」 
「・・・」 
近づいて来た女の表情には心底すまなそうな表情が浮かんでいたが、俺には関係の無いことだった。 
「不愉快なのは重々承知ですが、何かしゃべってくれませんか?これではこっちが脅しているようで、話難いです」 
圧倒的に叩きのめして、勝手に手当てをして、謝罪して、おまけに会話しろだと? 
全く、これだから直情女は・・。 
「謝罪の意思があるなら、俺と一緒について来てくれ。あんたのぶっとい首には、金貨で三百枚の賞金がかけられている。 
5年は遊んで暮らせる金が入るなら、あんたの謝罪が誠意あるものだと受け入れるさ」 
「申し訳ないが、それは出来ない」 
だろうさ。 
「私にはやるなければならない事があります。それまでは、どんな相手だろうと捕まる訳にはいかないのです」 
ああ、そうですか、としか言いようがない。 
どの道今回の仕事は失敗だ。 
力ずく、という選択肢は現状の無残な結果を晒している。 
口車で絡めとる、という選択肢が残されていない訳ではないが、この女が異端審問官である以上、俺は関わるつもりは無かった。 
あとは依頼主に、失敗した、と間抜けな報告をすれば、失うのは信用といくばくかの金だけで済む。


「一緒に来れないなら、話は終わりだ。・・・もう、帰っていいか?」 
「私はこの街で人を探しています。早く見つけ出さなければ、その人に危害が及びます」 
ベットに腰をかけ、上着に手をとった俺に、女が一方的に話しかけた。 
「ところが、私はこの町では賞金がかけられているようです。どうにも動き難く、この街の構造は複雑で人も多い」 
「それが俺になんの関係がある?」 
「私が探しているのは、あなたも知っている人です」 
「はん?」 
なんだそりゃ。 
「メルフィーナ・フォン・リュッケルト。第十教区、リュッケルト公家のご息女だ」 
「知らないな」 
とぼけている訳でも、カマをかけている訳でもない。 
本当に知らない名だ。 
大体ミドルネームを持つような貴族に知り合いなんぞいない。 
無視してブーツを履こうとして、気がついた。 
靴紐がない。 
出かける前に入手したばかりの‘黄色い靴紐’が。 

「そして・・・」 
俺の僅かな態度の変化に追い討ちをかけるように、女は言った。 
「リュッケルト家に代々伝わるA級アーティファクト‘レニスの対布’の継承者でもあるのです」 
女が右手を広げて見せたのは、丁寧に折りたたまれた黄色いリボン。 
仕事前にガキが残していった‘靴紐’だった。

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