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第三話『財布の距離』  ①オープニングフェイズ

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匿名ユーザー

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ロマニー地区の市場は、今日も騒がしかった。

 見慣れた喧騒。
 見慣れた声。
 値引きを巡るやり取りも、もう珍しくはない。

 ――少し前にも、ここで面倒なことに関わった気がする。

 だが今日は違う。

 あくまで目的は――買い出しだ。

「……やっぱり高いな」

 干し肉の値段を見て、眉をひそめる。
 前に来た時より、さらに少し上がっている気がする。

 ――肉は諦めるか。

 すぐに切り替える。

 野菜へ視線を移そうとした、その時だった。

「それ、もう少し何とかなりませんか」

 真剣な声が耳に入る。

 この市場では珍しくないやり取り。
 値切りだ。

 ――ただし。

 少し、必死すぎる。

 クエイルは思わず視線を向けた。

 店先で、小柄な女性が店主と向き合っている。

 肩口で切りそろえた髪。
 簡素な服装。
 外套も、どこかくたびれている。

「これ以上は無理だな」

 店主は取り付く島もない。

「でも、これだと……」

 少女は言葉を詰まらせる。

 手にしているのは、安価な野菜と乾物。
 それでも足りないらしい。

 クエイルは少しだけ迷い――

「その値段なら、向こうの店の方が少しだけ安いですよ」

 気づけば口にしていた。

「え?」

 少女が振り向く。

 驚いたような顔。

「あそこ、まとめて買うと少し引いてくれます」

「……本当ですか」

「はい」

 少女は店主とクエイルを交互に見た。

 その一瞬で状況を判断したように、軽く頭を下げる。

 ちょうどその時、店主が何か言いかけたので。

 クエイルは先に乾物を手に取り、支払いを済ませた。

 文句を挟ませないための、ささやかな配慮だった。

「……ありがとうございます」

 少女はぺこりと頭を下げ、すぐに移動する。

 動きに無駄がない。

 ――慣れている。

 ……いや。

 慣れているようで、慣れていない。

 その微妙な違和感が残る。

 クエイルはそのまま後を追うように、別の店へ向かった。

---

「一日いくらで計算してますか」

 並んで商品を見ながら、クエイルは聞いた。

「え?」

 少女は一瞬固まる。

「……食費ですか?」

「はい」

「……最低ラインで合わせています」

「具体的には?」

「……五日で銀貨一枚、くらいで」

「厳しいですね」

「厳しいです」

 即答だった。

 三日目あたりから崩れる配分だ。

 クエイルは頷いた。

 その感覚はよく分かる。

「保存は?」

「塩と乾燥です」

「火は?」

「一日一回にしています」

「水は?」

「……節約してます」

 そこだけ、少し言い淀む。

 クエイルはわずかに眉をひそめた。

「もう少し使った方がいいと思います」

「余裕があればそうしたいです」

「……」

 言い返せない。

 完全に現実の話だった。

 少女は商品を選びながら、ぽつりと続ける。

「田舎だと、こんなことで困らなかったんですけど」

「食材が手に入る?」

「はい。あと、水はただでしたし」

「こっちは全部お金ですね」

「はい」

 一拍。

「……あと、空気も違います」

「空気、ですか」

「ちょっと、息が詰まる感じがします」

 クエイルは少しだけ笑った。

「分かります」

「本当ですか」

「慣れるまでは、俺もそうでした」

「……慣れるんですか」

「少し、楽になる場所ならあります」

 クエイルは軽く空を見た。

「ロマニー地区の北東に、小さな広場があります。
 少し高台になっていて――この街を一望できる」

「いいですね、それ」

 少女は、少しだけ息をついた。

 ほんのわずかに、力が抜ける。

 それにつられて、クエイルも小さく笑った。

---

 ――ここまで削る理由がある。

 生活以外に、金を使うものがある。

---

「……あの」

 少女が顔を上げる。

「さっきは、ありがとうございました」

「いえ」

「……助かりました」

 少しだけ、不器用に笑う。

 だが、それが妙に印象に残る。

---

「クエイルです。クエイル・バーネット」

 何となく名乗っていた。

---

「……私は」

 一拍だけ間を置いて。

---

「……錬金術師です」

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