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第一話『冬に咲く花』  ①オープニングフェイズ

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匿名ユーザー

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 ロマニー地区の通りは、昼前になると人の流れが緩やかになる。
 朝の仕入れと昼の客の間、ほんのわずかな静けさが訪れる時間だ。
 クエイルは、その時間帯が嫌いではなかった。
 騒がしすぎず、だが完全に止まっているわけでもない。
 どこか緩んだ空気の中で、人々はそれぞれの用事をこなしている。

 ――世界は、こういう場所で出来ているのかもしれない。

 そんなことを考えながら、彼は足を止めた。


「また来てくれたんですね」


 柔らかな声がした。
 顔を上げると、小さな花屋の軒先。
 店の前で、水差しを持った娘がこちらを見ていた。


「……近くを通ったので」
「三日連続ですよ?」
「偶然です」
「ふふっ」


 娘は軽く笑い、花に水をやる。
 年の頃はクエイルより少し下だろうか。
 金色の髪は陽に透け、店先に並ぶ花と自然に馴染んでいた。

 派手ではないが、よく整った顔立ちをしている。
 それよりも印象的なのは、その落ち着いた物腰だ。

 十一課の執務室とは、まるで別の世界にいる気がする。

「今日はお仕事ですか?」

「いえ……その」
 クエイルは一拍置いた。
 神職とは名乗ったものの、異端審問官である事は明かしていない。
 ‘お仕事’について、詳しく話したくはなかった。

「本当に、通りがかっただけです」
「そうなんですか」

 娘は首を傾げる。
 その時だった。

「……あれ?」

 ふと、彼女の手が止まる。

「どうしました?」
「この花……」


 娘は一本の花を摘み上げた。
 淡い紫の花弁が、まだ柔らかく揺れている。

「咲く時期じゃないんです」
「時期、ですか」
「はい。もう少し後じゃないと咲かないはずで」

 クエイルは花を受け取る。
 慎重に観察する。

 見た目には特に異常はない。
 だが――

「……匂いが少し強いですね」
「分かります?」
「ええ」

*
 確かに、通常より香りが濃い。
 意図的に強められているような、不自然さがある。

「最近、こういうのが増えていて」
「増えている?」
「はい。他にも、少しずつ変なんです」


 娘は店を見回す。
 並ぶ花々はどれも美しく見える。
 だが注意深く見れば、微妙に違っている。

 咲くタイミング。
 色の濃さ。
 香り。

 ――揃いすぎている。

***

「きれいだけど、冬の花は、冬にみたいですよね」


 その言い方に、クエイルは少しだけ感心する。
 理屈ではなく、感性
 それは、知識だけでは得られないものだ

***

「少し調べてみます。他の地区では、この花は咲いているのかを、確認しましょう」
「本当ですか?」
「はい」


 クエイルは頷く。
 任務ではない。
 正式な依頼でもない。
 だが――
 こういう違和感を、放置していい理由はなかった。

***

「ありがとうございます、クエイルさん」
「仕事みたいなものですから」
「今日は“ちゃんと”仕事なんですね」
「普段から仕事しています」

 無職と思われていたんじゃないだろうな
 その懸念が顔に出たのか
 娘はまた笑った。

「じゃあ、これ持っていってください」
「これは?」
「問題の花です。調べやすいでしょう?」
「……助かります」


 受け取る。
 その時、娘が一歩近づいた。

「香り、この距離で嗅ぐのがいいんですよ

顔を寄せる。
‐近い

「このくらいじゃないと分からないんです」
「……そうですか」

 距離が近い。
 明らかに近い。
 だが、彼女にその自覚はないらしい。
 繊細なまつ毛が、はっきりと分かる距離。
 そして、柔らかうな唇…
***

「――クエイル」

 背後から声がする。

「こんなところで何してるの?」

 振り向くと、フェルメノが立っていた。
尼僧服の上に、白い上着を羽織った‘普段着’姿。
髪は造作に後方でまとめている。

「…どうして、ここに…」
「通りがかっただけ」
「……そうですか」

「それに、ここは私もいきつけだし」
 ねっ、と言わんばかりに娘に視線を向ける
「ええ、昨日からいらして下しました。‘お友達になりましょう’っていってくれたんですよ」
屈託のない笑顔で応える。
 
 何がいきつけだ。
 嫌な予感しかしない。

***

「で?」
「花です」
「分かるわよ」
「異常がある可能性が」
「面白そうね」

 フェルメノは即答した。

「行きましょうか」
「行くんですか」
「行くわよ」
「どこへ?」
「目星がついているんでしょ?」
「人任せですか?」
「まさか」

フェルメノは笑う
「信頼してるのよ」

 そう言って、彼女は花屋の娘を見た。

「あなたも来る?」
「え?」
「ちょっと、何言っているんですか?」

 娘は目を丸くする。


「えっと……いいんですか?」

「だめ?」
「いえ、行きたいです。けど…」

一瞬の迷い。
店の奥に視線を送る

「ああ、ごめん、ごめん」
フェルメノが場の空気を打ち消すように、手を振りながら謝る。
「お店を空けちゃう訳にはいかないわよね」
「そうですよ。そもそも…」
「店番にクエイル置いていくから」
「なぜ?」

「お気遣いありがとうございます。でも…」
娘が困ったように視線を落とす。
「分かってるわ、冗談よ。悪かったね」


「どうして、あういう言い方をしたんですか?
店を離れた後、隣を歩くフェルメノ問う。
「そんなの決まっているじゃない」
小さく、笑ってこたえる。

「楽しそうだから」


 その瞬間、クエイルは理解した。

 ――ああ、これは
 ―‘いつものやつ’だ

***

「……分かりました。行きましょう」


 諦めたように言う。
 昼前の静かな通りに変化はない。
 花の香りが、少しだけ強く漂う以外は。

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