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小話:「ライナス・バルグの‘犬’」

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2.八課対‘パナケアの矢’
八課が異端組織‘パナケアの矢’(の一派閥)と対峙する話

2-0.零幕
ライナスが、‘パナケアの矢’殲滅作戦の指揮をとる経緯

2-1.ジャンルイジ編
炭鉱都市メセタで、ジャンルイジが‘パナケアの矢’と遭遇する話。
原則バトルメイン。

 

 

ジャンルイジ 承
‘パナケアの矢’ ―現在の体制を全面的に否定し、「黄昏の時代」のニ王国の復活と統一を主張する反体制派― による教会の襲撃は、第七教区で一ヶ月の間に十一件発生し、犠牲者数は119名(うち聖職者数37名)に及んでいる。
襲撃の実行犯は、‘刃’と呼ばれる‘パナケアの矢’の下部構成員である。
‘刃’は死を恐れず、己の肉体の破損を無視して戦闘を行い、捕縛の直前あるいは己の死の直前に、自爆を行う。
このためこれまで発生した11件の事件では、犠牲者が増える反面、襲撃者の手がかりは皆無であった。

ジャンルイジ審問官に同行した私が、第七教区メセタの街に到着した初日に、我々は七名の‘刃’の襲撃を受けた。
防御を考慮せず、死を恐れない‘刃’達の変則的な攻撃に不意を討たれたが、ジャンルイジ審問官、ベルティ審問官両名の適切な行動により6名の‘刃’を討伐し、1名の‘刃’を捕縛する事に成功した。
以下、私がジャンルイジ審問官により審問主権を与えられた範囲で判明された内容を記す。

審問対象:四十代男性。中肉中背。
1.‘刃’は、薬物による洗脳が施されている。
審問対象の瞳孔の拡散並びに質問に対する定型の回答は、複数の幻覚・精神高揚系薬物の投与結果であると判断が妥当。
投与後の‘刃’は自己の欲求を持たず、‘刷り込まれた目的’をあらゆる手段を用いて優先する思考パターンが形成されている。
2.‘刃’の身元は平市民が含まれる。
審問対象の‘刃’の両腕には、竈を扱う職人の特徴である‘焼け跡’が見られた。
このことから審問対象は、長年に渡りパン職人等の業務に従事していたと見られる。
よって‘パナケアの矢’は、無作為に拉致した平市民に、独自の洗脳薬物を投与し、‘刃’を作成していると思われる。
3.‘刃’の肉体には、‘火結晶’が埋め込まれている。
当初、‘刃’の自爆は火薬を用いていると推測されていたが、審問対象の左胸には‘火結晶’が埋め込まれていた。
聖榴弾等の原料に使用される爆発性鉱物は、対象の左胸に露出する形で埋め込まれた後、収連系錬金術で心臓と同調することで安定するように設定されている。
これにより、対象が死亡した際に、自動的に爆発する‘時限爆弾’が完成する。

以上が、私の審問主導期間で判明した事項である。
今後は、‘火晶石’の流出経路並びに、行方不明者の足取りを追跡する事が‘パナケアの矢’へとたどり着く手段であると思われる。
なお、以下は私見だが、‘刃’の作成という恥じるべき行為に、錬金術師が関っていた事に、激しい怒りを覚える。
同時に、国家錬金術師としての私の知識と誇りを信用し、この期間を与えてくれたジャンルイジ審問官と、‘刃’襲撃時に私を庇いこの機会を持つことに努力してくれたベルティ審問官に感謝したい。

国家錬金術師フォーエイン・サンドの報告書を読み終わると、執務机からジャンルイジは静かに立ち上がった。
メセタの街市庁舎の貴賓室。
落ち着いた調度品と十分な広さを持つこの部屋を、ジャンルイジは到着初日に異端審問官の権限で差し押さえ、臨時の執務室とした。
窓枠の外では、異端審問局紋章である‘神の錠前’が描かれた大旗が風に揺れている。
‘異端’捜査の為に訪れた地で、目立つ場所を拠点とし、その場にこの大旗を掲げ、‘異端’に対する宣戦布告を行う。
それが‘法王庁異端審問局第八課’の伝統だった。
「良くまとまった報告書ですね。何点か確認したいことがありますので、フォーエインさんを呼んで下さい」
ジャンルイジは報告書を閉じると、メセタ市庁舎の記録庫から持ち出した資料が高く積まれている机に置いた。
十代後半だが、顔立ちには少年の面影を残している。
異端審問官制服をきっちりと着こなした佇まいは、優等生的な雰囲気があった。
「昨夜、殺害されました」
執務机の前で姿勢を正していたもう一人の異端審問官ルシアーノ・ベルティが即答した。
右腕に手甲型アーティファクト‘フェンリルの氷爪’を装備した屈強な体の背筋を伸ばし、意思の強さを感じさせる太い眉と目鼻立ちをした二十代半ばの若者だが、第八課の‘先輩’である年下のジャンルイジには、常に敬意を払っている。
「詳細は?」
ジャンルイジは、眉一つ動かす事なく更なる報告を促した。
「昨夜、ベレテガ修道院で‘刃’の尋問中に、何者かの襲撃に遭いました。護衛に付いていた駐在騎士5名と供に、鋭利な刃物により致命傷を負わされています」
屈強・頑健さを具現化したようなルシアーノが、爆発神前の感情を噛み殺すように報告する。
「市内に待機している駐在騎士団、並びに衛兵隊各班に緊急待機をさせています。ジャンルイジ審問官の命令があれば、5分以内に出動出来ます。・・・ご命令を!」
「解散させて下さい」

「はっ?」
あまりに平然としたジャンルイジの返答に、ルシアーノは物抜けた声を上げた。
「騎士団並びに衛兵隊は出動の必要もありません。・・・それとルシアーノさんは、僕が要請するまで‘後方待機’でお願いします」 

「待機・・・ですか?」
繰り返し呟くことで、ルシアーノの押さえつけていた感情が爆発した。
「何故です!フォーエイン女史の仇討ちだと言うのに!理由を聞かせてください!」
市庁舎を揺るがすほどの声でルシアーノが怒鳴るのと同時に、ジャンルイジが軽く右腕を振るう。
右腕の先端は机の上に置かれたインク瓶を、ルシアーノの額へと弾いた。
鈍い衝撃音と供に瓶が弾け、飛び散ったインクがルシアーノの両目を塞いだ。
「うっ!」
瞬時に背後に回りこんだジャンルイジが、ルシアーノの右腕を掴むと、足払いをかけ、上体を床へと叩き付けた。
こぼれたインクが、白い絨毯を染めていく。
「これが理由ですよ、ルシアーノさん」
背中に回した右腕を捻り上げながら、ジャンルイジは‘指導’する。
「普段のルシアーノさんなら、この程度の不意打ちに後手は踏みません。‘聖務に私情を挟むのは自由だが、理性は決して失うな’。・・・ライナス・バルグ課長の言葉をあなたはまだ実践出来ていない」
右腕の腱が限界まで伸び、間接が逆方向に曲げられる。
激痛を噛み殺しながらも、ルシアーノは叫んだ。
「‘異端’相手には不覚は取りません!」
「‘異端’がフォーエインさんの死を貶めても、理性を保っていられますか?」
「・・・っ!!」
ルシアーノは、口を結び押し黙る。

「‘理由’については、納得頂けたようですね」
ジャンルイジは捻り上げていたルシアーノの右腕を解放すると、机上から花瓶を取り、中の水でインクに塗れたルシアーノの顔を洗い流した。
「・・・ジャンルイジ審問官は、どうするつもりですか?」
痺れの残る右腕を前後に回しながら、立ち上がったルシアーノの質問に、ジャンルイジは質問で返した。
「現在このメセタに異端に対抗する存在は、僕とルシアーノさん、加えて駐在騎士団と衛兵隊の皆さんがいます。この中で一番‘殲滅戦’が得意なのは誰だか分かりますか?」
左腕に接近戦用AF‘シャランサの左手’-二束の拘束具がついた黒皮の手袋- を被せながらのジャンルイジの問いは、ルシアーノに一つの理解に辿り着かせた。

第八課所属の異端審問官の中でも、ジャンルイジは特にライナス・バルグの信頼が厚い。
少年の面影を残す顔立ちと穏やかな物腰とは対照的に、ジャンルイジは極めて好戦的な正確である。
高い個人戦闘能力を準拠とした白兵戦を好み、‘異端’とは、如何なる取引も妥協も許さず、担当した‘聖務’の殆どが‘異端’の殲滅で終わる。
ルシアーノはフォーエインの死をきっかけに異端の殲滅を決意したが、ジャンルイジに取っては、異端の殲滅は当初目標だ。
同行した錬金術師が死亡したとしても、当初目的に何の変更もない。

‘シャランサの左腕’の装着を終えると、ジャンルイジは壁にかけていた外套を羽織った。
極細の甲銀が織り込まれた特注の外套が、涼やかな音を立てる。
「それでは、出かけてきます。・・・僕は今夜戻りませんが、何かあったら待機中のルシアーノさんの判断で動いて下さい」
振り向いたジャンルイジの顔には、年相応の笑みが浮かんでいた。
戦闘が間近に迫ると、ジャンルイジが浮かべる本能の笑みだ。
普段の温厚な物腰の裏に押さえ込んでいるジャンルイジの闘争本能が異常な高まりを見せ、ルシアーノの背筋を逆撫でる。
「拝命致します。・・・御武運を」
「ありがとうございます。・・・では、行ってきます」
満面の笑みを残し、ジャンルイジは静かに扉を閉めた。


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◇ ちょっと解説
イルドルフの第七課 ⇔ ライナスの第八課
ニュートラル ⇔ カオス

という事で、具体例を出してみたくて構成していました。
‘パナケアの矢’は、僕の中では非常に使いやすい敵集団。
今回はテロリスト色を強くしてみました(自爆テロ)
次回はバトりまくる予定です。

 

ジャンルイジ 転フェイズ
空気が切り裂かれる音
『ライナス・バルグの犬を殺せ!』
無機質な声の唱和が、斜陽の光により赤黒く染め上げられたメセタの街地下層地区に響いた。
異端審問官ジャンルイジは、下層地区の細い路地を疾走する。
街の地図は市庁舎の執務室で一通り記憶していたが、老朽化した集合住宅の拡張と廃材の不法投棄により迷路のように入り組んでおり、方向感覚だけが頼りとなった。
『ライナス・バルグの犬を殺せ!』
唱和と供に朽ちかけた廃屋から、日の届かない廃溝の隙間から、うず高く詰まれたゴミの山から、それぞれ虚ろな目をした男たちが飛び出し、疾走するジャンルイジの前方を塞ぐ。
「出来もしないことは、口にしないことです」
ナイフを、手斧を、銛を手に殺到する三人の男を前に笑みと供に呟くと、ジャンルイジは姿勢を僅かに低くして更に速度を上げる。
突き出された銛が眼前に迫ると、黒い皮手袋-AF‘シャランサの左手’-を装着した左腕で銛の先端を掴む。
そのまま左腕を支点に跳ね、空中で前転をする。
疾走の速度に前転の勢いを加えた右足を、銛の男の後頭部に合わせた。
更なる跳躍をするための‘踏み足’であり、男の頚椎を破壊するための‘浴びせ蹴り’を同時に仕掛けたジャンルイジは、外套の裾を翻し大きく前方へと跳躍する。
「ライナス・バルグの犬を殺せ!」
ナイフと持った男と、手斧を構えた男が口々に叫びながら、ジャンルイジへと振り返る。
「そろそろ聞き飽きました」
体重を感じさせない動作で着地したジャンルイジが呟くと同時に、崩れ落ちた銛の男が紅い閃光に包まれた。
左胸に埋め込まれた‘火晶石’が、同調した心臓の鼓動の停止により活性状態となり爆発し、粘性の高い爆炎はナイフの男と手斧の男も巻き込み、それぞれの胸に埋め込まれた‘火晶石’を誘爆させた。

「14、15、16」
爆音を確認したジャンルイジは、小さく吐き出す。
この下層地区に入ってから、ジャンルイジがへし折った‘刃’の数だ。
薄暗い迷路のような下層地区に周到に配置された‘刃’達は、ジャンルイジに休む間を与えずに、次々に襲い掛かった。
不意を討とうと、数で押そうと、地の利を活かそうと、ジャンルイジと‘刃’には、絶対的な戦力の格差がある。
それ自体、ジャンルイジにとっては、‘羽虫を振り払う程度’の手間にしかならない。
だが・・・。
「・・・来る!」
半身を捻り、背後から飛来した短矢をジャンルイジは回避する。
爆発により発生した熱と光と爆風が、ジャンルイジの視覚と聴覚を僅かに鈍らせた瞬間の攻撃だった。
この下層地区に足を踏み入れたから、決して姿を見せず執拗に後をつけ、戦闘の際のジャンルイジの癖を探りながら遠距離攻撃にて追い込んでいた。
事実上、この対峙相手との戦闘を続けているといっていい。
‘刃’がどれだけ揃おうと、それは‘対峙相手’の壁であり、仕掛罠であり、目隠しに過ぎない。
そのことを対峙相手は精確に把握し、その上でジャンルイジに誘いをかけている。
冷静で沈着、それが姿の見えない対峙相手へのジャンルイジの感想だ。
駆け引きと瞬時の判断を要求される緊迫感が、ジャンルイジの闘争本能を心地よく駆り立てる。

回避した先にも、短矢が連続して打ち込まれる。
ジャンルイジの回避を予測しての射撃だった。
矢身の長さから判断すると、射撃距離は四十メートル。
さらに射線を考慮すると射撃位置は限られるはずであったが、ジャンルイジの視覚・聴覚をもってしても対峙相手の気配を察知する事は出来ていない。
「お手本にしたいくらいの正確な射撃ですね」
回避が不可能と瞬時に判断したジャンルイジは、外套の留具を外し、短矢を絡めとる。
射線をさえぎるため、そのまま建物の間を縫い目の洋な細い路地へと飛び込んだ。
路上に横たわっていた浮浪者を飛び越え、疾走を再開する。
このまま‘追いかけっこ’を続けるわけにはいかないが、‘対峙相手’との距離を詰めなければ埒があかない。
近接戦闘には、ジャンルイジは絶対の自信がある。
問題は近接戦闘への持ち込み方だ。
「っと?」
ジャンルイジの足が止まる。
寝ていたはずの浮浪者の右腕が、俊敏な動きで飛び越したジャンルイジの足首を掴んでいた。
強靭な握力が足首を圧迫する音を聞きながら、ジャンルイジは自分がこの場所に‘逃げ込んだ’のではなく、‘追い込まれた’事を悟った。
「・・・用意周到さも見習わなければいけないようですね」
「ライナス・バルグの犬を殺せ!」
自嘲めいた苦笑いを浮かべるジャンルイジを見上げると、浮浪者は黄ばんだ歯をむき出して笑い、逆手に握ったナイフを自分の首筋へと突き立てた。
17番目の爆炎が、一際大きく残照の路地を染め上げた。

 

◇ ちょっとだけ解説
ジャンルイジ ≒ 黒いキールベイン
悪辣としたキャラは苦手なので、動かしやすいキャラをカスタマイズ。
でもやっぱり難しい。

るろ剣のあとがきにて、和月が斉藤一を「ダーティーヒーロー」として書いていると連呼していたのを思い出します。
「悪・即・斬」と「牙突」で人気を博した訳ですが、「孤高≒ストイック」が見事に演出されていたのが印象的でした。
でも「孤高≒さみしんぼ 

 

後編:

老朽化した建物の壁が爆発の衝撃で半壊し、崩落する瓦礫が巻き上げる埃煙が仄暗い裏路地に立ち込める。
ゆっくりと霧散すると埃煙を掻き分けるように、二振りの短剣の放つ鈍い光を伴い、‘剛刃’が近づく。


「・・・ライナス・バルグの犬を殺せ」
無造作に後部で束ねた赤髪を揺らしながら、呻くような声で呟く。
おびただしい数の瓦礫で構築された山の下から、黒い外套を纏った右腕が突き出ていた。
袖口を赤黒く染め、散り際の無念を誇示するごとく、‘掴みかけ’の形で指が開いていた。
「・・・ライナス・バルグの犬を殺せ」
再び喉の奥で呻きながら、‘剛刃’は逆手に握った短剣を、瓦礫に埋もれた右手に突き刺した。
状況から爆発に巻き込まれた異端審問官ジャンルイジの死亡は明白だが、‘刃’の存在価値を示すのは完全な死亡を確認しなければならない。
突き刺した短剣を引き、ジャンルイジの死体を瓦礫の下から引きずりだそうとする。
「!?」
短剣の手ごたえは、あっけないほど簡単なものだった。
引き出した右腕は、肘から先が無かった。爆発で吹き飛んだのではない。
肘の先は鋭利な刃物で切り取れたかのような均整な切断面であり、さらには右腕自体が中年のものであった。
この右腕はジャンルイジのものではない。
18番目の爆発をした浮浪者の身なりをした‘刃’のものだ。
‘剛刃’は短剣を振り右腕を捨て、叫んだ。
「・・・ライナス・バルグの犬はどこだ!?」


「ここですよ」
平然とした声は、‘剛刃’の真後ろからだった。
「あなたには‘追いたてられて’ばかりいたので、逆に‘誘い出して’みました」
少年の面影を残すジャンルイジの顔には、文通相手に初めて対面したかのような憧憬めいた笑みが浮かんでいた。
実際に、ジャンルイジは緊迫感を強いられる追走劇を仕掛けてくる相手に敬意を抱いていた。
‘楽しめる戦い’は、ジャンルイジが何よりも欲する事だ。
両足を肩幅に開いた自然体の姿勢で、ジャンルイジはようやく対面した赤髪の‘女’に語りかける。
「さあ、‘ライナス・バルグの犬’をどうするんですか?」
「ライナス・バルグの犬を殺せ!」
「不可能です」
‘女’が射投の動作に入るのは早かった。
それ以上に、ジャンルイジが動くのは早かった。
蛍火に似た淡い光に包まれた黒手袋を纏った左手が一閃すると、女が構えた短剣は砂糖菓子のように砕け散る。
「ライナス・バルグの犬は凶暴です」
ジャンルイジの繰り出した右足が、二度揺れる。
「か、はっ!」
蹴戟により鳩尾と頭部が揺さぶられ、‘女’の呼吸が詰まり、意識に暗幕が掛けられる。

瓦礫の上に崩れ落ちた‘剛刃’をうつ伏せに押さえつけると、ジャンルイジは‘剛刃’背に体を乗せ、右腕を脇で挟むと捻り上げる。
「くっ!」
‘剛刃’の上げる苦悶の声を無視すると、ジャンルイジは‘いつもの流れ’を実行する。
「これより法王庁異端審問局聖務法に基づき、貴公への‘簡易審問’を開廷します。当方の質問に対しては、主の名に基づいた明瞭な回答を推奨します。・・・と言うのが公文上の文言ですが、要は‘手間掛けさせるなよ、異端さん’ということです。これから僕が聞く‘三つの質問’に、速やかに答えて下さい」
「ライナス・バルグの犬を殺せ!」
「一つ目の質問です」
素早く身を捩り、脱出を図ろうとした‘女’を、ジャンルイジ巧みな体重移動で押さえ込む。
「あなたの‘家’はどこですか?」
「ライナス・バルグの犬を殺せ!」
女の更なる抵抗を確認すると、ジャンルイジは捻り挙げた女の右腕に、自分の体重を半分ほど乗せた。
低音の鈍い音と供に、右肩の間接が砕けた。
「っ!」
女の口から苦痛の吐息が漏れ、さらに激しく身を捩るがジャンルイジの表情は変わらない。
「二つ目の質問です」
折れた右腕を離すと、素早く左腕を取り捻り上げながら、ジャンルイジは質問を続行する。
「昨夜、国家錬金術師フォーエイン・サンドと駐在騎士五名を襲撃し、殺害したのはあなたですか?」
「私は・・・‘刃’、だ・・・。錬・・・金術師フォーエイ・・・ン・サンド、の、殺害は・・・、ラ・・・イナス・バル、グを殺す・・・為に必要・・・だ・・・」
「なるほど、良く分かりました。・・・それでは、僕の判断ミスでフォーエインさんを死なせたことになりますね」
女の掠れた回答が、ジャンルイジの顔に僅かに影が浮かべさせたが、それもすぐに消えた。
「それでは最後の質問です」
ジャンルイジは右腕で女の手を絞り上げ、左腕に填めた‘シャランサの左手’を女の後頭部に合わせながら質問を続けた。
状況に関らず、‘異端者’に‘判決’を下すときは、異端審問局より賜与されたアーティファクトで行うのが、ジャンルイジの流儀だった。


「あなたはいつ‘刃’になりましたか?」
返答に期待はしていなかった。
他の‘刃’よりも多少は高度な洗脳が施されているとは言え、‘パナケアの矢’の組織情報に関することは、全て思考パターンから排除される。

「‘乾き’が消えてからだ」
予想外の答えが返ってきた。
「‘乾き’・・・ですか?」
「‘刃’になる以前の私は、常に‘乾いて’いた。あらゆる事をしても‘乾き’が消える事は無かった。‘乾き’が消えて、私は‘刃’となった」
女の返答は、それまでの無機質なものとは違っていた。
記憶をさがるような曖昧な口調だ。
ジャンルイジは、‘判決’を延期し、さらに質問を続けることにした。
「‘乾き’とはなんですか?」
「覚えていない。・・・だが、‘乾き’がある限り、決して心が潤うことは無かった。‘刃’になる以前の私は、あらゆる手段をもちいて‘渇き’を消そうとしていた」
夢の記憶を辿る様な頼りない独白の内容を理解する事は不可能であったが、ジャンルイジは一点だけ理解した。
特殊薬物を用いる‘パナケアの矢’の洗脳は、元の個人人格を完全に塗りつぶし、死を恐れず上層部の命令に従うだけの‘刃’に作り変える。
だが、ジャンルイジの質問がきっかけで浮上した女の‘渇き’は、それでも完全には消せないほどの強固なものであったのだろう。
ジャンルイジが押さえ込んでいる女のしなやかな肉体は、繰り返された鍛錬により鍛えられたものだ。
つまり・・・。
「あなたは、‘渇き’を消すために為に‘強さ’にすがった。絶対の‘強さ’が全てを満たすと憧れ、体と技術を鍛え上げた」
「・・・それでも‘渇き’は消えなかった」
女の言葉は虚ろなものだが、ジャンルイジの推測を肯定した。
「だから‘刃’になったのですか?自らの意思を持たず、命令のままに行動する‘刃’であれば、‘渇き’が消えると考えたのですか?」
「・・・そうだ」
女の口調が変わった。
受け答えが明瞭になる。
「人間であるから‘渇く’。‘刃’となれば、‘渇く’ことはない」
「あなたは、人間ですよ」
ジャンルイジの声質も僅かに変わった。
抑揚が消えた平坦な響きが、裏路地に流れる。
「違う」
「なぜです?」
「人間は爆発しない」
「それだけですか?」
「それ以外に理由はいるのか?」
顔を僅かに捻り、女が視線をジャンルイジに向けた。
そこに感情を見ることはできない。
だが、女は‘勝ち’を確信していた。

「・・・今の言葉、忘れるなよ」
ジャンルイジの声が硬質に変わり、表情から笑みが消えた。
左手で赤髪を掴むと、強烈な勢いで瓦礫へと打ち付ける。

手加減は一切なく、女の上にジャンルイジの体重を被せた一撃だった。
女の額が割れ、飛び散った血が瓦礫を赤く染めた。
「付け上がったな、異端者風情が・・・」
ぐったりとした女の体を仰向けにすると、腹の上に馬乗りになる。
襟元へ手を掛けると、一気に引き裂く。

女は微かに身を捩ったが、それだけだった。
「‘死罪判決’にしてやるつもりだったが、お前は僕を怒らせた。お前みたいな考えの奴は、僕を最も不快にさせる。・・・予定を更だ」
規則正しく上下する小ぶりの乳房の上に埋め込まれた拳程の‘火晶石’の上に左手を合わせる。
ジャンルイジが左手に填めていた黒い皮手袋 -B級アーティファクト‘シャランサの左手’- の手首は、革と鎖が混合した二本の留具で巻きついている。
留具は十字を模した錠前で固定され、鍵穴の代わりに弾層が設けられている。
「‘第一種封印弾’装填!」
先程使用した‘第二種封印弾’の薬莢を弾装から排出し、聖句の刻まれた銀の弾丸を装填する。
錠前が二本の留具を巻き取ると、黒い革手袋の表面に発行する複雑な聖印が浮かび上がった。
「騒いだら目玉を抉る。暴れたら背骨をへし折る。・・・‘見えざる手’を発動している間は、細かい動きをするのは手間なんだ」
ぐったりとした女の体が僅かに抵抗したが、ジャンルイジの左手は女の左胸に潜り込んだ。
‘シャランサの左手’-物質透過の能力を備えたAF-は、潜り込んだ女の左胸から、心臓と‘火晶石’との境界面を探り当てる。
「物理的な結合はされていないか。・・・やっつけ仕事だな」
脈動する心房の真上に‘シャランサの左手’を添え、一呼吸で‘火晶石’を抜き取ると、遥か上空に‘火晶石’を投げ捨てる。
心臓の鼓動により安定化が図られていた‘火晶石’は、直後に爆発し、叩きつけられた爆風が、付近の廃屋の屋根を吹き飛ばした。

「これであなたは、爆発しません」
‘シャランサの左手’に再び留具が固定されるのを確認しながら、ジャンルイジは言った。
口調にはいつもの明朗さが戻っている。
「爆発しなければ、あなたは‘刃’ではない。・・・人間です」
解放された女の左手が、自分の左胸を撫でた。そこには硬質な感触はすでに無く、抉られたような窪みの下から力強く脈動する心臓の鼓動が伝わってきた。
「‘簡易審問’の判決を告知します」
ぼんやりとした意識で、女はジャンルイジの言葉を聞いていた。
「貴女は、異端組織‘パナケアの矢’の‘刃’となり、破壊活動ならびに暗殺行為の中心を担い、その結果多くの生命が失われ、法による平穏が乱された。よって・・・」
短い沈黙が支配した。
「人間について、もう少し考えて下さい。後は勝手に生きるも、勝手に死ぬのも自由です」
それだけ言い残し、ジャンルイジは暗闇の帳に包まれた路地裏へと消えた。

女は瓦礫の上に横たわったまま、呆然としていた。

鈍い痛みが支配する額に手を当てると、流れ続ける血が手のひらを染める。

自らの身から流れる血は赤く、暖かかった。
「私は‘刃’ではない。人間だ」
ジャンルイジの残した言葉を口に出すと、空虚感が広がった。
人間と言われたことの開放感も幸福感も皆無だった。
‘刃’でいればどんな苦しみも無縁だった。
‘火結石’を失った今、人間になった苦しみが重くのしかかる。
行き場所の無い苦しみ。
誰にも愛されない孤独。
この瓦礫の山と同様に、なにも無い。
過去も、未来も、名前さえも。
大事なものは何も無い。
あれほど固執していた‘渇き’の感覚が何であったのかも思い出せない。
あの異端審問官は、‘火晶石’を取り出し、代わりに空虚な閉塞感を埋めていった。
女は膝を抱えて、泣いた。

 

ジャンルイジ 結フェイズ

メセタの街の下層地区。
廃材と貧困が蔓延する街の繁栄から取り残されたこの地区の最奥部に、‘それ’は存在した。
地下80メートルまで彫られたすり鉢状の炭鉱跡。
アスガルド鉄道の開通がもたらした良質な石炭により、廃棄されたかつての夢の跡。
‘刃’の潜んだ下層地区を駆け抜けたジャンルイジが辿り着いた異端組織‘パナケアの矢’の巣窟。

「待ちくたびれたぜぇぇぇ!」
炭鉱の中腹に立ち、眼下に穿たれた大穴を見下ろしていたジャンルイジの頭上から、獣のような咆哮が迫った。
澱んだ空気を裂く音に、ジャンルイジは擦り切れた外套を引きずるように、身をかわす。
直後にジャンルイジが立っていた場所に、成人男子の身長程の直径の巨岩が叩きつけられる。
爆発したかのように飛散した無数の岩片が、ジャンルイジの体を炭鉱穴へと弾き飛ばした。

「歓迎するぜ!‘ライナス・バルグの犬’様よォ!」
ジャンルイジが立っていた足場よりも、一層上段の採掘場に‘凶刃’は立っていた。
テーブル状の足場には、採掘途中の鉱石の山、採掘工具、トロッコが置き捨てられている。
陽光の届かない鉱山穴の底へ落下していくジャンルイジを見下ろすと、凶悪な角度に口端を吊り上げるた‘凶刃’は、足場に転がった子牛程の岩石を右手一本で掴んだ。
重さを感じさせない軽がるとした動作で岩石を持ち上げ、落下を続けるジャンルイジに対し、弾丸を思わせる速度で投げつける。
「ひゅっ!」
落下中のジャンルイジは短く息を吐き、体軸の中央で‘シャランサの左手’を構える。
第二種封印弾が装填されたB級AFは炎を纏い、投げつけられた岩石を叩き落とした。
ジャンルイジは鉱山穴の岩壁を蹴り、薄暗い穴底へ着地する。
「待ちくたびれたぜ、‘法王庁のワンちゃん’様よ。屑共の掃き溜めを抜けるのに、どれだけ時間を無駄にしているんだよ?」
‘凶刃’の不遜な笑いが、鉱山穴に響き渡った。
僧衣を埃に塗れながら坑道の底に立つジャンルイジを、‘凶刃’は獣めいた眼光で見下した。
「待ち時間が十分にあったのなら、もう少し気の効いた歓迎をしてもらいたいものですね。‘頭上からの不意打ち’程度なら、ヘルデ山脈の雪猿でも出来る」
頭上を見上げると、飛散した岩片が掠った額から流れ出した血がジャンルイジの頬を伝った。
右手の甲で拭うと、ジャンルイジは僅かに目を細めて、二層上の足場に立つ‘凶刃’を見上げる。
「流石‘ライナス・バルグの犬ッコロ’は、よく吠える」
再び‘凶刃’は、傍らの岩石を掴むと、続けざまに投げつける。
自由落下をはるかに超える速度で迫った岩石は、弾丸の様に回避したジャンルイジの影を叩いた。
「・・・AFの使用形跡はない?」
「お前達異端審問官と違って‘アーティファクト’なんていうチンケな玩具でズルはしねぇ。この‘凶刃’様は‘選ばれた者’なんだからな!」
再び笑うと、‘凶刃’は大人二人分はある岩塊を無造作に片手で掴み、持ち上げる。
「‘重力の軽減化’。・・・‘パナケアの矢’に‘異能者’とは珍しいですね」
「ガキの頃の俺様の才能に惚れ込んだシュルズベリの爺が、引き込んだのさ。・・・‘特別な’俺様はどんな事をしても許された。望めば全てが手に入った。殺しも女も全てが思うがままだ。・・・お前が倒してきた屑‘刃’なんかとは一緒にするなよ、ライナス・バルグの馬鹿犬よぉ。この俺は‘パナケアの矢’最強の‘凶刃’様だ!!」
「それは都合がいいですね」
「あん?」
「探さなくても‘最強’が出てきてくれた。・・・僕は‘聖務に私情を挟む’のが大好きなんです」
「上等だぜ、‘馬鹿犬’!!」
叫ぶと同時に、‘凶刃’は岩塊を投げつけた。

かき集められた鉱石。
土嚢。
スコップ。
鉄杭。
運搬用のトロッコ。
レール。
採掘用油を入れたドラム缶。
‘凶刃’は手に掴んだ物全てを投げつける。
あるものは‘弾丸’であり、あるものは‘砲弾’の破壊力を持って降り注ぐ中、ジャンルイジは雪豹のように身を屈めて疾走する。
異端審問官制服の胸ポケットから‘風’式錬金印が刻印された第三種封印弾を取り出し、‘シャランサの左手’の錠前に装填する。
狙うは一瞬。
感覚を研ぎ澄まし、‘凶刃’の呼吸の‘間’を感知する。
「‘第三種封印弾’、開放!」
‘凶刃’の息継ぎの間に、ジャンルイジは‘シャランサの左手’を足元に叩きつける。
掌より放出された収束された強風が、ジャンルイジの体を上空まで一機に舞い上げる。
空中でバランスを整えると、中腹にせり出した足場へ身を投げた。
「残念ですね。・・・遠距離戦を保っていれば、まだあなたにも勝ち目はあった」
「接近戦に持ち込めば、なんとかなると思ったか?」
‘砲弾の雨’をかいくぐり、自分と同じ足場まで詰めたジャンルイジを嘲笑と供に迎えると、‘凶刃’は無造作に右手を伸し、傍らの鉱山用の足場を支える鉄骨を引き抜く。
重装騎士が構える長槍を遥かに越える鉄柱だが、‘凶刃’にとっては、食事用のナイフを振るうのと変わらない。
「どこから叩き潰されたい?足か?腕か?」
「その前に・・・」
左手を重心より僅かに下げた半身の構えを取りながら、ジャンルイジは忠告した。
「出来もしない事は言わないことです」
「・・・決めたぜ。頭を吹き飛ばせば、その減らず口も叩けまい」
唸り声のような呟きと共に、鉄柱がジャンルイジに振り折らされる。
高速の一撃を、ジャンルイジは僅かな体重移動で右に避わす。
無呼吸でつないだ二撃目は、左に。
さらに速度を増した三撃目は、もう一度右に。
「間合いが長ければいいと言う訳ではありませんよ」
‘忠告’と共に、振り下ろされた四撃目を‘シャランサの左手’の硬度と手刀で弾く。
僅かに仰け反った‘凶刃’の懐へ、山猫のように飛び掛ると、速度と体重を乗せた膝蹴りを、無防備な‘凶刃’の腹部へ叩き込む。
「ごあはっ!」
「接近戦の間合いの長短なんて、一秒もあれば詰められます」
「調子に乗るなぁ、クソ犬がぁ!」
胃液を撒き散らしながら、‘凶刃’は足元の砂を蹴り上げる。
細砂に目を潰されたジャンルイジは、自らの体を‘凶刃’にぶつける。
間合いを消した中で‘凶刃’の腕を押さえ込もうと伸ばされた‘シャランサの左手’に、‘凶刃’は全力で鉄柱を叩きつけた。
骨がひしゃげる音と供に、ジャンルイジの左肘が百八十度捻じ曲がる。
「っ!!」
「お祈りにはまだ早いぜぇ!」
動きが止まったジャンルイジの頭部を、続けざまに横殴りに振るわれた鉄柱が強打した。
薄暗い闇の中に鮮血の花が咲き、ジャンルイジの体が地面に叩きつけ、乱れた呼吸が鉱山穴に響いた。

「最初から犬らしく地面に這っていればいいんだよ!よく似合っているぜ!」
胃液を口元にこびり付かせたまま、‘凶刃’は笑う。
「さて、次は犬らしく派手に泣き喚いてもらおうか」
鉄柱を振り上げ、仰向けに転倒したジャンルイジの両膝に振り下ろそうとした瞬間、ジャンルイジはの上体が跳ね上がる。
「何!?」
地面を叩いた鉄柱を持つ‘凶刃’の右腕をジャンルイジが掴むと、そのまま立ち上がりながら捻り、全体重を乗せた。
「がはぁっっっ!」
‘凶刃’の右肩の腱が捻じ切られ、激痛が全身に駆け巡る。
右手から落ちた鉄柱が地面を叩く硬質な音が、鉱穴に響いた。
「何故喚くのですか?」
右手を離すと、ジャンルイジは右肩を抑えうずくまる‘凶刃’から5歩、後退する。
「お互い潰れたのは、たかが右腕一本・・・」
再度の間合いをとったジャンルイジは、仕切りなおしを要求するように自然体で‘凶刃’と向き合った。
強打された頭部から出血は、ジャンルイジの黒髪を赤く染めている。
「戦いはこれからじゃないですか」
前髪から滴る血を拭いもせず、ジャンルイジは笑った。
純粋な楽しみを前にした、自然な笑みだ。
溢れ出る闘争本能に全身を震わせ、少年のように笑っている。
日常のジャンルイジの温和な物腰の裏には、第八課の中でも指折りの好戦的な性格が隠されている。
こと戦闘において苦境になればなるほど、ジャンルイジの闘争本能は風に煽られた炎のように激しく吹き荒れる。
異端との妥協や取引を決して許さず、ほぼ全ての‘聖務’を異端者の‘殲滅’という形で終結する。
それが、第八課課長ライナス・バルグが、‘異端審問官’ジャンルイジに絶大な信頼を寄せる理由だ。

「さあ、仕切り直しです。後10秒だけ待ちます。9、8・・・」
頭部からの出血は止まっていない。
前髪から滴り続ける流血が180度逆を向いた、左腕の‘シャランサの左手’を赤く染める。
負傷によるジャンルイジの肉体への負荷は、‘凶刃’を数倍上回っているはずだ。
「7、6、5・・・」
「ま、待て!」
だが、‘凶刃’はジャンルイジに気圧されていた。
少年の面影を残した‘ライナス・バルグの犬’が、‘凶刃’を喰らっていた。
「4、3、2、行きます」
「くそったれぇ!」
正面から蹴りかかってきたジャンルイジを、‘凶刃’が振り払った左手が掠る。
‘重力の軽減化’されたジャンルイジの体は、紙屑のように吹き飛ばされ岩壁に激突する。
「コレくらいは楽しませてもらわなくては。・・・お祈りの時間にはまだ早いですよ」
受身を取り、砂塵を落としながら立ち上がったジャンルイジに対し、‘凶刃’は色濃く浮かんだ焦りの表情と供に吐きつける。
「この・・・化物めぇ!」
「化物?・・・違いますよ。僕は・・・」
ジャンルイジが雪豹の様に低い姿勢で、‘凶刃’に迫る。
再び振り払われた‘凶刃’の左手を、二歩の小刻みなステップを踏むことでかわす。
直後に右手で、腱の断たれた‘凶刃’の右腕を掴む。
「ごはっ!」
「・・・‘ライナス・バルグの犬’です」
掴んだ腕を引き寄せ、‘凶刃’の全身に蹴りを浴びせる。
一撃一撃に乗せられた筋繊維を破壊し、骨を砕く重みに‘凶刃’は外聞を捨て、悲鳴を上げた。
「があぁぁぁぁ!」
ボロ雑巾のような身を捻り、激痛を無視して右腕を振り上げると、‘凶刃’はかろうじて間合いから離れる。
「ま、待て。取引をしよう異端審問官。い、今まで貴様らの知らなかった‘パナケアの矢’の情報を教えてやる!」
「‘パナケアのご存じなかったんですか?」
這いつくばりながら必死で懇願する‘凶刃’の姿が、ジャンルイジから熱を奪った。
戦いに身を沈めた高揚感が急速に冷め、失望感へと変わる。
必然的に硬質な冷笑が頬に浮かぶ。
「ライナス・バルグの犬は、凶暴です」
今度は忠告なしで、ジャンルイジは飛び掛った。
直後に絶叫が、鉱山穴に響き渡った。

>つづく

○ちょっとだけ解説。
‘凶刃’≒ハイテンション系≒DQN系≒マガジンヤンキー漫画の敵
気持ち良く暴れて負けてくれる敵は楽しいです。
黒キールベインもようやくそこそこ動いてくれました。ダーティーヒーローというカテゴリーでキャラが立っているかは微妙ですが。

ワンシーンのバトルの尺としては、今の漏れにはこれが限界。
流れで言えば、「押して、押されて、押し返す」
理想の流れはダイ大の「チェス軍団」の皆さん。
全キャラ2週で全てを出し切るという密度の濃さと、きれいな流れをリスペクト。

 

 

「ひゃ、はっ・・・」

仄暗い炭鉱の底に、声にならない声が漏れた。

「まさ、か・・・、この‘凶刃’が・・・」

間合いを詰められ、至近戦に持ち込まれてからは勝負にならなかった。

黒衣の異端審問官の放つ重く、早い拳は、‘凶刃’に反撃も回避も許さず、肺を潰し、臓器を穿ち、脊髄を砕いた。

相手の右腕は、肘からしたがダラリと垂れているため、左手一本の攻撃にも関わらずだ。

薄れいく意識の中、もはや戦闘になっていないことを‘凶刃’は認識していた。

これは、一方的な暴力だ。
異端組織‘パナケアの矢’の中でも、常に前線を渡り歩き、血と屍を築き上げてきたこの‘凶刃’が、暴力に晒されている。

耐え難い屈辱だった。

・・・だからこそ。

 

「・・・お前の負けだ、ライナス・バルグの犬め」

 

 

‘パナケアの矢’の構成員である‘刃’は、薬物による洗脳と心臓と連結した火晶石が埋め込まれた、使い捨ての利く構成員である。

‘自動人形(オートマター)’のように、組織の命令には絶対服従であり、死亡と同時に火晶石が爆発し、死と破壊を撒き散らす。

そして、幹部と言える‘凶刃’には、火晶石よりも遥かにやっかいなものが埋め込まれていた。

「‘悪魔の目’!?」
‘凶刃’の左胸に埋め込まれた鉱物と肉腫の合成物のような眼球を、ジャンルイジは過去の聖務で一度だけ目撃したことがあった。

ジャンルイジの決断は早かった。

小細工はいらない。

人間を‘悪魔’へと変貌させる‘禁忌物’は、時として、異端審問官の戦闘力を凌駕する怪物を生み出す。

対‘悪魔’の鉄則通り、‘悪魔の目’を使用した対象の肉体が、完全な‘悪魔’へと変貌を遂げる前に、契約の鍵である‘悪魔の目’を破壊する。

 


「・・・正解だ」

左手に装備した黒手袋-AF‘シャランサの左手’-を打ちつけようとするジャンルイジを前に、砕かれた頬骨をきしませ、‘凶刃’は笑った。

「・・・もう遅えがな」

‘凶刃’の心臓は既に‘悪魔の目’と同調している。

全身に送り出された‘青い血’が、細胞を歪め、変膨させ、異質な器官へと作り変えつつある。

全身の傷も再生し、さらなる柔軟性と硬度を持つため変異を続けている。

先ほど捻じ切られた右肩の腱も復元し、さらに新たな力が加わっているのを、‘凶刃’は感じていた。

 


「ひゃっ!」

右腕を振るう。

細く、槍のように捻られた腕が、振り下ろす直前のジャンルイジの黒手袋の下、左手首を貫いた。

「っ!!!」

声にならない絶叫が、ジャンルイジの喉から吐き出された。

「痛えか?痛えだろうなぁ。・・・だがな」

ジャンルイジの手首を貫いた槍が、内側から‘枝’を張った。

手首を食い破った‘枝’が、四方に広がる。

「弄り殺されるまで、痛みは続くぜぇ!!」

朱肉の槍は鞭へと変わり、大きくしなった。

釣り針にかかった魚のように、ジャンルイジの体が持ち上げられる。

「ぐああああ!!!」

「いい様だぜ、‘ライナス・バルグの犬’様よぉ!!」


鞭は大きく撓ると、岸壁へジャンルイジを叩きつけた。

 

「両腕が動かなければ、接近戦一辺倒の貴様はゴミみたいなもんだ」

全身を強打し、うずくまったジャンルイジに、‘凶刃’は侮蔑の言葉を叩きつける。

「お家芸のアーティファクトを使ったらどうだ?あん!?」

鞭を僅かに手繰る。

それだけで、倒れ臥した異端審問官の体は、面白いように痙攣した。

「いい事を教えてやる。貴様と入れ替わりに、炭鉱最下層に閉じ込めていた‘暴刃’をメセタの街に放った」

暗闇の中でも十分に認識できるほど、‘凶刃’の頬が大きく歪む。

「なんでも‘喰う’異能力の持ち主だが、とにかく馬鹿でな。どれだけ薬を投与しようと、命令をききやしない。今頃待ちは地獄の宴の最中だろうよ」

引きつった笑いが、‘凶刃’を支配した。

「喰いつくされた街に、縊り落とした貴様の首を飾ってやるぜ。あの男を、・・・ライナス・バルグを誘き出すためなぁ!」

 


激痛が左手首を中心に、全身へと広がっている。

内側から四方へ伸びた‘枝’は、抜く事は不可能だろう。

僅かに動かすだけで、新たな激痛が生まれる。

だが、対照的にジャンルイジの精神は冷え切っていた。

‘異端’と対峙する時はいつもそうだ。

窮地に陥れば陥るほど、精神は研ぎ澄まされ、底冷えのする高揚感が溢れ出る。

状況を認識し、最良の手段を選択する。

現状の窮地は、一歩踏み出すだけで勝機に変わる。

勝利に奢る‘凶刃’の胸には、まだ‘悪魔の目’が膨張する体細胞に飲み込まれる最中だ。

一撃を加えるだけで、事は足りる。

問題は、左腕に食い込んだ槍だ。

‘凶刃’との距離は、約十m。

槍を抜かなければ、間合いは詰められない。

ジャンルイジの決断は早かった。

 


「無駄だぜ」

うずくまっていたジャンルイジが、袖口に縫い付けられていた投擲用のナイフを咥えるのを見て、‘凶刃’は嘲笑した。

「そんなオモチャで、この俺には傷は・・・」

それは、一瞬の出来事だった。

うずくまっていたジャンルイジの体が僅かに揺れた後、‘凶刃’に向かって大きく跳躍した。

「なんだぁ?」

間の抜けた声を出しながらも、鞭を手繰り、ジャンルイジを叩き落とそうとする。

だが、空中で大きく半身を捩ったジャンルイジは、鞭の軌跡をかわし、着地と同時に呼吸を入れずに再度跳躍する。

‘凶刃’の頭上でジャンルイジは、右足を屈めた。

「・・・お待たせしました」

底冷えのする眼光が、‘凶刃’を見下ろしていた。

流血と泥にまみれたその顔は、確かに笑っていた。

「てめえは!!」

‘凶刃’は叫んだ。

叫ばずにはいられなかった。

「裁きの時間です」

ジャンルイジの右足が鋭い軌跡を描き、聖句と供に‘悪魔の目’に振り下ろされた。

「‘安らかなる眠りをもって、汝の生に意味を与えん’!」

‘硬化銀’が埋め込まれた靴底は、‘凶刃7の絶叫と供に、‘悪魔の目’を砕いた。

 

 


「て、めえは・・・」

細胞の老化は急速に進行し、‘凶刃’の全身は灰のように崩れていく。

眼前に立つジャンルイジから、絶え間ない流血が足元を赤く染めていた。

ジャンルイジがナイフで切り落としたのは、自分の左手首だった。

憎悪と、悔恨と、そして畏怖を込めた視線をジャンルイジに送る。

「てめえは、・・・何なんだ?」

生涯の最後で生まれた、最大の疑問を‘凶刃’は最後の言葉にした。

‘異端’を、‘悪魔’を、敗北を、死すら恐れずに、迷わず自らの手首を切り落とす存在を、なんと呼べばいいのだろう。

「ライナス・バルグの犬。・・・あるいは」

ジャンルイジは‘凶刃’の頭部に右足を踏み降ろす直前に、微笑みと供に告げた。

「・・・異端審問官です」

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