2-3 小話「彷徨編:No2,5,9」
第四教区パナコスの砦。
統一戦争中期に建設されたこの雪原の砦は、中央大陸より派遣された聖騎士団が、半島北部を支配するミッドガルド王国攻略の前線基地として、橋頭堡としての役割を果たした。
統一戦争終結後も、第四教区辺境の治安維持の中核としてその存在感を示したが、新聖暦55年にアスガルド鉄道が開通したことで、第四教区の中心が駅のあるフォートセバーン市に移った後は駐在する騎士団の規模は縮小された。
それでも百年近くにわたり第四教区を見守り続け、陥落とは無縁の砦であった。
しかしその不落の砦は、今、むせ返るような血臭に満ちていた。
たった二名の侵入者によって。
砦内部の廊下に築き上げられた盾と木箱による即席のバリゲードが、防衛戦の激しさを示していた。
石床には、折れた剣や砕けた斧が散乱している。
何としても、侵入者の排除を試みた騎士団の執念が見て取れる廊下を、漆黒に染め上げられた鉄鎧を着込んだ男が、黙々と歩いていた。
やがてテラスへと続く薄暗い階段に差し掛かると、男は一度足を止めた。
階段を見上げると、岩のように無表情であった男が、僅かにその太い眉をしかめた。
血臭いがたちこめた階段の両壁には、無数のオブジェが縫いとめられていた。
いずれも、パナコスの砦に駐在し、侵入者から砦を死守するために剣を抜いて戦った騎士達のものだ。
石壁に両腕、両肩が鋼の羽によって打ち込まれた後、腹を切り裂かれたのであろう、内蔵が自重でずり落ちていた。
動きを封じられた犠牲者達は、想像を絶する苦痛に苛まれ、もがき、さらなる苦痛を呼び込む。
「・・・」
地獄のような光景に、黒鎧の男は再び眉をしかめると、無言のまま一度収めた剣を抜き、階段を登り始めた。
手にした剣で、まだ死にきれず涸れた喉から掠れたうめき声をあげている騎士に、安息を与える。
階段を登りきるころには、男の鉄靴は踵まで血で濡れていた。
テラスには先客がいた。
風にまじるように降る霧雨に、全身を濡らしながらも、目まぐるしく紋様を変える雲を見上げていた。
「君も来ていたのか、‘剛剣喰らい’・・・。そんなところに立っていないでこっちに来るといい。城壁の内側の景色がまた、素晴らしい。」
身に着けた華紗な上着から伸びた飾帯が、遥か北のヘルデ山脈より吹き降ろされる風にはためいている「少し・・・やりすぎだぜ、‘鋼翼の執行人’。獣でも、もう少し上品な殺し方をする」
「ならば、私は人の身に生まれた事を、神に感謝しよう」
黒鎧の男が発した低音の声に、‘鋼翼の執行人’は雨に濡れた長髪を掻き揚げると、その端正な顔に冷薄な笑いを浮かべた。
「そして、彼らも私に感謝しているはずだ。信仰に厚い者も不信心な者も、平等に神に祈る機会を与えてやったのだからな。‘どうか早くこの苦しみからお救い下さい’、‘どうか早く死なせてください’。連中、生涯で最も熱心に、神に祈った事だろう」
喉の奥を震わせるように笑いながら、‘鋼翼の執行人’は、剣を手にしたまま無言のまま佇む‘剛剣喰らい’に語りかける。
「どうした、その顔は? 指令を出したのは‘No2’だぞ? まさか不服でもあるのか?」
「我々がNo2から受けた指令は、‘砦の制圧’のはずだ。決して‘虐殺’ではなかったはずだが」
錆を含んだ声で、‘剛剣喰らい’は問い掛ける。
「どうも君はまだ、飴玉のように甘ったるい‘騎士道精神’とやらを口に咥えたままのようだな」
‘鋼翼の執行人’は大げさに肩をすくめて見せた。
「やはり、元‘聖冠騎士団’の君には・・・」
轟音が、‘鋼翼の執行人’の言葉を遮った。
‘剛剣喰らい’が無造作に叩きつけた剣柄により、石壁がすり鉢上に崩れている。
「過去の話は関係ない。『彷徨える逆十字団』に入るための条件はひとつ、‘法王庁に強い恨みを持つこと’。そして、」
今度は、刃で反対側の城壁にたたき付けた。
「団員の中で‘死徒No’を授かる条件はさらにひとつ」
石の壁が、砂糖菓子のように崩れ、‘剛剣喰らい’の黒鎧に掛かる逆十字印が揺れた。
「‘強い事’だ。違うか?」
「全くもって正しい。君の言うとおりだ、No9」
剣を鞘に収め、振り返った‘剛剣喰らい’を、‘鋼翼の執行人’は‘死徒No’で呼んだ。
「そしてその‘強さ’はそのまま‘死徒No’に反映されることもお忘れなく」
「忘れていないぜ、No5。・・・Noに欠番が出たときは、‘繰り上がり’があるって事もな」
挑発的に顎をしゃくったNo5‘鋼翼の執行人’の言葉を、No9‘剛剣喰らい’の岩のような表情が受け止める。
「そういう冗談は、出来るようになってからいうものだよ、‘新入り’。たとえ、百年後になろうとも、だ」
‘鋼翼の執行人’は、右手で悠然と長髪を掻き揚げながらも、左手を金刺繍のついた上着の袖口に、静かに沈ませる。
先ほどより、僅かに声が低なる。
「さもないと君が失うものは、片目、片腕の話ではすまなくなるぞ。」
「・・・過去を捨て、『逆十字団』へ身を投じた時点で、片目、片腕より大事なものを捨ててきている」
‘剛剣喰らい’は、黒鎧の右肩部分の抉り取られた紋章後に手を置きながら、答えた。
挑発に乗ったわけではない。本心からできると思っての言葉だ。
「・・・くだらん理由だ。」
はき捨てるように‘鋼翼の執行人’は呟いた。
収まりかけた雨が、再び強くなり、対峙する二人の全身を濡らした。
両者の間合いの中間地に、銀光が舞い降りた。
全身を覆うマントのフードから、銀髪がこぼれる。
「‘お遊び’を続けるのも結構だけれど・・・」
その人物は、銀製の鈴のような澄んだ声で、対峙する二人に語りかた。
「間もなく、今回召集した最後の一人が到着するわ。決着はそれまでに着けなさい。」
ゆっくりとフードを外すと、銀髪と冬の月輪のような引き締まった美貌が現れる。
「・・・‘No2’」
「・・・‘銀水晶’」
No5‘鋼翼の執行人’とNo9‘剛剣喰らい’は、舞い降りた女性の死徒Noと二つ名を同時に呟く。
落ち着いた口調と物腰だったが、二人に向けられた視線には、冬の流水に混ざる氷のような鋭さが込められていた。
「いつ、いらしたのですか?」
「最初からよ。あなた達に会うのは半年振りだから、腕が落ちてないか確かめさせてもらったわ」
剣を収め、姿勢を正した‘剛剣喰らい’の僅かに緊張を含んだ問いに、No2は微笑みとともに答えた。
パーテイー前日の令嬢が、注文していたドレスを見て、その出来栄えに満足したかのような笑みだ。
その笑みに、安堵の息をもらしながら、‘鋼翼の執行人’が言葉をつなげる「それは何より。それで、間もなく到着するという‘死徒’最後の一人とは?」
「No7‘火連の錬金術士’よ。今回の作戦は、彼の能力が必要不可欠だわ。第8教区の‘知識の館’を襲撃してからここに来るよう伝令しておいたのだけど、少し遅れているようね。まだ、遊びが足りなかったのかしら。」
今夜の‘銀水晶’は心なしか機嫌がいいようだ。
そんなことを思いながら、‘剛剣喰らい’はさらに言葉を紡ぐ。
「それにしても『逆十字団』の死徒が四人も揃うなど、二年ぶりになりますが、今回はそれほどの大規模な行動をとられるのですか?」
「今回はまだ前段階よ。近いうちに・・・」
‘銀水晶’は一度言葉を止めると、二人の視線を集めた。
「‘死徒No’全員が揃うことでしょう。当然、‘No1’も含めてね。」
神聖な聖句であるかのように、‘銀水晶’はささやいた。
「素晴らしい。アスガルド全域が震えるほどの、歴史に残る‘夜’が訪れるのですな」
‘鋼翼の執行人’の声は、とっておきのおもちゃを渡された子供のように上擦っていた。
「・・・ようやく、終りに出来るのか」
対する‘剛剣喰らい’は、捜し求めた兄弟の消息を聞いたかのような深い吐息をもらした。
その様子を聖母のような表情で見守ると、‘銀水晶’はいつの間にかに雨が上がった空を見上げる。
「それにしても、No7は遅いわね。月が昇りきる前には集合するようにと伝えておいたのだけど。まだ、遊んでいていいわよ、二人とも。」
天頂高く上った月を見て、‘銀水晶’は呟くと、砦の奥に消えた。
もうすぐ、もうすぐよ。
今に始まるわ、‘あの日’の続きが。
私たちは人が言うような‘永遠の命’など持っていない。
ただ時間がとまっているだけ。‘ベルザイン父様’が死んだあの日から。
父様の計画は間違っていなかった。
あなたはそのことを証明するために‘秩序’を用いようとしているのでしょう、アニエス。
「ベルザインの子供達」の自我は不完全だった。
だから、自我を持ったあなたのような者が現れ、対処しきれず自滅した。
でも、‘混沌’から生まれた『彷徨える逆十字団』は違う。
その手足となる者は、初めから強固な自我をもっている。
‘憎しみ’を、‘欲望’を、‘破壊願望’をたぎらせているわ。
私が手綱を離せば、法王庁にさえ喰らいつく、忠実な坊やたち。
愛しいアニエス。
優等生だったあなたには、優等生の集まりしか作れない。
それではかりそめの安息は得られるかもしれないけれど、世界は変えられない。
だからあなたに代わってやってあげるわ。
‘あの日’の止まった時間を動かしてあげる。
同じ『ベルザインの子供たち』の一人として。
供に父様に愛された者として。
互いに殺しあった姉妹として。
楽しみね、アニエス。
第四教区パナコスの砦。
統一戦争中期に建設されたこの雪原の砦は、中央大陸より派遣された聖騎士団が、半島北部を支配するミッドガルド王国攻略の前線基地として、橋頭堡としての役割を果たした。
統一戦争終結後も、第四教区辺境の治安維持の中核としてその存在感を示したが、新聖暦55年にアスガルド鉄道が開通したことで、第四教区の中心が駅のあるフォートセバーン市に移った後は駐在する騎士団の規模は縮小された。
それでも百年近くにわたり第四教区を見守り続け、陥落とは無縁の砦であった。
しかしその不落の砦は、今、むせ返るような血臭に満ちていた。
たった二名の侵入者によって。
砦内部の廊下に築き上げられた盾と木箱による即席のバリゲードが、防衛戦の激しさを示していた。
石床には、折れた剣や砕けた斧が散乱している。
何としても、侵入者の排除を試みた騎士団の執念が見て取れる廊下を、漆黒に染め上げられた鉄鎧を着込んだ男が、黙々と歩いていた。
やがてテラスへと続く薄暗い階段に差し掛かると、男は一度足を止めた。
階段を見上げると、岩のように無表情であった男が、僅かにその太い眉をしかめた。
血臭いがたちこめた階段の両壁には、無数のオブジェが縫いとめられていた。
いずれも、パナコスの砦に駐在し、侵入者から砦を死守するために剣を抜いて戦った騎士達のものだ。
石壁に両腕、両肩が鋼の羽によって打ち込まれた後、腹を切り裂かれたのであろう、内蔵が自重でずり落ちていた。
動きを封じられた犠牲者達は、想像を絶する苦痛に苛まれ、もがき、さらなる苦痛を呼び込む。
「・・・」
地獄のような光景に、黒鎧の男は再び眉をしかめると、無言のまま一度収めた剣を抜き、階段を登り始めた。
手にした剣で、まだ死にきれず涸れた喉から掠れたうめき声をあげている騎士に、安息を与える。
階段を登りきるころには、男の鉄靴は踵まで血で濡れていた。
テラスには先客がいた。
風にまじるように降る霧雨に、全身を濡らしながらも、目まぐるしく紋様を変える雲を見上げていた。
「君も来ていたのか、‘剛剣喰らい’・・・。そんなところに立っていないでこっちに来るといい。城壁の内側の景色がまた、素晴らしい。」
身に着けた華紗な上着から伸びた飾帯が、遥か北のヘルデ山脈より吹き降ろされる風にはためいている「少し・・・やりすぎだぜ、‘鋼翼の執行人’。獣でも、もう少し上品な殺し方をする」
「ならば、私は人の身に生まれた事を、神に感謝しよう」
黒鎧の男が発した低音の声に、‘鋼翼の執行人’は雨に濡れた長髪を掻き揚げると、その端正な顔に冷薄な笑いを浮かべた。
「そして、彼らも私に感謝しているはずだ。信仰に厚い者も不信心な者も、平等に神に祈る機会を与えてやったのだからな。‘どうか早くこの苦しみからお救い下さい’、‘どうか早く死なせてください’。連中、生涯で最も熱心に、神に祈った事だろう」
喉の奥を震わせるように笑いながら、‘鋼翼の執行人’は、剣を手にしたまま無言のまま佇む‘剛剣喰らい’に語りかける。
「どうした、その顔は? 指令を出したのは‘No2’だぞ? まさか不服でもあるのか?」
「我々がNo2から受けた指令は、‘砦の制圧’のはずだ。決して‘虐殺’ではなかったはずだが」
錆を含んだ声で、‘剛剣喰らい’は問い掛ける。
「どうも君はまだ、飴玉のように甘ったるい‘騎士道精神’とやらを口に咥えたままのようだな」
‘鋼翼の執行人’は大げさに肩をすくめて見せた。
「やはり、元‘聖冠騎士団’の君には・・・」
轟音が、‘鋼翼の執行人’の言葉を遮った。
‘剛剣喰らい’が無造作に叩きつけた剣柄により、石壁がすり鉢上に崩れている。
「過去の話は関係ない。『彷徨える逆十字団』に入るための条件はひとつ、‘法王庁に強い恨みを持つこと’。そして、」
今度は、刃で反対側の城壁にたたき付けた。
「団員の中で‘死徒No’を授かる条件はさらにひとつ」
石の壁が、砂糖菓子のように崩れ、‘剛剣喰らい’の黒鎧に掛かる逆十字印が揺れた。
「‘強い事’だ。違うか?」
「全くもって正しい。君の言うとおりだ、No9」
剣を鞘に収め、振り返った‘剛剣喰らい’を、‘鋼翼の執行人’は‘死徒No’で呼んだ。
「そしてその‘強さ’はそのまま‘死徒No’に反映されることもお忘れなく」
「忘れていないぜ、No5。・・・Noに欠番が出たときは、‘繰り上がり’があるって事もな」
挑発的に顎をしゃくったNo5‘鋼翼の執行人’の言葉を、No9‘剛剣喰らい’の岩のような表情が受け止める。
「そういう冗談は、出来るようになってからいうものだよ、‘新入り’。たとえ、百年後になろうとも、だ」
‘鋼翼の執行人’は、右手で悠然と長髪を掻き揚げながらも、左手を金刺繍のついた上着の袖口に、静かに沈ませる。
先ほどより、僅かに声が低なる。
「さもないと君が失うものは、片目、片腕の話ではすまなくなるぞ。」
「・・・過去を捨て、『逆十字団』へ身を投じた時点で、片目、片腕より大事なものを捨ててきている」
‘剛剣喰らい’は、黒鎧の右肩部分の抉り取られた紋章後に手を置きながら、答えた。
挑発に乗ったわけではない。本心からできると思っての言葉だ。
「・・・くだらん理由だ。」
はき捨てるように‘鋼翼の執行人’は呟いた。
収まりかけた雨が、再び強くなり、対峙する二人の全身を濡らした。
両者の間合いの中間地に、銀光が舞い降りた。
全身を覆うマントのフードから、銀髪がこぼれる。
「‘お遊び’を続けるのも結構だけれど・・・」
その人物は、銀製の鈴のような澄んだ声で、対峙する二人に語りかた。
「間もなく、今回召集した最後の一人が到着するわ。決着はそれまでに着けなさい。」
ゆっくりとフードを外すと、銀髪と冬の月輪のような引き締まった美貌が現れる。
「・・・‘No2’」
「・・・‘銀水晶’」
No5‘鋼翼の執行人’とNo9‘剛剣喰らい’は、舞い降りた女性の死徒Noと二つ名を同時に呟く。
落ち着いた口調と物腰だったが、二人に向けられた視線には、冬の流水に混ざる氷のような鋭さが込められていた。
「いつ、いらしたのですか?」
「最初からよ。あなた達に会うのは半年振りだから、腕が落ちてないか確かめさせてもらったわ」
剣を収め、姿勢を正した‘剛剣喰らい’の僅かに緊張を含んだ問いに、No2は微笑みとともに答えた。
パーテイー前日の令嬢が、注文していたドレスを見て、その出来栄えに満足したかのような笑みだ。
その笑みに、安堵の息をもらしながら、‘鋼翼の執行人’が言葉をつなげる「それは何より。それで、間もなく到着するという‘死徒’最後の一人とは?」
「No7‘火連の錬金術士’よ。今回の作戦は、彼の能力が必要不可欠だわ。第8教区の‘知識の館’を襲撃してからここに来るよう伝令しておいたのだけど、少し遅れているようね。まだ、遊びが足りなかったのかしら。」
今夜の‘銀水晶’は心なしか機嫌がいいようだ。
そんなことを思いながら、‘剛剣喰らい’はさらに言葉を紡ぐ。
「それにしても『逆十字団』の死徒が四人も揃うなど、二年ぶりになりますが、今回はそれほどの大規模な行動をとられるのですか?」
「今回はまだ前段階よ。近いうちに・・・」
‘銀水晶’は一度言葉を止めると、二人の視線を集めた。
「‘死徒No’全員が揃うことでしょう。当然、‘No1’も含めてね。」
神聖な聖句であるかのように、‘銀水晶’はささやいた。
「素晴らしい。アスガルド全域が震えるほどの、歴史に残る‘夜’が訪れるのですな」
‘鋼翼の執行人’の声は、とっておきのおもちゃを渡された子供のように上擦っていた。
「・・・ようやく、終りに出来るのか」
対する‘剛剣喰らい’は、捜し求めた兄弟の消息を聞いたかのような深い吐息をもらした。
その様子を聖母のような表情で見守ると、‘銀水晶’はいつの間にかに雨が上がった空を見上げる。
「それにしても、No7は遅いわね。月が昇りきる前には集合するようにと伝えておいたのだけど。まだ、遊んでいていいわよ、二人とも。」
天頂高く上った月を見て、‘銀水晶’は呟くと、砦の奥に消えた。
もうすぐ、もうすぐよ。
今に始まるわ、‘あの日’の続きが。
私たちは人が言うような‘永遠の命’など持っていない。
ただ時間がとまっているだけ。‘ベルザイン父様’が死んだあの日から。
父様の計画は間違っていなかった。
あなたはそのことを証明するために‘秩序’を用いようとしているのでしょう、アニエス。
「ベルザインの子供達」の自我は不完全だった。
だから、自我を持ったあなたのような者が現れ、対処しきれず自滅した。
でも、‘混沌’から生まれた『彷徨える逆十字団』は違う。
その手足となる者は、初めから強固な自我をもっている。
‘憎しみ’を、‘欲望’を、‘破壊願望’をたぎらせているわ。
私が手綱を離せば、法王庁にさえ喰らいつく、忠実な坊やたち。
愛しいアニエス。
優等生だったあなたには、優等生の集まりしか作れない。
それではかりそめの安息は得られるかもしれないけれど、世界は変えられない。
だからあなたに代わってやってあげるわ。
‘あの日’の止まった時間を動かしてあげる。
同じ『ベルザインの子供たち』の一人として。
供に父様に愛された者として。
互いに殺しあった姉妹として。
楽しみね、アニエス。