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小話 全てを知る者 ~前夜~

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匿名ユーザー

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肺の病だった。 
呼吸をする度に気管が焼けるように痛み、倦怠感は全身に広がっていた。 
治療を担当する薬草士は、何度も高等治療院に移る事を薦めたが、その都度返事は決まっていた。 
―自分より、民生治療所の患者を優先する様に。 

アウグス・フォルケンスは病んでいた。 
かつては異端審問官として第一線で戦っていた強靭な肉体も、70歳という老齢と肺の病から、見る影も無く痩せ衰えていた。 
かつては異端審問局を統率する異端審議長として絶大な権限を握り、公正かつ厳格な人柄から‘賢人’と呼ばれたアウグスだが、七年前にアウグスは異端審問局の表舞台から去った。 
長年に渡りアウグスの補佐官を務めたウィトス・ワイヤードの告発により、アウグスは異端者内通の容疑により異端裁判へと掛けられた。 
法王庁内部の権力闘争が、誰の目にも分かる形で表面化した告発だった。 
アウグスの無罪を信じる擁護派と、事の白黒に関わらず権力交代に便乗しようとする追及派に別れ、異端審問局のみならず、法王庁全体が二つに割れた。 
三ヶ月に及ぶ裁判の結果は無罪。 
だが、アウグスは異端新議長を辞職した。 
派閥闘争が長引く事により、法王庁全体に影響が出る事を嫌った為だとも、アウグス自身が世代交代を望んでいた為だとも言われている。 
アウグスは新設された奉献物記録室なる閑職につき、事実上の‘飼い殺し’生活を法王庁の片隅で続ける生活を選択した。

 

-頃合か。 
奉献物記録室券自室である法王庁の小部屋で、寝台に横たわったアウグスは胸中で呟く。 
苦しみは長くは続かない。 
-自分の命は、今夜尽きるだろう。 
アウグスは目を閉じると、幕引きの前に己の人生を回顧する。 
一介の神父から異端審問官を経て、異端審議長まで上り詰めた人生。 
生涯に渡り続けた節制と修練。 
‘異端審問官’という存在を除いては、自分の人生は何一つ語れないだろう。 
そう、何一つ。 
-それでも、届かなかった。 
死の淵に立ったアウグスの胸に去来するは、その一言だ。 
幼き日に疑問を持ち、その日以来生涯を掛けて求め続けた答えは、終にはアウグスにはもたらされなかった。 

「‘神’はあなたを見放したのです」 
暗闇に包まれた部屋に、女の声が響いた。 
冷たく、美しい声だった。 
外部から進入した形跡は無かった。 
闇から溶け出したかのように、床から生えたかのように、女は忽然とアウグスが伏せる寝台の前に立っていた。 
-何者だ。 
-どこから入った。 
とはアウグスは聞かない。 
アウグスは女の正体を知っていた。 
月光に映える銀髪を、冬の月輪の様に美しくも凍るような横顔を知っていた。 
「・・・生きていたか」 
掠れる声が、アウグスの喉から絞り出される。 
「この手で裁きを下した筈だがな、‘銀水晶’よ」 
アウグスの言葉に、‘銀水晶は優雅に一礼をした。 
二十年前と変わらぬ美貌には、笑みが浮かんでいた。

 

 

『堅実にして、失策なし』 
それが、アウグス政権下の異端審問局の評価だ。 
だが、決して日和見的な体制であった訳でなく、‘賢人’の辣腕は法王庁内外で認知されていた。 
その一例が、強引とも言える審議長決議により実行した『第三次中間報告に基づく討伐戦』。 
通称、『逆十字団殲滅作戦』である。 

‘水と油’の相性で知られた強固な原理主義で知られる異端審議局第一課と、‘鉄槌官’ホルド・ネイビスを擁していた第十課に共同聖務に当たらせ、 
アウグス自身が最前線で指揮を取った極めて異例な事例であった。 
法王庁に対し、襲撃行為を繰り返していた‘彷徨える逆十字団’は、この作戦により瓦解した。 
‘死徒’を名乗る逆十字団幹部達は、一課と十課の審問官による一対一、または連携による交戦のより破れ、 
追い詰められた参謀的存在であった‘銀水晶’は、アウグスとの交戦の末、燃盛る地下教会へと落下していった。 


「・・・何のようだ、‘銀水晶’?」 
アウグスは寝台から半身を起こすと、掠れる声を絞り出した。 
「この老体相手に‘復讐’を望むなら、それなりに相手になるが?」 
‘獅子の眼光’と言われた視線を受け止め、‘銀水晶’は諭すように首を振る。 
「・・・あなたとの約束を果たしにきました」 
「約束だと?」 
「二十年前に、あなたが手にした重AF‘白の旋風’で私を討つ直前、あなたが言われた言葉を覚えていますか?」 
‘銀水晶’の変わらぬ微笑が、幾重にも重なったアウグスの記憶層を刺激する。 
「『・・・告解は我が前でしろ』」 
アウグスの乾いた唇が動いた。 
「覚えていて光栄です。・・・その言葉に従い、このラニエル・ベルザイン、偉大なる先代‘異端審議長’アウグス・フォルケンス様に告解しに参りました」 
ラニエル・ベルザイン。 
‘銀水晶’の本名か。 
それにしても、とアウグスは思う。 
口先とは別に、‘銀水晶’の顔からは例の微笑みが耐えない。 
言い変えれば、本心が見えない。 
慇懃な礼を尽くすことで、アウグスをからかっているかのようだ。 
だが、アウグスの心は怒りにも屈辱にも揺らされる事はない。 
二十年前に見えた時から理解している。 
この女は、こういう女だ。


 

「それでは聞かせてもらおうか。・・・汝、ラニエル・ベルザインの告解を」 
寝着の上から、修道服を纏うとアウグスは、厳かに言った。 
‘銀水晶’の目的が自分の命なら、老いたこの首は既に絶たれているだろう。 
外部に人を呼んでも、生半可な者では返り討ちだ。 
ならば、この女の本心が分かるまで付き合うしかない。 
「汝、告解せよ」 
思っていた以上に、良く張った声が出た。 
遠い昔の審問官時代を思い出す。 
瞬間、肺の病も衰えた体の事も忘れた。 
「ありがとうございます。慈悲深いアウグス・フォルケンス様」 
‘銀水晶’は深く頭を下げる。 
さらさらと零れ落ちた銀髪が、月光に揺れ夜の水面の様に煌いた。 

-私の罪を告解いたします。 
私は罪を犯しました。 
かつて、目の前で救いを求め足掻いている人を見捨てたのです。 
その人は、自分の苦しみから逃げ出す術を知らず、ただ向き合い続けていました。 
私は、その人を救う術を知っていました。 
どれだけ苦しみと向き合い続けていても、救われる事は無いことを知っていました。 
私が教えなくては、その人は苦しみ続ける事を知っていました。 
でも、私はその人を見捨てたのです。 
 
理由は簡単。 
私はその人が嫌いだったのです。 
その人の考え方が嫌い。 
建前の道徳、言葉だけの正義を優先し、欲望や本能を黙殺する。 
その人の信念が嫌い。 
人の世で救えぬものはないと、本気で信じていた。 
その人の立場が嫌い。 
その人はある組織の重要な役職にあり、私の立場とは決して相容れないものでした。 
 
私には目的があります。 
遠い遠い昔に大切な方と誓った大切な目的が。 
私の目的は、私の存在証明そのものです。 
その人の存在は、私の目的を否定するのです。 
私はその人が嫌いでした。 

だから私はその人を見捨てたのです。 
その人を苦しみから救う術を教えなかったのです。 
とても簡単な事だったのに。 
 
私が見捨てたことで、その人はその後も苦しみ続けました。 
長い長い年月を。


ですが、最近私は罪に気がつきました。 
その人の存在は、本当に私を否定していたのか? 
私はその人が嫌いだったのではなく、その人が信仰していたものが嫌いだったのではないのか? 
むしろその人は、私と同じ道を歩む存在なのではないか? 

私と共に、‘逆十字団と共に。 
歩き続ける、大切な目的に向かって-。 

‘銀水晶’は告解を終えると、顔を上げた。 
「・・・ふむ」 
アウグスは唸った。 
-理解はした。 
この女が、ラニエル・ベルザインが、今日、このタイミングで自分の所を訪れた目的は理解した。 
おそらく本気なのだろう。 
笑いたい気分だが、生憎笑い方は当の昔に忘れている。 
だから、唸るしかなかった。 

「この私を・・・」 
唸りながらも、何とか声にする。 
「このアウグス・フォルケンスを・・・」 
不意に全身に忘れていた倦怠感が蘇り、肺が焼けるように痛んだ。 
だが、言葉を続ける。 
「‘逆十字団’に誘う(いざなう)というのか、‘銀水晶’?」 
‘銀水晶’は答えない。 
ただ、その美貌の笑みが一段と深くなった。 
会心の笑み、というやつだろう。 
この女は、こういう女だ。


「貴方ほど、法王庁に献身を尽くした人はいないわ」 
天窓から差し込んだ月光が、‘銀水晶’の頬に浮かぶ笑みをより深いものにする。 
「聖職者の模範にして、呼吸している全ての時間を法王庁に捧げてきた‘賢人’でさえ、 
求め続けた‘答え’は与えられなかった。 
このアスガルド全域を探しても、貴方以上に忠実な‘神の下僕’は存在しないというのに、 
貴方が望んだたった一つの‘答え’は与えられなかった」 

「‘欲すれば、与えよ。汝の右手で左手を掴むこと無かれ’ 
・・・‘逆十字団’に我が‘答え’があるという道理もあるまい?」 
透き通るようであり、突き刺さるようでもある‘銀水晶’の言葉に、アウグスは視線をはずさず答える。 
答えながらもアウグスは、自身のある異変に気づいていた。 
先ほどから、小刻みな震えが止まらない。 
肺の痛みからでも、倦怠感からでもない、体の奥底から湧き上がる震えが止まらない。 

「その通りです、アウグス様。‘逆十字団’にも貴方の求める答えはありません」 
‘銀水晶’は変わらぬ笑みで、アウグスの言葉を肯定する。 
「ですから、探して頂きます。 
法王庁の元では、70余年かけても見つけられなかった‘答え’が、 
法王庁の対極に位置する‘逆十字団’の元では、必ず見つかります」 
‘銀水晶’は、右手をそっと胸に宛てた後、アウグスに向けゆっくりと広げる。 
白磁器の様な手のひらに握られていたのは、三つの臓器と三つの眼球が絡み合う奇怪な造形を持つオブジェだった。 
アウグスの目が見開き、震えが加速する。


「・・・‘降魔の紗眼’か」 
「アウグス様程の人物を‘逆十字団’にご招待するには、‘悪魔の目’程度では失礼に当ると思いましたので・・・」 
左手を口元を隠し、笑う。 
銀髪が艶かしく蠢いた。 
「‘地下墓所’からお借りして来ました。アウグス様ご自身が、かつて封印したものですわ」 

‘悪魔の目’については、効果も使用法もアウグスは熟知している。 
人の持つ欲望に苗床に、契約者の身体を異形の‘悪魔’へと転生させる‘禁断のアーティファクト’。 
異端審問局が使用、所有に問わず厳しい取調べを行っているにも関わらず、近年では使用報告が増え続けている。 
‘降魔の紗眼’は、その‘悪魔の目’を上回り‘爵位悪魔’に転生するための‘最悪のアーティファクト’だ。 

「アウグス様には生まれ変わって頂きましょう。 
長い長い時間をかけて、求める‘答え’を探していただく為に・・・」 
銀水晶の手のひらで、‘紗眼’が転がる。 
「強靭な精神に相応しい、強靭な肉体に転生される事でしょう。 
・・・今宵、逆十字の刻まれた‘死徒’達を束ね、法王庁へ弓を弾く、偉大なる‘No1’が誕生するのです」


長い沈黙の後、アウグスの腕が動いた。 
枯れ木の様な老人の腕が、白い手のひらに転がる‘紗眼’を掴む。 

-ここに来て。 
死の間際にして、アウグスは正体を理解した。 
70余年の年月を生きて、アウグスは己の正体を理解した。 
‘賢人’と呼ばれた先代異端審議長の正体は、たった一つの答えの為なら、全てを実行できる男であった。 
‘答え’を得る為なら、信仰も節制も重責も苦にはならなかった。 
その先に‘答え’があると信じれば、苦にはならなかった。 
今、この瞬間、その全てを捨て去る事に、何の躊躇いもない。 
法王庁に反逆し、かつての仲間を、己の手で育てた部下達の大敵である‘異端者’となる事に躊躇はない。 
体内から湧きでる震えは、歓喜の震えだ。 
笑い方を忘れた自分が出来る、唯一の喜びの表現だ。 
なんという欲望の深さであるか。 
‘答え’を得る以外は、満足のいく生を過ごした身が、こうも容易く‘答え’に執着するとは。 
‘アウグス・フォルケンスの正体’は、究極的な欲に身を焦がし続ける怪物であった事を、アウグスは理解した。 

「‘悪魔’への転生は・・・」 
右目に、‘紗眼’を押し込みながらアウグスは呟く。 
「契約者の欲望の深さで、‘爵位’が決まる・・・」 
-この自分が、‘欲望の怪物’が‘紗眼’を使用すれば、大層な‘爵位’を持つ悪魔が誕生するだろう。 
眼球を押しつぶし埋め込んだ‘紗眼’がアウグスの肉体に共鳴し、歪に全身を浸食する感覚の中、アウグスは呟いた。 

「その通り」 
‘転生’の胎動を続けるアウグスの前に、愛しい人を眼前したかのように、銀水晶は微笑む。 
「法王庁には、感謝をしなくてはね。歴史上最高の‘No1’となるアウグス・フォルケンスを育んでくれたのだから」


穏やかな目覚めだった。 
あれほど苛んでいた肺の痛みも全身の倦怠感も、夢の中の出来事のように曖昧で感覚を思い出すことは不可能だった。 
‘紗眼’による転生は終了した。 
外見に大きな変化が生じる事はなかった。 
深い皺の刻まれた顔。 
幾分、痩身から伸びる手足が伸び、月明かりに異様な影を晒している。 
「・・・これが、‘悪魔’か」 
抱え込むように両手を見つめ、呟く。 
‘紗眼’により作り変えられた全身の骨格が、全身の筋繊維が、更なる胎動を続けているのが分かる。 
細胞の一つ一つに至るまで、高揚感を伴った破壊衝動を喚起する鼓動を発している。 
暴虐と殺戮が、更なる肉体の進化を引き起こすし、万物の頂点へと誘う‘悪魔’の本能的欲求であろうか。 
「・・・焦るな」 
時間はある。 
たっぷりと。 
そして必ず‘答え’へと辿り着く。 

「これを・・・」 
敬虔な殉教者のように片膝を折り傅(かしず)いた銀水晶が、真赤に染められた反布を差し出す。 
‘レニスの赤布’ 
錬金術中興の祖である大錬金術師の名が冠せられた、最高位の対呪対術効果を誇る防護布だ。 
己の体に襤褸の様に残った黒い修道服を剥ぎ取ると、‘レニスの赤布’を全身に巻きつける。 
僅かながら破壊衝動を伴う高揚感が治まった。


視線が、窓辺より見える大聖堂の先端へと向ける。 
偉大にして強大なる法王庁。 
だからこそ、戦いの先に‘答え’がある。 
「だが、今は・・・」 
その時ではない。 
‘二度目の生’は、おろそかには出来ない。 
ゆっくりと、力を蓄え、己の力を知る必要がある。 
‘死徒’とやらの力量も知らなくてはならない。 
かつては‘獅子の眼光’と呼ばれた視線は真紅に染まっていた。 

「‘銀水晶’よ・・・」 
全身に‘レニスの赤布’を巻き終えたその姿は、‘封印を施された魔戦神’にも‘聖骸布に包まれた聖人’にも見える。 
「‘アウグス・フォルケンス’の名は、今宵限り‘捨て名’とする」 
聖印を下げた鎖を取ると、聖印を紙細工のように無造作に引きちぎり、千切れた鎖を留具代わりに頭部に巻きつける。 
その様は‘魔戦神の拘束具’であり、‘茨の冠’であった。 

「それでは何とお呼びすればよろしいのでしょう?」 
銀水晶の美貌から笑みが消えていた。 
一つの計画は終わった。 
二十年の時を越え、歴代最高の‘No1’を手に入れるという計画は完了した。 
これから、また次の計画が動き始める。 
長い時間を掛けて、『法王庁襲撃計画』が動き出す。 

かつて‘アウグス・フォルケンス’であった者は、宵の空の果てを見つめていた。 
法王庁の、更なる先にある‘答え’ 
そこに辿り着いた事を想像し、幾重にも包まれた布の下で笑った。 
「・・・‘全てを知るもの」 

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