課長集合話 第3章①
夕方の冷たい風は、夜風に変わっていた。
法衣の裾を風に靡かせ、一組の男女が法王庁西区画の人影の無い渡り廊下を歩く。
異端審問局第十課課長ローフェルマルス。
同じく第十一課課長フェルメノ・キルス。
「・・・さっきの話」
フェルメノが歩きながら問いかける。
年齢は二十代半ばを越えているが、化粧気の薄い顔と好奇心が覗く瞳の印象か、もっと若く見える。
長く伸ばした髪は一括りに後部で結ばれている。
尼僧服の襟元と袖口からは、聖職者に似合わない派手な刺繍の施されたブラウスが覗いている。
身長は女性としても低い方だが、それを感じさせない存在感を全身から放っている。
「どこまで本心だった?」
「全てだ」
ローフェルマウスは、頬髯を動かし即答した。
その口調は、長身を伸ばした姿勢同様に、威厳に満ち迷いの無いものだった。
「あんたが異端審議長の地位を狙っていた、という話も?」
「・・・」
「今はもう諦めた、という話は?」
「・・・」
「・・・それじゃあ」
フェルメノの口元が、笑みの形に歪む。
「ライナス・バルグに次期異端審議長を狙って欲しい、という要請は?」
「全て、偽る事のない本心だ」
本来、フェルメノにとって異端審問局との他の課長とは、折り合いが悪い。
‘審問局課長と言うよりは、傭兵隊長’という陰口は耳にしたし、実際にその通りだと思う。
だが、現状の十一課に求めれれているのは、まさに‘傭兵隊長’であり、だからこそ自分が適任なのだろう。
‘お堅い’連中の多い異端審議会は息が詰まるし、口実を作っては部下のクェイルに代理として出席させている。
だからこそ、ローフェルマルスが自分に‘第八課課長ライナス・バルグとの面会への追同’を依頼されたのは意外であり、承認したのは単純な好奇心だ。
「そういう裏取引みたいな話はさ、本人同士でするもんじゃないの?」
「ライナス・バルグは用心深い」
ローフェルマルスは断言する。
「用心をした上で、合理的な判断をする。‘フェルメノ・キルス’という異分子があの場に存在したからこそ、適度に警戒が分散する」
「その割には、あっさり断られたよね。次期異端審議長への就任要請」
フェルメノは、笑う。
『お断りをします』
短いが、はっきりとした返答だった。
銀製フレームの眼鏡越しの瞳は、いつも通りの鋭さを秘めている。
『理由を聞かせてもらおうか、‘鉄翼鷹’ライナス・バルグ』
テーブルを挟んで対面するローフェルマルスには、動揺は見られなかった。
静かに、ライナスの言葉を促す。
『異端審問官は政治家ではない。権力闘争に関わり時間と労力の浪費は貴公等でやればいいだろう、‘断絶公’。
私はその時間と労力を、異端殲滅に費やす。・・・それが、理由だ』
口調こそ丁寧だが、ライナスの言葉には遠慮が無かった。
ローフェルマルスがかつて何度と無く、異端審問局内部で権力の集約を狙った事を批判している。
『だからこそ、ライナス・バルグこそが異端審議長に相応しい』
ローフェルマルスは、なおも言葉を繋げる。
『権力を欲した私だから、分かる。権謀を廻らせた次期もあったが、私以上に権謀に長けているのが、現審議長シモン・クレメンス、あの老人だよ。
一度たりとも、若造である私に隙を見せる事は無かった。
‘先代’アウグス・フォルケンスを失脚させた手腕は、更に磨かれている。
さらに言えば、権謀に頼るような私やシモン・クレメンスのような俗物には、異端審議長は不適格だ』
自嘲気味に笑うが、すぐに語気を強める。
『故に、異端審問局は混迷の谷間から抜け出せずにいる。
第二次大聖伐以降に減少したはずの異端事件は、近年は増加を辿る一方だ。
今こそ、君なのだ、ライナス・バルグ。
無欲であり、苛烈であるライナス・バルグが異端審問局を統べてこそ、異端審問そのものに変革が訪れる』
「あれは、無理ね。ライナス・バルグは自分の‘間合い’から動かなかった」
フェルメノは先程のローフェルマルスとライナスのやり取りを戦闘に例えた。
「‘欲’でも、‘義’でも、‘情’でも動かないのがライナス・バルグよ。
‘間合い’から動かす‘引き手’を持たずに、立会いに臨んだあんたの負けよ、‘断絶公’」
フェルメノは夜風に乱された前髪をかき上げる。
「そうだな。ならば、フェルメノ・キルスを次期審議長にでも押し上げようか。・・・ある意味では、お前も欲はない。」
ローフェルマルスは真顔であったが、フェルメノには冗談である事がすぐに分かった。
先程の、ライナスとのやり取りとは、言葉に込められた重みが違う。
だが、この手の冗談が言える男とは思わなかった。
少し、付き合うのも悪くはないだろう。
「ああ、それは止めといた方がいいわよ」
「そうかな?」
「あたしは面倒くさいことは嫌いだし、それに・・・」
「‘異端審議長フェルメノ・キルス’、・・・語呂が悪いでしょ?」
「ハハッ、確かにな」
フェルメノとローフェルマルスは声を出し、笑った。
「・・・さて」
一頻りに笑うと、ローフェルマルスは法衣の下から、淡い輝きを放つ聖印を取り出す。
「‘異端審議法十一条’の意味は覚えているな?」
「‘二十四時間以内の全課長招集’でしょ?。大丈夫よ、明日の審議会は顔だすって」
フェルメノは蝶でも追い払うかの様に、右手を振る。
「‘鉄翼鷹’の前では、流石の‘断絶公’も完敗だったわね。今夜は面白いものを見せてもらったわ。
・・・お礼代わりにに、野暮用があれば聞いてあげるわ」
一礼代わりに夜風に笑みを残し、フェルメノは立ち去った。
「・・・‘断絶公’の完敗、か」
夜の外気は温度を下げ、夜霧が立ち込める中、ローフェルマルスは静かに呟いた。
「お前は気づかなかったか、‘紅蓮腕’フェルメノ・キルス?・・・あの瞬間の、ライナス・バルグに‘隙’が生まれた瞬間を」
『時勢というものがある、ライナス・バルグ』
ローフェルマルスは、
『今の八課は、人材が揃っている。
ザッシュ・ネイビスの反乱を鎮圧したジャンルイジ。
セレティコ渓谷で百人討ちを達成した、エスピノーザ・クフォン。
‘失われた聖女アイセル’を発見し保護したジュノイ・アーク』
『・・・そして』
話を黙って聞いていたフェルメノが、腕組みを解き、凍傷により赤黒変色した右手を見せる。
『フェルメノ・キルスに手傷を負わせた、ルシアーノ・ベルティ』
『貴公の八課は、時勢に乗っている。私が十年前に乗ることが出来なった流れにな。
異端審議長となり、異端審問局の改革を行うのは貴公しかいない』
『私は私のやり方で異端の殲滅を行う。
・・・これまでも、これからもそれは変わる事はない』
僅かに、ライナスの言葉には感慨めいた感情が含まれていた。
『話が終わりなら、お引取り願おう』
『・・・承知した。丁重なもてなしに感謝する、ライナス・バルグ』
法衣を揺らし立ち上がると、ローフェルマルスはフェルメノに退散を促す。
『一つ、言い忘れていた』
扉を潜る直前に、ローフェルマルスは立ち止まった。
『第二課課長アディール殿は、次期審議長に推挙された際、高齢を理由に断るそうだ。・・・変わりにある人物を推薦する事を決めている』
『・・・その人物とは?』
僅かに、ライナス・バルグの‘間合い’が揺れる。
ローフェルマルスは、静かに‘間合い’に足を踏み入れる。
『・・・第七課課長‘紋章官’イルドルフ』
理性の‘箍(たが)’で押さえ込まれているライナス・バルグの感情が、あの瞬間に確かに乱れた。
フェルメノは気づくことはなかった。
ライナス自身も気づいていないだろう。
だが、ローフェルマルスにとっては十分な収穫と言えた。
当初の予想以上の収穫と言っていい。
「さて、‘次’を楽しみとしようか、」
含み笑いを残すと、ローフェルマルスは夜霧に溶け込み、消えた。
『課長集合話:8.10.11課』@覚書
・久しぶりに書いてて躓きまくった。
『十課課長ローフェルマルスが、ライナスに次期異端審議長の座を狙うよう促す話』というのが当初のコンセプト。
十課と現異端審議長との確執や、十課審問官も出てくる予定だったが、まとまらずに大幅にそぎ落とす羽目に。
・そもそも十課課長のキャラが固まっていなかったのが苦戦の理由。
>>102-111では‘丁寧語キャラ’だったんだよな。
九課課長ヒュー・ベルガーと被るから、‘知略に富んだ自信家のおっさん’にキャラ変更。
しかし、‘策略家タイプのおっさん’のキャラストックが自分の中に無い事が判明し、これまた苦戦。
‘武人タイプのおっさん’なら、腐る程あるんだけどな。
・結果、キャラ・構成供に分かりづらい小話に。
あとで再構成しよう。
・『全てが揺ぎ無いライナスを釣るには、未だに燻っているイルドルフへの対抗心』
そこを突いた点については、ローフェルマルスを評価。
ライナスのキャラに少しだけ幅が出来たけかも。
良くやった、おっさん。