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小話:「下位№」

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匿名ユーザー

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人は日々、神に祈る。
明日の安息のために。
恋人との蜜月のために。
世界の平和のために。

しかしどれほどに祈っても、神はそれを聞き届けることはない。
明日には、必ず悪いことは起こり。
恋人とはいつかは別れ。
そして、世界はいつも争いに満ちている。

だが。
祈る余裕があるならば、まだマシだ。
その男、ディヘッドは神に祈る時間さえ与えられなかったのだから。

誰からも望まれずに生まれた存在は、生まれながらに捨てられる。
物心つく前に死ねたのならば、それはまだ幸運だろう。
だが、ディヘッドは不運にも生き残った。
スラムに生まれ、路上で生活する彼は生きるだけで精一杯であった。

白いベッドに白いシーツ。
清潔ではあるが、無機質な白い部屋。

 

 


ディヘッドは、四十年に渡って築いた地位と、積上げた財産と、愛すべき家族と、友との信頼を、つまり命以外の全てを失ったその日に、‘神の不在’を悟った。
神が存在すれば、毎年教会に多額の寄付を行い、聖典で美徳とされている勤労に勤しみ、ファンメルデの街で有数の実業家と言われた自分が、一度の事業失敗程度で、路上生活に叩き落されることはあるまい。
飢えと寒さを身に纏い、不満と鬱憤を抱え、惨諦と後悔を背負い、社会の底辺を這いずることもないだろう。
自分は裏切られたのだ。
‘存在しなかった神’に。


神は存在する。

しかし今、ディヘッドはこれ以上ないほど強く‘神の存在’を認識している。
ディヘッドは、望んでいた。
飢えと寒さを決別し、蓄積された不満と鬱憤を解放し、惨諦と後悔を恍惚に変える‘力’を望んでいた。

その女は、穏やかな微笑と供に路上生活者が集まる貧民窟の路地裏に現れ、『望むものを与える』と言った。
『パンが欲しい』と言った子供に、女はパンを与えた。
『金が欲しい』と言った男には、金が与えられた。
路上で供に暮らす‘仲間’たちは、その度に歓声を上げたが、ディヘッドは何も思わなかった。
聖職者か慈善家か知らないが、他人に施すことで自己の優越感を得ている光景に、嘲笑を浮かべただけだった。
だが、『もう一度、杖無しで歩きたい』と言った老人に、女が手を触れた直後に、老人が立ち上がる姿は、ディヘッドの全身に衝撃を与えた。
『あなたは・・・』
女を取り囲む歓声が、ある種の狂気を孕んだに叫びに変化する中、振り返った女の微笑が、ディヘッドの眼を捉えた。
『・・・何を望むの?』
次の瞬間、立ち上がったばかりの老人を突き飛ばし踏みつけながら、‘仲間’たちは女の元に殺到した。
口から唾を飛ばしながら、自分の望みを叫ぶ‘仲間’たちを押しのけ、ディヘッドも叫んだ。
『力をくれ!』
体の奥から溢れ出る震えを伴う衝動を、全て声に変え、咽喉が裂けるほど絶叫した。
『この俺に‘力’をくれぇ!!!』
『・・・いいでしょう』
女の微笑に、‘聖母’を思わせる慈愛が満ちた。
女は、細く白い指を伸ばし、ディヘッドの額に触れた。
『・・・あなたに‘力’を与えましょう』
直後、ディヘッドの全身は、数百の肉喰虫が宿ったかのような苦痛に支配された。

「あなたは、選ばれた」
激しい苦痛の果てに‘力’を得たディヘッドに、女はそう言った。
「選ばれなかったものは、みんな獣に変わったわ」
‘力’を望んだディヘッド以外の者達にも、女は等しく‘力’を与えたようだ。
女に促され後ろを振り向くと、彼と同時に‘力’を与えられた他の数人は、捻れた四肢と節くれだった胴を持つ獣に変わっていた。
二足歩行と、四速歩行の中間のような前傾姿勢で、胸を上下に動かしている。
黒目だけになった瞳は、欲望だけを写し、知性は完全に抹消されていた。
あるものは、腕で。
あるものは、牙で。
あるものは、人間にはない器官で、絶望の表情とともに逃げ惑う‘仲間’達を捕え、‘捕食’している。
「あなたは選ばれ、力を得た」
逞しく変化したディヘッドの肉体に、腕を絡ませながら、女は囁いた。
「さあ、あなたは何がしたいの?」

ディヘッドは喜びに震えながら、街を闊歩する。
『‘力’を示したい』と言ったディヘッドに、女は頷きながらも『‘合図’があるまでの待機』を条件とした。
女の言葉には、知性を持つかどうかも疑わしい数体の獣も従った。
‘合図’である‘騎士団弾薬庫の爆発’と供に、ディヘッドは、ファンメルデの街を蹂躙した。

長く伸び、槍のように尖った指を持つ彼の腕は、普段残飯を漁るディヘッドに、蔑みの視線を向けていた市民を、数人まとめて貫いた。
馬のような蹄を生やした彼の足は、路上で物乞いをしていたディヘッドを追い立てた衛兵たちを蹴散らした。
大きく、十字に割れた彼の口は、ディヘッドが失った地位を持つ騎士たちを、鎧ごと食い破り、引き裂いた。
返り血を拭う間もなく殺戮に明け暮れた至福の時間は、三十分にも満たなかっただろう。
騎士団庁舎での騎士団の殲滅に始まり、ファンメルテの街に響き渡った弾薬庫の爆発音に追い立てられ、夜の路上に出てきた市民を殴殺しながら、ディヘッドは何度も呟く。
これが‘力’。
ディヘッドは笑う。
これが‘力’。
ディヘッドは哂う。
これが‘力’。
ディヘッドは嘲う。
あの‘銀髪の女’は、神の使いだったに違いない。
神は、存在する。

気がつくと、街の北部、寂れた港湾区までたどり着いていた。
街を闊歩するうちに、北端までたどり着いてしまったらしい。
ディヘッドは、炎に包まれる街の中心部を振り返り、やや思案した。
まだまだ、‘力’は示しきれて居ない。
もう一度、街の中心部に戻っても、獣たちの‘残飯’があるだけだろう。
場所の移動が必要かもしれない。
だが、寂れた港湾区に砦のような屋敷に灯った明かりがディヘッドに別の決断をさせた。
確か、ここの屋敷に住む女は、何度か教会の聖職者と供に貧民区に足を運び、古着や食べ物を施していた。
女に‘礼’をした後で、次の移動先を考えればよい。
ディヘッドは、砦を思わせる屋敷の城壁に近づきながら、自分が‘空腹である事’に気付いた。

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