生死のやり取りは、いくつも越えてきた。
絶望的な状況でも、決してあきらめなかった。
その二つが、オルティアの自信だった。
‘錬金術士’‘魔女’‘半悪魔’‘古代種’
人知を超えた力を持つ相手にし、
我が身を‘異形’に変えても、我が身を傷つけても、オルティアは戦った。戦えた。
ある時は、姉・セフィリアの為に。
ある時は、自分自身の為に。
そしてある時は、‘仲間’の為に。
―だが。
今度ばかりは、心が悲鳴を上げていた。
初めての感覚。
無限に続くかと思う作業。
砂の山を登るかのような、不確かな達成感。
そしてなにより、沈黙に支配される孤独。
―無理だ。
限界だ。
「無理だ・・・」
弱音が口から出た。
出てしまった。
一度崩れた堤防は、もう止められない。
心の堰を切って、溜まっていた鬱憤が噴出する。
「無理だ!絶っっっ対、終わらない!前期試験は明日なのに!」
机の上に積み上げた教本の山に顔を突っ伏し、オルティアは叫んだ。
オルティアが、聖クレマ・グノーブル学院に入学してから二ヶ月が過ぎていた。
二年または三年の期間で一般教養の他、薬草学、地政学、会計、そして武術を教える。
何人かの有力者が共同出資で運営する登記上の‘私塾’だが、年々入学希望者は増えている。
各教区の衛兵隊に入隊を希望する平民出身の若者がほとんどであったが、辺境の‘騎士団’の身分制限撤廃が相次ぐ中、卒業生の進路は広がりつつある。
‘サルード蜂起事件’解決後、学院の出資者の一人だというベルン審問官に進められ、オルティアは入学した。
常日頃から色々と便宜を図ってくれるベルンの強い勧めを断るのも悪い気がしたし、
聖都に留まり店を開く準備をしているセフィリア手伝うには、ある程度の学力をつけて置きたいと感じたからだ。
だが。
聖都を駆ける夕方の風が、机の上に広げた教本をめくろうとする。
書き写していたノートから手を離し、本に付箋を挟もうとして気がついた。
まだ、試験範囲の半分も終わっていない。
第一期試験は明日だというのに、このペースでは明らかに終わらない。
とにかく終わらない。
自習室の時計は六時を回っており、閉館まであと一時間しかないが、教本の山は一向に減らない。
明日の試験科目は三科目。
薬草学。
天暦学。
会計簿記。
薬草学。
解熱、解毒、止血、咳止め等、効能別に効く代表的な薬草の採取場所、精製方法、保存方法。
衛兵隊・騎士団にとっては必須といえるだろう。
これはいい。
オルティアが‘魔獣’となる以前に暮らしていた村では、薬は薬草を山に採りに行くのが当たり前だった。
他の生徒よりもアドバンテージがあるかもしれない。
天暦学。
星の位置から‘暦(こよみ)’を判断して、日の出日の入りの時間、天候・気温変化を予想する。
野外活動を行う場合は、これらを把握する事が基礎の基礎だ。
これは厳しい。
基礎となる‘十二天暦表’の理解さえ怪しい。
文章で出る問題に、筆記で回答するとなると苦戦は確実だ。
会計簿記。
仕入から支出までの流れを帳票により管理する。
かつて、財務管理が出来なかった為、破産した騎士団は数知れず。
基礎以前の、根幹と言っても良いだろう。
これが駄目だ。
非常に駄目だ。
授業を聞いていても理解出来ない。
教本を読んでも理解出来ない。
そもそも、村の小学校時代から算数は苦手だった。
学生がこんなに大変だったとは、思いもよらなかった。
「・・・‘猟犬’やってたほうが、気が楽だったわ」
その時、数人の生徒達がどやどやと自習室に入ってきた。
十代前半から後半の若者達だ。
「お疲れ様。補習訓練終わったの?」
オルティアが尋ねる。
みんなオルティアと同期の生徒達だ。
「おい、オルティア。今日こそ言わせて貰う」
先頭に立つ、髪を短く刈り上げた若者がオルティアの鼻先にびしっと指を突きつけた。
広い額に包帯が巻かれている。
「‘アレ’をなんとかしろ」
「‘アレ’?」
オルティアは首を傾げる。
心当たりがない。
「そうだよ。‘アレ’だよ」
刈上げの若者の後ろにいた長髪の青年が続いた。
精細な顔立ちで美形といってもいいが、鼻に鼻血止めの布が詰められている。
「‘アレ’は手加減って言葉しらないだろ。
というか、僕たちを殺す気だろ」
長髪の青年が情けない声で抗議をした。
ようやくオルティアは、‘アレ’の正体が思い当たった。
「‘アレ’って、アムンゼンのこと?」
オルティアの質問に、生徒達は過剰に反応した。
「その名を言うな!」
「聞きたくない!
「‘アレ’で十分だ!」
「‘アレ’と呼べ」
オルティアがクレマ・グノーブル学院に入学すると同時に、アムンゼンもベルンに推薦されていた。
ただし、生徒ではなく、‘体術’の講師として。
授業を行えは刑期が減り給与も出すという、‘罪人’であるアムンゼンにとっては破格の条件だが、
いまひとつ本人は乗り気ではないらしく、‘体術’の授業は生徒達には評判がすこぶる悪い。
「‘アレ’の授業は実戦訓練じゃないし。実戦だし」
茶色い髪を両サイドで結わった少女が唇を尖らせる。
そばかすの浮いた頬が真っ赤に膨らむ。
「・・・そんな事、あたしに言われても困るんだけど」
生徒達にはオルティアが‘猟犬’であることも、アムンゼン達と共に‘聖務’を遂行してきたことも話していない。
隠しているわけではないが、一般の生活を送りたいオルティアにとっては、聞かれるまで話すことではないと思っている。
だが不満の矛先はこちらに向いてくる。
いい迷惑だ。
「おまえに言わなけりゃ、誰に八つ当たりすればいいんだよ」
刈上げの若者が憤慨する。
「‘アレ’さんは手加減していると思いますわ。ただ、基準がおかしいのです。要するに馬鹿なのです」
黒髪の少女が真顔で詰め寄る。
普段は温和かつ温厚な性格だが、今日はやけに毒舌だ。
もしかしたらこちらが素に近いのかもしれない。
「と言うかさ、‘アレ’はやけにオルティーには甘いよね」
「はい?」
茶髪の少女の一言に、オルティアは間の抜けた声を出す。
「そうだ。‘アレ’はオルティアには甘い」
刈上げの若者が、顔を顰めて頷く。
「そうだよ、大甘だよ」
長髪の青年が、鼻につめた布を抑えながら同意する。
「まるで砂糖のように大甘ですわ」
黒髪の少女が真顔で言った。
「そんな事ないって。あたしがここに来る前に傭兵みたいなことしていたから、合わせられるんだよ。
それでも、毎回一回は本気で殴られるし」
「確かに、‘アレ’とお前の組み手はスゴい。悔しいほどに、スゴい」
「お互いの技術が高いからね。だけどそれだけじゃないんだよね」
「互いの‘呼吸’が分かっている感じ?遊んでいるみたいな?」
「あれはまるでダンスですわ。思わず見とれてしまいますもの」
「それはそれとして、どうなんだよ、お前等?」
刈上げの若者が、詰め寄る。
「どうって、なにがよ?」
「鈍い、なんという鈍さ!」
長髪の青年が、天を仰いだ。
「あんた達の仲はどこもまで進展しているか聞いているのよ」
茶髪の少女がオルティアに腕を絡ませる。
「はぁ?進展も何もないって!全くない!」
「その拒絶の仕方もあやしいですわね」
黒髪の少女は、机の上に腰掛けた。
いつの間にかオルティアは四人に包囲された格好になっていた。
「お前と‘アレ’は昔からの知り合いなんだろ?」
「それはそうだけど・・・」
「で、色々あった、と」
「ないない。勘違いだって」
「ふーん。でもオルティー。このままじゃ、持ってかれちゃうよ」
「何が?」
「‘アレ’さんです。黙っていれば顔はいいですし。女子の間では結構話題になりますわ」
どういう流れだ。
オルティアは汗を書いていた。
大量の汗だ。
戦闘での汗とも違う。
勉強での汗とも違う。
「つまり、こうしよう」
刈上げの若者が頷くと、長髪の青年が細かい文字の書かれた紙を取り出す。
「男子生徒寮に代々伝わる前期試験傾向と対策だよ。
これを読めば必ず受かる、‘聖なる紙片’」
「交換条件にしようよ、オルティー。‘アレ’との仲を話してくれれば、渡してあげるから」
「もちろん、いいと言ってくれますわよね?
黒髪の少女がにこやかな笑顔に戻っていた。
逃げ場は無い。
完全に追い込まれた。
全く。
「・・・学生がこんなに大変だとは、思わなかった」
学院の夜は始まったばかりだ。
・聖クレマ・グノーブル学院
通称:マグ学。
異端審問官:ベルン・ハース他、同年代の仲間による私費で運営。
地方出身者がほとんどのため、男女別の寮を完備しているが、空物件であった宿を改築したものの為、ボロい。
地方の若者を短期間一括で集中的に教育し、地方に戻すことで、生来地方を担える人材を育成するのが目的。
可能な限り、入学の門を広げるため、学費の分割・立替払いを認めている他、実習訓練等で好成績を収めたものには学費の免除も認めている。
教習・訓練の他、野外に出ての実地訓練も頻繁に行っている。
卒業生の大半は、地元に戻り役所・詰所の勤務となるが、身分制限のない騎士団に入隊する者も少なくない。
ごく稀に異端審問官を志す者もいるが、在学期間中に講師陣により別の道を目指すように諭される。
・コンセプトとか
専門学校でつるんでる仲間が、ダラダラと現在を満喫したり将来に不安を抱いたりしつつ、ポジティブにやっていったり。
例)大学オタサークル→げんしけん
美大→ハチくろ
音大→のだめ
農学部→もやしもん
学園モノだと範囲が広いので、方向性を絞る集約(でも書ききれない)