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小話:ミルラド司教の崩御

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匿名ユーザー

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第七教区、司教座都市ミルドラド。 

政治、経済、そして信仰の拠点として繁栄した大都市の空は、灰色の雲で覆われていた。
街の中央を射抜く大聖堂へと連なる石畳は、通常時は多くの参列者で賑わうが、今は喪に伏せたように静寂に包まれていた。
その大聖堂を前に、乾いた音を立て、一台の馬車が止まった。
馬車から降り立った黒衣の男の前に、重厚な金属音と供に二対の槍斧が突きつけられる。
「な、何者だ!」
衛兵の詰問の声が、人通りの無い大通りに響く。
「現在は、‘聖伐’発令中により、何人たりとも冠戴門内での馬車の使用は禁じられている!」
「時間が惜しいので、馬車を使用した」
細いフレームの眼鏡に手を当てたると、突きつけられた槍斧を右手で払いのけ、男は正門に向かって歩き始める。
ごく自然な、水差しを取るような自然な手の動きであったが、衛兵の腕は、巨木を支えるような負荷がかかり、耐え切れず槍斧を落した。
規律正しく敷き詰められた石畳の上に、硬質の大音響が響き渡る。
「き、貴様!」
衛兵の腰帯から抜き放たれた剣が放った鈍重な光が、男の頬を照らす。
男は構わず歩を進め、正門から大聖堂まで広がる中庭の光景を一望する。
「報告に聞いていた以上だな・・・」
過去の聖人の偉業が掘り込まれた彫刻と、白い敷石が敷き詰められた荘厳の中庭は、今は臨時の駐屯地と化していた。
大量の馬、物資、そして風にはためく隊旗。
非常時に備え待機している疲労の表情を浮べた騎士たちの纏った空気は、一様に重く、そして僅かに震えていた。
先ほどの衛兵だけでなく、この大聖堂に集った者全員が、そしてこのミルドラドに住む者全員が、精神に張られた糸を限界まで引き伸ばされている。
引き伸ばしているのは、猜疑と、そして恐怖だ。
「それ以上、一歩でも動いてみろ!」
衛兵の声に、中庭に駐屯していた騎士たちが、白刃を抜き放ち、包囲陣を形成する。
大聖堂内部で待機していた騎士たちも、非常事態を察し、駆け寄ってくる。
武器を手にした集団は、個人の持つ恐怖を覆い隠し、猜疑を殺気へと変える。
「こいつが、異端か!?」
「第二部隊の連中は、コイツにやられたのか!?」
黒衣の男を包囲が放つ殺気の濃度が、一際濃縮される。
張り詰めた精神の糸は僅かな衝撃で切れ、暴発するのは時間の問題だった。

「法王庁異端審議局第八課課長、ライナス・バルク。・・・貴公らの任務である異端結社‘パナケアの矢’追跡を補佐するため、法王庁より派遣された。責任者であるルチェスク大司教にお会いしたい。・・・通してもらうぞ」

眼鏡の奥から発せられた眼光が、濃縮された殺気を凍結させた。
「ラ.ライナス・バルグ?」
「・・・‘異端審議局の鉄翼鷹’」
ライナスが眼鏡の下から放った猛禽類を連想させる、獲物を捕らえ抉る冷徹で鋭敏な眼光に、騎士たちは数歩後ずさる。
男、ライナス・バルグは、騎士たちの間に出来た‘道’を硬い靴音を響かせ歩く。
ライナスが大聖堂に消えた後も、冷たい水の底に沈められたように沈黙が、中庭を支配していた。

「貴様の責任だぞ、ライナス・バルグ!」
大聖堂の最上階に位置する執務室で、ライナスを迎え入れたルチェスク大司教は弛んだ体を震わせた。
震えに合わせ身に着けた装飾品が、耳障りな音を立てる。
「貴様が率いる第八課が、今回の‘異端討伐’の担当であるはず。このような状況の中で、よくもワシの前に顔を出せたな!!」
「大司教殿が・・・」
耳障りな大司教のわめき声を、ライナスは硬質の返答で対処する。
「『司教座区の治安維持は、独自に計る。大司教の権限により‘聖伐’を発令し、近隣領からも兵を招集する。異端審議局は、聖伐隊の補佐をするだけでいい』と、異端審議局に要請を出されたはず。審議会内部にもルチェスク大司教を高く評価している者は多く、我々八課は、決定に従ったまでのこと」
「あ、う・・・」
失態を追及しているわけでも、貶めているわけでもなく、事実を淡々とした口調述べるライナスに対し、大司教は分厚い唇を振るわせた。
「それにしても、大司教殿の権限で持ち出した広範囲攻撃用アーティファクト‘メギドの矢’が、聖騎士団ごと破壊されたのは痛手でしたな。‘切り札’と‘要’を同時に失い、残った兵の動揺は激しい。・・・‘パナケアの矢’が、‘巨神’まで所有しているとは、」
「そうだ、奴等の、‘異端者’どもの仕業だ!神の御心を理解しない異端者どもは、平穏を打ち破る。必ずや裁きの鉄槌を下されるだろう!いや、下さなくてはならない!!!」
大司教は、責任と怒りの矛先を異端者に向け、激しく弾劾した。
眼鏡の奥のライナスの目が、さらに冷たくなる事に気づいていない。
「確かに、裁きの鉄槌は早急に下す必要があります。つきましては、大司教殿のご協力を賜りたく、本日は馳せ参じました」
「妙案があるのか!さすがは‘鉄翼鷹’のライナス・バルグだ!この際、多少の犠牲が出るのは止むをえまい。一刻も早く、異端を殲滅し・・・」
「大司教のそのお言葉を聞いて安心しました」
ライナスの放つ言葉が、僅かに柔らかくなった。
ルチェスクの短躯が、背後から圧倒的な力で捕まれ、口元を塞がれたのはその直後だった。
「ぬ、・・・ぬ」
ルチェスクとライナス以外には、存在しないはずの部屋だった。
まして、背後に人の気配を感じることはなかった。
ルチェスクは不条理な苦しみにもがき、暴れ、見たことも無い黒皮製の手袋で覆われた手をルチェスクの太くむくんだ指で掻き毟り、引き剥がそうとするが、聖印を模した施錠を二重鎖で固定した黒手袋の主は、微動だにしなかった。
左手一本で吊るし上げられた、華奢な法衣に包まれた大司教を前に、ライナスは慇懃に礼をする。

「‘巨神に立ち向かい敗れた勇壮な騎士たちの魂を導くため、殉死なされた’大司教殿の御心は、過去の偉大な聖人たちと同様に、深い信仰の対象になるでしょう。大司教の殉死後は、終結した聖伐隊の指揮は、我々八課が引き継がせて頂きます。第八課が指揮を執る以上、異端者達の速やかな殲滅を宣誓させて戴きます。・・・これが、大司教の仰るとおり、‘多少の犠牲で、速やかに異端を殲滅する’最良の方法です」

ライナスは、執務室に掲げられた金箔の聖印を見上げた。
「困るのですよ、大司教殿。‘聖伐’発令により編成された総勢千二百名に及ぶ大部隊を、異端者共を一掃できる一遇の機会を、これ以上あなたの無能に浪費されては」
再び視線を下げるとライナスは、ルチェスクを吊るし上げている男に無言で合図をする。
背後から伸びた黒手袋が、大司教の腰から派手な装飾の施された短剣を抜く。
「惰眠を貪るのも結構、私利私欲を肥やすのも結構、狩人ではなく家畜となる生き方があなたの選択した道でも、我々はなんの関与もしない。・・・しかし、聖職者でありながら、異端を噛み砕く牙を失う事は許されない。‘聖伐’は、あなたの虚栄心を満たすための玩具ではではない。家畜は家畜らしく、‘贄’となって戴きます」
薄暗い執務室の中で鈍く光る眼鏡の奥から、一片の揺るぎも無い冷徹な眼光がルチェスクを射抜く。
その視線に恐怖し、肉の弛みを振るわせながら、ルチェスクは更に暴れた。
「感謝します、ルチェスク大司教。あなたの尊い犠牲により、我ら異端審議局第八課は、‘パナケアの矢’に属した異端者を一人残らず地獄に送る事ができるのですから。・・・‘迷える魂に導きを’」
「ラ、ライナス、貴様・・・」
再び無言の合図を送ると、ライナスは祈りの言葉を唱える。
白い脂肪で覆われた喉元に白刃が潜り込むと、ルチェスクの口から祈りの言葉とは程遠い呪詛の言葉が漏れた。
しかし、その後の断末魔の叫びは、押し殺され誰の耳に届くことは無かった。


「それで、その聖騎士団を壊滅させた‘巨神’とやらは、僕が片付けてしまってもいいんですか?」
力を失ったルチェスクの躯を無造作に落とすと、異端審問官ジャンルイジは、黒手袋で覆われた左手を軽く振った。
豊かな金髪の下には、少年の面影を残す顔立ちが、楽しみを前にした子供の笑みを浮かべていた。
「‘ギンガスの巨兵’には、ディアヌを向かわせた。‘聖女アレクサナ’を同伴してな」
「それは、酷い」
異端審問官ジャンルイジは、手にした宝玉の付いた短剣を、ルチェスクの躯に握らせながら、抗議した。
「‘聖女’付きのディアヌさんがお出迎えをするならば、僕の出番はないじゃないですか。・・・‘巨神’を相手に出来る又とない機会だというのに」
「お前には、メセタの街でやってもらう事がある。・・・待機中のルシアーノと錬金術師フォーエインをお前の指揮下に置く」
「メセタ?確か、辺境の炭鉱都市ですよね」
血を拭い、立ち上がったジャンルイジの言葉には、明らかに不満の意が含まれていた。
「‘パナケアの矢’の拠点がある。・・・不服か?」
「・・・とんでもない。感謝してます、ライナス課長」
ジャンルイジが立ち去ると、ライナスは速やかに執務室の扉へと向かった。
一の手、二の手は打ったが、長らく地下に潜伏していた‘パナケアの矢’を殲滅できる1千歳一遇の機会は、確実なものにしておかなければならない。
三の手、四の手まで打っておく必要がある。

「大司教殿が御崩御なされた!」

執務室を開け放つとライナスは大股で歩きながら、廊下を歩いた。
「各騎士団の団長に伝令!五分後に‘聖リマの間’にて軍議を開始する。‘異端者’に、聖なる地をこれ以上蹂躙させることは許されん!」
ライナスの声が響き渡るにつれ、大聖堂の張り詰めた空気が変わる。
騎士は、弾かれた様に迅速に行動をはじめ、目に見えぬ‘士気’が大聖堂を覆っていく。

これでいい。
‘寄せ集め集団’でも、使い方しだいでは異端に対する有効な一手になる
「これよりライナス・バルグが、指揮を執る!」
‘鉄翼鷹’の眼は、遥か遠くの異端者達を見据えていた。

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